『週刊ダイヤモンド』連載、「超」整理日誌、2014年

Pocket

『週刊ダイヤモンド』連載、「超」整理日誌、2014年

記事インデックスはこちら

◆2014.01.04
◆異次元金融緩和後に企業利益は減少した

法人企業統計は、日本経済が陥りつつある困難な状況を、明確に示している。
売り上げがあまり伸びず、設備投資も伸びない。それだけでなく、企業利益も減少し始めたのである。2013年7~9月期の季節調整済み経常利益の対前期比増加率は、全産業では▲1・6%、製造業では▲5・2%となった。
利益が減っているという事実は、多くの人にとっては意外なニュースであろう。そう受け止められる理由は二つある。
第1の理由は、この1年ほど、「企業利益が改善」というニュースが喧伝されてきたからだ。
13年3月期の決算に関しては、「大幅増益」と報じられた。円安によって利益が著しく増加した企業があるのは事実である。しかし他方で、利益が減少した企業もあるのだ。
上場企業だけを取ってもそうである。東京証券取引所がまとめている決算短信の連結で営業利益を見ると、12年度は、全産業で対前年度比3・1%の増。製造業が6・22%増。非製造業は0・42%減だ。これは、一般の印象よりだいぶ低い。
こうなるのは、減少した産業もあったからだ。輸送用機器は、62・3%増と著しい伸びを示したが、その他の多くの業種で営業利益が減少した。繊維製品、石油・石炭製品、ガラス・土石製品、鉄鋼などは、2桁の減益となった。仮に輸送用機器の増益がなかったとすれば、製造業全体の営業利益は、対前年度比で減益になっていたはずである。
ところが、報道は、増益を強調する一方で、減益についてはあまり報道しなかった。このため、人々は、全体像を把握できず、ゆがんだイメージを持つこととなったのだ。
第2の理由は、比較する時点に関するものだ。企業利益は、13年1~3月期と4~6月期に円安の影響で売り上げが伸びたため、大きく伸びた。しかし、その後、利益が圧迫されてきた。
企業利益に限らず、さまざまな増加が異次元金融緩和以前に生じているのである。安倍内閣の経済政策に対する期待が強く、そのために指標が上昇したのだ。
しかし、5月末以降、期待がはげ落ちた。まさに期待が先行し、そして期待だけで終わってしまったのである。
だから、対前年度比で見るか対前期比で見るかによって、印象が大きく異なる。実際、法人企業統計でも、7~9月期の経常利益の対前年同期比を見ると、全産業では、24・1%(前期24・0%)という高い値となっている。特に製造業は、46・9%という極めて高い伸び率だ。
なお、中期的に見ると、企業利益は10年ごろのほうが大きかった時期があった。そして、リーマンショック前に比べると、日本企業の収益力は大きく落ちている。自動車は12年の落ち込みが大きかったため、伸びが大きく見えている面がある。

・円安は円建て輸出額を増やすが輸入原材料費を高める
なぜ利益が増えないのか? 大きな理由は、円安が原材料価格を高めるからである。
円安の利益増加効果が大きいと喧伝され、株価の上昇があまりに顕著であったため、円安で未曾有の利益が出たような錯覚に陥る。しかし、実態は違う。
発電用燃料の輸入額が増え、部品や完成品の輸入額も増える。日本産業の輸入依存度は高まっている。だから、円安で輸入価格が上昇するのは、企業にとって、必ずしも望ましいことではないのだ。
円高期であった10年ごろに現在より経常利益が多い時期があったことは、円安が利益を増やすとは限らないことを示している。また、貿易収支が巨額の赤字になっていることは、総需要の大きなマイナス要因だ。7~9月期のGDP(国内総生産)統計でも、外需は大きなマイナス寄与度になっている。
実際、前記決算短信の数字で見ると、製造業は全体として伸びたが、すでに述べたように、業種によって著しい差がある。自動車産業のように輸入原材料の比率が低いと、円安は利益を大きく増加させる。
しかし、輸入原材料の比率が大きいと、円安で利益は減少するのだ。以上についての詳細なデータは、『ダイヤモンド・オンライン』に連載中の「期待バブルが幻滅に変わるとき」を参照されたい。

・これ以上の円安の阻止は企業利益の観点からも緊急
設備投資も減っている。ソフトウェアを除く設備投資額の季節調整値で見ると、7~9月期には前期比▲0・5%と4四半期ぶりの減少となった。業種別に見ると、製造業は前期比▲0・7%と、6四半期連続の減少となっている。またこれまでは堅調な推移が続いていた非製造業が、同▲0・4%と4四半期ぶりの減少となった。4~6月期には4・6%増だったので、かなり落ち込んだことになる。
この結果を受けて、7~9月期GDP統計2次速報は、1次速報から大幅に下方修正された(民間企業設備の季節調整済み対前期比が0・2%から0・0%に。実質GDPが0・5%から0・3%に)。
右の事実は、金融緩和政策の評価に関して重要な意味を持っている。金融緩和に本来期待されるのは、実質金利が引き下げられて、設備投資が増加することだ。それこそが、「経済の好循環」である。しかし、そうしたことは起こっておらず、設備投資額は金融緩和後、逆に減少しているのである。
言うまでもないことだが、株価は企業の利益を反映している。正確に言えば、将来にわたる利益の割引現在値が株価だ。では、日本の株価は、企業の期待利益を正しく反映しているのだろうか?
日経平均株価は、12年秋ごろの9000円程度から、現在の1万5000円台まで大きく上昇した。そして、最近再び上昇しようとしている。しかし、企業の利益は、以上で見た通りの状況なのだ。両者を比較すれば、株価はバブルを起こしているとしか言いようがない。
人々が「日本経済は回復しつつある」という印象を持つ最大の原因は株価の急上昇にある。しかし、7~9月期の法人企業統計は、そうしたイメージとは全く異なる日本企業の姿を示している。この警告を正しく受け止め、それに対処することが必要だ。
今後はどうなるだろうか? 仮に13年10~12月期、14年1~3月期の利益が、13年7~9月期と同じなら、13年度の経常利益は、対前年度比で全産業では8・29%増、製造業では18・9%増となるだろう。これは、株価上昇率に比べると、かなり低い値だ。しかも、利益がこの仮定通りになるかどうかも確かではない。
まず円レートがどうなるかわからない。さらに、為替が変わらなくとも、原材料費が上昇して利益を圧迫するだろう。
これまで、円安は、消費者物価を引き上げて家計にマイナスに働くことはあっても、企業利益にはプラスだと考えられてきた。いまでも、株式市場では、円安が進むとほぼ自動的に株高が進む場合が多い。しかし、これが正しい反応かどうかは、大いに疑問がある。右に見たように、円安が多くの企業の利益を圧迫し始めているのである。
為替レートの行方は、前回見たように不確実性に覆われている。しかし、日本政府が円安を抑止することは不可能ではない。現状では、口先介入だけでも、為替レートには多大の影響が及ぶだろう。円安を抑止する必要性は、緊急のものとなった。

◆2014.01.11
◆円安による費用増の約7割は企業が負担

円安による輸入価格の上昇分は、どう負担されてきただろうか? 消費者物価の上昇で、消費者の負担が増えたことは、広く認識されている。しかし、実際にはもう少し複雑である。以下では、これについての分析を行おう。
2012年10月から13年9月までの輸入額は77・0兆円、輸出額は67・1兆円だ。円ドルレートは、この間に18・7%減価した。したがって、円安による増加分は、輸入が14・4兆円、輸出が12・6兆円と評価される。
輸入増加額のうち、最終財に転嫁された分を計算しよう。13年7~9月期までの1年間の各需要項目額は、民間最終消費支出が290・9兆円、民間住宅が14・8兆円、民間企業設備が64・3兆円、公的固定資本形成が22・4兆円だ。民間最終消費支出については、消費者物価指数で評価する。全国の総合指数は、12年10月から13年9月までに1・0%ポイント上昇した。これによる民間最終消費支出の増加額は、2・92兆円だ。投資支出については、企業物価指数のうちの資本財価格指数で評価する。この指数は、同期間に1・5%ポイント上昇した。これによる投資支出の増加額は、1・52兆円だ。
したがって、輸入増加額のうち最終財に転嫁されたのは、以上の合計である4・44兆円と評価される(原理的には輸出への転嫁もあり得るが、ここではないものとする)。
これを輸入増加額14・4兆円から差し引いた10兆円が、企業負担になっているはずだ。そして、円安による企業利益増は、これを輸出増加額12・6兆円から引いた2・6兆円だ。
法人企業統計の数字では、全産業(金融保険業を除く)の営業利益は、12年7~9月期の9・1兆円から13年7~9月期の11・4兆円に、2・3兆円増加した。これを4倍して年間ベースにすれば、9・2兆円だ。これは、上記2・6兆円に比べてかなり大きい。
それは、利益は円安以外の要因でも増えたからだ。電機産業でのリストラによる利益増(2820億円。数字は四半期、以下同)、電力の燃料費調整に時間遅れがあったことによる利益増(3690億円)、住宅の駆け込み需要による不動産業の利益増(748億円)、公共事業増加による建設業の利益増(2710億円)などがそれで、この合計は約1兆円だ。年間ベースでは約4兆円になる。
ただ、それにしても円安が企業利益に与えた影響は大きい。全産業の利益は年間ベースでは約40兆円だが、右で算出した円安による利益増や企業負担は、これと比較し得る大きさだ。円安の進展度や転嫁度は、企業利益に大きな影響を与えるのである。

・エネルギー関連では転嫁が進んだ
円安による輸入増加額14・4兆円のうち企業が10兆円を負担しているのだから、あまり転嫁が進んでいないとも言える。
転嫁が進んでいないことは、企業物価指数を見てもわかる。12年9月と13年9月を比較すると、国内企業物価指数の総平均は、2・19%しか上昇していない。工業製品は、1・41%の上昇にとどまっている。
どの程度の転嫁が可能かは、制度と価格弾力性に依存する。電力の場合、燃料価格の上昇は、燃料費調整制度で自動的に電気料金に転嫁される。しかも、電気は必需財であって価格弾力性が低いため、需要は減少せず、売り上げが増える。
法人企業統計で電気業の状況を見ると、(原価-人件費)の増加率は4・8%だが、売上増加率は9・5%だ(原価から人件費を控除した額を見ているのは、これが原材料費に対応すると考えられるからである)。したがって、100%の転嫁以上に売り上げが増加している。これは、燃料費調整が時間遅れを伴って行われたためと考えられる。
ガス・熱供給・水道業についても、類似の状況がある。すなわち、(原価-人件費)の増加率は、円安率にほぼ等しい19・6%だが、売上高の増加額と(原価-人件費)の増加額がほぼ等しい。したがって、コストアップは、ほぼ転嫁したとみられる。
石油製品・石炭製品製造業でもそうだ。(原価-人件費)の増加率は、円安率にほぼ等しい18・0%だ。しかし、売り上げ増と(原価-人件費)の増がほぼ等しい。したがって、原価増加をほとんど転嫁していることがわかる。これがガソリン価格を高め、消費者物価を上昇させたのだ。
円安による利益増が最も顕著に見られるのは、輸送用機械器具製造業である。輸入原材料がほとんどないため、(原価-人件費)が1%しか増加していない。売上高増加率は約5%とそれほど高くはないのだが、原価が増えないため、利益が92%も増えている。製造業の利益増加額1兆1609億円の39・6%がこの部門で生じている(以上の詳細は、『ダイヤモンド・オンライン』連載の「期待バブルが幻滅に変わるとき」を参照)。
企業物価指数を見ても、電力・都市ガス・水道(9・89%上昇)、石油・石炭製品(11・90%上昇)などは、高い上昇率だ。転嫁の進展を示している。
これに対して、食品加工業や外食産業のように原料が輸入で需要が国内の場合、転嫁は難しい。原材料価格上昇分は、素材産業などの川上産業の負担になっている分が多いと思われる。企業物価指数の鉄鋼は、±0にすぎない。したがって、鉄鉱石や石炭の輸入価格の上昇分は、ほとんどすべて鉄鋼産業で負担されていると考えられる。

・2%インフレ率は実現するか?
消費者物価の今後を推計するために、まず消費者物価とエネルギー産業売り上げ増との関連づけを行っておこう。
法人企業統計によると、12年7~9月期から13年7~9月期にかけてのエネルギー産業の売上増加額は、次の通りだ。電気業4861億円、ガス等1411億円、石油製品等8119億円。これらの合計は、1兆4391億円だ。この半分が消費者分であると考え、それを4倍して年ベースにすると、約2・8兆円となる。これは、前に消費者物価から推計した結果(2・92兆円)とほとんど一致する。これから、次のことが言える。(1)円安による輸入価格上昇の消費者への転嫁は、主としてエネルギー価格の上昇を通じて行われている。(2)需要の約半分が消費者分であると考えてよい(電気については、販売額のほぼ半分が家庭用であることが、電力会社のデータからも確かめられる)。
なお、12年における鉱物性燃料の輸入額は24・1兆円だ。これに円安率を掛けた4・5兆円が円安による増加分だとすると、電気業の年間売上高増加は、この43%になる。
消費者への転嫁はエネルギー価格の上昇を通じるものであり、すでに転嫁が行われた。具体的には、約2割の円安によって、消費者物価指数が約1%ポイント上がった。他方で、企業が現在負担している10兆円が今後消費者に転嫁される可能性は低いと考えられる。
これから、次の二つが結論される。第1に、今後の消費者物価の上昇は、今後さらに円安が進んだ場合に限られるだろう。第2に、消費者物価指数がさらに1%ポイント上がるためには、さらに2割程度円安が進む必要がある。
結局のところ、日本銀行が掲げている「インフレ率2%」が実現できるかどうかは、為替レートの今後の変化に懸かっている。

◆2014.01.18
◆オリンピック開催は公共事業のためか?

オリンピック東京大会が決まったときのマスメディアの反応は、「めでたいことだ。これが日本再生のきっかけになる」というものだった。
ただしそれは、「これによって日本人の体力が向上する」という意味ではない。「大会準備のための投資が、日本経済に新たな需要をもたらすと期待される」という意味である。事実、オリンピックの経済効果に関する分析が、その後いくつも発表された。「アベノミクスの第4の矢になる」との意見も表明された。
「オリンピックを機会に体を鍛えよう」というのならわかるのだが、「オリンピックを機会に投資をしよう」というのは、いかがなものだろうか?
多くの日本人にとって、オリンピックとは、競技場や付属施設が建設されること、道路・鉄道などの関連公共事業が行われること、そして、ホテルが増設され、世界中から観光客が押し寄せることであるようだ。もっと言えば、オリンピックとは、めったにない金もうけの機会であるようだ。だから、自分の事業を何とかオリンピックに関連づけようというわけだ。オリンピック競技場で何が行われるかは、こう考える人々の念頭には、最初からない。
昔、フランスのド・ゴール大統領は、日本の首相を評して「トランジスタを売る商人だ」と言った。これを聞いてわれわれは、「売っているのは事実だが、その前に優秀な製品を作っている。フランスにはできまい」と反発したものだ。しかし、それから半世紀たったいま、多くの日本人は、オリンピックと聞いて経済活性化(ありていに言えば、金もうけ)しか考えない。ド・ゴールの日本人観察は正しかったのかもしれない。
1964年の東京大会のときには、オリンピックは経済成長の起爆剤になった。東京の地下鉄が整備され、新幹線ができた。高速道路もできた。こうした社会資本の集中整備は、その後の経済成長を支える基盤施設になった。
しかし、いまの日本で同じことを期待するのは、アナクロニズム以外の何物でもない。なぜなら、現在の日本は、当時とはまったく異なる経済条件下にあるからだ。わずか数週間の一時的な利用のために膨大な投資を行えば、将来、重荷になるばかりだ。

・東京大会は世界に向けて何を発信するのか?
オリンピック大会では、もともとのオリンピック精神にはなかった理念が発信されることがある。それは、開催国の(あるいは開催都市の)イデオロギーと言ってもよい。
それが最初に意識されたのは、1936年のベルリン大会だろう。これは、オリンピックを国威発揚の場にしようというものだ。記録映画のタイトル「民族の祭典」が、その本質を表している。世界を支配できる優秀な民族の条件は何か? それを、オリンピック競技場で示そうというのだ。
いまひとつは、「発展途上国モデル」だ。「わが国も、やっとオリンピック大会を開催できるだけ成長しました。だから、これからは、経済取引の相手として認めてください」というメッセージを世界に向けて発信するのである。典型が64年の東京大会だ。88年のソウル大会や2008年の北京大会もその延長上にある。
「理念」というほど大げさでなくとも、新しいアイディアや考えが提示されることもある。例えば、84年のロサンゼルス大会や96年のアトランタ大会では、公的資金の供与を受けず、民間資金による運営が行われた。04年のアテネ大会や12年のロンドン大会では、既存施設の活用が図られた。これらは、先進国型のイデオロギーと言えよう。
では、今回の東京大会は、いかなるメッセージを世界に発信するのか? これまでの招致運動は、確たるイデオロギーなしに進んだように見える。「これを機会に公共事業をやろう」というのでは、いかにもお粗末だ。第一それは、近年のオリンピックの潮流となっている「リノベーション&リサイクル」に真っ向から反する。
主催国の特権とは、世界から観光客を集められることではない。メッセージを発信できることだ。この機会を使わなければ、もったいない。答えを提示できなくともよいから、せめて問題提起を行うべきだ。
世界でもまれな高齢化が進んでいる国でオリンピックを行うことの意義を、アピールしてもよい。「若者の祭典」というイメージからの転換である。高齢者鉄人レースを取り入れてもよいし、パラリンピックを優先してもよい。
最低限必要なことは、過酷原子力事故を起こし、いまだにそれを克服できないでいる国としてのメッセージだろう。このことを見ぬふりをしたり、「コントロールされているから大丈夫」と言うのではなく、極めて深刻で困難な事態だが、それに真剣に向き合っているという現状を世界に向かって伝えるべきだ。

・市民生活との連続性をアピールできないか?
いまひとつ可能なのは、市民生活ないしは個人生活との関連をテーマにすることである。
大多数の人にとって、いまのオリンピックは見るだけのものであり、積極的に参加できるものではない。競技場に登場するのは、人間能力の極限を追求するアスリートたちであり、普通の人とは隔絶された存在だからだ。いま世界最高水準を目指すには、日常生活を放擲する必要がある。そして、国や企業の庇護を受けなければならない。
プロであれば、すべてを投入してスポーツに専念するのは当然だ。しかし、アマチュアは、同じことを行えない。現代のオリンピックは、この意味で、根源的な矛盾を抱えている。アマチュア精神とは、必ずしもすべての市民が参加できることではない。しかし、大会と日常生活がこれほど懸け離れてしまった現状は問題だ。
ここで思い出すのは、1924年のパリ大会を背景とする実話に基づいた映画「炎のランナー」だ。出場選手は普通の生活を送っており、余暇を使って練習している。そして、試合よりは個人生活を優先する。
主人公の1人であるキリスト教の宣教師は、出場種目の日程が安息日である日曜日になってしまったため、宗教上の信念を優先して試合を放棄する。牧歌的な時代のエピソードだと言ってしまえばそれまでだが、われわれがこれを見て感動するのは、アマチュアスポーツの本質がそこに含まれているからだ。
選手が個人だからこそ、こうしたことができた。国や企業の援助で費用をかけて養成された選手では、自分の信念のために試合を放棄することはできない。
22年ノーベル物理学賞受賞者ニールス・ボーアはサッカーの選手で、1908年ロンドン大会のデンマークチームの補欠選手だった。こんなことも、いまでは望めまい。
日常生活とスポーツの連続性に関する何らかのメッセージを、東京大会が具体的な形で示せないものだろうか?
観客としてのわれわれは、超人的な競技は見たい。しかし、それはプロ、ないしは事実上のプロに任せればよい。世界陸上大会と世界水泳大会はあるのだから、極限の追求はそちらに任せる。そして、4年に1度のオリンピックは、アマチュア競技の原点に戻ることとするのである。そのために、大げさな開会式は行わない。メダルもやめにする。表彰式も国歌演奏も国旗掲揚も行わない、等々。新しい試みはいくつも考えつく。

◆2014.01.25
◆米金融緩和縮小よりユーロの動向が重要

2013年末に、アメリカ金融緩和策の縮小が決定された。アメリカ株式市場はこれを歓迎し、株価が上昇した。日本の株価も追随した。円安がさらに進むとの見方もある。
以下ではこうした動きの背後にある国際的投機資金の動きを分析し、日本経済への影響を考えることとしたい。
ユーロ危機が顕在化して以降の先進国経済の動きは、大きく、(1)11年4月ごろから12年7~9月ごろまでと、(2)12年7~9月ごろ以降とに分けることができる。
(1)は、ユーロ危機が進行し、投機資金が南欧国債から逃避して米独日国債に流入した時期だ(この動きは、「リスクオフ」と呼ばれた)。これにより南欧国債の利回りが上昇し、米独日国債の利回りが歴史的な水準にまで低下した。為替レートではユーロ安が進んだ。なお、この期間中の12年1~3月には、ギリシャ支援策の成立を反映して、右の動きが一時的に逆転した。
(2)は、ユーロ危機が沈静化したと考えられる期間である。これをもたらしたのは、12年9月の欧州中央銀行(ECB)による南欧国債購入の決定である。なお、12年9月に欧州安定メカニズム(ESM)条約が発効しており、これにより、5000億ユーロ(6850億ドル)まで融資可能となった。これは、12年におけるユーロ圏GDPの合計額12・2兆ドルの5・6%に相当する大規模なものである。こうした措置によって南欧国債の利回りが低下し、米独日国債の利回りが上昇した。南欧国債の最近の利回りは、ユーロ危機勃発前の水準にまで戻っている。
為替レートの動きは、ほぼ右の事態に沿って変動している。すなわち、11年4月以降は、ドルや円に対して、ユーロ安が進行した。そして、12年7月ごろに最安値となった。
それ以降は、ユーロが増価している。12年7月以降、ユーロはドルに対しても円に対しても増価したが、円に対する増価率のほうが高かったため、円はドルに対しても減価した(以上についての詳細なデータは、『ダイヤモンド・オンライン』「期待バブルが幻滅に変わるとき」を参照)。
日本では、12年秋からの円安によって輸出産業の利益が増加し、株高が進行した。注意しなければならないのは、これまでの説明から明らかなように、円安は安倍晋三内閣の経済政策によって実現したのではなく、ユーロ情勢の変化と、それに伴う世界的な投機資金の動きによって引き起こされたということだ。
14年においても、為替レートは日本経済に大きな影響を与えるだろう。しかし、為替レートが日本の政策というより海外の要因で動くという事態は、変わらない。したがって、ユーロ情勢の変化やアメリカの金融緩和政策について注視することが必要だ。

・QE3の本当の目的は金利抑制だったのか?
アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)は、12年9月にQE3と呼ばれる量的金融緩和政策を導入した。これは、住宅ローン担保証券(MBS)を購入する政策だ。12月には、購入対象に長期国債も加えた。
QE3がなぜ必要とされたのかは、はっきりしない。期限の定めはなく、「雇用情勢が改善するまで継続する」とされたので、表向きは雇用情勢改善が目的だった。しかし、企業の利益はすでに増加しており、金融緩和がそれ以上に雇用を改善できるとは考えられないので、これは表面上の理由だとしか考えられない。
本当の目的は、金利高騰抑制だったのではないだろうか? 導入当時、アメリカの長期金利はすでに未曽有の低水準に達しており、11年夏ごろから実質金利はマイナスだったから、それ以上の引き下げは必要なかったとも言える。
しかし、ECBが緩和策を取ったことから、それへの対抗策が必要と考えられた可能性がある。ECBの国債購入策によって国際的投機資金がアメリカから流出してユーロ圏に回帰してしまうと、アメリカの金利が上昇してしまう恐れがある。そうなると、アメリカの景気回復に水が差される。それを抑えるためだったのではないだろうか。その意味では、QE3は国際的な金融緩和競争の一環だった。
実際、QEの導入後も、アメリカの金利は上昇した(10年国債利回りは、12年9月には1・7%程度だったが、13年3月には2%を超えた)。そして、13年5月に緩和縮小の予想が広まったときには、急上昇した(10年国債利回りは、9月初めに3%近くになった)。これらから考えると、アメリカ景気回復による金利上昇圧力は強く、それを抑えるためにQE3が行われ、ある程度の効果を発揮したと言えるかもしれない。
なお、類似のことが日本についても言える。公共事業の拡大のために国債発行を増額する必要があるが、それによる金利高騰を抑える必要がある。異次元金融緩和措置の本当の目的は、国債購入そのもの──財政ファイナンス──である可能性が高い。

・ユーロ危機が再燃する可能性は否定できない
FRBが13年12月に決定したのは、資産購入額を従来の月額850億ドルから750億ドルへ減額するということである(金融緩和策の縮小は、「テイパリング」と呼ばれる)。
縮小の規模はわずかなので、これは「縮小」というよりも「緩和の継続」と解釈できる。今後についても、経済指標の動向を見て対処するとしており、テイパリングの具体的なタイミングは示されていない。
FRBの決定に対してアメリカの株価が上昇し、「これまでの不透明感が払拭され、リスクオンの様相が強まったため」と説明されたが、市場は「縮小」よりは「緩和を基本的には継続」と受け止めたのだろう。
ただし、金利は上昇を続けた。13年10月末には2・5%程度だった10年国債利回りは、13年12月末には3%を超えた。09~10年ごろには3・5~4%程度だったので、それに比べれば、まだ上昇の余地はあるかもしれない。
そうであっても、日米間の金利がリーマンショック前ほど開くことはないだろう。円安が進展するには円キャリー取引が生じる必要があり、そのためには金利差がかなり開かなければならない。QE3の縮小は、金利には影響を与えても、為替レートに影響するほど金利差が開くかどうかは疑問である。
他方で、先に述べたように、南欧国債利回りはユーロ危機勃発前の水準に戻っている。09年ごろは、アメリカMBSや原油、商品から逃避した資金が南欧国債に回り、バブル的な状態を呈していたことを考えると、南欧国債利回りがこれ以上に低下するとは考えにくい。したがって、為替レートも、これ以上ユーロ高にはならないだろう。
実際には、その逆の事態が発生する可能性がある。なぜなら、ユーロ危機は完全に収束したとは言えないからだ。現在の沈静化は、ドイツが南欧を支えるという基本構造によるものだ。しかし、これがいつまで続くかわからない。したがって、現状は一時的な沈静化である可能性が強い。
他方で、スペイン国内銀行全体の貸出残高に占める不良債権の割合は13年9月に過去最高を更新した。こうした状況を考えると、ユーロ危機再燃の可能性は否定できない。再燃すれば、再びユーロ圏からの資金流出が起こり、円高になる。14年の日本経済の動向を左右するのはユーロ情勢だと考えられる。

◆2014.02.01
◆マイナスもあり得る2014年度の成長率

2014年度の実質経済成長率は、マイナスになる可能性が高い。その理由は、GDP統計が示すデータに見いだせる。
13年7~9月期の実質GDP成長率(季節調整済み年率。以下同)は1・1%だったが、公的固定資本形成(公共投資)の寄与度が1・2%あった。つまり、経済成長は公共投資に支えられたものだったのだ。実際、公共投資の成長率は、4~6月期から引き続いて30%近い異常な高さであった。仮にこれがなくなれば、7~9月期において経済はマイナス成長に落ち込んでいたはずなのである。
ところが、14年度における公共投資は、前年度比マイナスになる。その理由は、政府の経済見通しにおいて、公需寄与度が0・2%という非常に低い値に想定されていることだ。公需とは政府最終消費支出と公的固定資本形成である。前者は後者の5倍程度のウエイトがあり、伸び率は0・5%程度である。したがって、公需全体の寄与度が0・2%になるためには、実質公共投資の伸び率はマイナスにならなければならない。計算をしてみると、年率で▲5・5%になる必要がある。
実質公共投資の伸び率がマイナスになるというのは、一般に持たれている印象とは大きく異なるだろう。なぜなら、13年12月に閣議決定された14年度予算案では、公共事業費は前年度比12・9%の増となっているからである。これについての報道は、「公共事業が大幅増」というものであった。
それにもかかわらず、実質公共投資の伸び率がマイナスになってしまうのはなぜだろうか。これには、次の二つの原因がある。
第1は、14年度予算案の数字には、社会資本整備事業特別会計の一般会計統合による増加分がカウントされていることだ。これを差し引くと、対前年度比増加率は1・9%に低下する。
第2は、前年度当初予算からではなく、補正予算とセットの総額で比較する必要があることだ。いわゆる「15カ月予算」で見ると、14年度の公共事業予算は、13年度を3兆円程度下回る。12年度補正予算では10兆円超の景気対策を行ったのに対して、13年度補正予算案での計上額は少ないためだ。
以上の理由によって、仮に公共投資以外の条件が13年7~9月期から変わらないとすれば、14年度の実質経済成長率はマイナスになるはずなのである。実際には、以下で述べるようないくつかの要因が経済成長率をさらに押し下げると考えられるが、「消費税増税の影響を考えなくともマイナス成長になる」というのが、最も重要な点だ。

・根拠なきオプティミズム 政府経済見通し
政府が13年12月に閣議了解した「平成26年度の経済見通しと経済財政運営の基本的態度」によれば、14年度の実質GDP成長率は1・4%となり、今年度の2・6%から大きく下落するものの、プラスの成長率は維持する。
右で述べた理由づけではマイナス成長になるのに、なぜ政府の経済見通しではプラス成長になるのか? それは、設備投資や輸出について、非現実的なほど高い成長率が仮定されているからである。
実質民間企業設備投資の成長率は、13年度の0・4%から、14年度には4・4%に上昇するとされている。このように見通す理由として挙げられているのは、「輸出や生産の増加、企業収益の改善や政策効果等により、設備投資は引き続き増加する」ということだ。しかし、実質設備投資は、13年1~3月期まで3期連続で減少を続けた。4~6月期には比較的高い伸び率になったが、それは住宅駆け込み需要の影響で不動産業における設備投資が増加したからである。消費税が増税されて住宅建設がスローダウンすれば、それは減少する可能性が高い。他方で、製造業の設備投資は減少し続けている。こうした状況を考慮すれば、実質4・4%というのは、あり得ないほど高い値だ。
実質輸出は、14年度において5・4%という高い伸び率を示すとされている。輸出がこのように増加する理由は、「世界経済が緩やかに回復していくこと」だ。しかし、13年7~9月期における実質輸出の増加率は▲2・4%である。その後の輸出数量指数の推移を見ても、増加傾向はうかがえない。今後、対米輸出が増加することはあり得るが、対中輸出の減少には構造的な要因があり、増加に転じるかどうかは、大いに疑問である。
また、政府見通しでは、実質輸入の伸び率が13年度の4・2%から14年度には3・5%に低下するとされているが、その理由は明らかでない。13年7~9月期における実質輸入の増加率は9・2%という非常に高い値だ。実質輸入の伸びはLNG(液化天然ガス)など発電用燃料の輸入によるところが大きく、それは本格的な原発再稼働が実現しない限り、減らない可能性が高い。
設備投資や輸出に関する政府見通しの想定は、全体がプラス成長になるように、無理して成長率を引き上げた結果としか考えられない。これは、「根拠なきオプティミズム」としか言いようがないものだ。
なお、主要民間調査機関の14年度経済見通しにおいても、民間設備投資や輸出が高い伸びを示すとされている。

・現実的な想定をすればマイナス成長の可能性が高い
以上で見たように、政府の経済見通しは、設備投資や輸出についての過大な想定に立脚している。そこで、これらを現実的な想定に直すとどうなるだろうか?
政府見通しにおける寄与度は、民間設備投資が0・57%、輸出が0・85%である。したがって、これらの伸び率をゼロとすれば、それだけで、GDP成長率は1・41%ポイントだけ落ちて、ほぼゼロになる。
さらに、駆け込み需要の反動で、住宅投資が減少するのは避けられない。政府見通しでは、14年度における伸び率が▲3・2%とされている。しかし、これで済むかどうかは、大いに疑問である。
13年度の住宅投資は、リーマンショック後の標準からすると、かなり増大している。仮に12年ごろの水準が常態であるとすると、14年度の住宅投資は、13年度に比べて10%ほど減少する可能性がある。また、輸入が政府見通し以上に増加する可能性もある。これらを考慮すると、GDP成長率はもっと落ち込む。住宅投資伸び率を▲10%、輸入伸び率を9・2%とした場合の結果は、約▲0・2%になる(計算の詳細は、『ダイヤモンド・オンライン』連載の「期待バブルが幻滅に変わるとき」を参照)。
仮定の置き方によって結果には若干の差が生じるが、政府見通しが想定する1・4%成長が難しく、実際には、ゼロないしマイナス成長になる可能性が強いのである。
ところで、以上で見たのは実体経済だ。他方で、14年においても、為替レートが株価に大きな影響を与えるだろう。資産価格についての予測は極めて難しいが、円安が続き、株価がさらに高騰する可能性も否定できない。このことから、14年がばら色の年になるように言われることも多い。
しかし、本稿で述べたような実体経済面での落ち込みは、為替レートや株価の動向とは関わりなく生じるものである。そして、われわれの日常生活に影響するのは、株価の動向ではなく、実体経済の動向だ。14年が決して楽観できる年にはならないことに注意する必要がある。

◆2014.02.08
◆住宅貸し出しで高まったマネーストック伸び

2013年4月の異次元金融緩和導入時点において、日本銀行はマネタリーベースの目標値は示したが、マネーストックの目標値は示さなかった。金融政策の効果はマネーストックがどの程度増えるかにかかっているのだから、これについての目標値がなかったのは不思議なことだ。
その半面で、消費者物価上昇率についての目標値は、「2年程度の期間において年率2%に引き上げる」という形で、具体的に示した。しかし、消費者物価は、為替レートによって強く影響される。そして、為替レートは主として海外の事情によって動く。したがって、国内金融政策の影響を取り出すことは困難だ。
このように、異次元金融緩和措置は、目標の示し方について適正さを欠くものであった。つまり、日本銀行が直接に動かせるマネタリーベースと、さまざまな要因によって動かされる物価上昇率だけを示し、中間目標たるマネーストックには言及していなかったのだ。
前回述べたように、13年の経済成長率が高まったのは、公共事業の増加や住宅の駆け込み需要によるものだ。また、円安で株価が上昇したのは事実だが、円安も主として海外の事情によって生じた。金融緩和策によって日本経済を活性化したと考えている人が多いが、実態はまったく違う。以下で述べるように、マネーストックはほとんど増えていないのである。金融緩和策は、「偽薬」(プラシーボ)以外の何物でもない。

・マネーストックは期待通りには増えず
マネタリーベースは、異次元金融緩和措置によって著しく増加した。平均残高は、3月の134・7兆円から12月の193・5兆円まで58・7兆円増加した。12月末残高は201兆8472億円となり、目標とされていた200兆円を上回った。平残の対前年同月比は、13年8月以降継続して40%を超えており、11月には52・5%という異常な高さとなった。
他方で、マネーストックの対前年増加率も、M2で見ると3月から3%を超えており、10月からは4%を超えている。M3で見ても、6月から3%を超えている。このようなマネーストックの伸び率は、「現行統計としてさかのぼれる05年以降で過去最大」と報道された。
こうした状況を見て、「異次元金融緩和の効果が出てきた」との印象を持った人が多いだろう。しかし、これは、一種の錯覚にすぎないのである。
第1に、マネーストックの増加額は、マネタリーベースの増加額にはるかに及ばない。13年3月から12月までのマネーストックの増加額は、M2で見ると、28・7兆円である(3月の834・1兆円から12月の862・8兆円へ)。これは、右に見たマネタリーベース平残の増加額58・7兆円の48・9%にすぎない。M3で見ると、同期間中の平残増加額は32・9兆円である。
対前月増加額で見ても、同様の傾向だ。マネタリーベースの対前月増加額は、異次元金融緩和措置導入以降、著しく増加したが、マネーストックの対前月増加額は、M2で見てもM3で見ても、4月と6月を除けば微々たるものだった。
実際、マネーストックの平残は、4月から10月までほとんど一定で、増加しなかったのである。そして、10月までは、マネーストックの対前月増加額は、マネタリーベースの増加額を下回った。
ところで、13年6月以降ほとんど増加していなかったマネーストックは、12月には増えた。しかし、12月に増えるのは毎年のことである。そこで、季節調整値で対前月増加額の推移を見ると、異次元金融緩和措置によって増加額が格別増えたわけではないことがわかる。季調済み対前月増加額は10月から継続的に減少しており、12月は10月の73・0%まで低下した。この傾向は、M3で見てもほとんど変わらない。
マネーストックが増えなかったのは、銀行の貸し出しが増えなかったからだ。銀行・信用金庫計の総貸出平残の推移を見ると、異次元金融緩和の導入後、11月まではほとんど増えなかった。11月の平残は、3月の平残から0・6%増えたにすぎない。5月、6月の平残は、4月の平残に比べて減少したほどである。13年12月には平残が増加した。しかし、これも季節変動の影響と考えられる(以上についての詳細は、『ダイヤモンド・オンライン』連載中の「期待バブルが幻滅に変わるとき」を参照)。

・増加しているのは住宅関連 駆け込みが終われば伸びも低下
貸し出しの中身を見ると、本来であれば金融緩和措置によって増加すべき設備資金の貸出残高が、あまり伸びていない。特に製造業に対する設備資金貸し出しがそうだ。
増加を続けているのは、個人に対する住宅ローンだ。消費税増税前の駆け込みで増えているのである。長期金利が歴史的低水準になったために、住宅ローン金利水準が低く、先行き上昇が予測されたことも影響しただろう。そして、住宅需要に応じるために、不動産業での投資資金借り入れも増えた。
つまり貸し出しは、金融緩和の結果として一般的に増加したのではなく、特殊要因によって対不動産業と対個人で増えたのである。
住宅ローンの増加は、11年ごろから見られる現象である。消費税増税後に年間住宅建設額が10年ごろのレベルに戻るとすれば、不動産業や個人に対する貸し付けもそのころのレベルに戻るだろう。具体的には、次のように推定される。
13年7~9月期における不動産業向け貸出残高(国内銀行、銀行勘定)は、60・7兆円。個人向けは、122・1兆円だ。これらの合計は、182・8兆円だ。他方、10年の平均値は、不動産業が59・7兆円、個人が113・4兆円、合計で173・1兆円だった。
これが182・8兆円まで増加したのは、住宅駆け込み需要のためであったとすれば、駆け込み需要がなかった場合の貸出残高の総額は、現在より9・7兆円だけ少ない値になっていたはずである。これは、13年7~9月期における総貸出残高の2・26%に当たる。
駆け込み需要がなかった場合にマネーストックも同率だけ少なくなっていたとすれば、現実の値より2%ほど少ない値になっていただろう。M2で言えば、13年12月の値は、845・6兆円になっていただろう。
10年12月の残高782・3兆円からここまで、3年間同一率で増加したとすれば、年平均増加率は2・63%だ。一方、この間の現実のM2の対前年増加率は、3%程度であった。したがって、このうち0・4%程度は住宅関連だったということになる。
住宅駆け込み需要による貸し出しがなくなれば、今後のM2の伸び率は2・6%程度に低下するだろう。
なお、前回、住宅建設が10%程度減少する可能性があると述べた。これは、フロー量である。ここで考えているのは貸出残高というストック量なので、変化率はそれより小さい。しかし、これまでよりも伸び率が低下するという変化は起きるわけだ。
しかも、これで済む保証はない。需要の先食いをしているのだから、落ち込みはもっと激しくなる可能性がある。また、アメリカ金融緩和策の縮小(または終了)に伴い、アメリカの長期金利が上昇する可能性が高いが、それによって日本の金利が上昇する可能性もある。それらを考えれば、影響がもっと大きくなる可能性を否定できない。

◆2014.02.15
◆輸出立国に執着せず所得収支に目を向けよ

2013年の貿易収支は11兆4803億円の赤字となり、年ベースで過去最大となった。貿易赤字が拡大した原因は、二つある。第1は、鉱物性燃料の輸入を中心として輸入が増えていること、第2は、円安が進行したにもかかわらず、輸出数量が伸びないことだ。いずれも一時的な要因ではなく、構造的な要因である。したがって、貿易赤字は、今後も継続するだろう。貿易立国、輸出立国の基盤はすでに崩壊していると考えざるを得ない。
ただし、注意すべきは、貿易赤字拡大のかなりの部分は、円安の効果であることだ。これは、(必ずしも正確な表現ではないが)「計算上のもの」「見かけ上のもの」と言える。それがどの程度かを示しておこう。
貿易統計によれば、税関長公示レートの平均値は、12年が79・55円/ドルであり、13年が96・91円/ドルである。
ここで仮に、13年の為替レートが12年のままであったとしよう。それ以外の要因は変わらないとすれば、13年の輸出は57・3兆円になっていたはずである(実際の値は69・8兆円)。また、輸入は、66・7兆円になっていたはずである(実際の値は81・3兆円)。したがって、貿易収支赤字は9・4兆円にとどまっていたはずだ。そして、12年の赤字6・9兆円からの増加額は、2・5兆円だったはずだ。これは、実際の赤字増加額4・6兆円の54・3%に当たる。
残り2・1兆円(4・6兆円の45・7%)は、円安によるものだということになる。つまり、赤字増加の半分近くは、円安によるものなのである。

・輸出が増えないのは現地価格が低下しないから
教科書的な説明では、円安になれば輸出が増加し輸入が減少して、貿易収支の黒字が拡大する。12年秋からの円安は極めて顕著なものであったから、貿易収支が目覚ましく改善して然るべきだ。しかし、現在の日本ではまったく逆のことが起こっている。
こうなる一つの原因は、輸入面にある。最近数年間の輸入増大の大きな原因は、発電用燃料の輸入が増加していることだ。ところが、電気は価格弾力性が低い財であるため、電気料金が上がっても需要があまり減少しないのである。したがって、発電用燃料の輸入量も減少しない(実際には、増えている)。
もう一つの原因は、輸出数量が伸びないことだ。なぜ伸びないのか? 一つの大きな原因は、輸出企業が現地通貨建ての輸出価格を低下させていないことだ(それに加えて輸入国の景気が思わしくないために、日本からの輸出が伸びないのである)。
過去1年間の現地通貨建て輸出物価の推移を見ると、下落はしているものの、下落率はわずか1・8%にすぎない。この間に円ドルレートは18・1%も下落したことを考えると、極めて低い下落率だ。近似的に言えば、「円安にもかかわらず、現地通貨建て価格は変わらなかった」と言ってよい。「円安になれば輸出量が増える」とされる大前提は、現地通貨建て価格が低下し、日本製品の価格競争力が高まることだ。しかし、現実にはその大前提が満たされていないのである。
これに関連して、「Jカーブ効果」について述べておこう。これは、通貨が減価したとき、最初は貿易収支が悪化するが、時間がたてば赤字が減少して黒字になるとする考えだ。円安にもかかわらず輸出数量が伸びないことの説明として、この概念が持ち出されることがある。しかし、この考えは誤りだ。
Jカーブ理論の大前提は、「輸出の現地通貨建て価格が低下する」ということだ。ただ、それが販売量を増やすのに時間がかかるために、すぐには輸出が増えないということなのである。
しかし、現在の日本の輸出については、そもそも現地通貨建て価格が低下していないのである。だから、時間がたっても、価格効果で輸出数量が増えると期待することはできない。

・貿易収支の赤字拡大にどう対処すべきか?
東日本大震災以降の発電用燃料の輸入増大が、貿易収支赤字化の大きな原因になっていることは否定できない。このことを理由として、原子力発電の本格的再稼働を進めるべきだという意見があるかもしれない。
確かに、原発依存度を高めれば燃料輸入は減少し、貿易収支赤字はそれだけ縮小するだろう。しかし、それによって赤字が解消するわけではない。そのことは、次のように確かめられる。
13年におけるLNG(液化天然ガス)の輸入額は、約7・1兆円に上った。大震災前の10年には約3・5兆円であったので、約3・6兆円ほど増えたことになる。したがって、仮にLNGの輸入額が10年当時と同じ水準であれば、輸入総額は約3・6兆円減少しただろう。しかし、それでも約8兆円の赤字は生じたはずである。
しかも、原子力発電には、これまで重視されてこなかったコストがある。使用済み核燃料の処理費用は、その一つだ。こうした要素を考えると、長期的な観点から見て、原子力発電が本当に経済的に有利なものかどうかは、大いに疑問だと考えざるを得ない。
他方で、貿易収支の赤字に対処する方法はいくらもある。
まず、所得収支の収益率を引き上げる努力をすべきだ。これは、いくつかの方法で実現することができる。
例えば、これまでは国内で生産活動をしていた企業が生産拠点を海外に移したとしよう。それまで国内生産で賄われていた国内需要は、輸入に頼ることになる。したがって、貿易収支は赤字化する。しかし、海外生産の利益が配当として国内に還流すれば、所得収支の黒字は拡大する。それによって経常収支の赤字化を抑えることができる。
いま一つの方法は、対外資産の運用を効率化して、運用利回りの上昇を図ることだ。日本の対外資産は、世界最大であるにもかかわらず、運用利回りは低い。現在の運用利回りを1%ポイント程度引き上げることは、決して不可能ではない。それが可能であれば、所得収支の黒字が拡大し、経常収支の黒字拡大に寄与する。
さらに、仮に経常収支の赤字が継続することになったとしても、それ自体が問題であるわけではない。
第1に、対外資産を売却することで対処することができる。経常収支の赤字が年間数兆円の水準である限りは、これによって数十年間持ちこたえることができるだろう。もっとも、これは、「時間稼ぎ」にすぎないとも言える。
しかし、資本収支の黒字で経常収支の赤字を継続的にファイナンスすることは不可能ではない。
事実、アメリカの経常収支赤字は、リーマンショック前よりは減少したとはいえ、いまだに巨額だ。しかし、それがアメリカ経済に問題をもたらしているわけではない。長期金利も日本よりは高いものの、南欧諸国などに比べれば低い。
それは、アメリカに資金が流入するからである。アメリカ経済が将来も健全であると人々が信じる限り、流入は続く。しかも、信じ難いことに、アメリカの所得収支は黒字である。これと同様のことがイギリスについても言える。
つまり、重要なのは、経常収支が黒字か赤字かではなく、資本収支の黒字を継続できるような信頼を獲得しているか否かである。その信頼を得られるかどうかは、世界経済の構造変化に適応した産業構造を持っているかどうかで決まる。

◆2014.02.22
◆短期的期待でなく長期的期待が重要

世界の株式市場が大きく変動している。日本の株価も乱高下している。
株価の今後の推移には、まだはっきりしないところがある。しかし、株価の上昇が基本的に円安だけに支えられたものであり、実体経済での革新に支えられたものではなかったことは明らかだ。生産性の高い新しい産業が生まれたために株価が上昇したのではないのである。その意味では、典型的なバブルだった。
1980年代以降の日本における資産価格の推移を見ると、何度かのバブルを経験していることがわかる。第1は、80年代後半の不動産価格バブル。第2は、2006年から08年ごろにかけての円安バブル。そして、第3が12年秋からの円安バブルだ。
これらのバブルは、株価の長期推移を見ると、はっきりわかる。実質為替レートで見てもそうだ。日本経済は、80年代後半以降、全体としては衰退していったが、衰退過程で何度かのバブルを経験したわけだ。
これらのバブルには、いくつかの共通点が見られる。第1に、金融緩和と円安が進行した時期に生じた。第2に、バブルの渦中で人々はユーフォリア(熱狂的陶酔感)に陥ったが、経済の長期的な趨勢は変わらなかった。最近1年半程度の株価上昇も、こうした長期的衰退過程で現れた一つの泡にすぎない。
実体経済との関連は、後の時点のバブルほど薄くなっている。設備投資や輸出は、第1、第2のバブルでは増えたが、第3のバブルでは増えていない。賃金は、第1のバブルでは上がったが、第2、第3のバブルでは上がらなかった。
国際的な広がりの点でも差がある。第1のバブルは、ほぼ日本国内に限定されたものだった。第2のバブルは、アメリカの住宅価格バブルと強い関連があった。
第3のバブルは、ユーロ情勢の変化やアメリカ金融緩和によって引き起こされた。これは、海外からの投機資金が日本の株式市場に流れ込んで生じた最初のバブルだ。

・長期衰退から脱却できた国 できなかった国
経済が衰退過程に入ったとき、人々はどのように行動するだろうか? 多くの人々は、衰退が現実であることを納得できない。そして、過去を再現できるとの錯覚に陥り、過去の栄光を追う。
事実、日本政府は、いまだに輸出立国モデルに執着している。しかし、前回論じたように、輸出立国の基本的な条件は失われている。13年の巨額の貿易赤字は、それを端的に示すものだ。本当に必要なことは、輸出立国以外の方法によって経常収支の黒字を維持することなのだが、そうした思考の転換ができない。
では、日本は、長期衰退のわなに陥り、そこから脱却できないのだろうか?
世界の歴史には、さまざまな事例が見られる。スペインやポルトガルのように、一度は世界を制覇しながら、その後長期的衰退に陥り、そこから脱却できなかった国もある。あるいは、復活した国もある。第2次世界大戦以降衰退を続けていたイギリスが、90年代に復活して大繁栄を実現したのは、その好例だ。
イギリスを復活させた原動力は、現実経済が衰退していたときにも、基礎研究部門が強かったことだ。イギリスは、製造業では衰退しても、自然科学の基礎研究では、世界のトップを維持した。社会科学でも最高水準にあり続けた。このように、基礎研究が強ければ、経済はいつかは復活するのである。
ところで、14年1月30日の朝刊第1面には、久々にうれしいニュースが掲載された。STAP細胞作製の成功を伝える記事だ。これは、長年の辛抱強い研究の末に生み出された成果だ。それは、生物学の常識を覆す発見であり、今後長期間にわたって人類社会に大きな影響を与えるだろう。
このようなニュースに接する機会は、そう頻繁にはない。しかし、日本で数年に1度はある。この数年間を取っても、山中伸弥教授によるiPS細胞関連のニュースや、はやぶさの地球帰還などがあった。こうしたニュースが現れると、将来を切り開く力は、まだ日本で枯れ切っていないと力づけられる。

・STAP細胞とトヨタ利益増 どちらが重要なニュース?
ところで、この日には、もう一つのニュースがあった。それは、トヨタ自動車の年間営業利益が2兆3000億円を超えるという記事だ。
これら二つのニュースの扱いには、新聞によって差があった。STAP細胞の記事をトップにした新聞もあるし、トヨタ自動車をトップにした新聞もあった。これは、ものの見方の差を端的に表している。
STAP細胞は、長期的には重要なものだが、ただちに経済的利益に結びつくものではない。たとえ医療に応用され、それに関連した新しいビジネスが生まれるとしても、今日明日のことではない。このニュースをいくら分析したところで、金を稼げるわけではない。
他方で、トヨタ利益増のニュースを知るのは、株式投資でもうけるためには(あるいは損失を被らないためには)必須のことだ。
しかし、利益増は、自動車技術上の新しい革新が実現されたためにもたらされたものではない。その大部分は、為替レートが円安になったことによるものだ。だから、為替レートが今後どうなるかで、大きく変わってしまう。仮に08年から11年ごろのような円高が再来すれば、巨額の赤字に転じるかもしれない。
だから、どちらのニュースが重要かを、一概に言うことはできない。ある人にとってはSTAP細胞のニュースであり、他の人にとってはトヨタの利益なのだ。それは、世界を見る目の基本的な差なのである。
ただ、確実に言えることがある。長期的な将来の可能性に関する「期待」は、若い人々の行動に決定的な影響を与えることだ。彼らの意欲と進路選択は、基本的にこの種の「期待」によって決まるのである。
「期待」は、為替レートや株価の短期的変動に関わるものばかりではない。長期的に見れば、日本経済復活の可能性に関する期待が最も重要なものだ。
日本には、天から降ってきた円安や株価のバブルを利用してうまく稼ぐだけの道しか残されていないのか、それとも、能力を向上させ、地道な努力を続ければ、正当に報われるのか? このいずれであるかは、将来の可能性にかかっているのである。
もし、日本経済にはバブルの利用しか残されていないのだとすれば、地道な努力は放棄されるだろう。その結果、人材の質が劣化する。これこそが、バブルのもたらす最大の弊害だ。
それに対して、日本経済の潜在力が信じられるものなら、人々は、冒頭で述べたような根拠薄弱な期待論からは脱却し、本当の復活に向かって歩き始める。この過程も、自己実現的だ。このような「期待」こそが重要なのである。
日本経済は、円安という脆弱な基盤だけに支えられているのではなく、公共事業のバラマキや消費税増税前の駆け込みという一時的要因だけに支えられているのでもない。オリンピックを利権と公共事業拡大のチャンスと捉える人ばかりではない。
日本には、本格的な復活のためのポテンシャルがまだ残っている。将来を革新する力はまだ失われていない。そのような可能性が、かすかではあるが、見えているように思われる。

◆2014.03.01
◆ビットコインは理想通貨か徒花か?

ビットコインとは、インターネット上で用い得る仮想通貨である。誰でも簡単に利用することができる。ウェブにいくつかの両替所があるので、そこで入手する。ビットコインを受け入れる店舗(大部分はネットショップ)で買い物をして、対価をビットコインで支払う。全世界での現在の残高は、約1兆円。利用者も店舗もアメリカに多い。
この数カ月、ニュースに頻繁に登場した。ただし、ネガティブなものが多かった。ビットコインを受け入れる薬物販売サイトの運営者逮捕、中国が使用を禁止、交換価値が乱高下、等々。
こうしたニュースは、「いかがわしいもの。危険なもの」との印象を与える。「得体の知れない贋金もどきがばらまかれ、誰かが利益を得ているのでは?」と疑っている人も多いだろう。
しかし、これは、極めて重要な発明なのである。決済制度や通貨制度、ひいては国家の存立基盤にまで重大な影響を与え得る。送金コストが極めて低いため、これまで不可能だった経済活動が可能となる。同時に、犯罪者やテロ集団に用いられ、国家が統御できなくなる可能性もある。
ただし、2009年に登場したばかりのまったく新しい通貨であり、しかも、「公開鍵による非対称セキュア認証」とか、「ハッシュ関数」などといった専門概念が登場するので、なかなか正確には理解できない。
ビットコインの詳細は、『ダイヤモンド・オンライン』での新連載「通貨革命か、それとも虚構か?『ビットコイン』を正しく理解する」で説明する。以下では、仕組みの概要と、それがもたらし得る影響について述べる。

・ビットコインの中心は「正しい」取引記録
これまでの通貨は中央銀行や国が発行・管理してきたし、電子マネーは特定の企業が発行・管理する。しかし、ビットコインには、発行者も管理者も一切存在しない。
では、どのように維持しているのか? その中心は、「ブロックチェーン」と呼ばれる取引の記録だ。「ブロック」とは一定期間の取引記録のこと。それが時系列的につながっているので「チェーン」と呼ばれる。記載されているデータは、どこかのサーバーが一元的に管理しているのではない。公開されていて、多数のコンピュータで形成するネットワークが、全体として維持している。つまり、ビットコインを支えているのは、「人々」だ(こうした仕組みを、P to Pという)。
ブロックチェーンには、ビットコインの過去の取引すべてが記帳されている。しかもそれは、偽造貨幣や二重取引を排除した「正しい」取引の記録であり、改竄も事実上できない。これをいかに実現するかが、ビットコインの中核的なアイディアだ。
それは、「ある種の演算は、極めて大量の計算を要求する」という数学的事実に基礎を置いた、極めて巧妙な方法だ。人類が「貨幣」を使用してきた歴史は長いが、その長い歴史で初めての革命的なアイディアである。ここでは、その仕組みを説明する余裕がないので、「そのような取引記録を作成できる」と仮定していただきたい。
ブロックチェーンはほぼ10分ごとに更新される。公開されているので、コインを受け取った人(商品の売り手)は、その取引記録がブロックチェーンに記載されているかどうかをチェックできる。記載されていれば、自分が正当な保有者と認められたことになるので、商品を引き渡す。
ブロックチェーンを維持する行為は、ボランティア活動ではない。ビットコインの形で報酬を受け取れる可能性がある。それを金鉱採掘に見立てて、「マイニング」と呼ぶ。それによってビットコインの総量が決まる。2141年ごろまで増え続け、それ以降は一定になるように設計されている。なお、少額のビットコイン取引には(通常はごくわずかの)手数料が課され、それもマイナー(採掘者)の報酬になる。したがって、ビットコイン総量が限度に達した後も、ブロックチェーンは更新され続ける。
ビットコインを信じるか否かは、以上で述べた仕組みを信じるかどうかにかかっている。あまりに斬新なので、多くの人は戸惑うだろう。
しかも、ビットコインには、金(きん)など実物資産の裏づけがない。しかし、「だからビットコインは危ない」とは言えない。なぜなら、国の通貨や銀行の預金も同じだからだ。貨幣当局が乱発せず、銀行が倒産しない(倒産しても、預金保険がカバーしてくれる)との信頼がそれらを支えている。しかし、不良債権や金融緩和政策で、信頼は近来とみに失われている。これに比べれば、ビットコインのほうが確実とも言える。

・社会の基本的な仕組みに本質的な影響を与えるか?
ビットコインの潜在力は、計り知れないほど大きい。「安全なシステムとは、信頼ある主体が責任を持って運営するもの」と考える人には、狂気のアナーキズム(無政府主義)と見えるだろう。他方で、いかなる権力の恣意的な決定も否定し排除したいと願う人にとっては、究極の理想社会を実現する手段だ。
ビットコインを用いる送金は、コストが非常に低額なので、受け入れ者が増えれば、銀行の送金システムは不要になってしまう。広く使われるようになれば、中央銀行の独占的地位は維持できない(または不要になる)。
取引は追跡できるが、それを現実の個人や企業に結びつけることができない。報酬をビットコインで受け取れば、課税当局は把握できない。違法取引に使われたり、マネーロンダリングに使われたりしても、追跡できない。もっとも、これは、ビットコイン固有の問題ではない。日本銀行券でも同じことだ(「親切な人からの個人的借り入れ」を日銀券で受け取り、かばんに入れて運んだ某氏の例を引くまでもなく)。それよりはるかに効率的というだけのことである。
ただし、効率的なことが大問題なのだ。究極的には、国家の存在も脅かされる。実際、中国が禁止したのは、富裕層がビットコインで資産を海外に移すのを阻止しようとしたためだと考えられている。
これは中国だから可能なことだ。両替所や受け入れ店舗を規制することはできるが、インターネット通信を禁止しない限り、ビットコインそのものを規制することはできない。そもそも、禁止したり規制したりしようとするのが無意味だと考えられる。
ビットコインの理解に必要なのは、コンピュータサイエンスや暗号理論と、経済学や貨幣論である。最も根底にあるのは、数論(整数論)だ。これまでのところ、システム維持の技術的な面では、何の欠陥も見いだされていない。もっとも、素因数分解に関するある種の問題の効率的解法のアルゴリズムが発見されるか、量子コンピュータが実用化されれば、存立の基盤は大きく揺らぐ。しかし、そうしたことが近い将来に起こるとは考えられない。
だが、経済的な側面では、すでに問題が発生している。投機の対象となって価値が乱高下していることだ。コインの供給を需要に関連づける何らかのメカニズムを導入する必要があるのかもしれない。電子コインは、ビットコインが唯一のものではない。実際、類似の通貨がすでに多数誕生している。この問題に解答を与えたコインが成長していくことになるだろう。

◆2014.03.08
◆GDP伸びは連続低下 一時しのぎは終わった

GDP速報によれば、2013年10~12月期の実質GDP成長率は1・0%となった(季節調整済み年率、以下同様)。7~9月期の1・1%から0・1ポイントの低下だ。1~3月期が4・8%、4~6月期が3・9%だったから、安倍内閣が発足し、異次元金融緩和が導入されて以降、成長率が低下し続けていることになる。
10~12月期には、消費税増税前の駆け込み需要が成長率を高めると考えられていた。外需が伸び悩んでいることから見通しが引き下げられてきたが、それでも2%程度になると考えられていた。実際の値は、それをも裏切るものとなった。
需要項目別で見ると、公的固定資本形成(公共投資)と民間住宅(住宅投資)が高い伸びを示し、成長を支えていることがわかる。この構造は13年最初からずっと変わらない。
ただし、公共投資の伸び率は、これまでよりは低下した。補正予算の執行が山を越したためだろう。後で述べるように、14年に向けて、公共投資は減る。住宅投資も駆け込み需要なので、今後は減少する。つまり、現在の日本経済は、将来減ることが明らかな一時的需要に支えられている。
民間最終消費支出は、消費税増税前の駆け込み需要で、名目でも実質でも、7~9月期より伸び率が高まった。ただし、予想されていたほどは高まらなかった。GDPの伸び率が予想を下回ったのは、このためだ。なお、名目の伸びが、実質の伸びよりかなり高くなっている。これは、物価上昇率が高まったからだ。
外需が伸びないのは、今回の速報の大きな特徴である。輸入の伸びが主因だが、輸出が対前期比年率1・7%増でしかないことが影響している。円安下で実質輸出が伸びないのは、現地通貨建て輸出価格が目立って低下していないからである。つまり、輸出企業は、現地価格を下げて輸出数量を伸ばす戦略を取っていない。このため、円建て輸出額がほぼ円安率に比例して増加し、輸出企業の利益を増加させ、株価が上昇している。円安が株価を押し上げるだけで、輸出量、生産量、賃金などの実体経済指標に影響が及んでいないのは、こうしたメカニズムによる。
実質民間企業設備(設備投資)は、5・3%と高い伸び率を示した。ただし、水準は依然として低い。産業別の内訳は法人企業統計が出ないとわからないが、機械受注(船舶・電力を除く民需、季節調整値)が12月に前月比15・7%減と、過去最大の下落幅を記録したことを見ると、今後すべての産業で設備投資が増えるとは思えない。少なくとも製造業全体では、停滞が続くだろう。

・「経済の好循環」は始まっているのか?
13年を全体として見ると、実質成長率は1・6%となった。12年の1・4%よりは高くなったが、あまり大きな違いではない。この数字が示すのは、異次元金融緩和も含め、安倍内閣の経済政策が経済成長率を高めていないという事実だ。
政府・日本銀行は、「経済の好循環」が始まっていると言う。本当にそうなっているかどうかは、どの需要項目が伸びているかを見れば、判断できる。
好循環が始まっているのであれば、民間消費や設備投資が増えていなければならない。特に、設備投資は、GDP成長率をかなり上回る率で増加しなければならない。
ところが、年ベースの数字で見れば、そうなっていない。設備投資の伸び率は、11年の4・1%、12年の3・7%から、13年には▲1・4%と大きく低下した。これは、好循環が始まっていないことの何よりの証拠だ。円安によって企業の利益は増加したが、それは、前述のように、円建ての輸出額が上昇したことによるものだ。経済全体の所得が高まったために売り上げが増加し、生産が増加して利益が増加したためではない。したがって、企業は、生産力増強のための設備投資を行わない。
民間最終消費支出の伸び率は、12年に比べてほぼ不変にとどまっている。しかし、四半期別に見ると、13年1~3月期の4・2%から10~12月期の2・0%に低下している。これは、物価上昇によって、実質消費の伸びが抑えられてきたからだ。「デフレ脱却」は実質消費の成長率を押し下げているのである。
中期的に見ても、13年の経済パフォーマンスはよくない。13年の実質成長率1・6%は、10年の4・7%にはるかに及ばない。10年は円高期であったし、デフレ期でもあった(国内需要デフレーターの伸びは▲1・4%)。円安や物価上昇は、実質成長率を高めないことが、これからもわかる。

・4~6月期の落ち込みを補正予算で防げるか?
日本経済の成長率は、今後、1~3月期に駆け込み需要で高まった後、4~6月期に反動で落ち込むと考えられている。景気ウオッチャー調査での先行きも、悪化している。
まず、住宅投資が落ち込む。13年の実質住宅投資は約14・5兆円だが、これは09~11年の平均値12・7兆円に比べると1・8兆円多い。その水準に戻るとすれば、住宅建設は1・8兆円ほど落ち込むわけだ。これは、13年の住宅投資の12・4%に当たる。先食い効果を考えれば、需要はさらに落ち込むだろう。政府経済見通しでは、14年度の実質住宅投資の伸び率を▲3・2%と見積もっているが、この程度で済むかは疑問だ。
実質公共投資は、13年は22・7兆円だが、これは09~12年の平均値20・8兆円より1・9兆円多い。政府経済見通しでは、14年度の実質公共投資の伸び率は▲2・3%だ。これは、14年度の実質公共投資が13年度から5200億円ほど減少することを意味する。したがって、(暦年と年度の差を無視して)住宅投資と合わせれば、需要減は約2・3兆円になる。
これに加え、消費の伸びが落ち込む。政府経済見通しでは、実質伸び率が13年度の2・5%から、14年度には0・4%になる。これは、消費税増税の影響だ。また、前述のように消費者物価の上昇は、実質消費の伸び率を抑制する。
以上のような経済の落ち込みを抑えるために、総額5・5兆円の補正予算が編成された。政府は、これが実質GDPをおおむね1%程度押し上げるとしている(「好循環実現のための経済対策」13年12月)。本当にこれだけの効果が期待できるだろうか?
まず注意すべきは、今回の補正では、新規国債の発行を行っていないことだ。したがって、「均衡予算定理」が示すように、財政支出と同額の需要増大効果しかない(乗数が1である)はずである。仮に5・5兆円のすべてが有効需要であったとしても、GDP押し上げ効果は1%程度しかない。実際の内容を見ると、新規有効需要の創出となっているのは、全体の一部でしかない。公共事業は、全体の半分以下と考えられる。そうであれば、GDP押し上げ効果は0・5%程度ということになるだろう。
今後、補正予算等で公共事業を増やしたとしても、一時しのぎを続けるだけであって本当の成長ではない。
ましてや、効果のない金融政策の追加は論外だ。「金融緩和」という偽薬で期待を膨らませ、ごまかし続けられる時期は終わった。短期的変動にとらわれず、長期的な成長の基礎をつくることが必要だ。

◆2014.03.15
◆ビットコインに関する深刻な誤報と誤解

「私が死亡したとの報道は、誇張された誤報だ」
これは、マーク・トウェインの有名な言葉である(原文は、The report of my death was an exaggeration. 少し意訳してある)。死にかかっていたのは、彼ではなく、彼のいとこだった。
2月26日、ビットコインの私設両替所であるマウント・ゴックスが取引を停止した。多くのマスメディアは、これを、ビットコインの取引そのものが停止されたかのように報じた。
人々は、ビットコインが崩壊したと誤解したことだろう。「似非電子マネー円天と同じだ」と誤解した人もいる。報道によれば、麻生太郎財務大臣は、「いつかは崩壊すると思っていた。あんなものが長続きするはずはないと思っていた」と語った。
しかし、崩壊したのは、ビットコインと通貨を交換する両替所の一つにすぎず、ビットコインそのものではなかった。これは、マーク・トウェインといとこの場合よりひどい取り違えだ。麻生大臣の言う「あんなもの」が、ビットコインなのかマウント・ゴックスなのかは明らかでないが、文脈からすれば前者だ。つまり、「ひどい取り違え」である。日本のマスメディアは、ビットコインそのものと、その外にある両替所を混同させるような誤解を広げたのである。
たとえて言えば、次のようなことだ。アメリカ旅行から帰ってきて、ドルの使い残しがあった。成田空港の両替所で円にしようとしたら、事故で閉鎖されていた。このことをもって、「ドルは崩壊した」と言うようなものである。
P2Pによるブロックチェーン更新作業は、なんら支障なく続いている。したがって、ビットコインの取引そのものは、もちろん継続している。「ブロックチェーン」というサイトを見ると、全世界のビットコイン取引が円滑に継続している様を、リアルタイムで見ることができる。
ドルとの交換価値は、2月23日ごろまで1BTC(ビットコイン)=600ドル程度だったが、一時400ドル近くまで下落した。しかし、26日には600ドル近くまで戻っている。「マウント・ゴックス事故による影響はほとんどなかった」と言ってよい。
事故の詳細はまだ明らかでないが、ハッカー攻撃に遭って、サイト内にあったビットコインが盗まれたようである。そうであれば、これから明らかになったのは、次の二つだ。
第1は、同サイトがハッカー攻撃に十分な備えをしていなかったことだ。「ウォールストリート・ジャーナル」は、「マウント・ゴックスがまだ成熟し切れていない、あるいはデジタル通貨の成長に追いつけていなかったことを示唆している」とした。これが、今回の事故に対する最も適切な評価である。
第2は、ハッカーがビットコインの価値を認めていたことである。誰も、価値がないものを盗もうとはしない。ハッカーは、マウント・ゴックスを攻撃し、それを破壊した。一両替所を破壊してもビットコインの価値はなんら損なわれないと知っていたからこそ、攻撃したのである。

・正確な情報が利用者を守る
マウント・ゴックスの閉鎖で、顧客が預けていたビットコインを引き出せなくなった。千万円単位の被害に遭った人もいたようだ。これらの方々には、まことにお気の毒なことだった。
しかし、私は、これだけの額をビットコインで保有していたことが信じられない。ビットコインは、支払いの手段として用いるものだ。ドルや円を両替してビットコインを得たら、ただちに支払いに使ってしまうべきだ。なぜビットコインの形で保有していたのか?
投機目的としか考えられない。しかし、ビットコインは発足後まもない通貨で発行総額が少ないので、ドルなどとの交換価値は安定していない。
12月初めに1000ドルを超えたのが、18日には500ドル程度になった。これは、中国が金融機関によるビットコインと人民元の交換を禁じたからだ。日本人であれアメリカ人であれ、マウント・ゴックスという一両替所が閉鎖されたところで、他の両替所を使えば問題は生じない。しかし、中国の人々は、人民元とビットコインの交換が事実上できなくなったのだ。これは、マウント・ゴックス閉鎖などとは比べものにならない影響を与えたのだ。
顧客被害の問題に戻れば、数千万円相当のコインを同社に預けていたのは、さらに信じられないことだ。なぜなら、同社は、信頼性について従来から疑惑が持たれていたからである。「ウォールストリート・ジャーナル」は、「(同社は、これまでも)たびたび不正侵入や不具合、機能停止に見舞われた」「マウント・ゴックスの事業は1カ月前から崩壊し始めていた」としている。
ビットコイン報道に関して、マスメディアが果たすべき責任は、二つある。
第1は、現在のビットコインは、資産保有手段として用いるにはあまりにリスクが大きいことを、人々に教育することである。そして同時に、ビットコインは、送金手段としては優れた特性を持っていること、それによってマイクロペイメントや海外への送金が飛躍的に容易になること、それは新しい経済活動を可能にし、新しい社会を拓くことを人々に教育することである。
マスメディアの第2の責任は、両替所のようにビットコインシステムの外にある関連諸組織について、問題があれば警告を発することである。正確な報道こそが利用者を守るのだ。
問題が起これば「おカミに取り締まってもらおう。規制と監視を強化しよう」というのが、日本人に染みついた思考法である。ビットコインについてもそうした意見が一般的だ。しかし、インターネット通貨は、そもそも「いかにすれば取り締まれるのか?」という技術的な問題を含んでいる。情報の提供は、「おカミの取り締まり」以上に、消費者・利用者を守るのである。

・ビットコインの匿名性をいかに放棄できるか
私は、ビットコインに問題がないと言っているのではない。ビットコインのシステムは極めて強固だが、それ故に社会機構との間で問題を起こす。
問題の多くは、匿名性から生じる。匿名性故に、税務上や公安上の問題が発生するのだ。しかし、合法的な経済活動において、匿名性を守る必要はない。だから、匿名性を放棄するのは、十分考えられることだ。
現在のビットコインでは、取引は追跡できるし、公表されている。しかし、取引主体は公開鍵の形でしかわからず、現実の個人や組織に結びつけられていない。それらを関連づければ、匿名性は消えることになる。ただし、問題は、その関連づけをどのような方法で行うかである。これは、極めて難しい問題だ(次回に詳しく述べる)。
ビットコインの運営システムに何の問題が生じなくとも、受け入れ店舗がなくなれば、価値はなくなる。そうした事態は生じ得る。ただし、それは、両替所の破綻によって生じるのではなく、より優れた他の電子コインとの競争にビットコインが敗れることによって生じる。
なお、この文章で表われた「P2P」「ブロックチェーン」「公開鍵」などについては、『ダイヤモンド・オンライン』連載「通貨革命か、それとも虚構か?『ビットコイン』を正しく理解する」を参照されたい。

◆2014.03.22
◆ビットコインに関して政府がなすべきこと

ビットコインについて、「騒ぎ過ぎ」と、「騒がな過ぎ」が見られる。ビットコインの外にある一両替所の閉鎖を大々的に報じるのは、明らかに「騒ぎ過ぎ」だ。しかし、「騒がな過ぎ」もある。それは、ビットコインが社会に与え得るインパクトの巨大さが認識されていないことだ。
麻生太郎財務大臣は、2月28日、「こんなものは長くは続かないと思っていた。どこかで破綻すると思っていた」と述べた。「こんなもの」とは、文脈からして、マウント・ゴックスではなくビットコインそのものだ。この発言からは、税制など国の基幹制度が深刻な挑戦を受けているという危機意識は、みじんも感じられない。「ノンキ」としか言いようがない。
多くの識者のコメントも「中央銀行なしで通貨制度が維持できるはずはない」という趣旨のものだった。これも、認識不足以外の何物でもない。中央銀行なしの通貨が、両替所の破綻にもかかわらず、順調に運営され続けているのである(日本政府は、「通貨でない」との公式見解を3月7日に示したが)。
現在のところ、ビットコイン総額は経済の総取引額に比べて微々たるものだ。したがって、社会に対する影響は、大きなものではない。しかし、今後、取引が急速に膨れ上がる可能性がある。そうなれば、税制をはじめとする基幹的社会制度に極めて大きな変更が要求される。それに対応するには時間がかかる。問題の重要性を認識し、いまから早急に対応を検討しなければならない。
問題はいくつもあるが、ここでは、利用者保護と税制について述べる。

・利用者保護で政府がなすべきことは多い
第1は、利用者の保護だ。政府の基本方針は、金融機関などの関与を禁止し、それによって責任を回避しようとするものだ。ビットコインそのものの規制は技術的に極めて困難なため、こうしたことになる。
しかし、それでは利用者は保護されない。「ビットコイン利用は自己責任で行うべきであり、政府は関与しない」とは言えない。
まず両替所など関連サービス提供者の監視が必要だ。それ以外にも多くのことがある。ここでは次の2点を指摘しよう。一つは、ウォレットのQRコードだ。これをテレビで示した司会者がコインを盗まれたとの報道があった。これは信じられないようなニュースだが、もし本当なら、秘密鍵が盗まれたことを意味する。秘密鍵は送金に必要だが、伝えるのは電子署名だけのはずだ。秘密鍵そのものを知られれば、それを用いて送金されてしまう(つまり、ビットコインを「盗まれる」)ので、危険極まりない。秘密鍵が知られるようなQRコードだとすれば、設計にミスがあったのではないかと疑われる。
いまひとつは、コイン保有者がコンピュータの事故や災害などで鍵を紛失すると、保有していたコインは永久に失われてしまい、取り戻せないことだ。鍵をコピーすることが助言されているが、十分なIT知識を持たない人も利用するようになると、「自己責任で鍵をコピーせよ」は、過大な要求になるだろう。この点に関する、安全性の確保が必要だ。
以上はささいな点だが、利用者から見れば重要だ。そして、同様の問題がまだ多数あるかもしれない。これらすべてについて、利用者の自己責任を求めるのは、酷だ。政府が関係業者を指導すべきである。
前回、「マスメディアに求められるのは、情報提供と教育である」と述べた。政府に関しても、基本的には同じである。つまり、必要なのは、規制と監督でなく、利用者に適切な情報を流すことである。ただし、政府の場合には、右のような利用環境整備活動も必要だ。なお、こうした活動は、日本だけがやっても意味がないので、各国が協力して行う必要がある。

・税の基本的な構造をビットコインに合わせる
第2は、税制である。政府はビットコインを売って実現した譲渡益に課税するとしている。それは、現在の税制でも当然のことであり、正直な納税者は納税するだろう(それが申告納税制度の精神である)。しかし、正直でない者は脱税する。そして、税務署はそれを摘発できないから、不公平が拡大する。
また、報酬の支払いにビットコインが用いられると、受取人の収入を税務署が捕捉できないので、同じ問題が発生する。他方で、給与の支払いは当分はビットコインに移行しないだろうから、従来通り捕捉できる。すると、給与所得の源泉徴収課税に対する依存が、過大になる。さらに、商品購入の支払いにビットコインが用いられると、税務署が売り上げを捕捉できないため、消費税の課税について同じ問題が発生する。
このようにして、税の公平性が著しく損なわれる。ビットコインが広範に利用されるようになり、正直でない者が増えれば、税収が減る。それが進めば、国家の基礎であり土台である税制が崩壊してしまう危険があるのだ。
税に対する影響を強調するのは、「騒ぎ過ぎ」だろうか? ビットコインが大きな影響を与えていない現時点では、そう思われるかもしれない。しかし、税制の対応はすぐにはできず、時間がかかる。だから、早く準備を始める必要がある。
さて、以上で述べた問題は、ビットコインの匿名性から発生する。ここで、次の2点に注意する必要がある。第1に、ビットコインの取引そのものは、暗号化されていない(したがって、「暗号通貨」という呼び方は、ミスリーディングだ)。そして、全世界の個々の取引がリアルタイムで公開されている。取引をこれほど透明に知り得る通貨はない。しかし、アドレスと現実の個人や組織との対応がわからないのだ。仮にこの対応がつけば、税務当局はビットコインを用いた資金の流れを完全に追跡できるから、徴税はいまより容易になる。
問題は、いかにして対応づけられるかである。今後、口座やウォレット作成の際の本人確認は、より厳しく行われるだろう。しかし、それだけではまったく不十分だ。なぜなら、公開鍵から、いくらでも新しいアドレスを作れるからだ。実際、取引のたびに新しいアドレスを使用することが奨励されている。したがって、本人との対応づけは現実にはとうてい不可能と考えられる。また、国内での鍵生成だけを規制しても、明らかに無意味である。
匿名性について注意すべき第2は、これまでも税務署は現金取引を完全には捕捉できなかったことだ。実際、アンダーグラウンド経済の存在は、南欧諸国で税収を減らしている大きな原因だ。そのために、直接税でなく、間接税への依存を高めているのである。
以上二つの注意から得られる結論は、「ビットコインの匿名性を剥ごうとするよりは、税の体系を変えるほうが現実的ではないか」ということだ。つまり、匿名性の高い決済手段の利用が増えることに対応して、税制を変えるのである。具体的には、外形標準課税だ。法人なら資本金や従業員数、生産高などを指標とした課税。個人であれば人頭税。または、保有不動産や自動車などにリンクした課税である。
ビットコインを退治しようと努力すべきか? それとも、ビットコインの力を認めて、社会制度をそれに合ったものにつくり直すべきか? 答えは、どうやら後者のようなのである。

◆2014.03.29
◆ビットコインは地球通貨の夢を見るか?

ビットコインを用いれば、地球上どこへでも、ほぼゼロのコストで送金できる。このことの意味は極めて大きい。これによってどのような変化が生じるだろうか? 三つの段階に分けて考えてみよう。
第1段階は、貿易決済通貨としての利用である。現在の貿易決済では、信用状決済の場合はその手数料が、銀行送金の場合には送金手数料などがかかる。ビットコインを用いれば、この部分のコストはほぼゼロになる。現実のコストで大きな比重を占めるのは、為替スプレッド(買値と売値の差)だ。ビットコインを使えば外貨に交換する必要はないので、この部分もゼロになる。
ただし、現状では、ビットコインと現実通貨(ドルや円など)との交換比率の変動が大きく、またハッカー攻撃などの危険もある。このため、ビットコイン形態での保有時間をできるだけ短くするほうがよい。そうするには、現実通貨との両替にコストがかかる。
したがって、総コストがどうなるかは、一概には言えない。しかし、ビットコインの場合のほうがかなり安くなることは、間違いない。現在の海外送金は銀行がほぼ独占しているため、割高になっている可能性が高いからだ。両替所が多数設立されれば、それらの間で競争が起こり、手数料はさらに下がるだろう。
こうして、ビットコイン決済を採用した貿易業者は、競争上有利な立場に立つ。そのため、他の業者も導入せざるを得なくなる。導入しなければ、競争に敗れて退出を余儀なくされるからだ。また、輸出業者から見ると、瞬時に輸出代金を回収できるメリットも大きい。
利用者が広がれば、関連サービスも多数誕生するだろう。相手が個人ではなく多額の資金を動かす企業なので、こうしたサービスはビジネスとして成立するはずだ。貿易向けに特化した両替サービスも登場するかもしれない。そして、手数料体系で巨額の送金を有利に扱うコインも登場するだろう。また、現実通貨との交換比率変動をヘッジするための先物取引もつくられるだろう。
これまで、ビットコインの個人利用が注目されてきた。確かにそれらは重要だ。しかし、個人はコストにそれほど敏感ではない。安いとわかっていても、惰性で従来の方法を変えないことが多い。それに対して企業は、コストの差に敏感だ。明白な利益の機会があり、競争圧力が十分強ければ、必ず採用する。
もちろん、これは、銀行にとっては深刻な事態である。外国為替業務が侵食されることになるからだ。2012年の全世界貿易量は約1500兆円だ。仮に為替スプレッドを含めた銀行の手数料がこの2%であるとすると、30兆円になる。この1割がビットコインに移行するだけで、銀行の収入は3兆円失われる。銀行の経営基盤は大きく揺らぐだろう。
1990年代以降、インターネットによって地球規模での通信コストがゼロになったことの影響は、極めて大きかった。コールセンターやバックオフィス業務をインドに移すなどの大きな変化が起きた。日本は、日本語の壁のために、そうした新しいグローバリゼーションから取り残された。しかし、送金の場合には言葉の壁はない。だから、日本にも大きな影響が及ぶ可能性がある。

・移行期は混乱期だがチャレンジング
第2段階は、資本取引を含む国際決済通貨としての利用だ。国際間には、貿易決済以外に、巨額の投資資金の流れがある。これも原理的にはビットコインに代替し得る。というより、すでにそうしたことが起こった。12年には、キプロスや中国から巨額の資金がビットコインに流れ込み、それがビットコインの交換価値を大きく上昇させた。
ただし、問題は、国際的な資本取引の大部分は、金融機関を通じて行われていることだ。金融機関の業務は厳しい制約を受けており、直接にビットコインを扱うことができない。少なくとも日本の場合には扱えない。今後もたぶんそうだろう。また、ビットコイン建て債券や株式の登場も、すぐには考えにくい。
したがって、国際的な資金の流れのかなりは、少なくとも当分は、現在のような方法で行われるだろう。だから、短期間のうちに地球通貨が誕生することにはならない。
しかし、ヘッジファンドなど規制を受けていない機関がビットコインを扱うことは、十分考えられる。そして、さまざまな金融イノベーションが起こる可能性もある。例えば、ビットコインを原資産としてデリバティブをつくることは、可能だ。年金基金などがこれをポートフォリオに組み込むこともあり得る。ビットコインの貸借も考えられる。
さらに、ビットコイン以外にさまざまなコインが登場し、それらの間で競争が起きるだろう。また、通貨間の両替や関連サービスが成長するだろう。
政府が関与する可能性もある。カナダ政府はMintChipという新しい通貨の開発に乗り出した。伝えられるところでは従来の電子マネーの延長にすぎないが、ビットコインと同じ分散型通貨になる可能性もある。
こうして、この段階は、かなり複雑で混乱したものになるだろう。しかし、同時に金融技術にとって非常にチャレンジングな時代ともなるだろう。

・地球通貨の出現は原理的にはあり得る
第3段階は、国内でも支払い手段としてビットコインが広く使われ、円やドルが駆逐された世界である。こうした世界はあり得るか? 現在使われている貨幣のうち日本銀行券や硬貨がビットコインに代替されることは、十分考えられる。なぜなら、送金コスト、安全性、使いやすさ等々の点で、ビットコインのほうが優れているからである(ただし、現在では発足後日が浅いため、周辺サービスが十分に発達しておらず、これらの潜在的利点は完全には顕在化していない)。
問題は、預金通貨である。ビットコインの貸借は可能だし、それを業とするビジネスも登場するだろう(これは、ビットコインシステムの外で起こる現象であることに注意が必要だ)。ただし、それは準備率100%での貸し出しである。
問題は、部分準備制があり得るかどうかだ。つまり信用創造があり得るかどうかである。これについての答えは、たぶん「No」だろう。常識的な見解によれば、取りつけによるシステム破綻を回避するには、「最後の貸し手」たる中央銀行が必要とされる。したがって、分散通貨システムでの信用創造は考えられない。
しかし、この点は金融イノベーションで解決できるかもしれない。また、そもそも信用創造が必要かという問題もある。多数のコインが登場すれば、経済全体の貨幣供給量は調整できるかもしれない。この問題については、いまは確たることが言えない。
そうではあっても、銀行の決済業務の大半が消滅し、ビットコインの周辺に生まれるサービスに移行した世界は考え得るものだ。
また、国際決済の大半がビットコインに代替されれば、為替レートは意味がなくなる。日本でもアメリカでも同じ車はビットコイン建てで同じ値段だ。だから、円安で利益が急増するようなことは起こらない。過去10年、日本経済は為替レートの変動に振り回されてきた。こうした世界は過去のものとなる。

◆2014.04.05
◆ビットコインが持つ経済価値はどの程度か

昨年12月に、バンク・オブ・アメリカ=メリルリンチは、ビットコインに関するレポート(以下、「BAレポート」)を公表した。大手金融機関による最初のレポートであり、しかも、ビットコインの経済価値についての定量的な分析なので、興味深い。
ビットコインをめぐる日本での議論は、「怪しげなもの」「そもそもこのようなものが機能するのか?」という段階にとどまっている。しかし、アメリカ金融業界での議論は、すでに、役割の大きさに関する定量的な検討にまで至っているのだ。こうしたレポートが出されるのは、金融機関がビットコインの存在を無視し得なくなったことの反映と考えることができるだろう。
BAレポートは、ビットコインがeコマースで約1割の比重の決済手段になり、また送金産業において主要な役割を果たすようになるだろうとしている。そして、1BTC=1300ドル程度が「フェアバリュー」(適切な価格)であろうとしている(BTCはビットコインの単位。最近時点での価格は600ドル程度)。
この分析の主要な関心は、ビットコインの価値の評価であるが、これは中国人民銀行が金融機関の関与を禁止する前に出た報告だ。したがって、いま見直せば、価値保存機能についての評価は変わるかもしれない。しかし、この分析では送金手段としての価値を主として評価しており、その部分についての考え方は、現時点においても有効だ。
以下に述べるように、具体的な数字は、かなり大胆な仮定に基づいて導かれており、仮定を変えれば結論は大きく変わる。また、どの時点を考えるかでも結論は異なる。ただ、考え方の筋道を見ることは重要だ。

・eコマース決済と国際送金が主要な役割
BAレポートは、次の三つの分野について分析を行っている。eコマースにおける決済、国際送金、そして価値保存だ。
第1のeコマースについては、50億ドルのビットコインが必要と推計する。その根拠は次の通りだ。
2012年のアメリカのB2C(個人向け)eコマース売上高は2240億ドルであった。これにどれだけの現金が必要か? 12年の個人消費総額は11兆ドルであり、世帯の預金および現金の合計は0・7兆ドルであった。後者を前者で割った値は、0・07だ(BAレポートは、これを「貨幣の流通速度」と言っているが、この値は流通速度の逆数であり、「マーシャルのk」と呼ばれる)。過去10年間の平均値は、0・04だ。つまり、1ドルの年間個人消費のために4セントのマネーを保有していることになる。
eコマースでの流通速度が通常取引と同じだとすると、100億ドルのマネーが必要になる。このうち10%がビットコインになれば、10億ドル相当のビットコインが必要だ。世界経済におけるアメリカ経済のシェアが約2割であることを考慮すれば、全世界での必要額は50億ドルと推計される。
第2は、国際送金におけるビットコイン価値だ。現在、国際送金業務を行っている企業としては、ウエスタンユニオン、マネーグラム、ユーロネットが大手で、20%のシェアを占めている。これら3社の時価総額の平均は45億ドルだ。ビットコインがこれら3社の平均と同程度の役割を果たすようになると考えれば、その価値は45億ドル程度になると考えられる。
第3は、価値保存手段としての価値だ。ビットコインが、銀と同様の評価を得られるとすると、その市場価値は、50億ドルに達する可能性がある。
これらを合わせると、約150億ドルになる。発行総額と比較すると、1BTCの市場価格は1300ドル程度と評価される(昨年12月初めの価格は1200ドルを超えた。その後、中国が金融機関の関与を禁止したため、12月中旬には600ドル程度に暴落した)。
以上の推計に関しては、いくつかの技術的な点を指摘し得る。
第1に、eコマースのための必要額について。ここで用いられている値を流通速度に換算すれば25程度になるが、この値は高過ぎるのではないだろうか? 流通速度は、分子と分母にどのような変数を持ってくるかで、値はかなり変わる。日本の場合、経済全体の貨幣残高としてM2、売上高として法人企業の総売上高を取ると、最近時点での流通速度は1・6程度である。仮に流通速度が2であるとすれば、必要額は上記推計の約10倍となり、500億ドル程度となる。
また、eコマースの10%がビットコインで決済されるとしているが、この仮定に格別の根拠はない。別の値を想定すれば、結果は大きく変わる。
第2に、国際送金業務の価値について。「ビットコインの価値が3社の時価総額の平均になる」というのも、確たる根拠はない。ウエスタンユニオンの時価総額は90億ドルだから、それと同じになるとすれば90億ドルになる。また、現在の国際送金業者の扱いをすべて代替してしまえば、ビットコインの価値はずっと大きくなる。

・銀行業務が代替されると影響は大きい
以上のように、仮定を変えれば、結果は10倍にも20倍にもなる。そして、仮定について誰もが認める値を設定するのは、現状では困難だ。したがって、現段階では、ビットコインの「フェアバリュー」を定量的に評価するのは無理と考えられる。それより重要なのは、「どの程度まで既存の支払い手段を代替し得るか」に関する大まかなイメージであろう。
BAレポートのイメージは、「eコマース決済の1割がビットコインで行われ、また国際送金においてウエスタンユニオンの半分くらいの役割を担う」というものだ。
しかし、このイメージは、保守的ではないだろうか? とりわけ、ビットコインの利用主体として個人しか考えていないこと、銀行が現在果たしている決済業務をビットコインが代替する可能性を考慮していないことの点で、かなり控えめと考えられる。
このことは、特に国際送金に関して言える。ウエスタンユニオンなどの送金業者は、銀行外の送金主体であり、利用者は主として個人である。しかし、前回述べたように、企業による輸出入業務で、はるかに巨額の国際送金がなされている。そして、この分野は、銀行がほぼ独占している。
それがビットコインに代替されれば、その影響は極めて大きい。12年におけるウエスタンユニオンの収入は57億ドルである。これは、前回推計した貿易に関わる国際送金の収入30兆円の2%程度でしかない。つまり、貿易関連送金業務をビットコインがすべて担うとすればBAレポートの100倍程度のコインが必要になるわけだ。
BAレポートの結論は、「価格はファンダメンタルズに比べて割高」というものだ。しかし、「現実の価格は、控えめな価値の推計より低い」とも言える(ただし、電子コインはビットコインだけでないことにも注意が必要である。さまざまなコインで役割を分け合えば、個々のコインの価格は安くなる)。
日本株は、13年に約6割上昇したが、それは円安によるのであり、生産性の向上やビジネスモデルの改善によるものではなかった。それに対して、ビットコインは、コンピュータ技術の新しいイノベーションに裏づけられている。どちらの価格がファンダメンタルズに近いと言えるだろうか?

◆2014.04.12
◆財政ファイナンスを仮想通貨が阻止する

異次元金融緩和政策が導入されてからほぼ1年がたった。
この間に、マネタリーベースは著しく増えた。しかし、マネーストックはほとんど増えなかった。
長期的な傾向からすると伸び率は若干高まっているが、それは、消費税増税前の住宅駆け込み需要によって住宅ローンが増えたためであって、マネタリーベースが増加した結果ではない。消費税が増税されれば、反動で減少するだろう。
物価上昇率は高まったが、それは主として円安のためだ。そして、円安は金融緩和によって生じたのではなく、国際的な投機資金の流れが変化したために生じたものだ。
実質GDP成長率は、安倍内閣の成立直後の2013年1~3月期が最も高く、その後は次第に低下している。これは、物価上昇率が高まったために、実質消費の伸び率が低下しているからだ。物価が上昇する半面で賃金は上がらないので、人々の生活は貧しくなっている。
このように、異次元金融緩和政策は空回りを続けている。追加緩和措置が必要との意見が多いのだが、追加とは国債購入量を増やすことだ。それをやっても、過去1年間と同じことが繰り返されるだけである。
政府と日本銀行は、「物価上昇率引き上げ」という誤った目標を立て、国債購入を激増させた。しかし、結局のところ、実体経済には何の影響も与えられなかったのである。
現在の日本経済で金融緩和が経済拡大効果を持ち得ないのは、あらかじめ予想されたことである。
企業が巨額の内部留保を持ち、しかも設備投資意欲がないため、借り入れ需要は弱い。しかも、日銀当座預金残高は過剰準備状態にあり、貸し出し増の制約にはなっていない。こうした状況下で国債を購入して当座預金を増やしたところで、貸し出しが増えるはずはない。だから、マネーストックが従来の趨勢から離れて増えるはずはないのである。

・国債貨幣化によって長期金利を抑えた
では、何のために金融緩和政策が行われるのであろうか?
その真の目的は、「財政ファイナンス」、つまり、「国債の貨幣化」だと考えられる。それによって金利の高騰を抑え、財政の資金調達を円滑にするのだ。日銀による国債の購入そのものが重要なのであって、教科書的な意味での金融緩和効果(マネーストックの増加を通じる経済拡大)は、初めから政策当局者の頭にはないと思われる。
財政ファイナンスは以前から行われてきたが、異次元金融緩和政策によって、日銀の国債購入額は飛躍的に増加した。
このため、巨額の公共投資増加を行ったにもかかわらず、また、12年秋以降ユーロ圏からの資金流入が止まったにもかかわらず、国債利回りは高騰しなかった。
日本の財政事情を考えると、本来はいまのような低い金利で財政が資金調達できるはずはない。これは、明らかに「国債バブル」だ。
長期的に見ると、社会保障費はさらに増大する。したがって、社会保障制度を大改革するか、大増税を行わないと、日本の財政は破綻する。だから、本来なら、金利が高騰(国債価格が暴落)して、支出削減や増税をせざるを得ない状況に追い込まれているはずなのである。
しかし、現実には、国債金利が高騰しない。つまり、危険信号が働かない。だから、財政改革が進まない。
この状態は、次の二つの意味で異常である。
第1は、物価上昇率が名目金利を上回り、その結果、実質金利がマイナスになっていることだ。この状況下では、借り入れをして財を購入し、一定期間保有して売却すれば、借り入れの金利を払ってもなお利益が生じる。したがって、裁定取引によって金利が上昇して、解消されるはずのものである(その結果実現するのが、「フィッシャー方程式」に表されている関係だ)。こうした状態は異常なものであり、長続きはしない。
第2は、負担なしの支出増が継続していることだ。社会保障費が増大すれば、受給者の消費支出が増える。したがって、経済全体で見れば、誰かの支出が減らなければならないはずだ。保険料負担が増えるのなら負担者の消費が、増税がなされるなら納税者の消費が、金利が上がるなら投資支出が、それぞれ減らされるはずだ。
しかし、そのどれも起こらない。誰の負担も増えず、増発された国債は日銀に購入されるので、金利も上昇しない。だから、他の支出は何も削減されないで社会保障給付が増大する。こんなうまい話が、いつまでも続くだろうか?
もちろん、永続できるはずはない。経済の供給能力に余裕がある間は持つが、いずれ限界に突き当たって、誰かの負担が明示的な形で増えざるを得なくなる。
ただし、ここまで赤字が膨張してしまうと、増税や歳出削減で対処するのは不可能だ。政治的に最も容易なのは、インフレによって国債残高の実質価値を減らすことである。これが、歴史が示すところだ。終戦直後の日本財政も、巨額の赤字の実質価値をインフレで減らした。

・ビットコインがあるとゆがんだ状態は実現できない
以上で述べた二つのこと(国債バブルと、負担なしの財政拡張)は、正常な経済ではあり得ないゆがんだ状態である。日銀による強引な大量国債購入によって、初めて実現しているものだ。
しかし、こうしたことは、ビットコインが普及した経済では生じ得ない。その理由は、次の二つだ。
第1に、ビットコインの「発行」は、マイニングによって行われるのであって、日銀券のように、国債を購入することによって行われるのではない。日銀は、自らの債務である日銀券を印刷することで国債を購入でき、しかも、その規模を恣意的に決められる。だから財政ファイナンスができるのである(なお、実際には、日銀の国債購入の大部分は、日銀当座預金という負債を増やすことによって行われている。日銀券も日銀当座預金もマネタリーベースなので、経済的な意味は同じである)。
ミルトン・フリードマンはかつて「kパーセント・ルール」という考えを提唱した。これは、中央銀行の裁量的な政策を排除しようとするものだ。ただし、ここで問題にされたのは、マネーストックの伸びだ。財政ファイナンス阻止の立場からすると、マネタリーベースの恣意的な拡張を阻止する必要がある。
第2の理由は、インフレが予想されると、ビットコインが資産逃避手段として用いられることだ。13年におけるキプロスと中国の経験が示したのは、為替管理を強化しても、資金がビットコインに逃げられてしまうということである。
このように、ビットコインが広く使われるようになった経済では、国や中央銀行が勝手な経済政策をしようとしても、それに強い制約がかかるのである。
そもそも、中央銀行の役割は、信用秩序を維持し、預金通貨を守ることである。恣意的な金融政策を行うことではない。ましてや、国債を貨幣化して財政放漫化を放置することではない。
これを担保するため法律で日銀の独立性が保障され、また日銀引き受けによる国債発行が禁じられている。しかし現実には、それらが空文化してしまったのだ。
ビットコインは、経済政策や金融政策の本質を、原点に立ち返って見つめ直すことを迫っている。

◆2014.04.19
◆ハイエクの理想が現実化しつつある

フリードリッヒ・フォン・ハイエクは、1976年に刊行したDenationalisation of Money(『貨幣の非国家化』)において、貨幣発行の自由化を主張した(本書の90年版は、Ludwig von Mises Instituteがウェブに公開しているので、全文を読むことができる。以下、ページ数は90年版)。
インターネット上に登場しつつあるビットコイン等の仮想通貨を、ハイエクの考えと関連づけてみることとしたい。
ハイエクが国家による貨幣管理に反対する大きな理由は、国債の貨幣化によって放漫財政が生じることだ。彼は言う。「現代における政府活動拡大の大部分は、貨幣発行によって財政赤字を賄ったことでもたらされた。これによって雇用が創出されるという口実に基づいて」(33ページ)。同じ考えは、繰り返し表明される。すなわち、「政府支出の増加は、政府がマネーをコントロールできるようになったために生じた」(118ページ)。「政府の赤字は貨幣の創出で賄われてはならない」(120ページ)、等々。
銀行が独自の貨幣を発行することとすれば、各銀行が慎重に流通量を調整するので、無秩序な増発はなくなる。
ここで、中央銀行は不必要になることに注意しよう。ビットコインに対する批判として、「中央銀行がない通貨制度はあり得ない」と言う人が多いのだが、その考えは誤りである。中央銀行が必要になるのは、部分準備での銀行貸し出しが認められ、信用創造が行われるからだ。そのような制度では、預金取りつけによって信用制度が崩壊するのを防ぐため、中央銀行が最後の貸し手になる必要がある。
しかし、部分準備を認めなければ、中央銀行なしの通貨制度はあり得る。それがハイエクの提唱する世界だ。中央銀行が存在しない世界は、単にあり得るばかりでなく、「望ましいものだ」とハイエクは主張しているのである。
現実の歴史を見ても、部分準備制が始まったのは、17世紀のことだ。中央銀行が登場するのも17世紀になってからである。それまでは、中央銀行なしの貨幣制度が機能していた。
なお、中央銀行は銀行間の決済機能をも果たしているが、これは現代の技術では自動化できる。

・貨幣自由化への具体的な道筋は?
ハイエクの議論で十分に強調されていないと思われることが、二つある。
第一は、貨幣自由化に至る具体的な道筋が示されていないことだ。第23章で、旧来のシステムへの回帰圧力があることを述べているが、そもそも現状からの改革をどう実現するかは、明確でない。
第2版への覚書の最後で、ハイエクは、「理論経済学者と政治哲学者の主要な責務は、世論に働きかけることによって、いまでは政治的に不可能であるとされていることを、政治的に可能ならしめることであると、強く信じている。したがって、私の提案が現時点では政治的に実行不可能であると反対されても、私は提案を撤回しない」と述べている。彼は、具体的な手順の提示は自らの仕事ではないと考えていたのだろう。
しかし、現実社会と彼の理想社会との間には、大きな隔たりがある。銀行業はどの国でも政府の厳しい監督下にあり、業務内容を自由に選択することはできない。政府は国債貨幣化により利益を得られるのだから、その特権をやすやすと放棄して、貨幣自由化を容認するとは考えられない。全力を挙げて、自由化を阻止しようとするはずだ。したがって、貨幣自由化は国家権力との闘争とならざるを得ない。
自由化は、銀行制度の外で、貨幣に代替するものが多数出現し、それが現存する貨幣を侵食することによって実現するはずだ。ビットコインなどの登場が、まさにそれだ(すでに200近いものが存在する)。
侵食するには、従来の貨幣よりも優れていなければならない。送金コストが低いことは明らかな利点だ。いまは登場後日が浅いため、使い勝手が悪い。しかし、関連サービスは急速に成長しつつある(ATMは、その一例だ)。これによって、多くの人が簡単に使えるようになるだろう。価値はどうか。いまは変動が極めて大きい。しかし、多くのコインは、発行総額を限定化しているので、長期的には安定していくだろう。
インターネット上の貨幣は、中央銀行がなく、部分準備の貸し出しもできない。したがって、信用創造も起こらない。これらの点で、ハイエクが描いた世界と同じだ。それだけでなく、特定の管理主体も存在しない(ハイエクの世界では、民間の銀行が自らの貨幣を管理する)。その意味では、さらに理想に近い。もしハイエクが生きていたとすれば、必ずや、貨幣自由化の実現と評価したに違いない。

・外国通貨への逃避が政府を制約する
ハイエクの著書でいまひとつ強調されていないのは、外国通貨への逃避がもたらす効果である。
国が財政支出を国債貨幣化で賄い続ければ、キャピタルフライトが起こり、為替レートが減価して政府は引き締めに転じざるを得なくなる。つまり、国は勝手に貨幣化を続けることはできず、通貨価値の安定を強いられることになる。国内で銀行間の競争が起きなくとも、このようなルートを通じて、国の恣意的な政策は制約されるのである。
ハイエクは、第23章で、国家制約からの個人の自由を論じているが、初版が刊行された時点では、為替に実需原則が適用されており、貿易と離れた国際間資金移動が厳しく制約されていたため、キャピタルフライトを現実的なものとは考えていなかったのだろう。通貨に対する国民の信頼が落ちても、国は心配する必要がなかった。
しかし、実需原則が撤廃された現在の世界では、事情は異なる。例えば、ユーロがなかったとすれば、放漫財政をコントロールできないギリシャからは大量の資金流出が続き、ギリシャ国民は緊縮財政を受け入れざるを得なくなったはずだ。
現実には、ユーロが導入され、ギリシャがそれに加盟したため、こうはならなかった。つまり、現実の通貨制度は、ハイエクが目指したのとは逆の方向に進んだわけだ。
ビットコインは、外国通貨への逃避を容易にすることによって、こうした現状を打破する。国と国の競争、あるいは国家通貨間の競争を促進するのである。
そもそもビットコインが広がったきっかけは、既存の通貨への不信だ。キプロスや中国で起こったことがまさにそれだ。日本でも、前回述べたような事情(放漫財政と国債貨幣化)と日本銀行の独立性喪失を考えれば、同様の事態があり得る。これまで日本国民は、そうした事態に反対の意思表明ができなかった。しかし、いまではできる。
もちろん、政府は、こうした動きをつぶしにかかる。中国では金融機関のビットコインへの関与を禁じた。日本でもそうだ。しかし、ビットコインをつぶしても、他の通貨が現れる。例えばすでに、リップルという有力な代替物が現れている。これと現実通貨の交換所(「ゲイトウェイ」と呼ばれる)は中国に存在するので、これを利用して人民元からビットコインやドルへ逃避することは、現状で可能なはずである。
ビットコインに関して、「規制と監視が必要」としばしば言われる。しかし、規制と監視が本当に必要なのは、国の通貨なのだ。

◆2014.04.26
◆重要なのは基本構造 ビットコイン改善提案

ゴールドマン・サックスは、3月11日に発表したビットコインに関する報告書の中で、「ビットコインは通貨ではない。その信奉者は頭を冷やして出直すべきだ」と述べた。この報告が問題視しているのは、ビットコインの価格変動が激しく、価値保存手段として適切でないことだ。
ノーベル経済学賞受賞者のロバート・シラーも、ビットコインの価格変動を問題にしている。今年1月のダボス会議で、ビットコインは典型的なバブルであると論じた。3月1日の「ニューヨーク・タイムズ」への寄稿で、バブルだとの認識を繰り返し述べ、代替案を示した。それは、商品価値にリンクしたデジタルマネーだ。
最近1年間のビットコインの価格変動が極めて大きく、価値保存手段として危険であることは、誰もが認める。以上で紹介した否定論は、「ビットコインの市場価値は適切か?」という観点からなされている。
こうした観点は、ビットコインを「幻影」としたウォーレン・バフェットに典型的に見られる。彼は、「投資してもうかるか?」という観点からビットコインを見ているのである。
しかし、「投資対象として危険だ」ということは、ビットコインの本質的な欠陥ではない。ビットコインの本質は、管理主体のない送金を可能としたことだ。マーク・アンドリーセンがバフェットを「技術の分からない人」と批判したのは、このためだ。
ゴールドマン・サックスのレポートもシラーも、ブロックチェーン(ビットコインの取引記録)を用いる仕組みが将来性のあるものであることは認めている。また、送金コストが低いために、従来の支払い手段が対応を迫られることも認めている。
モルガン・スタンレーは組織としてのレポートは出していないが、トップは否定的な見解を述べている。しかし、同社の専門家は、ビットコインとマイクロファイナンスに関するシンポジウムを開いた。
誰もがブロックチェーンのアイディアの革新性と発展可能性は、否定できないのである。

・銀行の積極的関与を提案するUBSレポート
このような見方をもっと積極的に述べているのが、3月28日に公表されたUBSのレポートだ(同行は、スイスに本拠を置く世界有数の規模の銀行)。それは、「現在のビットコインにはさまざまの問題があるから、銀行を脅かすものにはならない。しかし、銀行はその技術を利用することができる」というものだ。
同報告は、次のように言う。ブロックチェーンを用いる方式は新しい支払い手段としての潜在力を持ち、特に国際送金の分野で、安くて安全で速い送金を可能とする。従って、世界的な支払いシステムを大きく変える。また、クレジットカードと電信送金サービスの手数料に影響がある。ただし、商店にとってのコストをどの程度減らせるかは、疑問だ。
同報告はさらに、ビットコイン独自の新しい送金システムを作るよりは、既存の銀行がビットコインの技術革新を取り入れる方が良いとする。そして、具体的な仕組みを提案している。
それは、全世界の銀行が、ビットコインのブロックチェーンに似た取引記録を維持することとし、これを利用するというものだ。ここでの取引は、ビットコインでなく、現実の通貨単位を用いる。
預金や貸し出しなどの銀行のサービスは、これまで通り。預金者は自分の秘密鍵を持つ。場合によっては、それを銀行に預ける。
送金システムの管理者として銀行が入ることによって、ビットコインが目指している「管理者なしの送金システム」という性格は、だいぶ薄れる。しかし、個人が秘密鍵を完全に保存するのは難しいので、信頼できる主体が扱うことのメリットも大きい。
また、このシステムでは、公開鍵保有者が誰かを完全に特定できているので、脱税や非合法的利用を防ぐことができる。
ETF(上場投資信託)のような投資サービスにも使える。また、規制上の制約がなければ、ビットコインのデリバティブを扱うこともできる。これによってビットコインの価格変動を減らすことができるし、銀行には手数料収入が入る。

・供給スケジュール設計は経済学者の仕事
経済学者は、ビットコインの供給が一定のスケジュールに従って機械的に行われており、最終的には一定の値になることを批判している。ポール・クルーグマンの批判も、そうした観点からのものだ。シラーの反対も含めて、経済学者の反対は、ほぼ供給スケジュールの問題に集中している。
アンドリーセンなどのコンピュータ・サイエンティストは、ブロックチェーンのプルーフオブワークに関心があるので、供給スケジュールはあまり重視していない(「プルーフオブワーク」とは、記録改ざん防止のために課す計算作業。詳しくは、「ダイヤモンド・オンライン」連載の解説記事を参照)。だが、この問題は、真剣な検討が必要なものだ。これは経済学者が担当すべき分野である。
マネーの供給スケジュールは、昔から経済学者が議論してきたものだ。これは、金融政策や財政政策をどう運営すべきかという問題の中核にあるものだ。
一方の極には、金本位制が最も望ましいという意見がある。ビットコインの現在の仕組みは、これに近い。シラーがビットコインを「中世への逆戻り」と批判したのは、このためだろう。他方の極には、経済情勢に合わせて、裁量的な調整を行うべきだとの意見がある。多くの経済学者の意見は、これだ。
ミルトン・フリードマンの「kパーセント・ルール」は、その中間と考えることができる。中央銀行による管理通貨制度を認めるが、裁量的な政策は認めず、貨幣供給を一定のルールによって縛ろうというものだ。
シラーが提案するのも、これに近い。また、1920年代にトーマス・エジソンが提案した方式(農民が政府の倉庫に持ち込む農産物にリンクして通貨を発行する)にも近い。これをコンピュータで運営するのだから、ビットコインの思想と同じだと言ってもよい。
ただし、ここで注意すべきことは、ブロックチェーンを用いる仕組みとして、ビットコインは唯一のものではないことだ。すでに類似物が200近く登場している。従って、ビットコインの供給量が一定限度に抑えられているといっても、全体のコインの供給量が一定になるわけではない。また、インターネット上の通貨が直ちに従来の貨幣をすべて代替してしまうわけでもない。
多数のコインが出てきたときに、均衡がどうなるか。政府は介入すべきか。するなら、どのようにすべきか。これらは、経済学のテーマとして極めて興味深いものである。そうしたテーマについて、これから大量の論文が出てくるだろう。
重要なのは、ブロックチェーンを用いる送金方法に大きな将来性があることを認識し、運営主体や供給スケジュールについて現在の仕組みを改善することである。日本の多くの論者が言うように、「こんなものは、放っておけばすぐ駄目になってしまう」として無視すれば良いというものではないのだ。通貨の世界にまったく新しい技術が登場し、従来の仕組みが基本的な見直しを迫られていることは、間違いない事実なのである。

◆2014.05.10
◆新しい技術の意義は過小評価される

前回述べたように、経済学者や投資家、経営者は、ビットコインに対して否定的だ。
これを見ていると、インターネットが普及し始めたころのことを思い出す。FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の元議長アラン・グリーンスパンの回想録『波乱の時代』には、ビル・クリントン大統領がIT革命に期待を寄せ過ぎているので、当時の財務次官ローレンス・サマーズが懸念していたと記されている。
ポール・クルーグマンもITには懐疑的で、1990年代のアメリカの高成長は、生産設備の稼働率上昇によってもたらされたと論じた。
経済成長論でノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソローも、ITに否定的だった。「IT革命は至る所にあるが、経済データの中にはない」という彼の言葉は有名だ。また、彼が主要なメンバーであったMIT(マサチューセッツ工科大学)委員会の報告書『メイド・イン・アメリカ』は、シリコンバレーに勃興しつつあったベンチャー企業に、敵意の目を向けていた。アップルのような会社がモトローラやフェアチャイルドなどの大企業から有能な技術者を引き抜いてしまうために、アメリカ経済が成長しない、と論じたのである。
90年代のインターネットの状況を見れば、こうした評価もやむを得なかった。回線速度は遅く、常時接続もできない。およそ実用的とは思えなかった。しかし、パケット通信という通信方法の革新性を知っていれば、評価は異なるものとなっただろう。
ビットコインについても、似たことが言える。現在の社会で、これをすぐに受け入れられる体制があるわけではない。現実通貨との両替所は整備されていないし、受け入れる店舗も限定的だ。また、価格変動が大きいなどの問題もある。エコノミストが否定的見解を持つのも当然だ。
しかし、潜在的発展可能性を考えれば、評価は別のものになる。特に、管理者がいなくとも経済的な取引が可能になったことの評価だ。そして、この技術がさらに発展するとの認識だ。
これがコンピュータサイエンティストの視点だが、その視点から見れば、ビットコインという名の通貨が成功するかどうかは、あまり重要ではない。それより重要なのは、このシステムを通貨以外の対象にいかに拡張し得るかだ。「ビットコインは通貨ではない。プラットフォームだ」といわれるのは、そうした意味だ。

・電話は「おもちゃ」と見なされた
同様のことが、歴史上、何度も繰り返されている。新しい技術が登場したとき、その経済的意義が過小評価されるのである。
電話がその典型だ。電話が発明された19世紀の後半は、電信が急速に発展しつつある時代だった。当時のアメリカにはすでに8500の電信局と21万マイルを超える電信線があり、海底ケーブルで全世界を結ぼうとしていた。
多重通信技術など、技術面でも大きな進歩があった。用途も、ニュースの伝達や株式市況の速報、そして軍事などに広がった。経営上の課題は、電信線の増設による事業拡大だった。電信サービスを提供するウエスタン・ユニオン(WU)は、当時のアメリカで最大の企業だった。
他方で電話は、雑音が激しい、通信記録が残らない、交換機がなかったため専用線を使うので、特定の人としか通話できない等々の理由で、ビジネスには適していないと見なされていた。
電話の特許を取得した翌年の1877年、発明者グラハム・ベルと共同出資者は、電話に関する権利をWUに売却しようとしたが、あっさり拒絶されてしまった。WUの幹部は、ビジネスの可能性は多重電信機にこそあると考えていたからである。
当時のWU社長ウイリアム・オートンは、「電話はあまりに欠点が多いので、通信手段として真剣に検討するに値しない。この装置は、われわれにとって何の価値もない」と言ったとされる(「この電気おもちゃは…」と言ったという説もある)。まるで、ビットコインに対する経済学者や経営者、投資家の評価を聞いているようだ。
ベルたちは、77年にベル電話会社を設立した。その後WUは電話の重要性に気付き、電話事業に乗り出した。そして、ベル社と泥沼の裁判闘争(「ダウド訴訟」)を始めた。
しかし、結局のところ、79年に、ベル社は電信事業に参入しないという条件の下で、WUは電話事業から撤退した。WUは、ビジネス史に残る愚かな決定をしたのである。
ベル社は、1900年にAT&Tとなり、その後1世紀にわたって電話産業に君臨した。第2次大戦後、AT&Tは、世界最大で歴史上最大の企業となった。「もしWUが撤退していなかったら、アメリカ人は毎月WUに電話料金を払っていただろう」といわれる。
そのAT&T自身が、インターネットに関しては、WUと同じ過ちを犯した。AT&Tは「パケット通信ネットワークは、信頼のおける通信システムではない」と見なしたのである。

・通貨技術の革新はすでに始まっている
以上で述べたことは、成長戦略を考える際に重要な意味を持っている。
政府の成長戦略では、「イノベーション」が強調されている。しかし、そこで考えられているのは、いまのパラダイムを前提とした技術だ。また、自然科学上の知見の応用であり、主として製造業向けの技術だ。
経済活動に目立った影響を及ぼしていないものには関心が払われない。また、コンピュータサイエンスの応用には無関心だ。貨幣に関する技術進歩は、検討の対象にさえされていない。
しかし、ITは、貨幣を変える潜在力を持っているのである。例えば、携帯電話を用いた「エムペサ」というモバイルマネーが、ケニアで短期間のうちに普及した。そして、いま、発展途上国に著しい勢いで広がっている。ケニアの農村部の所得は、これによって5~30%上昇したといわれる。通貨の技術革新は、工学的技術と同様に、あるいはそれ以上に、経済成長を促進する潜在力を持っているのである。
いまのところ、途上国ではビットコインを使えるようなITのインフラがない。しかし、ITは急速に進歩するので、近い将来に使えるようになる可能性がある。そして、エムペサ的モバイルマネーと連携する可能性がある。そうなれば、途上国の金融システムは、銀行の支店を整備するという従来型の金融システムとは、まったく異質のものになるだろう。
その結果、先進国のそれよりも効率の良い金融システムをつくり上げてしまう可能性もある。
金融庁は、「アジアの金融インフラ整備支援」を進めようとしている。これは、日本企業の海外活動に対する円滑な資金供給の確保等のため、アジア諸国に対し金融インフラ(法制度や決済システム等)整備の技術支援を行おうとするものだ。
しかし、この計画には、「現地の金融システムが将来どうなるか」という視点がない。多分、従来型の金融システムが想定されているのだろう。
だが、日本と同じような銀行システムをこれらの諸国に導入しようとしても、まったく無意味なものになってしまう危険は大きい。われわれは、ITと通貨システムでいま起こりつつある変化を、過小評価してはならない。

◆2014.05.17
◆送金コスト引き下げは重要な成長戦略

国際送金に関する世界銀行の調査によれば、日本から海外に送金するコストは極めて高い。2013年にはコストが送金額の14・4%だが、数年前まで17%を超える場合が多かった。G20諸国の中では南アフリカ共和国が19・8%であるのに次いで高い。アメリカからの送金コスト率が5・8%であるのに比べると、異常に高い。世界全体の平均が8・4%であるのに比べても高い。日本から韓国や中国に送金する場合のコスト率は、30%を超える。これは、世界で最もコストが高い送金経路であるとされる。
同調査は、銀行を通じる送金コストが高くなることも指摘している。口座振り替えのコスト率は13%程度であり、オンラインが6%程度であるのに比べてかなり高い。
なお、以上は200ドルという少額送金に関するものだ。また、この調査では、次項で述べる為替レートのスプレッドの問題は考慮されていない。
日本のコストが高いのはなぜだろうか? 世銀のレポートはこれに関する分析は行っていないのだが、日本ではウエスタンユニオンなどの国際送金業者のウエイトが低く、銀行のウエイトが高いことが、一つの理由として考えられる。次項で述べるスプレッドのコストは、国際送金業者の場合に大きくなる傾向があるので、これを除いたコスト比較をすると、銀行送金に比較的に不利になるというバイアスがあるかもしれない。
しかし、それでも、日本からの送金コストが高いことに変わりはない。途上国からの移民や出稼ぎ労働者は、所得の一部を本国に送金する。このコストが高いことは、日本に外国人労働者が少ないことの原因になっている可能性がある。

・円が国際化できないからコストが高くなる
以上で見たのは少額送金だ。送金コストには固定費的なものが多いので、送金額が大きくなれば、あまり大きな負担ではなくなる。大企業による貿易決済などで巨額の金額が送金される場合、銀行制度が整備されている先進国では、以上の意味でのコストはあまり問題にならない。
しかし、このことは、巨額の送金について送金コストが問題にならないことを意味するものではない。なぜなら、為替スプレッドがあるからだ。これは、銀行の売値(TTS)と買値(TTB)の差だ。ドルの場合、あるメガバンクの最近の値は、TTSが103・61円、TTBが101・61円だ。この差額は、銀行の収入であり、利用者にとってはコストとなる。スプレッドは、国際送金の最も大きなコストになる場合が多い。
仮に自国通貨で貿易決済ができれば、この問題はなくなる。
先進国間の貿易では、輸出には輸出国通貨が使われるのが普通であるとされる(これは、「グラスマンの法則」といわれる)。しかし、日本の場合、財務省の「貿易取引通貨別比率」によれば、13年下半期において、円の比率は日本からの輸出で38・4%、輸入で22・9%である。対米輸出では、円の比率は15%にすぎない。韓国との間でも、円よりドルの比率が高くなった。日本は、グラスマンの法則の例外国であるといわれる。
円建て比率が低くなるのは、円が国際決済通貨として認められていないためだ。IMFのデータ(COFER)によると、13年第4四半期で、世界の外貨準備に占める円の比率は3・9%でしかない。これは、GDPにおける日本の比率(12年で8・2%)と比較して、いかにも低い。
つまり、スプレッドの負担は、円が国際化していないことのコストなのだ。これは、言語の問題と似ている。日本語が国際語になっていないので、国際的な情報交換のためには英語を用いなければならず、そのため、日本人は英語学習をしなければならない。同じことが通貨についてもいえるのである。
円が国際通貨として認められるためには、円を保有しても価値が減少しないことが必要だ。つまり、長期的な傾向として円安にならないことこそ、国際化のための重要な条件である。円安になれば輸出からの利益が増加するとして喜ぶ人が多いのだが、長期的には自分の首を絞めていることを悟らなければならない。
ところで、以上は日本円についての問題だ。途上国では、自国通貨で貿易決済を行うのは不可能に近い。圧倒的大部分がドルで行われているだろう。従って、為替スプレッドの問題は、途上国の経済発展にとって大きな問題だ(また、前回述べたように、そもそも銀行支店網が整備されていないという問題がある)。

・共通通貨を導入しても解にはならない
以上の問題は、どう解決できるだろうか?
銀行送金のコストを低下させる基本的な方法は、規制緩和によって競争圧力を強めることだ。銀行業には厳しい参入規制があるから、コストが高くなるのは当然だ。銀行送金に代替する送金手段が現れれば、競争圧力でコストは下がるだろう。
為替スプレッドの問題は、共通通貨を導入すれば解決できるだろうか? 一見するとそう思われる。しかし、実はそうではない。
第1に、スプレッドがなくなるのは、通貨圏内だけのことだ。通貨圏外との関係は何も変わらない。圏外との貿易は、不当に不利になる。これは、「トレイド・ダイバージョン効果(貿易阻害効果)」と呼ばれ、FTAやTPPの問題点として指摘されるのだが、共通通貨でも同じ問題が発生するのである。
第2に、共通通貨とは加盟国間で為替レートを固定化することと同じだが、加盟国の経済力に差があるにもかかわらず統一為替レートを維持しようとすると、経済力の強い国が負担を負い、弱い国がそれにただ乗りするという現象が発生する。ドイツが負担を負ってギリシャなどの南欧諸国がただ乗りするユーロの構造は、その典型だ。
仮に東アジア共通通貨をつくって日本がそれに加盟すれば、ユーロにおけるドイツよりもはるかに重い負担を負わされることになるだろう。
以上の問題はどちらも、国際送金にビットコインが利用され、十分な流動性が確保されれば(すなわち、現実通貨との交換をほぼゼロのコストで行うことが可能になれば)、解決できる。為替レートは残ったままであり、それはビットコインとの交換比率に表れる。しかし、送金コストもスプレッドもなくなるのだ。
ビットコインはすでに存在し、利用されている。従って、この状態を実現するには、ビットコインを受け入れるだけでよい。政府がそのために、格別の配慮をする必要はない。導入を邪魔しなければよいだけのことだ。
これまで世界で最も送金コストが高かった地域であるアフリカでは、通貨革命が進んでいる。国内ではエムペサというモバイルマネーが急速に広がり、これを国際送金と結び付ける試みが最近なされている。
それに対して、日本では、送金コストの高さを新しい通貨技術の導入で改善しようとする動きは、まったく見られない。
日本には成長戦略が必要であり、そのために規制緩和が必要であるといわれる。その通りだが、問題はどの規制を緩和するかだ。通貨に関する規制緩和を行い、それによって送金コストを低下させることは、重要な成長戦略だ。それは、TPPなどよりもずっと重要な戦略である。

◆2014.05.24
◆国債の貨幣化はどこまで続くか?

国債の残高は増え続けているので、常識的に考えると、利回りが上昇するはずだ。そうなれば、国債の市中消化は難しくなる。そのため、増税や歳出削減を行わざるを得なくなる。つまり、歳出を国債で賄っていたとしても、際限なく財政赤字を拡大できるわけではなく、それを抑制するようなメカニズムが働くはずだ。
ところが、日本の現実を見ると、そうはなっていない。国債の利回りは、上昇していない。それどころか、低下を続けている。
日本の財政状況は極めて厳しい。消費税を増税したものの、財政赤字は目立っては縮小しない。他方で、社会保障費を中心として歳出は増加し続ける。従って、財政赤字が今後拡大することはあっても、縮小することはあり得ない。こうした背景を考えると、現在のような低い金利で資金を調達できるのは、不自然な状態なのである。
これまでは物価上昇率が低かったことで低い金利を説明できた。しかし、円安によって物価は上昇している。それでも金利は上昇しない。現在では実質利子率はマイナスになっており、異常な状態だ。
これまで日本の銀行は、貸し出しを減らし他方で国債を増やすことで、バランスさせてきた。そのため、金利を上昇させずに国債を市中消化することができたのである。しかし、このメカニズムには限度がある。実際、貸し出しの中でも住宅ローンは簡単には減らせない。ここ数年は、消費税増税前の駆け込み住宅需要もあって、住宅ローンは増大してきた。これを考えても、金利が上昇しないのは不自然なことと考えざるを得ない。

・異次元緩和の目的は財政ファイナンス
なぜ不自然な状態が継続しているのか? それは、日本銀行が国債を購入しているからだ。それによって、国債を市場から隔離しているため、市場メカニズムによる金利上昇が生じないのである。
2009年12月から13年12月までの間に、国債残高は148・3兆円増えた(以下で「国債残高」とは、日銀の資金循環統計における国債・財融債の残高)。しかし、預金取扱機関(ほぼ「銀行」に一致する)の残高は16・1兆円しか増えていない。これは、日銀が保有国債残高を93・4兆円増加させたからだ。これがなかったら、金利は上昇していただろう。
日銀の国債購入は、13年4月に導入された異次元金融緩和によって、顕著に増加した。13年3月から12月までの期間で、日銀保有国債残高は、49・8兆円増加した。この間の国債残高増加は19・5兆円だから、それを約30兆円も上回る購入を行ったわけだ。
他方、預金取扱機関の国債残高は、13年3月をピークとして減少している。13年3月から12月までに27兆円ほど減少した。全体としての国債残高は増加しているのだから、異常な現象だ。資金需要がない中で、国債は銀行にとっての重要な運用対象である。それが減っているのだから、価格は高くなり、利回りは低下する。
このため、前述のメカニズムは働いていない。金利上昇というシグナルが生じないから、財政規律が弛緩する。
中央銀行が国債を購入することを通じて赤字財政をやりやすくすることを、「国債の貨幣化」あるいは「中央銀行による財政ファイナンス」という。異次元緩和の本当の目的は、経済活動の活性化ではなく、国債の貨幣化なのだ。
ただし、現在の国債の貨幣化は、分かりにくい。負担がないように見えるのだ。
日銀券を増発して、国債を購入すれば、マネーストックが増加して、インフレになる。しかし、日本の現状では、そうはなっていない。異次元緩和以降、マネーストックの増加率は顕著には上昇していないのである。物価は上がっているが、円安のためであり、マネーストックが増えたためではない。
こうなる理由は、日銀負債の増加が、日銀券の増加でなく、当座預金の増加で生じていることにある。当座預金はマネーストックに入らないので、インフレ圧力にならないのだ。

・不自然な状態は何かのきっかけで崩れる
では、負担なしに財政を拡張できる状態を、いつまでも続けられるだろうか?
できないはずだと、誰でも思うだろう。それは、常識で考えれば明らかだ。一方において財政支出が拡大している。それは、受益する人々に経済的な利益を与える。しかし、負担はどこにも発生しない。こんな「うまい話」は、あり得ない。誰かが必ず負担を負うはずだ。どこかにおかしいところがあるに違いない。
その通りであって、いまの状態は、実は不自然なのである。不自然なことが成り立っているカラクリを説明しよう。
日銀当座預金は、銀行にとっては本来は貸し出し準備だが、いまの残高の大部分は過剰準備である。つまり、積み立てておく必要がないものだ。しかも、本来は金利ゼロのはずだから、利子収入のある国債を売って当座預金にするのは、不合理な行動のはずである。
では、銀行はなぜ国債売却に応じるのか? 一つは、当座預金に付利しているからだ。もう一つの理由は、利回りが低下してきたため、国債を売れば利益が出るからだ。
しかし、これは安定的な状態ではない。仮に銀行からの当座預金の払い戻し要求があったら、日銀は日銀券を増発するしか対応の方法がない。日銀券はマネーストックに含まれるので、マネーストックが増えてインフレになる。つまり、現在は、潜在的に日銀券が多くなった状態なのであり、潜在的なインフレ状態なのである。
実際の数字を見ると、マネタリーベース(日銀当座預金と日銀券の合計)は、13年3月から14年3月までの間に73・9兆円増えた(増加率は54・8%)。その大部分は日銀当座預金で、70・5兆円増えた(148・9%の増加)。
このように、幾つかの非常に分かりにくい仕組みによって、本来はあり得ない状態が続いているのだ。
これは安定的な均衡とはいえず、何かのきっかけで崩れる。それが崩れれば、本来の姿があらわになるだろう。
崩壊のシナリオとしては、幾つかのものが考えられる。近い将来であり得るのは、金利高騰だ。それは、アメリカのQE3(量的緩和第3弾)終了で始まる可能性がある。アメリカの金利が上がったとき、日米金利差が広がって円安になるのでなく、為替レートは不変で、日本の金利が上がることがあり得る。13年5月には、まさにそのことが生じた。将来、これが再現する可能性がある。
こうなれば、現在の微妙なバランスが崩れてしまう。まず、銀行は国債を日銀に売らなくなるだろう。これまでは金利が下がってきたから、売れば利益が出た。しかし、金利が上昇する局面では、国債を売却すると損失が発生する。
また、金利が上がれば、付利しているとはいえ低い金利の当座預金は、不利になる。だから、過剰準備の払い戻しを求めるだろう。
他方で、財政規律は簡単には変わらないから、国債の発行は続く。しかし、消化が難しいので、金利はさらに上がる。また、国債の利払い費が増える。
こうして、危機はドミノ倒し的に進行するだろう。現在の状況は不安定なものであることが認識されなければならない。

◆2014.05.31
◆法人税率に関する最重要論点は何か

法人税率論議の中で、「法人税のパラドックス」に言及されることがある。これは、EU諸国で法人税率を下げたにもかかわらず、法人税収が目立って減少しなかった現象を指す。これについて、次の3点を述べたい。
第1は、こうした現象が生じた原因だ。これについては、幾つかの実証研究があり、それによれば、EU諸国においては、個人企業の法人成りによる法人部門への所得シフトが最も大きな要因であったとされている。こうした現象は、日本では働かないはずだ。なお、『経済財政白書』(平成22年度版)は、OECD諸国全体についても実効税率と法人税収の間に負の相関関係を確認できるが、その背景として、課税ベースの拡大や法人部門への所得シフトなどが指摘されているとしている。
日本では、1980年代から法人税率が引き下げられ、同時に法人税収も減少した。法人税率は、80年代には40%を超えていたが、90年代には30%台になった。現在では25・5%である。一方、法人税収は、80年代末には18兆~19兆円あったが、2000年代初めには10兆円程度にまで減少した。06~07年ごろに15兆円程度に近づいたが、現在では10兆円程度に戻っている。
このように、日本は「法人税のパラドックス」が成立しない国とみられているのである。
第2に、前記の実証分析は、「法人税のパラドックス」のもう一つの原因として、課税ベースの拡大を挙げている。ただし、課税ベースを十分拡大すれば税率を下げても税収が減らないのは、当然のことである。
そして、特別措置の整理は、それ自体として望ましいことだ。課税ベース拡大を主張するためにわざわざパラドックスを持ち出す必要はない。
第3に(これが最も重要なことだが)、パラドックスが仮に成立するとしても、それは、「法人税率を下げても、税収減という望ましくない現象が生じない」と言っているだけのことである。法人税率を下げるべき積極的な理由を示しているわけではない。
法人税率引き下げ論議において重要なのは、「なぜ引き下げが必要なのか」について、説得的な証拠を示すことである。「法人税のパラドックス」を持ち出すのは、問題の本質から人々の目をそらすことになる。

・法人税率を下げても設備投資は増えない
法人税率引き下げが望ましいとされる理由は、幾つか挙げられている。主要なものは、日本企業の海外移転を防げる、国内の設備投資が増加する、対内投資が増える、といったことだ。これについて、次の3点を述べたい。
第1に、法人税率引き下げによって設備投資が増加するとは考えられない。「法人税率は設備投資の決定に中立的である」とは、経済学の基本的な命題の一つだ。税率引き下げによって税引き後投資収益は増えるが、他方で控除される利子分が減るので、税引き後利益は不変にとどまるからである。
仮に設備投資を増やしたいのであれば、投資税額控除等の手段によるべきだ。しかし、それでは、「特別措置を減らして課税ベースを広げる」という前記の目的に反することとなる。
現実のデータを見ると、11年12月の改正で、日本の法人税率は、30%から25・5%に引き下げられた。しかし、設備投資は増えなかった。実質GDPに対する実質民間企業設備投資の比率は、ほぼ13%で変わっていない。税率引き下げが必要というなら、このときの税率引き下げがなぜ設備投資を増加させなかったかを、まず説明すべきだ。
第2は、日本企業が設備投資を行ったり、対内投資を呼び込めるような魅力的な投資機会が日本に存在するかどうかである。実際には、金融緩和を行ったにもかかわらず、国内の設備等は増えなかった。特に製造業の設備投資は増えなかった。法人企業統計で製造業の設備投資(ソフトウェアを除く)の季節調整済み前期比増加率は、マイナスの値が続いている(ただし、10~12月期はゼロ)。
この事実が示すのは、もはや日本国内に有利な投資の機会がないということだ。設備投資を行っても、企業価値は高まらないのである。もちろんそれは、「現在の経済環境を前提にすれば」ということである。仮に大胆な規制緩和が行われてビジネスチャンスが生まれれば、条件は大きく変わるだろう。重要なのは、そのような経済環境をつくることである。法人税率を操作することではない。
ヨーロッパで法人税率引き下げによって海外からの投資が増えた典型例として指摘されるのは、80年代から90年代にかけてのアイルランドだ。これは、同国がITにおけるヨーロッパの中心となり、同国内に多くの投資機会が発生したからである。日本がヨーロッパの経験に学ぶべきは、こうした事実だ。「法人税のパラドックス」ではない。
なお、法人税率の引き下げが対内投資にいかなる影響を与えるかは、資本輸出国の国際税制に依存する。外国所得非課税制度が取られている場合には、投資先国の法人税率が税引き後利益に影響する。しかし、外国税額控除方式を取っている場合には、結局は本国の税率で課税されることとなり、対外直接投資に影響は及ばない。

・高度成長型思考法からの脱却が必要
法人税率引き下げ論の根底にあるのは、輸出産業を中心とした産業構造を復活させようという願望だ。しかし、さまざまの指標は、もはやこうした方向が適切なものではなくなっていることを示している。先に述べた投資機会の消失は、その最たるものだ。
国際収支統計が示しているのも同じことだ。13年度の日本の貿易収支は、国際収支統計ベースで10・9兆円の赤字となった。これは、日本の輸出立国モデルがもはや成立しないことを示している。国内の投資を増やして国内の生産を増やし、それによって輸出を増やそうとしても、もはや実現できないのだ。
しかし、他方において、所得収支は16・7兆円という巨額の黒字である。日本は世界最大の対外資産を保有しており、それがこのような巨額の黒字を生み出している。日本企業の海外移転が進めば、所得収支の黒字は増える。だから、海外シフトは、問題視すべきことではない。むしろ望ましいことと考えるべきだ。そして、世界的な水平分業体制の一環になることを考えるべきだ。日本の国内での設備投資を増やしたり、対内投資を呼び込もうと無駄な努力をすべきではない。
総投資の対GDP比を見ると、12年で日本は21・0%だが、これは他の先進国に比べて格別低いわけではない。イギリスは14・4%とかなり低い。アメリカも19・5%だ。民間企業固定資本形成だけで比べると、13年第4四半期で日本が13・0%だが、アメリカが12・6%だ。しかも、そのうち31・5%は「知的財産」なので、それを除くと8・6%になる。
投資の比率が高いのは、中国のような新興国の特徴だ(総投資の対GDP比は、12年で48・9%)。日本も高度成長期においては、この比率は高かった。それをいま再現しようとしても、無意味なことである。
法人税率引き下げ論には、引き下げという結論がまず最初にある。さまざまな理屈は、それを正当化するために無理して探し出されたものだ。本当に必要なのは、日本経済をどのような構造にすべきかの議論である。

◆2014.06.07
◆欠損法人の配当がもたらすゆがみ

法人税論議において、課税ベースを広げることによって法人税率を下げるべきだとの議論がある。その一環として、配当の益金不算入措置の見直しが問題になっている。私は見直しに賛成だ。
この措置は、特別措置ではなく、法人税制の本来の措置である。それが必要とされる理由として、次のような説明がなされる。
配当は、法人税を払った後の税引き後利益から支払われる。従って、それを受け取った法人において益金に含まれると、そこでも課税されることとなり、二重課税になってしまう。こうした状況を避けることが必要であり、そのために、受取配当を益金に算入しない措置が必要である。
しかし、この考えは、配当を支払う法人が法人税を負担していることを前提としている。つまり、配当を支払っているのは、税法上の利益企業だけであるとの前提が置かれているのだ。
ところが、日本の現状では、この前提は必ずしも満たされていない。課税されていない企業からの配当があり得るのだ。そうした配当を益金不算入にすれば、当該配当分については、どこでも課税されないことになってしまう。
赤字企業が配当を払うとは奇妙だが、税務上の利益と会計上の利益は同一ではないから、こうしたことはあり得る。高度成長期の日本では、大部分の企業が法人税を課税されていたので、仮にこうしたことがあったとしても、大きな問題とはならなかっただろう。しかし、現在の日本では、課税されない法人は7割を超える。従って、これが無視し得ない問題になっている。

・欠損法人からの配当が2・6兆円もある
実際の数字はどうなっているだろうか。国税庁の「平成24年度会社標本調査結果」によると、欠損法人の支払った配当が、約2・6兆円もある。
これには、法人税が掛かっていない。そして、これを受け取った法人の側で益金不算入措置が取られているので、この2・6兆円に対しては、どこでも課税されない。
利益計上法人による配当の支払いは約12・6兆円あるから、支払配当総額のうち欠損法人によるものの比率は約17%もある。これは、決して無視できない大きさである。
この分を益金不算入にすることは、法人税収にどの程度の影響を与えているだろうか? それを知るには、2・6兆円のうち、どれだけが法人によって受け取られているかを知る必要がある。しかし、欠損法人からの配当の受け取り手が法人と個人でどのような比率になっているかは分からない。
配当全体について見ると、2012年における法人の受取配当は8・5兆円であるが、これは支払配当総額の56・3%に当たる。この比率が欠損法人からの配当にも当てはまるとすれば、2・6兆円のうち1・4兆円は法人が受け取り、残りは個人が受け取っていることになる。12年における法人の申告所得は40・8兆円であった。仮に1・4兆円がこれに加わるとすれば、申告所得は約3・4%増える。従って、法人税収も約3・4%増えるだろう。
ただし、実際には、欠損法人の株主は、個人でなく法人である場合が多いと思われる。仮に受け取り手が全て法人であるとすれば、12年における法人の申告所得は、40・8兆円に2・6兆円が加わり、申告所得は約6・3%増える。従って、法人税収は約6・3%増えるだろう。
このように、欠損法人からの配当が益金算入されていないことは、法人税収にも無視し得ぬ影響を与える。従って、仮に配当の益金不算入を存続させるのであれば、課税企業からの配当であることが証明されたものに対してのみ認めるべきだ。
なお、配当所得は所得税制でも特別に扱われている。ここでの前提も、法人段階で課税されているということだ。しかし、右のようにそれが満たされないことになれば、この課税も強化する必要がある。

・税制のゆがみが効率化を阻害する
欠損法人からの配当を益金不算入とすることの影響は、決して無視し得ぬとはいえ、額的にはさほど大きくないともいえる。しかし、問題は以上で述べたことにとどまらないのだ。税制に不自然な箇所があれば、節税に利用されるからである。
いまの場合、赤字法人からの配当が課税されないことを利用して節税ができる。赤字法人に経済的な恩恵を与えて自らの課税所得を圧縮し、その見返りとして配当を得れば、法人税を節税することができるのだ。
このことを、以下の仮想数値例で示そう。いま、親会社と子会社があり、これらの間には出資関係と取引関係があるものとしよう(ただし、連結納税はしていないものとする)。子会社は、収益の上がらない事業に従事しているものとする。すなわち、10の価値がある原材料を用い、15の賃金を支払って、価値が20である生産物を生産している(単位は何でもよい。例えば億円であるとしてもよい)。従って、損失が5(=20-10-15)だけ発生する。他方、親会社は、収益性の高い事業に従事しており、原材料を20で子会社から購入し、15の賃金を支払って、50の価値がある生産物を生産する。従って、利益は、15(=50-20-15)だ。
ここで、親会社は、子会社からの購入額を22に引き上げる。そして、見返りに2だけの配当増加を求めるとしよう。
子会社が関心を持っているのは、内部留保と役員報酬に充て得る額だろう。従って、売り上げが2増えて損失が2減ることと引き換えに、配当を2増やすことを受け入れるだろう。
他方で、親会社の課税所得は、受取配当は益金に算入されないことを考慮すれば、購入額を2だけ引き上げた結果、2だけ減って13になる。従って、法人税を節税できる。
もちろん、このような取引を自由にできるわけではない。売買価格を市場価格から著しく乖離した価格に設定すれば、税務署に否認される可能性がある。しかし、取引対象が特殊な部品などであれば、公正な市場価格がいくらであるかを客観的に確定するのは難しい。従って、右のような操作は可能なはずである。
会社標本調査によれば、受取配当の益金不算入額は、資本金1億円未満の法人では3769億円だが、1億円以上では3兆6108億円になる。これは、大企業が中小企業を支配する構造を示唆している。従って、右のことが現実にも行われている可能性が高い。
実は、さらに問題がある。この例の子会社は、本来は淘汰されるべき存在だ。なぜなら、利益を上げることができないからである。存続するためには、例えばより少額の賃金で同一の生産物が生産できるように、事業を効率化する必要がある。しかし、この例で示したように節税に利用できるために、生き延びてしまうのである。
つまり、税制のゆがみのために、赤字であることが経済的に意味を持つことになってしまうわけだ。赤字であることは事業の効率が悪いことを意味するのだから、本来であれば、それを矯正するためのメカニズムが働かなければならない。しかし、それが働かないのである。
法人税の問題が議論される際、税収についての議論はなされるが、経済の効率性に関するこのような議論が行われることはあまりない。しかし、本来はそうしたことが論じられなければならないのである。

◆2014.06.14
◆益金不算入なければ実効税率は26・6%に

現在の日本では、法人税を払っていない法人がほとんどだ。このことは、よく知られている。それを理由として、「だから、法人税を減税しても効果がない」といわれることがある。しかし、これは、いささか荒っぽい議論だ。事態をもう少し詳しく見る必要がある。以下ではそうした観点から、現在の日本の法人税を見よう。なお、以下の計数は、全て2012年度のものである。
法人全体で見ると、確かに欠損法人の比率が7割を超える(国税庁「会社標本調査結果」〈税務統計から見た法人企業の実態〉による。以下同)。しかし、企業規模が大きくなると、欠損法人の比率は低下するのである。資本金1億円超では3割程度だ。5億円超では、29%程度である。つまり、「大企業では欠損法人比率は3割ないしそれ以下」といえる(法人税法で中小法人とされるのは資本金1億円以下)。税収や経済活動への影響は、大企業の方が大きい。そして、大企業の7割は納税している。だから、「法人税を減税しても影響が及ぶ範囲は限られている」とはいえない。
ただし、「大企業であるのに欠損法人が3割もあるのは問題だ」ともいえる。資本金100億円以上でも、約3割が欠損法人なのだ。以下では、こうした問題意識から検討しよう。
なお、資本金1億円以下の中小法人の問題は、これとは性質が異なる別の問題として考えるべきだ。零細企業は、家族従業員の給与を高めに設定して、法人段階の利益を圧縮していると思われる。従って、実質的な課税は、所得税においてなされている。
これに関して検討すべきは、給与所得控除の水準が適切か否か、という問題である。

・益金不算入の影響は大きい
以下では、資本金1億円以上の法人について、「法人企業統計」(金融業、保険業を除く全産業)と会社標本調査を比較する(両統計の対象の違いを調整するため、本来は、会社標本調査から資本金1億円以上の金融業を除き、また連結法人を加える必要がある。ただし、ここではその調整を行っていない)。
法人数は、法人企業統計で3万1264、会社標本調査では2万8152だ。つまり、会社標本調査の方が約1割少ない。
法人企業統計における税引き前当期純利益は27・5兆円だ。両調査の母集団サイズの差を調整するためこれを1割減にすると、24・8兆円になる。
他方、会社標本調査では、申告利益が24・1兆円、欠損が5・6兆円なので、純計では18・5兆円だ。これは、右に計算した24・8兆円より6・3兆円ほど少ない。一方、会社標本調査によると、繰越欠損金(当期控除額)、受取配当益金不算入額、海外子会社からの配当益金不算入額の合計は、約7・6兆円に上る。この額は、右に計算した利益の差6・3兆円にほぼ見合っている。
つまり、「益金不算入措置があるため、法人税法上の利益は、企業会計上の利益よりかなり少なくなっている」と解釈できるわけだ。なお、交際費など損金不算入措置が取られるものがあり、また貸倒引当金のうち損金算入が認められないものがあるので、課税所得の減少が7・6兆円よりは少なくなるのだろう。
両者の利益の差6・3兆円は、課税所得18・5兆円の3分の1にも上る。これは極めて大きい。従って、仮に企業会計上の利益が法人税法上の利益になれば、資本金1億円以上の法人の申告所得は18・5兆円から24・8兆円へと34%も増加する。税収も同率だけ増加する。
この問題は、実効税率の計算にも影響を与える。法人税率引き下げ論は、日本の法人所得課税の実効税率が諸外国に比べて高いことを根拠にしている。しかし、仮に不算入措置がなければ、この数字はかなり変わる。
13年1月における法人所得課税の実効税率は35・64%とされている。しかし、仮に課税ベースが34%増加すれば、ここで検討している資本金階層法人の実効税率は、26・6%に低下する。
この計算に対し、「現実には益金不算入措置は存在し、しかもそれは原則的に必要な仕組みだ。だから、その措置がない場合を計算しても意味がない」との意見があるかもしれない。
しかし、そうではないのだ。実効税率を計算する目的は、企業の負担を測ることである。これは、「益金不算入措置は必要か?」という法人税制の問題とは別のものである。個々の企業の立場から見れば、配当は明らかに収入であり、繰越欠損金は当期の損失ではない。だから、これらを分母に加えるべきは、当然のことである。外国との比較を行う場合には、万国共通のルールで計算される企業会計上の利益を分母にして比較を行うべきだ。

・法人課税の基本を見直す必要がある
右で示した資本金1億円以上法人の益金不算入額7・6兆円の内訳は、繰越欠損金2・5兆円、受取配当益金不算入額3・6兆円、海外子会社からの配当益金不算入額1・4兆円となっている。つまり、受取配当益金不算入が最も大きい。そして、前回述べたように、受取配当措置を使っているのは、主として大企業だ。
これは、繰越欠損金の場合と対照的だ。この措置を使っているのは、主として中小企業である。すなわち、繰越欠損金当期控除額は、資本金1億円未満で4・2兆円、1億円以上で2・5兆円となっている。
このように、受取配当益金不算入は主として大企業の課税ベースを縮小させ、繰越欠損金は中小企業のそれを縮小させている。そして、1社当たりで見て、大企業の納税額は中小企業の納税額より多い。従って、受取配当措置の見直しは税収に大きな影響を与えるが、欠損繰り越し措置を縮小しても、税収への影響は小さいだろう。
しかも、繰越欠損金は、損失の繰り延べをどの程度認めるかという、「程度の問題」だ。無制限に認めることさえ考えられなくはない。現在の制度が不当に長い繰り延べを認めているという根拠はない。
それに対して、配当は、法人税制の基本原則の問題である。しかも、前回述べたように、子会社を使った節税の可能性や、非効率赤字企業の温存という問題を引き起こす。なお、ここで議論する余裕がないが、海外子会社からの配当の益金不算入措置も問題が多い。
さて、ここで問題とされているのは、そもそも法人課税は、「利益」に課税するのが適切か? という基本的問題だ。大企業であっても3割が課税されないのでは、現代実社会とのギャップが大き過ぎる。
現在の法人税は所得税の前取りとして位置付けられている。しかし、法人は公共サービスの利益を受けているから課税すべきだとする「応益課税」の考えもある。事業税において外形標準課税が一部導入されているのは、こうした考えによるものだ。この考えは、国税にも拡張できる。なぜなら、国のレベルで提供されている公共サービスもあるからだ(株式会社の有限責任性は、その最も重要なものである)。だから、国税にも外形標準課税の要素が導入されてもよい。
法人税については、「最初に税率引き下げありき」の議論が多過ぎる。その前に、課税ベース拡大の議論をすべきだ。そこで対象になるのは、特別措置だけではない。法人税の本則に関わる事項についても検討を加える必要がある。

◆2014.06.21
◆反動減から回復しても成長が続くわけではない

今年の1~3月期における経済指標は、かなり顕著な伸びを示した。実質GDP(6月9日に発表された速報値)は、季節調整済前期比年率で6・7%増となった。内訳を見ると、実質家計最終消費支出が前期比年率で9・4%増だ。これは、1994年以降で最高の伸びである。
注目されたのは、実質設備投資が前期比年率で34・2%増という非常に高い値になったことだ。6月2日に発表された1~3月期の法人企業統計でも、設備投資の増加が確認された。すなわち、金融業と保険業を除く全産業の設備投資は前年同期比7・4%増で、2012年4~6月期(7・7%増)以来、7四半期ぶりの高さとなった。
こうした計数を見て、設備投資が主導する経済成長が始まったとの見方がある。しかし、以上の数字は慎重に見る必要がある。なぜなら、そのかなりが消費税増税前の駆け込み需要によるものであり、傾向的なものではない可能性が高いからである。
住宅投資や消費支出について駆け込み需要があることは、以前から指摘されていた。実は、設備投資についても、それがあり得るのだ。設備投資に掛かる消費税は、本来は仕入れ税額控除できるから、影響はないはずだ。しかし、簡易課税(課税売上高が5000万円以下で選択可能)の場合は、投資する予定がはっきりしていれば、1~3月に前倒しして実施した方が消費税は安くなる。
法人企業統計によって企業規模別の設備投資の推移を見ると、これが裏付けられる。小規模企業の伸び率が著しいのだ。14年1~3月期の設備投資の対前年伸び率は、資本金10億円以上が4・9%であるのに対して、1000万~1億円は9・9%という高い伸びを示している。
この階層の企業の設備投資は、全体の約23%を占めるから、全体の動向にかなりの影響を与える。伸び率が高まったのは13年4~6月期以降で、13年10~12月期まで資本金10億円以上がマイナスだった期間にも高い伸びを示していた。
業種別に見ると、建設業の設備投資が前年同期比53・9%増という非常に高い値を示している。ここでは、駆け込み需要が、建設業への需要を高め、さらに建設業の設備投資自体を前倒しさせた。つまり、二重の意味で、設備投資を増加させたわけだ。
こうして、設備投資は、それまでのトレンドから離れた上昇を示したのだ。機械受注も急激に増えた。

・消費税増税後の大きな反動
この反動として、4月には、さまざまの経済指標が大幅に悪化した。
5月30日に発表された4月の家計調査によると、全世帯(2人以上の世帯)の実質消費支出は、前年比4・6%減となった。季節調整値の実質前月比は13・3%減となった。前月比は、同項目を新設した2000年以降で最大の下落幅だ。これは、民間調査機関の事前の予想を大きく上回るものだった。
反動減は、貿易統計の輸入の計数にも表れている。5月21日に発表された4月分速報によると、4月の貿易赤字額は前年同月比で7・8%減った。前年と比べて貿易収支が改善するのは12年8月以来だ。この原因は、輸入額の前年同月比が3・4%増と、12年12月以来の低い水準だったことだ。原粗油は、前年比11・2%減と大幅に減少した。
結局のところ、1~3月期の計数は、経済の好循環が実現したためにもたらされたのではなく、一時的な高まりにすぎなかったのだ。これはあらかじめ予測されていたことだが、問題は、落ち込みが今後どの程度の期間にわたり、どれだけ継続するかだ。
消費について見ると、4月に落ち込んだのは、食料、ガソリン、定期代、家具・家事用品などだった。これらの生活必需品は、数カ月すればほぼ元に戻るだろう。
設備投資はどうなるか。小規模企業の投資は4月以降はこれまでのような成長は続かない可能性が高い。そうなると、全体でかなり落ち込むだろう。実際、機械受注を見ても、先行きでは伸び率が低下している。
消費税の反動影響が最も大きいのは、住宅投資だろう。これは、消費税の影響が最も大きい需要項目である。従って、かなりの駆け込み需要があったと思われる。それがこれまでの景気上昇の最大の原因であったわけだから、これがなくなることの影響は大きい。

・2012年11月からの回復は終わった?
以上で述べたことに対して、「景気が回復したので、人手不足が顕著になった」といわれることがある。その証拠として、有効求人倍率の高まりが指摘される。5月30日に発表された4月の有効求人倍率(季節調整値)は1・08倍となり、前月から0・01ポイント上がった。改善は17カ月連続で06年7月以来7年9カ月ぶりの高い水準となった。
ただ、これについては、データをよく見る必要がある。まず、有効求人倍率が1を超えたのは非正規の求人が増えているためである。正社員の有効求人倍率は0・61倍だ。これが前年同月を0・12ポイント上回ったのは事実だが、最近時点で見ると、2月の0・67倍をピークに、2カ月連続で低下している。
さらに重要なのは、雇用情勢を見るのに、そもそも求人データが適切か否かという問題である。求人数と就職件数の間には大きなギャップがあるからだ。新規求人数(新規学卒およびパートを除く。季節調整値)は、12年4月の45・5万人から14年4月の52・0万人までほぼ一貫して増加している。しかし、就職件数を見ると、12年4月の11・9万件から14年4月の10・8万件まで、ほぼ一貫して減少しているのである。
有効求人倍率の基となっている公共職業安定所(ハローワーク)の求人統計について、「水増し求人が多いのではないか」といわれることがある。真偽は確かめようがないが、少なくとも、求人数よりは就職件数を見る方が適切だとはいえよう。
労働力調査を見ると、4月の完全失業率(季節調整値)は、3・6%で前月と不変だ。就業者が対前年で増えているのは事実だが、増えているのは非正規職員・従業者であって、正規職員・従業者が対前年で減少する傾向は続いている。
非正規の増加は、経済全体の賃金を下げる。家計調査によると、4月の勤労者世帯の実収入は、実質前年比で7・1%減、名目で3・3%減だ。実質前年比の減少幅は03年3月の7・8%減以来の大きさだ。経済の好循環が生じているのであれば、家計の収入が増えなければならない。しかし、実際には全く逆の傾向が続いているのである。
ところで、内閣府の景気動向指数研究会は5月30日、景気の「谷」を12年11月と判定した。つまり、12年12月に安倍晋三政権が発足したときには景気回復が始まっていたことになる。回復は、主として駆け込み需要によるものであった。それに、安倍内閣の公共事業増が加わった。
以上で見たことは、この拡大過程が終わったことを示唆している。
これは、鉱工業生産指数の動きでも確かめられる。季節調整済総合指数は、12年11月に93・4のボトムとなり、それ以降上昇を続けてきたが、14年1月に103・9のピークとなり、それ以降は低下が続いている。
われわれは、こうした短期的変動に一喜一憂するのでなく、長期的な成長に向かって努力しなければならない。

◆2014.06.28
◆雇用情勢は改善せずスタグフレーションに

雇用情勢が好転しつつあるとの報道が、今年の春ごろから数多くなされた。
春闘で賃上げを行う企業が相次いだこと、大学新卒者の求人倍率や、有効求人倍率が高まったことなどが報道された。さらに、「人手不足」が深刻化し、そのために閉店に追い込まれた事例などが報道された。最近では、トヨタ自動車も人手不足のために生産拡大に支障が生じているとされる。
これらのニュースを伝える報道のトーンは、労働需給が逼迫し、それが賃金を押し上げているというものだ。つまり、アベノミクスによって日本経済が回復し、それがついに雇用・賃金面にまで及んできたというのである。
しかし、これらのニュースは、経済の一部分に関する断片的なものであり、経済全体の状況を必ずしも正しく反映しているとはいえない。実際、マクロ的な統計データによると、以下で見るように、経済の実態は、状況改善とは到底いえないものだ。
つまり、実質賃金の下落、製造業の縮小と医療、福祉の増加、正規労働者の減少と非正規労働者の増加というこれまでの傾向は、変わらずに続いている。日本経済の実態は、改善されているのではなく、悪化しているのである。
まず、賃金の動向を見よう。今年の春闘は、安倍晋三政権による異例の賃上げ要請が行われたこともあり、大きな注目を集めた。連合は、今回の春闘による平均賃上げ率は2・08%であったとしている。
他方、毎月勤労統計調査によって現金給与総額(調査産業計、事業所規模5人以上)の前年比を見ると、3月に0・7%、4月に0・9%となり、1、2月がマイナスの伸びであったことから改善した。また、長期的に名目賃金が下落していたことと比較すれば、改善したのは事実である。そして、これは春闘の影響だと解釈できなくはない。ただし、次の4点に注意が必要である。
第1に、今年の春闘では、ベースアップでなく、一時金の増額による賃上げが多かった。実際、所定内給与に限って見ると、3、4月とも伸び率はマイナスである。従って、右で見た賃金上昇が春闘の影響だとすれば、永続性はないだろう。
第2に、4月の値0・9%は、あまり大きなものとはいえない。2013年の11月には0・6%、12月には0・5%であったので、それから大きく変わったわけでない。また、10年における対前年比の年平均値は0・5%であった。
第3に、4月の値0・9%は、春闘賃上げ率2・08%に比べるとかなり低い。こうなるのは、春闘の結果が影響するのは主として大企業の正社員だからだ。中小企業の社員や非正規社員には、春闘はほとんど関係がない。
産業別に見ると、製造業の賃金は1・7%の伸びとなった。しかし、就業者数で見た製造業の比率は16・9%にすぎない。従って、経済全体には大きな影響を与えられないのだ。
他方で、就業者数ですでに11・9%のシェアを占める医療、福祉分野は、春闘には関係がない。また正社員の数が年々減少し、非正規社員の数が増えている。従って、全体として見れば、賃上げレベルは右に見たように、1%に満たない値になるのだ。
第4に、実質賃金で見ると、低下している。これが最も重要な点だが、これについては後で述べる。

・製造業における雇用減少が続いている
人手不足が報道されているので、労働需給が逼迫しているとの印象を持っている人が多い。これは、マクロデータで確かめられるだろうか?
4月の総実労働時間の前年比は、調査産業計の一般労働者で▲0・3%、パートタイム労働者で▲0・4%となった。仮に労働需給が逼迫しているなら、雇用者を増やす前に労働時間を増やすはずだ。しかし、実際には、労働時間は増えるのでなく、減っている。これは、経済全体としての労働需給逼迫は起きていないことを示している。
労働者総数の前年比を見ると、調査産業計で1・3%となった。ただし、これは、パートタイム労働者が2・8%増加したことの影響が大きく、一般労働者の前年比は0・6%にとどまっている。規模30人以上の一般労働者は▲0・1%だ。規模30人以上の一般労働者の対前年比がマイナスであるのは、この数年間ほぼ継続している現象だ。
産業別に見ると、医療、福祉が2・6%という高い伸びを示しているのに対して、製造業は▲0・5%だ。
日本経済の長期的な動向は、一つには、正規労働者が減り、非正規労働者が増えることである。また、製造業が縮小し、医療、福祉が増えることだ。この傾向は、まったく変化することなく続いていることになる。
安倍内閣発足直前の12年11月と、14年3月を比べると、常用雇用指数(規模5人以上)は、製造業では98・9から97・3にほぼ一貫して減少を続けた。他方で、医療、福祉は、109・0から111・8に上昇した(2月は112・5)。つまり、長期的な就業構造の変化は、安倍内閣の経済政策とは無関係に続いているのである。
前回、有効求人倍率が好転しつつあるという報道に対しては、データを注意深く見るべきだと述べた。ここで参照した毎月勤労統計調査でも、同様のことが確かめられたことになる。

・実質賃金下落が続きその幅が拡大している
先に見たのは名目賃金であるが、生活水準に影響するのは実質賃金である。そこで、毎月勤労統計調査の実質賃金指数を見ると、対前年比は、調査産業計で、13年7月からマイナスが続いているが、14年4月には▲3・1%となった。製造業の規模30人以上でも▲1・9%である。
家計調査において実質収入が減少していることを前回述べた。それが賃金のデータでも確かめられたことになる。
これは、物価上昇の影響である。安倍内閣発足直前の12年11月と、14年4月を比べると、実質賃金指数は87・6から83・5まで約4・7%低下した。つまり、物価上昇は、経済の好循環を生んでいるのではなく、労働者を貧しくしている。円安は円表示の企業売り上げを増やし、企業利益を増やした。しかし、分配面では大きな問題を引き起こしているのである。
右に見たように、規模30人以上の一般労働者の雇用は減少しており、他方で物価が上昇している。これは、フィリップスカーブで示される関係が成立していないことを示している。日本経済は、スタグフレーションに落ち込みつつあるのだ。
現在の日本では、「デフレ脱却」が経済政策の目的とされている。これは、物価が上昇すれば、停滞が打破され、経済の好循環が始まるとの考えだ。これまで見たことは、それが正しくないことを示している。
現在の日本は、次のような問題を抱えている。
第1に、物価上昇が実質賃金を下落させ、実質消費支出を減少させる。そして、生活水準を切り下げる。
第2に、いまは日本銀行による財政ファイナンスによって金利が異常な状態まで押し下げられているが、これは安定的な均衡ではない。何らかのきっかけでこの状態が崩れると、経済が雪崩を打って崩壊する。
この状態から脱却することが必要だ。それにはまず、「デフレ脱却という目標自体が誤り」という理解が広がる必要がある。

◆2014.07.05
◆金融緩和策の大失敗 300年前からの警告

ジョン・ローは、17世紀から18世紀に生きたスコットランド人。財政家とか経済思想家といわれることもあるが、「いかさま師」と呼ばれることの方が多い。決闘で人を殺し、スコットランドを逃げ出してフランスに渡った。ルイ15世の摂政であったオルレアン公爵にうまく取り入って、財務総監になった。
太陽王ルイ14世の乱費で、当時のフランス国家財政は破産状態だった。1715年にルイ14世が死去したとき、国庫債務残高は30億リーブル。財政収入1・45億リーブル、財政支出1・42億リーブルだった(Charles Mackay, Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds)。
ローは、それを解決するアイディアを出し、オルレアン公を説得したのである。それは、次のようなものだ。ローが設立する銀行が銀行券を発行し、これに法貨としての地位を与える。すなわち、これで租税を払えることとする。現代経済での用語を使えば、中央銀行の設立を認めて、そこに金融緩和政策を行わせるということだ。
ローはさらに、ミシシッピ会社というものをつくった。これは、フランスの植民地だったアメリカ・ミシシッピ川流域の開発を行う会社だ。そこには鉱脈が眠っているという触れ込みだったが、実際には何もなかった(ただし、オルレアン公への追従として、彼の名を冠した町をつくった。これが、現在のニューオルリーンズだ)。
17年、1億リーブルの資本金で会社が設立され、株式は国債で購入できることとされた。19年には、債務支払いのため、会社は王室に12億リーブルを貸し付けた(ニーアル・ファーガソン、『マネーの進化史』)。
驚くのは、その規模だ。会社の資本金は国家予算とほぼ同規模だし、貸付額は国債残高の半分近い。当時の人々の目に、これは「異次元」と映っただろう。ただし、これほど大規模のことを行い得るのは、実体の変化を伴わぬ帳簿上の操作だからだ。つまり、規模の大きさは、政策が実体的内容を持たないことの証拠なのである。
ともあれ、これによって、国債が会社の株式に置き換えられた。国債なら返却する必要があるが、株式に返却義務はない。こうして、王室は巨額の債務から解放された。
ところで、会社に事業収益があるわけではないので、資金調達は新株発行によってなされた。それは、株価が上がり続ければ可能だ。そして、配当はローの銀行が発行する紙幣で支払う。結局のところ、国債という形の国の債務が、紙幣という形の債務に置き換えられたわけだ。
このスキームで必要とされるのは、会社の事業への期待と、紙幣が信用を持って流通することだ。株価は上昇したので会社株は投機の対象となった。バブルが生じ、フランスは熱狂状態に陥った。
しかし、20年に、紙幣価値への疑問が広がり、正貨への交換要求が起きた。これに対して、正貨保有額制限などの強権策が発動された。民衆の不満が高まり、貴金属の海外流出が起きた。そして、銀行は破綻し、スキーム全体が崩壊したのである。通貨が増発されていたので、インフレが起きた。ローは宮廷から放逐され、貧困のうちに死んだ。

・成長戦略は現代版のミシシッピ会社
なぜローを持ち出したかといえば、彼がやったことは、現代世界の量的金融緩和政策、あるいは財政ファイナンス(国債の貨幣化)とまったく同じものだからだ。このため、彼は、「金融緩和政策の父」と呼ばれることもある。フィリップ・コガンは、『紙の約束』の中で、「21世紀の量的緩和策は、ローと同じ理論のハイテク版だ」と言っているが、その通りだ(「ハイテク」かどうかは疑問だが)。ローの物語は、現代の金融緩和策が行き着く先を予言している。
ローの政策と現代の量的金融緩和策は、驚くほどよく似ている。まず、紙幣はほとんどコストなしに増発できることに目を付け、これを増発する(ただし、日本の場合、紙幣のもととなる日本銀行当座預金は増えたが、日銀券の増発にはまだ至っていない)。そして「貨幣が増えれば経済は活性化する」と人々に信じ込ませる。そして、政府の債務を紙幣に転換する。
この仕掛けがバブルを起こしたことも、そっくりだ。現代の日本では、国債がバブルを起こしている。国債は「利回り」という形で価値が表示されるので、バブルを起こしていると認識しにくい。しかし、さまざまな意味で価格が高過ぎる(利回りが低過ぎる)のである。これは、この連載でこれまで指摘してきたところだ。
ローのシステムで、ミシシッピ会社の役割は大きい。これで人々の期待をつなぎ留めたのだ。
マッケイによると、信用が崩壊しそうになったとき、ミシシッピ川流域の開発が予定通り進んでいると見せ掛けるため、ローは、浮浪者を集めてつるはしを持たせ、パリの街中を歩かせた。アメリカでの作業に向かう労働者の役割を演じさせたのだ。
現在の日本では、「成長戦略」が同じ役割を果たしている。金融緩和に懐疑的な人も、成長戦略で何か打ち出されることをこれまで期待してきた。
しかし、何も実体がないことは、もう明らかだ。政府は先般、成長戦略の最終案をまとめた。その中心は法人税減税だが、法人税の税率を引き下げても効果がないことは、2012年に税率を大幅に引き下げたのに何の効果もなかったことを見れば明らかだ。
少子化対策というが、出生率が上昇すると、依存人口が増える。数十年間のレンジで見れば、経済的にはかえって苦しくなる。そして、「残業代をゼロにすれば成長する(脱時間給)」と言われると、首をかしげるしかない。ローがやった浮浪者の行進と大差がない状態になってきた。

・金融緩和は改革を阻む ローの大失敗の教訓を生かせ
ローの物語の教訓として、次の三つを挙げよう。
第1は、国債を消滅させる簡単な方法などないことだ。国債貨幣化で問題は一時的に隠蔽されるが、いずれインフレとなって顕在化する。日本は、終戦直後にこれを経験した。実質的に日銀引き受けと同じ方法が取られ、戦時国債の実質価値はインフレで消滅した。
現在すでに、国債のかなりが日銀に保有されている。日銀と政府は財政的に一体だ。民間から見ると、国債という形での債権はなくなり、日銀当座預金になった。これは、いずれ日銀券に変わる。その分だけ政府は債務を免れたことになる。ローの場合と大差はない。
教訓の第2は、一時的には熱狂を起こせても、金融緩和で経済実体は変えられないことだ。ローが振りまいたのは、「期待」だけだった。この点も、現代の日本と同じである。
第3の教訓は、金融緩和が改革を遅らせることだ。ローの失敗によって、フランス経済が長期的に損失を受けたと、ファーガソンは指摘する。金融の発展が阻害され、紙幣や株式市場の発展が何世紀も遅れた。フランス人がいまでも金にこだわるのは、このときの記憶が残っているからだ。フランス国家財政の危機は解決されず、ついに財政が破綻して、革命が発生した。同じことが、現在の日本についてもいえる。国債バブル崩壊のコストも大きいが、本当の問題は改革がなされないことである。

◆2014.07.12
◆ジョン・ローのスキームに突き進む日本の金融・財政

日本銀行の資金循環統計(速報)によれば、2014年3月末の日銀の国債(国庫短期証券、国債、財投債の合計)保有残高は、1年前から73・1兆円(57・2%)増えて、201兆円となった。国債残高に占める日銀の保有割合は20・1%となり、最大の保有主体となった。この比率は、08年秋から量的緩和を行ってきたアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)のそれを0・1ポイント上回るものだ。
国債残高総額の増は28・6兆円だったので、他の機関は保有額を増やしていない。国内銀行は、メガバンクを中心に1年前より国債保有を減らした(18・1%減の計130兆円)。保険会社は0・3%増と横ばいで、193兆円となった。
なお、日銀の国債購入によって大量のマネーが市中に供給されたと説明されることが多いのだが、それは事実に反する。銀行が国債を売却した代金の大部分は、日銀の当座預金として滞留している。これは、マネタリーベースの一部にはなっているが、マネーストックにはなっていない。
市中に流通するマネーの量がさして増えないにもかかわらず大量の国債購入がなされるのは、その真の目的が、経済の活性化ではなく、日銀による財政ファイナンスであるためだ。すなわち、市中金利の高騰を防ぐことによって、新規国債の円滑な発行を可能にし、また、財政の利払い費負担を抑えることが目的である。これは、前回述べたジョン・ローのスキームと同じものだ。規模から見ても、ローの場合と大差がなくなってきた。
日銀の保有比率上昇は、国債市場の動向を日銀が左右するという意味で問題であるばかりでなく、中央銀行による財政ファイナンスが本格化してきたという意味で、重大な問題をはらんでいる。
なお、中央銀行による財政ファイナンスは、「国債の貨幣化」と呼ばれることもある。ただし、いま述べたように、マネーの供給量は目立って増えていないので、現在の日本では、まだ文字通りの「貨幣化」にはなっていない。しかし、後で見るように、本質は貨幣化と同じである。

・異次元緩和で急増した日銀の国債保有残高
日銀は01年からの量的緩和政策によって長期国債の購入を増やした。この結果、01年1~3月期に48・2兆円(総残高に対する比率は10・6%)であった日銀の国債保有残高は、1年後には84・6兆円となった(比率は16・3%)。03年10~12月期から06年1~3月期まで、残高は90兆円を超えていた(比率は03~05年で13~15%)。
しかし、国の財政状況が好転したため、日銀保有残高は06年1~3月期からは減少した。08年1~3月期から09年7~9月期には、残高は60兆円台にまで減少した(比率は8%台)。結局、量的緩和策開始時とあまり変わらぬ水準まで減ったことになる。従って、結果的には、日銀の財政ファイナンスとはならなかったわけだ。
ところが、08年10~12月期を底に再び増加に転じ、11年1~3月期には78・4兆円となった(ただし、この期間では比率は8%台にとどまった)。その後さらに増加が続き、12年7~9月期には100兆円を超えた(比率は11・0%)。
この傾向は、13年4月に開始された異次元金融緩和措置によって、加速された。そして、冒頭で述べたような事態になったのだ。
ところで、過去の量的緩和時に購入したのは、残存期間が短い国債が中心だったので、時間がたてば、償還されて、自然になくなる。しかし、異次元緩和措置では、残存期間が長い「長期国債」を金融機関から毎月6兆~8兆円買っている。このため、時間がたっても、国債残高が自然には減少しない。市場に放出すれば、値崩れを起こし金利が暴騰する。だから、保有し続けざるを得ない。現在の方針では国債を年50兆円積み増す計画なので、保有シェアは1年後に25%程度まで高まる可能性がある。
異次元緩和措置は2年間の政策とされているので、日銀の国債残高が年間約50兆円ペースで増える状況がいつまでも続くわけではない。しかし日銀の国債購入が減ると金利が高騰する恐れがあるため、延長される可能性もある。すると、日銀の保有比率は15年末には30%に近づく可能性もある。

・国債の2割は事実上返済する必要がなくなった
日銀は、政府の一部ではなく、政府から独立した主体である。従って、日銀が国債を買い上げたところで、政府の債務が消滅するわけではない。例えば、日銀が保有している国債に対しても、政府は金利を支払う。
しかし、日銀法53条によれば、日銀の利益の95%は国庫に納付しなければならない。だから、日銀が受け取った利子の大部分は日銀納付金という形で政府に還流する。つまり、政府と日銀は、財政的に事実上一体なのだ。
銀行など民間部門が保有する国債は、民間の側から見ると、利子の支払いを受け、返却を要求できる債権だ。しかし、その国債を日銀が買い上げてしまうと、民間部門から見た債権の性質は変わるのである。
前述のように、日銀が購入した代金の大部分は、現在のところ、日銀当座預金という形態になっている。その払い戻しを民間金融機関が求めるのはもちろん可能だ。しかし、日銀は自ら印刷する日銀券で払える。
つまり、日銀は貸し付けを回収したり借り入れをしたりして資金を調達しなくても、返却要求に応じられるのである。こんなことで返済できてしまうのは、不思議なことだが、こうしたことができるのは、中央銀行だけだ。これが、法貨の発行権を保有していることの意味である。
政府ですら、このようなことはできない。政府が民間保有国債の利払いをしたり、借り換えせず償還するとき、政府は税または国債発行で財源を調達する必要がある(原理的には、政府も政府貨幣を発行することができるが、これは、現実的な方法ではない)。
「政府から見て返却する必要があるか?」という観点から考えてみると、民間が保有する国債なら、償還期限になれば償還しなければならない。しかし、日銀当座預金になっていれば、日銀が銀行を指導して過剰準備金を保有させ続ければよい。あるいは、払い戻し要求があれば、日銀券増発で対応できる。日銀券になってしまえば、利子を支払う必要も、償還する必要もなくなる。
そして、それはいずれインフレを引き起こす。結局、民間は自分自身が実質的に貧しくなることによって債務の返済を受けることになる。日本の国債残高の2割がすでにそうなってしまっていることを認識しなければならない。
国債残高が国の負債として残っていることも、それが民間から見て債権であることにも変わりはない。しかし、国から見ると、返さなくてよい債務に、民間から見ると実質的な返却を要求できない債権になってしまったわけだ。
前回述べたジョン・ローのスキームをもう一度振り返っておこう。彼は、ミシシッピ会社を設立し、国の債務をこの会社の株式に変えた。これによって、国は事実上、国債の負担から解放された。株価がバブルを起こしたが、会社に実体は何もなかった。このため、バブルが崩壊して価値はゼロとなった。そして、インフレが起こった。日本はいま、同じ方向に向かって突き進みつつある。

◆2014.07.19
◆人と資本の開国に背を向ける再興戦略

政府は6月24日に、「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)と「日本再興戦略」改訂版(新成長戦略)、規制改革の実行手順を盛り込んだ「規制改革実施計画」を閣議決定した。その中心は、法人税実効税率引き下げと雇用制度改革である。
これらに共通する問題は、生産性の高い新しい産業が登場するのでない限り、施策が成長に結び付くことはないということだ。
まず、法人税減税をこの観点から見よう。この連載でこれまで指摘してきたように、他の条件を一定にして法人税率だけを引き下げても、内部留保を増やすだけに終わる。
このことは、過去の推移を見ても明らかだ。法人税の実効税率は、2011年に40・69%だったが、11年税制改正によって12年には38・01%に引き下げられ、14年には復興特別税が廃止されたために35・64%に下がった。しかしこれによって国内の設備投資や海外からの投資が増えたり、日本企業の海外移転が減ったりすることはなかった。
他方で、企業の自己資本比率は、1970~80年代には15%程度だったが、最近では39%を超えている。それは、右のような投資行動に影響する最大の要素が、「どれだけの投資機会がどこにあるか」ということなのであって、法人税の負担ではないからだ。
仮に法人に対する公的負担が問題だとしても、それは法人税ではなく、社会保険料雇用主負担である。両方を合わせた割合で見ると、日本は決して高過ぎることはない。だから、法人税率が引き下げられても、経済活動に影響しなかったのだ。
減税で内部留保が増えるだけであれば、減税によって税収が減り、財政赤字が膨らむだけだ。このことは、長期的な観点から見れば、日本の成長に大きなマイナスの効果を与える。日本の政府債務の対GDP比率は14年で231・9%と異常な高さだ(一般政府ベース)。政府は、基礎的財政収支を20年度までに黒字化することを目指している。この路線を貫徹することこそ重要だ。

・雇用制度改革は需要がなければ意味が薄い
日本再興戦略では、雇用政策について幾つかの提言を行っている。
まず、「行き過ぎた雇用維持型の政策から労働移動支援型の政策へと大胆な転換を行った」とした。さらに次のような個別的提案を行っている。
注目を集めたのは、「ホワイトカラー・エグゼンプション」を念頭に置いた制度の提案で、「時間ではなく成果で評価される働き方を希望する働き手のニーズに応えるため、一定の年収要件(例えば少なくとも年収1000万円以上)を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象として、新たな労働時間制度を創設する」とした。
女性や外国人の活用も打ち出した。すでに公表されている保育園の増設に加え、「小1の壁」の打破を挙げた。また、女性の働く意欲の妨げになっているとして、配偶者控除を年末までに見直すとした。
なお、外国人労働者については、技能実習制度の拡充がうたわれている。
以上で見た雇用政策は、どう評価されるだろうか?
日本の雇用慣行は、国際比較でも群を抜いて硬直的だ。これをより柔軟なものに変えるという基本方針は、賛成だ。しかし、ここにも、法人税の場合と同様の問題がある。それは、「引く」力の欠如である。つまり、これらは新しいタイプの労働の供給を増やす政策だが、それに対する需要がないのである。
労働移動支援型の政策に転換しても、問題は移動する先に労働需要があるかどうかである。個別政策についても同じ問題がある。ホワイトカラー・エグゼンプションは、高度な専門職には適切な制度だろう。問題は、そうした職業が十分あるかどうかだ。
女性労働の支援は大変重要だ。しかし、女性労働の環境を改善しても、企業が受け入れるかどうかが問題だ。高齢者についても、同様の問題がある。
有効求人倍率の上昇が喧伝されている。5月の有効求人倍率(季節調整値)は、前月より0・01ポイント高い1・09倍で、バブル崩壊直後の92年6月の1・10倍以来の水準となった。完全失業率(同)も3・5%と改善し、97年12月以来の低水準だった。しかし、求人は非正規が中心である。正社員の求人倍率は0・67倍と低い水準のままだ。
なお、計画は、役職に就く女性の割合を20年に30%にするとの数値目標を掲げた。私はこれには賛成できない。女性の活用が企業を強くするから採用するのだ。採用自体が目的化するのは、本末転倒である。
結局のところ、雇用改革は新しい産業が生まれなければ意味がない。では、新しい成長産業とは何か?

・外資系企業の参入規制 緩和の方が効果的
再興戦略は、新たな成長エンジンは農業とヘルスケアサービスだとしている。
しかし、成長産業が介護であることこそが問題なのだ。介護サービスは必要だが、生産性は低い。だから、労働力がここに移れば、所得は減る。これこそが、20年近く続いた経済停滞の大きな要因である。
雇用構造がこのように変化したため、非正規雇用が増加し、給与水準が低下し続け、それが消費減退と企業活動の低下を招いた。なお、新しい農業は賛成だが、これで経済全体のパフォーマンスに影響があるような規模になるとは思えない。
だから、生産性の高い新産業がどうしても必要だ。新しい産業は、製造業より生産性が高いものでなければならない。
新しい産業のためには人材が必要である。このことは、再興戦略も強調する。そして、大学教育の改革を提案している。数値目標として、世界のトップ100校に10校が入ることとしている。しかし、必要なのはそうしたことでなく、高度専門家の教育体制の方向付けなのである。
現在の日本の体制は、20世紀型の産業構造を前提としたものになっており、先進国の産業の重要な基礎となっているファイナンス理論やコンピュータサイエンスがどうしようもなく遅れている。再興戦略は「世界最高水準のIT社会の実現」としているが、日本の現状は、もはや世界の趨勢に追い付かないほど遅れているのだ。大学の専門分野の構成を大きく変えるのは、大変重要な課題だが、極めて困難である。そして、実現に長い時間がかかる。
仮に新しいタイプの高度専門人材が供給されたとしても、国内の企業がそうした人材を求めるかどうかが問題だ。
例えば、ファイナンス分野での高度専門家の場合、私が観察する限り、外資系企業は求めるが、国内の伝統的メガバンクは、求めないのである。その主要業務である間接金融では、あまり専門的な人材は必要とされないからだ。
こうしたことを考えると、参入規制を緩めて、外資系企業を増やす方が、ずっと効果がある。
しかし、日本はこれまで外資の国内参入に拒否反応を示してきた。外国人労働者について、本当に必要なのは移民の大幅増大であるにもかかわらず、再興戦略は、技能実習制度という腰の引けた対応になっている。
こうした鎖国的状態が続く限り、閉鎖状態は打破できない。人や資本に関して国を開くことこそ、最も重要な成長戦略である。しかし、再興戦略は、それらを拒否している。

◆2014.07.26
◆史上最高値の米株価は緩和策終了でどうなる?

ダウ平均株価は、2009年2月ごろの7000ドル程度からほぼ継続的に上昇してきたが、7月3日に1万7000ドルを超えた。これは、リーマンショック前の最高値(07年夏の1万4000ドル程度)を2割以上超える史上最高値だ。
他方、リーマンショック後、金融緩和政策が続けられている。その結果、金利が低下した。10年国債の利回りは10年前半までは3%台の後半だったが、11年2月ごろから傾向的に低下し、最近では2・6%程度だ。
企業活動も活発化している。GDP統計の税引き前企業利益(季節調整済み、年率)は、08年後半から1兆ドルを割り込み、09年4~6月期には1・1兆ドルだった。それが継続的に増加し、14年1~3月期には1・9兆ドルとなった。これは、07年の1・4兆ドル程度と比べてかなり高い水準だ。
株価の長期的均衡値は、企業利益の割引現在値になるはずだ。ごく単純化して、それは企業利益を金利で除した値で表されるとしよう。09年の初めに比べて現在は、企業利益が約1・9倍になり、金利の逆数が約1・5倍になった。だから、企業利益の割引現在値は2・8倍になるはずだ。他方、この間の株価上昇率は、2・4倍だ。これで見る限り、株価は企業利益の増加を反映した正常なものと考えることができる(なお、利益の見込みには不確実性があるので、リスクプレミアム分だけ高い割引率を用いる必要がある。しかし、ここで問題としているのは変化率なので、近似的には右のような扱いが許される)。
いまひとつ注目すべきは、ハイテク企業が多いナスダック市場の株価も上昇していることだ。アメリカでは、市場が新しい技術を生み出しているのである。
昨年11月のIMFの会合で、米元財務長官のローレンス・サマーズは、アメリカが長期停滞期に入ったと述べた。しかし、アメリカ企業の利益が順調に増加していることを見れば、サマーズの悲観論は当たらないと考えざるを得ない。彼の議論は、技術進歩を考えていない点で、悲観的過ぎる。サマーズに限らず、アメリカ経済(あるいは、資本主義経済一般)に対して悲観的な評価をする人の多くが、技術進歩を無視している。

・日本の企業利益は他力本願で円安頼み
日本でも株価が上昇している。ただし、アメリカのように継続的に上昇してきたわけではない。09年1月ごろに7000円台のボトムを経験した後、09年暮れには1万円台を回復した。しかし、その後はほぼその水準で低迷していた。12年には1万円を割ることも多かった。それが12年終わりごろから急上昇し、13年11月ごろに1万5000円程度になったのである。そして、その後は目立って上昇していない。また、07年の2月、6月ごろに1万8000円程度であったことと比べると低い。
日本における金利低下は、アメリカの場合より顕著だ。10年国債の利回りは、10年4月ごろまでは1・3%程度だったが、11年2月ごろから(13年3月の急低下と5月の急上昇を除いては)傾向的に低下し、最近では0・5~0・6%程度だ。
法人企業統計によって企業の営業利益(金融保険業を除く全産業、1億円以上、原数値)の推移を見ると、09年前半に極めて大きく落ち込んだが回復し、10年からは6兆~8兆円程度となった。しかし、その水準が12年まで続いた。13年1~3月期から増加し、14年1~3月期では9・3兆円だ。
10年の初めに比べると、現在は、企業利益が約1・5倍になり、金利の逆数が約2・2倍になったのだから、企業利益の割引現在値は3・3倍になるはずだ。他方、この間の株価上昇率は、1・5倍だ。これで見る限り、株価はむしろ割安ということになる。
ただし、アメリカとの比較で注意すべきことが3点ある。第1は、日本では、利益も株価も、リーマンショック直後のボトムから回復した後、ほぼ一定値で停滞していたことだ。アメリカの利益や株価がリーマン後継続して増加・上昇してきたのとは違う。
日本で企業利益や株価が低迷したのは、円高だったからである。そして、13年以降の企業利益の増加は、円安という非常に脆弱な基盤の上に立った受動的なものにすぎない。言うまでもなく、為替レートは企業努力で左右できるものではない。その意味で「他力本願」だ。
実は、アベノミクスで円安になったわけでもない。その証拠に、異次元緩和措置が始まる前にすでに円安は進んでいるのである。
「他力本願」だから、条件が変われば利益も変わる。為替レートがいまの水準で一定であれば、企業利益がこれ以上増加することはない(現に、状況はすでにそうなりつつある)。また、何らかの理由で円高になれば、利益は減る。
第2は、リーマンショック前との比較だ。アメリカの株価は、リーマン前のピークを超える。しかし、日本の株価は07年の値に及ばない。つまり、長期的なトレンドとして、アメリカは成長しているが、日本は停滞しているのである。
第3は、グーグルやアップルのような企業が日本にはないことだ。ソニーに典型的に見られるように、これまでのビジネスモデルが行き詰まり、脱出口を見いだせずにいる。
日本の株価も、アメリカの株価に引かれて上がっている。しかし、両国の状況は、このように大きく違うことに注意しなければならない。

・金利が上昇すれば株価は暴落する
以上で述べたことと金融政策との関係について考えよう。
アメリカでも日本でも、金融緩和政策が株高に影響している。ただし、それは、すでに述べたように、金利低下が割引現在値を高めるからである。
しばしば、「緩和政策で大量のマネーが供給され、それが溢れて株式市場に流れ込み、株価を引き上げている」といわれる。しかし、これはまったく事実に反する。なぜなら、マネーの量は目立って増加していないからである。
アメリカで過去1年のM2の伸びは6・6%、日本では3%程度だ。いずれも株価上昇率よりはるかに低い。量的緩和でマネタリーベースは著しく増えたが、市中に供給されるマネーが増えたわけではないのだ。
アメリカでも日本でも、「金融緩和で株価がバブルを起こしている」といわれる。しかし、以上で述べたことから分かるように、バブルを起こしているのは、株価でなく、国債価格(金利)である。金利が低過ぎるのである。日米とも、実質金利がマイナスである状態が続いているが、これは異常な状況であって、長期にわたって継続するものではない。
日米両国とも、企業利益は伸びているものの、増加率は株価上昇率より低い。だから、緩和政策が終了して金利が上がれば、株価は下落するだろう。金融緩和政策から脱却できないのは、このためだ。右の計算で示したように、日本では金利低下率のウエイトがアメリカより大きい。これは、金利上昇で株価が大きく下落する可能性を示している。
13年5月には、アメリカQE3縮小の予測が広まったため、金利が上昇し、日本では株価が暴落した。このときには、影響は一時的なもので済んだ。しかし、本格的な縮小が行われれば、株価暴落は現実の問題となる。それは、アメリカにおいてより日本において深刻な問題となるはずだ。

◆2014.08.02
◆異常な低金利から日本は脱却できるか

FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)が量的緩和政策の縮小を進めている。FOMC(連邦公開市場委員会)は、6月18日に、債券購入額を月350億ドルにする方針を発表した。これで5会合連続で100億ドルずつ縮小した。
前回述べたように、アメリカでは企業利益が増加し、株価が史上最高値を記録した。実体経済を見ても、失業率はすでに6・1%まで低下した。また5月の消費者物価指数は、食品とエネルギーを除いた前年比ベースで2・0%上昇した。こうした状況では緩和を続ける理由を見いだし難い。放置すれば、経済が過熱状態になる懸念がある。また、後に述べるように、金融緩和が世界的投機を引き起こしたことを考えると、金融政策を正常化させる必要性は高い。
縮小のタイミングと内容については、不確実な部分も残っている。ただし、資産買い入れをこれまでのペースで減少させてゆけば、遅くとも年末には終了する。
次の段階は、利上げと資産売却だ。FOMC参加者による2015年末の政策金利予想の中央値は、上昇している。これを考慮すると、政策金利の引き上げは、市場の想定(15年後半)よりも前倒しされる可能性がある。
ただし、FRB議長のジャネット・イエレンは、住宅ローン担保証券(MBS)売却の公算は小さいと表明している。従って、仮に利上げしても、FRBの資産規模は維持されたままの可能性が高く、調整はかなりゆっくりしたものとなるだろう。
そうではあっても、リーマンショック直後から続いてきた世界的金融緩和と、それによる異常ともいえる低金利の時代は終了し、正常化に向かって歩きだすことになる可能性が高い。そして、このことは、世界経済に大きな影響を与える。

・米国の量的緩和で投機が世界化した
前回も述べたように、アメリカの量的緩和政策の効果は、マネーストックを増加させたことではない。「市場にマネーが大量に供給された」ということはない。マネーストックの増加率は、過去の値に比べて、さして上昇していない(この点は、日本でもまったく同じである)。その効果は、金利を押し下げたことだ。
このメカニズムは、経済学の教科書が解説する金融緩和のメカニズム(マネーストックの増加によって、マネーに対する需給が緩和し、そのために金利が低下する)とは異なるものだ。
その国内的な影響は、実体経済というよりは資産価格、特に株価に与えた影響が大きかった。従って、縮小に当たっては、株価に急激なショックを与えないように進める必要がある。これを行い得るか否かが、イエレンの手腕ということになる。緩和一本やりで進んだベン・バーナンキの場合より難しい政策運営だ。
アメリカ量的緩和策のいま一つの効果は、アメリカ国内の金利が低下したため、投資資金(その多くは投機資金)の海外流出をもたらしたことである。すなわち、アメリカで低い金利で資金を調達し、海外の利回りの高い(多くの場合にリスクも高い)対象に投資する資金の流れをつくりだした。
これは、10年11月から行われたQE2の場合に、特に顕著に見られた。投資資金は、ギリシャ国債をはじめとする南欧国債、そして他の新興国に向かったと考えられる。
投機資金の動きは不安定で、小さなきっかけでも流出する。南欧国債からの資金流出による利回りの高騰が、ユーロ危機だ。そして、今年の1月には、アルゼンチンやトルコからの資金流出が起こり、通貨が急落した。これらの新興国に流れ込んでいた資金が、アメリカの金利上昇を見込んでアメリカに逆流しているのだ。
中国、ブラジル、インド、インドネシア、タイ、トルコ、ロシア、南アフリカ共和国で、株価が下落した。ここから流出した資金は、アメリカに流入してドル高を引き起こす。
なお、10年から12年夏ごろまで続いた南欧諸国からの資金流出は、12年9月のECB(ヨーロッパ中央銀行)による南欧国債の無制限購入の決定を受けて縮小した。アメリカが金融緩和を終了した場合、再び流出に転じる可能性は考えられなくはない。
新興国の経済混乱は、日本には貿易を通じて影響が及ぶだろう。これまでも、円安が進行したにもかかわらず、日本からの輸出が増加しなかった。その状態が続くか、あるいはより顕著になるだろう。

・米緩和終了で日本の金利も上昇せざるを得ない
QE3終了の影響は、アメリカ国内というよりむしろ海外で大きく感じられるだろう。タイミングや規模についてはほとんど予測できないが、方向性については見当が付く。
日本が受ける影響は、円安と金利上昇だ。アメリカの金利が上昇したとき、日本が緩和終了に動かなければ(多分、動かないだろう)、日米金利差が拡大する。従って、日本から資金が流出する。その結果、日本では、円安と金利上昇が生じる。どちらも生じるだろうが、どちらが強く働くだろうか。
教科書では円安になるとされる。それによって貿易黒字が拡大し、これが総需要を増大させて金利を上昇させるとされる。
しかし、ここ数年そうであったように、実際には貿易赤字は解消せず、物価が上昇するだろう。また、金利上昇は、総需要増大の結果としてではなく、国際間の裁定取引を通じて直接起こるだろう。
名目金利がかなり上がる可能性は、否定できない。すると日本でも資産価格が下落するだろう。影響はアメリカより日本の方が大きい可能性がある。なお、ユーロの反応を考えると、事態はもっと複雑になる可能性もある。
13年5月には、円レートはほとんど動かず、金利が上昇した。そして、株価が下落した。このときの反応がさらに大きく生じる可能性がある。
金利上昇は、国債の利払い費を増加させる。これらについては、すでにこの連載で何度か論じた。問題は、日本の経済構造(特に財政構造)が「低い金利」という条件に適合してしまったことだ。それから脱却を強いられると、極めて大きな調整が必要とされる。「異常な低金利時代からの決別」という課題を考えると、最も準備ができておらず、最も大きな摩擦が生じるのが日本なのである。
これに対応するため、日本銀行が国債購入をさらに拡大することも考えられなくはない。しかし、国債購入が順調に進む保証はない。しかも、金利が低下すれば、金利差がさらに開いてしまい、円キャリー取引が生じる可能性もある。
現実のデータを見ると、前記FOMC決定後に、アメリカ10年債利回りは再び2・6%を割り込んだ(その後2・6%を超えたが、再び下落)。それに呼応して、ドル円レートも102円台から101円台へと、円高に動いた。
このように、実際には右に述べたのとは逆の動きが生じている。金融市場では、将来生じることを市場が予測して市場価格に織り込むという現象が生じる。このため、実際に生じたことが予想と異なると、市場価格は再調整する。例えば、緩和政策の縮小が予想より緩やかであれば、縮小が進められているにもかかわらず金利が下落し、円高が進むことがあり得る。このように、現実のデータと対応付けるのは難しい。

◆2014.08.16
◆スタグフレーションに突入しつつある日本

政府は、経済財政諮問会議で、2014年度の実質GDP成長率を0・2ポイント引き下げ、1・2%に修正した。日本銀行も、7月の金融政策決定会合で、14年度の実質経済成長率の見通しを0・1ポイント引き下げ、1・0%とした。
これらに先立ち、7月の月例経済報告は、基調判断を引き上げた。個人消費の落ち込みが和らいだからだという。しかし、以下に述べるような経済の実態を考えると、判断引き上げは信じられないことだ。
消費の落ち込みが和らいだのは、幾つかの統計で確かめられる。しかし、消費の大部分は、消費税の税率引き上げによってはあまり影響されない。駆け込みといっても、それほど大量には買い置きできない。だから、消費一般が早期に持ち直すのは当然のことだ。
消費税の影響があるのは、消費一般ではなく、住宅と耐久消費財である。住宅着工統計によれば、5月の新設住宅(持ち家)着工戸数の前年同月比は、22・9%の減となった。これは極めて大きな落ち込みだ。
他の耐久消費財にも、短期的には収束しない影響が見られる。日本自動車工業会の国内需要見通し(14年3月)によれば、14年度の四輪車総需要は、対前年度比15・6%減となる。
さらに、あまり注目されていないが重要なのは、公共投資の伸びがマイナスになることだ。政府の経済見通しによれば、14年度の実質公的固定資本形成は、対前年度比マイナス2・3%となる。
13年度の実質経済成長率は2・3%であり、11年度や12年度に比べるとかなり高かったのだが、それは、民間住宅投資(実質伸び率9・5%、寄与率0・3%)と公的固定資本形成(実質伸び率15・1%、寄与率0・7%)の伸び率が高かったからである。
ところが、右に見たように、14年度においては、どちらの伸び率もマイナスに転じる。このことの影響は非常に大きい。
さらに問題は、設備投資だ。機械受注統計調査報告によると、「船舶・電力を除く民需」の対前月比は、5月には19・5%減となった(4月は9・1%減)。前年同月比は14・3%減だ。これは、リーマンショック時よりも大幅な減少だ。この値は民間設備投資の先行指標と考えられているので、今後の設備投資が大きく落ち込むことを示唆している。これは、駆け込み需要の反動と考えられる。
設備投資についてまで駆け込み需要の反動が発生したのは、驚きである。これは、明らかに「想定外」だ。なぜなら、設備投資資材購入額に含まれる消費税は、消費税の計算上税額控除できるので、消費税率の引き上げは設備投資に影響しないと考えられていたからである。しかし、本連載でもすでに指摘したように、簡易課税の影響を考えると、影響があり得る。
設備投資は1~3月期に非常に高い伸びを示した(実質季節調整値が対前期比伸び率で、実に34・2%になった)。これは、駆け込み需要であった可能性が高い。そしていま機械受注が大きく減少している。
設備投資の動向は見極め難いが、13年度に設備投資が増加したのは、不動産業や建設業である。これは、住宅の駆け込み需要に支えられたものだ。住宅投資が大きく落ち込むことを考えれば、設備投資の低迷も今後長引く可能性が強い。

・輸出が前年比マイナスに 円安効果が剥落しつつある
輸出について、注目すべき現象が生じている。それは、輸出額の対前年伸び率が15カ月ぶりにマイナスになったことだ(貿易統計の確報値で、5月はマイナス2・7%)。
これまでの日本の輸出動向を大まかにいえば、数量指数が不変ないし減だが、円安の影響で価格指数が前年比10%を超える伸びを示し、結果として輸出額が10%を超える伸びになった。5月の輸出数量は、対前年比3・4%減だった。この点で大きな変化があったわけではない。5月に輸出額が対前年比マイナスになったのは、円安の効果がなくなったからだ。価格指数の対前年比の伸びはほとんどゼロだった(為替レートは対前年比2・9%の円安)。
これまで円安が進行したにもかかわらず輸出数量が増加しなかったのは、日本の輸出企業が、現地通貨建て輸出価格をほとんど引き下げなかったからである。このため、日本の輸出の価格競争力が高まることはなかったのだ(13年度の実質輸出の伸びは4・7%と比較的高かった。しかし、これは、11年度、12年度の落ち込みから回復したことの影響が大きい。事実、13年度の実質輸出額は、円高期であった10年度から1・8%増加したにすぎない)。
しかし、現地通貨建て価格をほぼ不変に保っているので、円建ての輸出額はほぼ為替レートに比例して増加する。これが輸出企業の利益を増加させたのである。
ところが、右に述べたように、円安による輸出額増大効果は、もはや働かなくなった。これは利益増大効果も剥落することを意味する。株価もそれに従った動きになるだろう。
また、これまで消費者物価指数を引き上げてきた主要な原因は円安である。現在程度の為替レートが続けば、消費者物価を押し上げる効果も剥落する。従って、消費者物価の対前年増加率は、消費税の影響を除けば、今後は低下していく可能性が高い。少なくとも、これまでのような急激な上昇はなくなるだろう。

・円安で急速に貧しくなった日本
円安が日本に与えた影響を最も端的に示しているのは、1人当たりGDPの国際比較だ。IMFのデータによると、14年において、日本の値はアイルランドの79・8%、アメリカの69・4%しかない。
こうなった大きな理由は、円安が進んだことだ。事実、11年には、日本はアイルランドの93・4%、アメリカの92・7%あった。世界の中で、日本は急速に貧しくなったのである。
「これは、為替レートの変化による計算上の変化にすぎない」という人がいるかもしれない。しかし、そうではない。円安になれば海外から買うものの価格が上がり、これまでのようには買えなくなる。また、海外に旅行すれば、これまでのような高いホテルには泊まれなくなる。右の数字は、現実の生活水準の変化を表している。
5月の家計調査によれば、世帯当たり実質消費は前年同月比で8・0%の減少となった。勤労者世帯の実収入の前年同月比は、名目0・4%の減少、実質4・6%の減少だ。これには消費税増税の効果も含まれているが、円安で物価が上昇したことの影響が大きい。
電気料金の上昇は、原子力発電から火力への移行の影響もあるが、大半は円安によるものだ。これは、消費者物価指数(全国)の「電気代」の推移を見ると分かる。すなわち、大震災前の11年1月を基準とすると、円安が始まる前の12年8月までの間に10・4%上昇した。これは、火力発電シフトにより燃料輸入が増加したことの効果だ。しかし、14年5月までの期間では、29・8%上昇している。12年8月以降、燃料輸入量が格別増加したわけではないので、この時点以降の電気料金の上昇は、円安による輸入額増加が電気料金に転嫁されたことの結果だ。
「デフレ脱却」ということの実態は、こうしたことなのである。つまり、経済活動が活発化するのでなく、所得や消費が減少しているのだ。日本はスタグフレーションに突入しつつある。

◆2014.08.23
◆英米経済成長の原因は製造業の復活ではない

2014年第2四半期のイギリスの実質GDPは、リーマンショック前のピークであった08年第1四半期の水準を0・2%上回った。アメリカの実質GDPは、11年にリーマン前のピークを上回っている。こうした英米経済の復活について、製造業の回帰が原因だとする報道が見られる。以下では、この説明は事実とまったく違うことを指摘したい。
まずイギリスについて実質総付加価値の動向を見よう。ピークは07年であった。13年の値をこれと比べると、経済全体では1・8%ほど低い。
産業別に見ると、製造業は9・6%低い。つまり、製造業はリーマン前のピークを取り戻しておらず、経済全体の中でのシェアは低下しているわけだ。
成長したのはサービス業である。07年のピークから13年にかけて1・5%増加している。ただし、流通、飲食、宿泊などの伝統的なサービス業は減少している。顕著に増加したのは、通信(15・6%増)、IT等の情報サービス(11・1%増)、不動産(9・2%増)、専門的サービス(10・0%増)などだ。
規模で見ても、サービス業は製造業よりはるかに大きい。13年の製造業の付加価値1372億ポンドに対して、サービス業は1兆0818億ポンドである。そのうちの「専門的サービス」だけで1781億ポンドであり、製造業より大きい。製造業は、イギリス経済の中での主導的な地位を失ってから久しいし、今後も経済を主導するような地位に復活するとは考えられない。
なお、サービス業の中に含まれる「ファイナンス・保険」の13年の水準は、07年に比べて10・5%ほど低くなっている。ただし、その規模は1226億ポンドであり、製造業とあまり変わらない。ファイナンスに過度に依存するというリーマン前の構造からは変わりつつあるとはいえ、ファイナンスが依然としてイギリスの中心産業であることに変わりはない。
イギリス経済の長期的な動向は、製造業と専門的サービスの実質付加価値の比率を比較すると、よく分かる。製造業を1とした場合、専門的サービスは、1990年には0・46でしかなかった。しかし、90年代の末に0・6を超えた後急速かつ傾向的に上昇し、07年に1を超えた。その後、リーマンショックによって上昇の度合いが鈍化したが、この数年間で再び急速に上昇し、13年に1・3になったのである。ここ数年のイギリス経済の復活を主導しているのは、この部門である。

・アメリカでも高度なサービス業が成長
アメリカの場合、リーマン前の実質GDPのピークは、07年第4四半期だった。リーマンショックで落ち込んだが、11年第2四半期には、リーマン前のピーク値を超えた。14年第1四半期では、ピーク値より5・5%ほど高くなっている。
以下では、産業別の付加価値を見よう。実質値のデータがないので、名目値で見ることとする。なお、以下で「増加率」とは、08年第3四半期に対する14年第1四半期の比率を指す。
名目GDPのリーマン前のピークは、08年第3四半期だった。リーマンショックで落ち込んだがその後順調に回復し、10年第2四半期にはリーマン前のピークを取り戻した。14年第1四半期には、これより14・6%も高くなった。
製造業が伸びているのは事実である。増加率は13・9%だ。しかし、この率は経済全体の増加率より低い。つまり、製造業の比重は下がっているわけだ。しかも、自動車産業などの伝統的な製造業が含まれる「耐久財製造業」の増加率は10・6%と、かなり低い。
他方で、サービス業は高い増加率を示している。「ファイナンス・保険」の増加率は25・0%だ。また、不動産の増加率が16・4%であり、「専門的ビジネスサービス」の増加率が15・2%だ。その中に含まれる「マネジメントサービス」は、24・6%の増加率となっている。14年第1四半期において、「ファイナンス・保険」と「専門的ビジネスサービス」の付加価値の合計は、製造業の付加価値の約1・5倍となっている。なお、この値は、リーマン前からほぼ一定で、あまり変わっていない。12年ごろからは、緩やかな上昇を示している。
リーマン前からアメリカ経済をけん引しているのは、金融やマネジメントサービスなど高度なサービス業だ。自動車や電機などの古いタイプの製造業が復活しているわけではない。シェールオイル革命で製造業がアメリカに回帰しているという見方がある。しかし、成長しているのは、エネルギーコストが問題になるような産業ではない。
イギリスについては、法人税率の引き下げで製造業が回帰し、その結果経済が成長しているといわれる。しかし、すでに見たように、製造業が成長をけん引しているのではない。
こうした報道がなされるのは、日本で製造業を復活させるため、原子力発電所を再稼働して電力コストを下げたり、法人税率を引き下げたりすることを正当化する理由として使いたいからだろう。しかし、実態は右に述べたように、まったく異なるものなのだ。

・日本で必要なのも高度なサービス業
日本の実質GDPを季節調整値で見ると、リーマン前のピークは08年1~3月期で、年率530兆円であった。これを超えたのは14年1~3月期であり、1・2%ほど高くなった。このように、実質GDPの推移は、ほぼイギリスと同じだ。
ただし、その構造はイギリスと違う。それを見るために産業別付加価値を見よう(このデータは暦年で12年までしかない)。
暦年で見ると、実質GDPのピークは07年であった。これを1とした指数で見ると、12年の数字は、経済全体では0・968である。
産業別に見ると、製造業は0・962である。従って、全体の中のウエイトはほぼ不変だ。金融保険業は0・826であり、ウエイトは低下している。日本のGDP統計には「専門的サービス」という分類項目がないのだが、製造業と比較し得るほどには成長していないのは明らかだ。
つまり、日本の問題は、英米の場合の高度なサービス業に相当するものがないことだ。また、製造業でも、アメリカのコンピュータ産業に相当するものがない。
この結果は、1人当たりGDPに表れている。前回述べたように、日本は世界の中で急速に貧しくなっているのだが、それはイギリスとの比較でもいえる。
01年においては、日本の1人当たりGDPは、イギリスのそれより3割程度高かった。しかし、その差は急速に縮まり、04年にイギリスの値の方が高くなった。07年には、日本はイギリスの72・6%まで低下した。しかし、リーマンショックで逆転し、日本の方が高くなった。
ところが13年から再びイギリスが高くなり、14年におけるIMFの予測値は、日本がイギリスの87%である。「日英共にリーマン前に戻る」とは、「イギリスが日本よりはるかに豊かだった時代に戻る」ということなのだ。
IMFの予測では、この傾向は将来も続き、19年には日本はイギリスの81・3%まで低下する。
先進国が高度なサービス業を中心に成長するというリーマン前の構造が復活する中で、日本は立ち遅れている。政府の成長戦略に見られる製造業復活路線を捨て、サービス業の生産性を高めることが急務である。

◆2014.08.30
◆自然利子率の低下は米国より日本で問題

アメリカの元財務長官ローレンス・サマーズが述べた長期停滞論が論議を呼んでいる。彼は、リーマンショック後のアメリカ経済の成長率が2007年ごろに想定されていた成長路線よりかなり低くなっていることを重視し、自然利子率が低下しているとの仮説を提示している。そして、従来行われていた自然利子率推定作業を最近まで引き延ばすと、10年ごろ以降の自然利子率はマイナスになっているとの結果を示した。
自然利子率は古くから議論されてきた概念であるが、1960年代にエドムンド・フェルプスなどによって精緻化された。その理論では、長期的な定常成長において1人当たり消費を最大化する利子率が自然利子率だ。一定の仮定の下で、自然利子率は潜在成長率に等しいこと、価格が伸縮的なら現実の利子率の長期均衡値であることなどを示すことができる。
自然利子率がマイナスになった理由としてサマーズが挙げるのは、(1)企業部門での負債性資金調達ニーズの減少、設備投資ニーズの減少。(2)労働力成長率の低下などだ。
彼の見解が論議を呼んだのは、自然利子率の低下は、金融政策の有効性に関して重要な含意があるからだ。金融政策は、現実の利子率が自然利子率に等しくなるように運営されるべきだ。これを明示的に示す「テイラールール」によれば、現実のインフレ率が望ましいインフレ率に等しく、かつ現実のGDPが潜在GDPに等しい場合には、実質金利が自然利子率に等しくなるようにする。そして、インフレ率やGDPが目的値から乖離すれば、それに従って名目金利を調整する。
しかし、自然利子率がマイナスの場合には、問題が生じる。インフレ率が低い場合には名目利子率をマイナスにすることが必要になるが、これは困難だからだ(絶対に不可能というわけではない。事実、欧州中央銀行は14年6月にマイナス金利を導入した。しかし、こうした状況を長期間継続するのは難しい)。従って、現実の利子率は自然利子率より高くなる。他方で、金利低下は資産価格の上昇を招く。従って、金融緩和政策は、実体経済活性化という目的を達成することはできず、資産価格のバブルをもたらすだけの結果になる。
そこでサマーズは、公共投資によるインフラ整備などによって経済活性化を図るべきだとする。この考えは、格別目新しいものではない。実際、「金利が非常に低い水準に落ち込んでしまうと、金融政策は効かなくなる。だから、財政支出を増やす必要がある」とするケインズの主張は、基本的にはこれと同じだ。

・自然利子率としては幾つもの値があり得る
ところで、自然利子率については、幾つか注意すべき点がある。
第1に、自然利子率は最適化問題の解だから、現実に存在する値ではない。一定のモデルに従って推定するほかはない。モデルの定式化や用いるデータによって、結論は異なる。サマーズも、自然利子率がマイナスになっていることを厳密に実証しているわけではない。イールドカーブの分析から、自然利子率はマイナスになっていないとの実証分析もある。また、リーマンショック以降の経済成長率の鈍化は、政策の誤りによるとの意見もある。
第2の、より本質的な問題は、概念的にも自然利子率には幾つかの値があり得ることだ。自然利子率は「あるべき水準」だから、目的関数の設定によって解は異なる。ある設定では、自然利子率は技術進歩率の意味での潜在成長率に等しい。この場合には、労働人口の成長率は自然利子率に影響しない。しかし、別の設定では、自然利子率は経済全体の潜在成長率に等しい。この場合には、労働人口の成長率が低下すれば自然利子率は低下する。
第3に、実質利子率がマイナスである状態は、通常の経済成長理論では、仮定によって排除されている。このような経済は異常な経済であり、想像し難いものだ。従って、マイナスの自然利子率を主張するなら、そうした状態が正当化されるような経済モデルを示す必要がある。

・自己資本利益率は米では一定、日本で低下
自然利子率について右のような問題があるのは事実だが、その低下がより深刻な問題になっているのは、日本である可能性が高い。それを見るため、日米の資本収益率を比較することとしよう。ここで見るのは現実の値であるから、「あるべき水準」である自然利子率とは異なる。しかし、日米経済がいかに異なるかの手掛かりをつかむことはできる。なお、資本収益率として、本来はROA(総資本利益率)を用いるべきだが、アメリカについて長期データが得られないので、ここではROE(自己資本利益率)を用いる(ROAとは異なり、ROEは借入比率を高めれば高まる)。
アメリカ商務省のQuarterly Financial Reportによると、90年代後半に平均して20%を超える水準であったアメリカ製造業のROEは、ITバブル崩壊で一時的に落ち込んだが回復し、04年以降は20%を超えるまでになった。リーマンショックで再び落ち込んだが、再び回復し、最近では20%程度の水準になっている(94~2000年平均は22・0%、03~08年平均は18・8%、10~14年平均は19・0%)。このように、長期的低下傾向は見られない。
それに対して、日本の製造業の自己資本経常利益率は、長期にわたって、大幅に低下している。法人企業統計の年度データでは、60年代には20%を超える水準であった。60年代後半から70年代前半にかけては、30%を超える場合もあった(66年から76年までの平均は25・1%)。しかしその後低下し、80年代の平均は18・9%になった。90年代になってさらに大きく低下し、90年代の平均は9・8%になった。2000年代の平均は9・5%であり、12年度は8・7%だ。このように、問題は、アメリカよりむしろ日本なのだ。
13年以降、利益率は上昇した(総資本経常利益率は、10年1~3月期から12年10~12月期までの平均では3・7%だが、13年1~3月期から14年1~3月期までの平均は5・4%)。しかし、これは、円安で円表示売上高が膨らんだためだ。また、人口高齢化による労働人口の減少も顕著だ。アメリカの人口成長率が低下しているのは事実だが、依然としてプラスである。これに対して、日本の労働人口増加率はすでにマイナスになっている。
従って、金融緩和が効かないのは日本だということになる。13年春から異次元金融緩和措置が行われているにもかかわらず、実体経済に影響が及ばない基本的な理由がここにある。
他方で、資産価格上昇は、国債バブルという形で現実化している。国債の価格が高くなり過ぎ、利回りが低くなり過ぎているのだ。しかも、財政赤字はすでに巨額なので、公共投資を増やして経済活性化を図るのは難しい。財政赤字をさらに拡大すれば、財政に対する信頼が失われ、金利が暴騰する可能性がある。
こうした状況下で必要とされるのは、経済構造の改革を進め、生産性の高い新しい産業の成長を実現することだ。ここでは、新しい技術に期待すべきだ。さらに、労働人口の減少に対処するため、移民を積極的に受け入れるべきだ。経済政策をマクロ経済政策に限定せず、範囲を広げることが必要である。

◆2014.09.06
◆長引く停滞の可能性を示すGDPの予想外の落ち込み

2014年4~6月期の実質GDPの対前期比は、1・7%減(年率6・8%減)となった。
財貨サービス純輸出の伸びがプラス1・1%となったため、GDPの落ち込みが緩和されている。ただし、純輸出のプラスの伸びは、輸出が増えたためでなく、消費が増えないので輸入が減ったためだ。
国内民間需要だけを見ると、年率▲13・9%という大幅な減少だ。民需は13年1~3月期にピークに達したが、その後減少し、14年1~3月期に駆け込みで年率9・9%増となっていた。
日本経済の状態を捉えるには、伸び率だけでなく水準を見る必要がある。そこで、実質GDP(季節調整系列、年率)の実額を見ると、14年4~6月期は525・8兆円であり、13年4~6月期とほとんど同額だ。「アベノミクスの効果で経済が成長した」と言われているのだが、1年前とほとんど同じレベルにまで戻ってしまったわけだ。
14年1~3月期と4~6月期の平均を取ると、530・5兆円だ。これは、13年4~6月期から10~12月期までの平均526・8兆円より多いから、「駆け込みとその反動をならして見れば、GDPは増加している」といえなくもない。
しかし、国内民需だけについて見ると、かなり違う姿になる。すなわち、14年4~6月期は390・3兆円であり、13年4~6月期の391・6兆円より少ないのである。14年1~3月期と4~6月期の平均を取ると397・7兆円だ。これは、13年4~6月期から10~12月期までの平均393・6兆円より多いものの、1%ほど多いにすぎない。つまり誤差の範囲だ。だから、「民需が増加している」といえない。13年の経済成長率が高くなったのは、官需(公共事業)が伸びたからである。
なお、もう少し広い期間での比較を行うために、13年4~6月期から14年4~6月期までの実質GDPの平均を取ると、528・3兆円だ。これは、円高期であった10年7~9月期の517・9兆円や12年1~3月期の521・7兆円をわずかに上回っているにすぎない。
「日本経済は円高によって低迷を余儀なくされた」と言われることが多いのだがそんなことはない。
そして、直近1年間の実質GDPの平均は、リーマンショック前のピーク(08年1~3月期の529・8兆円)には達していない。つまり、アベノミクスの効果が喧伝されたにもかかわらず、日本経済はいまだにリーマン前の状態を取り戻していないのだ。

・住宅投資の調整は2年以上続く可能性も
問題は、14年4~6月期の落ち込みが、消費税増税前の駆け込み需要の短期的な反動なのかどうかだ。つまり、数カ月たてば元に戻るかどうかだ。
駆け込みの反動が大きな要因であることは事実だ。しかし、それだけでは説明できない動きがある。
とりわけ住宅について、この問題が深刻だ。14年4~6月期は、対前期比10・3%の減(年率35・3%の減)である。駆け込み需要によって、かなりの需要を先食いしたことの反動だ。先食い需要の大きさを、次のように評価してみよう。
実質民間住宅投資は、10年1~3月期から12年1~3月期までの期間には安定的で、四半期当たり平均で3・16兆円(=a)であった(ここで用いる計数は、季節調整前原系列)。
ところが、12年7~9月期ごろから、安定的な趨勢から乖離する増加が始まった。これは、消費税増税に対応する駆け込み需要と考えられる。そして、12年4~6月期から14年1~3月期にかけての四半期平均は3・57兆円(=b)となった。aとbの差は、0・41兆円だ。
これが8四半期続いたのだから、安定値からの乖離の合計は、この8倍、つまり3・30兆円だ。これが需要先食いの総額と考えられる。これは、安定期の投資額の1四半期分を超える。
これを調整するには、投資額が安定期の投資額の1割(0・32兆円)だけ減って2・84兆円(=c)となった状態が10・4四半期続く必要がある。cは、bの79・6%だ。つまり、12年4~6月期から14年1~3月期までの期間の平均の8割程度の水準が2年半続く必要がある。
このように、住宅投資の低迷は長期にわたって続かざるを得ない。なお14年4~6月期の実際の値(3・28兆円)は、調整に必要とされる額cより15・6%も多い。これは、住宅投資の本格的な調整がまだ始まっていないことを示すものだ。
以上の議論は、「10年1~3月期から12年1~3月期までの間の値が長期均衡値」との仮定に基づく。言うまでもなく、長期均衡値の評価いかんで結果は異なる。しかしここで仮定したようになる蓋然性は大きい。
それどころではない。日本の若年人口がすでに減少過程に入っていることを考慮すれば、ここで置いた仮定さえ、過大評価かもしれない。住宅投資の本当の長期均衡値は、それより少ない可能性は大きい。
なお、14年4~6月期には、実質民間企業設備(設備投資)の伸びも、▲2・5%と大きく落ち込んだ。
以上の状況を反映して、生産活動も縮小している。6月の鉱工業生産指数(10年=100、季節調整済み、8月12日確報)は、2カ月ぶりに低下し、5月より3・4%低い96・6となった。
注目すべきは、鉱工業生産指数の低下は、いま始まったものではないことだ。14年1月に103・9のピークになり、それ以降はほぼ継続的に低下しているのである。6月の値は、ピークに比べると7・0%も低い。そして、13年4月ごろの水準に戻っている。
中期的な推移を見ると、リーマンショックで大きく落ち込んだが、10年初めに100程度の水準まで回復した。東日本大震災で90を割り込んだが回復し、95~100程度の範囲にあった。それが13年12月ごろから上昇したのである。しかし、いまになって振り返ってみれば、これは、公共事業の増加や住宅投資の駆け込み需要などを反映したものにすぎなかった可能性が高い。そうした一時的な状況が終了し、元のトレンドに戻ったと考えることができる。

・実質所得の減少で実質消費が減少
家計最終消費支出は、14年1~3月期が2・1%増だったが、4~6月期は▲5・2%となった。実額で見ると、4~6月期の297・6億円は、前年同期より2・7%も低く、11年7~9月期ごろの水準とほぼ同じである。つまり、消費支出は、「駆け込み需要の反動」というだけではとても理解できないほどの大きな落ち込みを示しているのである。4~6月期に、駆け込み需要の影響が少ないはずのサービスや食料の消費が減っていることも、それを示している。
これは、実質所得が減っていることの影響だ。家計調査によれば、勤労者世帯の実質実収入の前年同月比は、14年4月▲7・1%、5月▲4・6%、6月▲6・6%となっており、2人以上の世帯の消費支出の前年同月比は、4月▲4・6%、5月▲8・0%、6月▲3・0%となっている。
今後のGDPはどう推移するだろうか。プラス成長になることはあっても、昨年のような上昇はもうないだろう。なぜなら、13年のGDP成長をけん引したのは、公共事業と住宅であり、それがなくなったからだ。政府の経済見通し(実質1・2%)はとても達成できないだろう。

◆2014.09.13
◆異常に低い長期金利は過度の金融緩和による

先進諸国で長期金利が著しく低下している。10年国債の利回りがアメリカでは2・5%を割り込んでおり、ドイツでは1%割れになった。
金利低下は、日本で特に顕著だ。10年国債の利回りは、2010年から12年初めには1%から1・5%程度の間にあったが、13年6月以降ほぼ傾向的に低下し、最近では0・5%を割り込むまでになった。
これほどの金利低下が何を意味するのか、それに対して何をなすべきかについて、さまざまな議論が行われている。この現象の解釈としては、次の三つのものがあり得る。
第1は、自然利子率の意味での実質金利が低下し、場合によってはマイナスになっているという解釈だ。自然利子率については、この連載ですでに述べた。ある条件の下では潜在的な実質成長率に等しい。従って、この解釈は、経済の潜在成長率が低下しているとの議論だ。サマーズの長期停滞論がその典型である。
第2は、金融緩和が長期化しているため、イールドカーブがフラット化し、長期金利が低下しているとの考えだ。これは、「時間軸効果」と呼ばれるものだ。
第3は、金融緩和が過度に行われているため、国債市場がバブルを起こしており、その結果、国債価格が高くなり過ぎている(金利が低くなり過ぎている)との解釈だ。
これらのどれを取るかで、金融政策に対する評価は異なるものとなる。第1の解釈を取る場合には、「金融政策は金利をできるだけ低くするよう運営されるべきだ」との結論になる。場合によっては、マイナス金利も正当化されるだろう。なぜなら、金融政策に関する「テイラー・ルール」によれば、実際の金利が自然利子率から乖離しないように金融政策が行われるべきだからだ(ただし、自然利子率がマイナスになっていれば、いくら緩和しても不十分ということになる)。なお現在、日本銀行の当座預金には付利がなされているが、この考えによれば、それは撤廃すべきだということになるだろう。
第3の解釈を取る場合には、不自然な金利抑制はやめるべきだとの結論になる。現在の金利が低いのはバブルであり、異常な状態であり、長続きするものではない。何らかの外的ショックによってバブルが崩壊すれば、金利が暴騰する危険がある。それによって経済にさまざまな問題が起きる。だから、緩和から徐々に脱却すべきだとのことになる。

・マイナスの実質金利は均衡であり得ない
自然利子率の測定は容易でなく、また、前提とするモデルによって結論そのものが異なるものになる。従って、上記のどれが正しいかを判断するのは難しい。
もっとも、上記の第1、第2の要因が日本で働いていることは否定できない。特に、日本で資本収益率が低下していることを考えると、日本で自然利子率が低下していることは大いにあり得る。ただし、これは中長期的な観点からのものである。
また、日本の金利低下は長期債だけの現象ではないから、時間軸効果だけでは説明できない面がある(2年国債の利回りは、13年5~6月には0・13~0・14%程度の水準だったが、最近では0・06~0・07%程度に落ち込んでいる。なお、アメリカの2年国債の利回りは最近上昇気味だ)。
こうした日本の状況を見れば、上記第3の可能性は排除できない。
そう考えられる大きな理由は、実質金利がマイナスになっていることである。消費者物価指数の伸び率が高まったため、「名目金利-消費者物価上昇率」として計算される実質金利は、マイナスになった(なお、実質金利がマイナスになっているのは、アメリカでも同じだ)。
しかし、マイナスの金利が長期的に続くとは考えにくいのである。この問題を考えるとき、名目金利と実質金利、そして預金金利と貸付金利を区別する必要がある。
名目マイナス金利は技術的に難しいが、預金金利ではあり得なくはない。
実際、欧州中央銀行(ECB)が今年の6月に導入した。これは、民間銀行が中央銀行に預ける預金の金利をマイナスにするものだ。こうすれば、銀行の資金は貸し出しに向かうとの思惑による。
こうした預金を提供することは可能だ。預金者がいるかどうかが問題だが、他の資産がどれもリスキーなら、保管料の意味で金利を払うことはあり得る。
しかし、貸出金利もマイナスになる(貸出者が借入者に金利を払う)状態は考えにくい。こうした貸し出しを提供する金融機関は存在しないだろう。
他方、「名目金利-期待物価上昇率」として計算される実質金利が結果的にマイナスになってしまうことはあり得る。事実、上記のように、日本でもアメリカでもそうなっている。
しかし、こうした状況が長期安定的に均衡となることは考えにくい。なぜなら、この状態は裁定取引を許すものだからだ。
いま預金金利と貸出金利は等しいとしよう。すると、借り入れで調達した資金でモノを買い、1年たって売却すれば、元利を返済して後、利益を上げることができる。このような裁定取引によって借り入れが増え、金利が上がる。そして、実質金利がマイナスの状態は解消されるのである。

・国債価格がバブルを起こしている可能性が高い
国債市場がバブルを起こしていると考えられる理由は、これ以外にも幾つか指摘できる。
第1に、日本の財政赤字が巨額であることを考えれば、日本国債のリスクは高いはずだ。そして、米独国債の方がリスクは低いはずだ。しかし、実際には日本国債の利回りの方が低くなっている。これは不自然な状態だと考えざるを得ない。
第2の理由は、メガバンクを中心として、銀行が保有国債の残存期間を短期化していることだ。これは、現在の低金利(国債高価格)が長期均衡値ではなく、バブルによる異常値だとの判断に基づくと考えられる。残存期間を短くしておけば、国債価格下落による損失を軽減できるからだ。
第3は、異次元金融緩和以降の日銀の国債購入が、異常ともいえる巨額さだからだ。このため、国債市場が品薄になっている。
しかも、この状態は今後もしばらくは続くことになっている。こうした状況では、金利が将来さらに低下する(国債価格がさらに上昇する)との見通しが形成される。そのため、銀行は国債を購入する(ただし、償還まで長期に保有することを予定したものでなく、近い将来に日銀が購入してくれるとの思惑に基づく)。それが国債価格をさらに押し上げる。
このように、異次元金融緩和による大量の国債購入で国債市場がゆがみ、バブルを起こしている(金利が低過ぎる)可能性が高いのである。
そうだとすれば、いまなすべきことは、この不自然な状態から徐々に脱却することだ。
買い入れをやめれば、金利が暴騰する危険もある。しかし、日本が国債購入をやめなくとも、アメリカの緩和政策終了が外的なショックになって、国債バブルが崩壊する危険がある。それが現実化すれば、かなりの混乱が生じるだろう。
金利の上昇は避けられないにしても、一気に問題が顕在化して経済が混乱するのは避けるべきだ。金融緩和から徐々に脱却することを検討すべきである。

◆2014.09.20
◆雇用情勢の好転でなく労働力不足の顕在化

日本の労働市場に構造的な変化が生じている。有効求人倍率の推移を見ると、リーマンショック後、1を下回る状況が続いていた。しかし、2013年11月に季節調整値が1を超え、その後、継続的に上昇している。14年7月には1・1であった。
これは雇用情勢の好転であり、アベノミクスによって日本経済が回復して労働需要が増加した結果だといわれることが多い。しかし、実態はかなり異なる。労働供給の減少も、有効求人倍率を上昇させている大きな原因なのである。
実際、リーマンショック直後に大きく落ち込んだ有効求人倍率がその後大きく回復したのは、有効求人数が増えたことだけによるのではない。有効求職者数の減少もかなりの影響を与えた。「新規学卒者を除き、パートを含む」について10年から13年への変化を見ると、有効求人数は140・3万人から212・0万人へと71・7万人増加した。しかし、有効求職者数も、270・5万人から229・2万人へと41・3万人減少しているのである。
最近の状況を見ると、13年末ごろまでは有効求人数の増加が有効求人倍率上昇の主たる原因だった。しかし、その後有効求人数はほぼ頭打ちであり、有効求職者数の減少によって有効求人倍率が上昇している。
このように、有効求人倍率の上昇は、日本経済が拡大しつつあることの証左とはいえない。むしろ逆に、経済が縮小することによってもたらされている面が強いのだ。この数年間の経済拡大が消費税増税前の駆け込み需要によるところが大きかったことを考えると、アベノミクスの成果でないことは明らかだ。
製造業について見ると、以上のことは明白だ。労働力調査によると、14年7月の製造業の就業者数は1058万人で、13年7月の1053万人よりわずかに増加してはいるものの、07年の1170万人に比べると大幅な減少だ。リーマンショック後の10年の1060万人と比べても減少している。就業者数が顕著に増えているのは、医療・福祉である(07年の581万人から10年の656万人に、さらに14年7月には748万人に増加)。
また、14年7月の鉱工業生産指数は96・8で、6月よりわずかに上昇したものの、ほぼ横ばいだ。14年3月の102・2に比べると、かなり落ち込んでいる。そして、08年2月の117・3に比べれば、17・5%も低い。

・人口構造変化による労働力不足が顕在化
以上で見た現象の根底にあるのは、次のような構造変化だ。第1は、若年人口の減少による労働力人口の減少である。内閣府の推計によれば、13年で6577万人であった労働力人口は、「現状継続ケース」で30年に5683万人まで減少する。つまり、1000万人近く減る。これは現在の製造業の全就業者数に匹敵するほどの大きさである。「経済成長、労働参加ケース」でも、6285万人に減少する。そして60年には、出生率が回復し、かつ女性がスウェーデン並みに働き、高齢者が現在よりも5年長く働いたとしても、5400万人程度にまで減少する。
構造変化の第2は、需要面の変化だ。高齢化の進展により、介護医療分野で膨大な労働力が必要となる。厚生労働省「医療・介護に係る長期推計、平成23年6月」によれば、25年度において必要とされる介護従事者数(介護職員と介護その他職員の合計)は、357万~375万人となる。前記内閣府による労働力予測値(現状継続ケース)と比較すると、これは25年度における労働力の6・3%になると考えられる(詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載「2040年『超高齢化日本』への提言」第10回を参照)。全労働力中の介護従事者の比率は、2000年には0・8%でしかなかったが、10年には2%にまで上昇した。この比率は、今後さらに上昇するのだ。
従って、仮に日本国内から製造業が消失したとしても、その他の部門の就業者数が不変であれば、日本経済全体として労働力が不足する。これは、賃金上昇を招くことになる。
労働需給が逼迫し賃金が上昇するのは、望ましいことだとして歓迎する考えが一般的だ。これは、賃金上昇→実質所得増→実質消費増という好循環が働くことを想定したものだ。
しかし、今後に予想されるのは、そうしたことではない。第1に、雇用が増加するのは、介護のように生産性の低い部門だ。このため、その部門の賃金が上昇しても、経済全体の平均賃金は下がる可能性が高い。また、正規労働者よりは非正規労働者が増える。さらに、物価上昇で実質所得が減少すれば、実質消費が減少する。
賃金上昇が他の分野にも波及して、コストプッシュインフレが生じる可能性は高い。そうなれば、企業利益は減少する。日本企業の資本利益率は長期的に低下傾向にあるが、その趨勢が加速する可能性が強いのである。また、日本の賃金水準は新興国のそれに比べて著しく高い。それがさらに上昇すれば、日本産業の国際競争力は低下する。
こうして、賃金上昇は日本経済に対してマイナスの影響を与える可能性が強い。経済活動が拡大せずに賃金が上昇するのは、スタグフレーションだ。日本経済は、急速にそうした状態に突入しつつある。

・経済政策の基本的判断を変更する必要がある
日本の経済政策の基本的な目的は、これまで国内雇用の確保に置かれていた。しかし、労働力不足経済においては、雇用確保より労働者確保が重要な課題になる。これは、幾つかの重要な含意を持つ。とりわけ重要なものとして、次の2点がある。
第1は、生産活動海外移転の評価だ。これは、国内雇用を減らすという意味で望ましくないものであり、回避すべきものと考えられてきた。しかし、労働力不足経済においては、生産活動の海外移転は、むしろ望ましいものと評価される。なぜなら、それによって国内の労働力逼迫が緩和されるからである。
生産活動の海外移転は、輸出を減らし、貿易収支を赤字化する点でも問題だとされる。しかし、海外生産の利益が日本に還流すれば、所得収支の黒字が拡大する。それによって、経常収支の赤字化を防ぐことができる。企業活動の海外移転は、以上で見たような労働市場の構造変化に対応して、日本企業が合理的な戦略を取っていることの結果だと評価することができる。
第2は、労働供給面の対応だ。女性や高齢者の労働参加を高めることは、もちろん必要だ。ただし、そのためには、育児支援の拡充や在職者年金制度の改革など、さまざまな政策対応が必要だ。仮にそうした施策がなされて労働力供給の落ち込みを防ぐことができたとしても、それだけで十分とはいえない。すでに述べた内閣府の試算が、それを示している。
最終的には、外国人労働者の受け入れが必要になる。しかも、短期滞在者だけではなく、移民を大幅に増やす必要が生じる。しかし、これについての日本政府の対応は及び腰である。6月に公表された成長戦略「日本再興戦略改訂版」においても、技能実習制度の拡充などで済まそうとしている。しかし、これだけの労働力不足が予測されているにもかかわらず移民を拒絶し続けるのは、およそ現実的な政策とは考えられない。
成長戦略についての根本的な発想転換が必要だ。

◆2014.09.27
◆地方を活性化するため何を目標とすべきか?

改造後の安倍晋三内閣は、「地方創生」を打ち出し、「地方活性化を経済政策の最優先目標にする」とした。
これに対する新聞投書欄等での反応には、「私の町にも国がさまざまの施設を造ってほしい」という類いの意見が見られる。「地方振興とは、国が地方に補助金を支出したり、地方で公共事業を行うことだ」と考えている人が、いまだに多い。
政府としても、来年春の統一地方選挙をにらんで、地方へのバラマキを行いたいのだろう。また消費税増税後の予想外の景気の落ち込みに対して、景気の底上げを図り、来年に予定されている消費税率引き上げの条件を整えたいのであろう。
しかし、「地方活性化」とは、中央政府がやることではない。地方が行うことだ。「地方振興」とは、「国が何かをやってくれるのを待つこと」ではない。地方の人々が工夫し、努力することだ。これを実現するために必要なのは、地域のやる気と、何をやるかというアイディアである。
日本経済を再活性化する原動力も、政府の成長戦略ではなく、地方の創意工夫であるべきだ。1990年代にアメリカ経済を再活性化したIT革命は、連邦政府があるワシントンからは遠く離れたカリフォルニアで起こった。それは、政府の支援で実現したことではない。ベンチャー企業がガレージで新しい事業を立ち上げて実現した。日本でも、江戸時代にコメの先物取引という先端的な金融活動が行われたが、これも幕府の指導や援助で生まれたのではなく、幕府の統制に対抗する形で生まれた。だから、本来は地方が国の発展を助けるのであって、国が地方を助けるのではない。
以上は当然のことであるが、他力本願的思考があまりに強いので、あえて指摘したい。以下では、中長期的な観点から地域経済の問題を考えることとしたい。

・製造業就業者比率と県民所得の高い相関
日本の高度成長期において、地域開発とは工業団地の建設と工場の誘致であった。いま製造業就業者比率の地域分布はどうなっているだろうか?
国勢調査のデータによると、2010年において、就業者中の製造業就業者の比率の全国平均は16・1%であるが、県別に見て最も高いのは、滋賀県の26・5%だ。以下、静岡県25・1%、愛知県24・5%、富山県24・1%、岐阜県24・1%、三重県23・8%と続く。
高度成長期には、日本の製造業は臨海型装置産業が中心であった。しかし、いまでは内陸型機械工業が中心になっていることが分かる。その半面で、瀬戸内工業地帯における製造業就業者の比率は、岡山県18・7%、兵庫県18・1%、広島県17・6%、山口県17・0%、香川県16・8%などであり、全国平均をやや上回る程度でしかない。
ところで、高度成長期に工場を誘致したのは、それによって就業人口が農業から製造業に移り、その結果地域所得が上昇することを期待したからだ。いまでも製造業の平均賃金は他産業より高いので、製造業の比率が高い県の所得は高い。
10年度において、1人当たり県民所得の全国平均値は291・2万円だ。東京都が436・9万円と飛び抜けて1位になっているが、製造業就業者比率が全国一の滋賀県の1人当たり県民所得が、321・5万円で全国2位になっていることが注目される。
11年度でも、上位に並ぶのは中部地方から北陸地方にかけての県だ。1位東京都の後、静岡県、愛知県、滋賀県、富山県と続く。富山県が神奈川県や大阪府より高いこと、福井県が千葉県や埼玉県、福岡県より高いことなど、一般の印象とは異なる姿が見られる。

・製造業縮小後の地域開発の方向は?
では、製造業を地域に誘致すれば、今後も高い県民所得を享受できるだろうか? そうとは言えない。なぜなら、日本全体として見た場合、製造業は縮小せざるを得ないからだ。製造業の海外移転は、すでに部品製造にまで及んでいる。従って、今後も製造業に依存し続ければ、その地方はジリ貧にならざるを得ない。
これを考えれば、製造業依存一辺倒からは脱却し、高度なサービス産業の比率を高めることが必要だ。
その方向を示しているのが、東京都だ。ここでの製造業就業者比率は9・8%にすぎず、全国で44位だ。しかし、生産性の高いサービス産業の比率は高い。
「情報通信業」「金融業、保険業」「学術研究、専門・技術サービス業」計の全就業者に対する比率を見ると、全国平均では8・5%だが、東京都では15・9%と群を抜いた高さになっている。以下、神奈川県13・9%、千葉県11・5%、埼玉県10・2%と続く。そして、大阪府と奈良県を除けば、比率が全国平均を上回るのは、これらの都県だけなのである。つまり、ここで取り上げたサービス産業については、首都圏への顕著な集中が生じているのだ。
一方で、製造業の比率が高い県におけるこれらの産業の就業者の比率は、愛知県7・0%、富山県6・3%、静岡県6・2%、岐阜県6・2%、滋賀県6・0%などであり、おしなべて低い。つまり、首都圏を中心とした高度サービス産業地域と、中部圏を中心にした製造業中心地域があり、これらが分離していることになる。
では、首都圏に一極集中している高度サービス産業を地方に分散させることは可能だろうか? 70年代までの通信技術では、困難だった。なぜなら、通信コストが高かったため、経済中心地から物理的距離が遠い地域では、高度サービス産業の活動を行うことが難しかったからである。
しかし、インターネットによって通信コストが著しく低下したため、高度サービス産業のかなりの部分を、距離に関係なく、行えるようになった。リゾート地でもできるし、へき地でもできる。
世界的に見れば、そのような変化は、すでに90年代に生じている。ヨーロッパ大陸に対するIT関連サービスをアイルランドから行うようになり、それまでヨーロッパの最貧国であったアイルランドが高度成長したのである。従来の産業では地理的な条件が不利だった国が、それまでの産業国を追い抜いたのだ。
高度サービス産業のためには、社会的インフラストラクチャが必要だ。問題は、「いかなるインフラか?」である。
通常言われるのは、鉄道(特に新幹線)や道路などの交通インフラだ。しかし、これらが地域振興に寄与するかどうかは、疑問である。実際には、いわゆる「ストロー効果」によって、経済活動が大都市に吸い上げられてしまった場合の方が多い。交通インフラの整備で発展したのは、主として中枢都市(札幌、仙台、広島、福岡)である。
高度サービス産業の場合には、必要とされるのは通信のインフラだ。特に、インターネットへのアクセスが確保されることだ。いまでは都市部以外も含めて、日本の多くの地点でインターネットアクセスが可能になっている。しかし、山の中のリゾート地などで、いまだにアクセスできない所もある。
「リゾート地は仕事をする場所ではないから、必要ない」との考えがあるからだろう。しかし、全国のeコマースのハブをリゾート地に置くことでさえ可能なのだ。場合によっては、リゾート地こそが、最良の仕事場になる。時代が大きく変わったことを認識する必要がある。

◆2014.10.04
◆円安を放置するのは危険な選択になった

2014年2月ごろから1ドル=101~102円程度の範囲にあった円ドルレートが、8月下旬から円安方向に動き、9月下旬には108円程度となった。これは、リーマンショック直後とほぼ同程度の水準だ。つまり、名目円ドルレートは、6年ぶりの円安になったことになる。
ユーロに対しても円安になっているが、対ドルほど顕著ではない。ユーロ・ドルレートは、8月25日の1ユーロ=1・32ドルから9月中旬の1・3ドル程度まで、ドル高ユーロ安になっている。従って、最近生じていることは、ドル高だ。
なぜこのような動きが生じたのだろうか? まず言えるのは、日本の経常収支の変化が原因ではないことだ。経常収支黒字が中期的に縮小しているのは事実であるが、現代世界での為替レートは、こうしたフロー面の変化ではなく、内外金利差の変化による資本移動によって引き起こされる。
最近の円安を引き起こしたのは、アメリカの金融緩和終了予測に伴って、金利が上昇しつつあることだ。為替レートとの相関が高いとされる2年国債について見ると、アメリカ2年国債の利回りは、11年秋から13年5月までは、ほぼ0・2%台の水準だった。ところが、金融緩和からの「テイパリング」が言われ始めた13年5月下旬から上昇を始め、14年になってからは継続的に0・3%を超える水準になり、さらには0・4%を超える水準になった。そして、8月中旬に一時的に低下した後は継続的に上昇し、9月中旬では0・56%程度にまで上昇している。
他方で、日本の2年国債利回りは13年3月には0・04%程度だった。ところが、異次元金融緩和の導入後0・13%台に急上昇した。そして、14年5月には0・15%を超えた。しかし、そこがピークで、それ以降はほぼ傾向的に低下し、14年7月には0・06%台にまで低下した。その後上昇したが、9月下旬の水準は0・06%程度にとどまっている。
この結果、日米金利差が拡大した。14年2月には0・2%程度であったものが、9月中旬には0・47%程度になっている。以上で見たように、8月中旬からのアメリカ金利上昇が、為替レートの変化をもたらしたのだろう。
日経平均株価は、この動きと連動している。すなわち、14年前半には1万5000円未満である場合が多かったのだが、8月から上昇が始まり、9月中旬では1万6000円を超えた。
このように、株式市場は円安を歓迎しているわけだが、日本経済全体として、円安は喜ぶべきものだろうか? 以下では、そうではなく、「日本売り」につながり得る危険があることを指摘する。

・円安による物価上昇でスタグフレーションに
円安が日本経済に与える影響は、この2年間の円安の経験でかなり分かっている。今後も、大まかには同じことが起こるだろう。
第1に、実質輸出は増えないだろう。これまでもそうだったが、今後もそうだろう。
これは、日本の現地通貨建て輸出価格が、円安にもかかわらずほとんど低下しないためだ。14年8月の指数は、12年12月に比べて2・4%ほど低下したにすぎない(なお、輸出企業の利益が増大するのは、ドル建て価格を変えないため、円建ての輸出価格がほぼ円安に比例して上昇するからだ。生産性や競争力が向上したために株価が上がるのでないという意味で、不健全な利益増だ)。従って、日本の輸出の価格競争力は向上しない。そのため、輸出量は相手国の景気に依存する。中国や欧州の景気がはかばかしくない限り、輸出量は低迷せざるを得ない。
他方で、国内の消費者物価は上昇する。これまでもそうだったが、今後もそうなるだろう。日本の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)の対前年同月比は、13年11月から1%を超えた。ガソリン代、電気料金などの値上がりが顕著だ。これはデマンドプルでなく、コストプッシュである。日本銀行の物価目標の達成には寄与するが、経済成長率を高めるには寄与しない。
物価上昇は、実質所得減少率を拡大させ、実質消費伸び率を下げるだろう。実際、実質GDPの季節調整値伸び率(年率)は、安倍晋三内閣発足直後の13年1~3月期の5・1%がピークであり、それ以降は、(駆け込み需要のあった14年1~3月期を除くと)低下している。
こうなった最大の原因は、実質民間最終消費支出の伸び率が低下していることだ。実質GDP成長率は、円高期であった09年10~12月期から10年7~9月期の方が高かった。これは、実質民間最終消費支出の伸び率が高かったからだ。
円安は、企業にとっても、コストアップ要因になる。電力のみならず、原材料の輸入価格が上昇するからだ。とりわけ中小企業にとっては、大きな負担だ。さらに、今後は賃金面からコストアップが生じる可能性が高い。このように、円安によって、日本経済にスタグフレーションの圧力が働く可能性が高い。

・円安のコントロールには金融緩和停止が必要
アメリカの金利が今後上昇することはあっても、低下する可能性はあまりない。そうであれば、円安基調は続くようにも思える。
しかし、事態はそれほど簡単ではない。なぜなら、第1に、マーケットはすでにこれを織り込んでおり、それを為替レートに反映させているからだ。今後の為替レートは、いまでは予測できない金利差の動きによる。どの程度の金利差をマーケットが織り込んでいるのか分からないので、将来の為替レートは分からないのである。
第2に、日米金利差が拡大したとはいえ、06年ごろの4%を超える差に比べればかなり小さい。これが円キャリー取引を引き起こすほどのものであるかは、疑問だ。以上の理由から、為替レートの予測は不可能である。
では、円安をコントロールできるか?
13年度には財政拡大によってGDP成長率が高まった。その再現を狙って拡大すれば、金利と賃金が上がるだろう。経済成長には抑止的に効く可能性がある。
追加緩和措置を実行すべきだとの議論がある(なお、財政拡大も金融追加緩和も、円安制御というよりは、景気の落ち込みに対応するものとして考えられる場合が多い)。
しかし、それを行えば、円安をコントロールできなくなる恐れがある。「日本売り」の投機が起こって、資本逃避が起こると、非常に危険だ。円安を抑えるには日本の金利が上昇する必要があり、そのためには金融緩和の停止、すなわち、日銀国債購入の停止、または、売却が必要だ。
国債貨幣化の最も恐ろしい帰結は、国債への信頼が失われ、将来のインフレを予期して資本逃避が起きることである。日本では、大量の国債購入は続いているが、金利が高騰していないので、まだこの段階には達していない。
しかし、財政再建を日本政府が放棄したとの認識が広がると、日本売りが生じる可能性がある。
これを抑えるのに必要なのは、一つは、景気動向によらず、消費税率引き上げを予定通りに行うこと。いま一つは、アメリカに追随して金融緩和から脱却することだ。
ただし、金利高騰の引き金を引かないよう慎重に行う必要がある。これは、かなりの技量を要する難しい課題だ。

◆2014.10.11
◆円の購買力の大幅低下 その原因と影響は?

為替レートについての議論のほとんどは、名目の為替レートについて行われている。しかし、経済的な問題を考えるには、物価の変動を調整した実質為替レートを見る必要がある。さまざまな国との間の実質為替レートの加重平均である実質実効為替レートが、日本銀行によって作成されている。
これを見ると、現在は、異常といえるほどの円安だ。2000年代半ばよりも円安であり、1980年代の水準だ。名目為替レートはまだ07年ごろに比べて円高なので、こうした異常事態が生じていることをなかなか実感できない。
ところで、一定の条件の下では、実質為替レートは一定にならなければならない。現実にそうなっていないことは、「一定の条件」が満たされていないことを意味し、それは日本経済にとって重大な意味を持つはずである。
そこで、「実質為替レート一定」という結論が、どのような論理で導かれるかを復習しておこう。簡単化のため、日米2カ国しかない世界を想定する。
まず、日米名目金利差=円高率という「金利平価式」が成立する。アメリカの名目金利が日本より高い場合、資金を円とドルのどちらで運用しても結果が同じくなるためには、金利差と同率で円高が進行しなければならないのである。
次に、名目金利=実質金利+物価上昇率という関係(フィッシャー方程式)が成り立つ。右辺第2項は正確には期待物価上昇率だが、ここでは、期待が常に実現されるものとし、現実の物価上昇率と考える。
ここで、日米の実質金利が等しいと仮定すると、フィッシャー方程式から、日米名目金利差=日米物価上昇率差という関係が導かれる。アメリカの名目金利は日本のそれより高いが、それはアメリカの物価上昇率が日本のそれより高いためだ、というわけである。
この関係と金利平価式から、円高率=日米物価上昇率差という関係が導かれる。アメリカの物価上昇率が日本より高ければ、その差に等しい率で円高が進行しなければならないのだ。例えば、アメリカの物価上昇率が年率2%、日本のそれが0%である場合、ある年に1ドル=100円であれば、次の年には1ドル=98円にならなければならない。
こうなることによって、円の購買力は一定に保たれる。例えば、ある年にアメリカで1ドル、日本で100円の商品があるとする。1年後には、この商品は、アメリカでは1・02ドルになり、日本では100円のままだ。しかし、為替レートが1ドル=98円になれば、100円は1・02ドルになるので、最初の年と同様に、100円でこの商品を買うことができる。

・円の実質価値が低下し日本人は貧しくなる
ところが現実には、冒頭で見たように実質為替レートは一定でなく、長期的な円安が進んでいる。
このことの意味を理解するために再び先の例に戻ると、アメリカの物価上昇率が年率2%、日本のそれが0%であっても、1ドル=100円のままということがあり得るということだ。つまり、円の実質価値が低下する(実質為替レートで見て、円が減価する)わけで、円の購買力は低下する。
先に挙げた例で言うと、最初の年には100円でアメリカの商品1単位を買えたのに、2年目には0・98単位しか買えない、ということになる。商品1単位を買うには、102円を支払う必要がある。日本人にとって、海外のものを買うのが難しくなるわけである。
実質実効為替レートが円高のピークになったのは、95年4月で、指数は150・25であった(指数が大きいほど円高)。ところが、14年8月の指数は77・22だ。ピークに比べると、円の実質価値は半分程度に低下した。つまり、同じ100円で、そのころに比べて半分の財やサービスしか買えなくなったのである。
最近の時点で見ると、10年から12年秋までは指数が100程度であった。12年秋以降に生じた円安によって、円の実質価値が3割近く低下したことになる。
日本はエネルギー源をほぼ海外に依存している。原油や発電用LNGはほぼ全量が輸入なので、ガソリン価格や電気料金が上昇している。最近では電気製品も輸入しているので、企業の原材料費も高騰している。
消費者物価の上昇率は高まり、実質消費は減少する。日銀の物価目標は実現できるかもしれないが、実現できたところで、日本人が貧しくなるというだけのことだ。デフレ脱却というのが間違った目標であることは明らかだ。
円安によって日本が貧しくなっていることは、1人当たりGDPのデータを見ても明らかである。過去2年間の円安で、日本の国際的な順位は低下した。
IMF統計によると、13年の日本の1人当たりGDPは3万8491ドルで、アメリカの約72%でしかない。ヨーロッパ諸国に比べてもかなり低くなっている。

・「日本売り」を食い止めるには生産性の向上が不可欠
円安は一方で輸出産業の利益を増加させ株価を上昇させているので、大きな所得移転が生じている。
これに対処することは、可能だし、必要だ。物価上昇は、エネルギー価格、特に電気料金について顕著だ。消費者物価指数(全国)で見ると、電気代は、12年7月の108・3から14年7月の129・3まで、19・4%上昇している。この指数は、04年ごろ以降、08、09年ごろを除けば、11年中ごろまでほとんど100程度であった。その水準と比べれば、3割程度上昇していることになる。燃料費調整制度があるので、円安による燃料費の上昇は、これまでもほぼ自動的に料金に転嫁されたし、今後もそうなる。電気料金は、生活と産業活動の全ての側面に関連するので深刻な問題だ。そこで、法人税増税して財源を調達し、これで電気料金の引き上げを抑制することが考えられる。円安による輸出産業の利益増は「棚からぼた餅」的なものなので、これによって生じる所得移転を調整するため、こうした政策が必要だ。
ただし、これは、国内の所得分配の調整だ。日本全体として貧しくなるのを防ぐことはできない。
円の実質価値の低下を放置すれば、資本逃避を引き起こす可能性がある。これは円からの逃避であり、日本売りだ。これは円安を加速させる。この動きが起これば、非常に危険だ。これを食い止めるには、どうしたらよいだろうか?
そのためには、円の実質価値が低下している原因を明らかにする必要がある。これには実証分析が必要だ。
大局的に見れば、実質実効為替レートは90年代中ごろをピークに、現在に至るまで低下しているが、この変化は、日本の平均賃金の推移と似ている。毎月勤労統計調査の賃金指数(現金給与総額、調査産業計)を見ると、97年の111・9がピークであり、それ以降は傾向的に低下している(13年は99・9)。
他にも似た長期的傾向を示す経済指標は多い。例えば、所得税や法人税の税収も、80年代末から90年代の初めがピークで、それ以降は減少傾向にある。平均株価も、80年代末がピークで、それ以降は大局的には低下している。
これらから考えられるのは、日本の購買力の低下は、日本産業の生産性の低下によるということだ。それに対する根本的な解決は、日本の産業の生産性を上げることしかない。これは、金融政策では対処できない問題である。

◆2014.10.18
◆求職減での賃金上昇でスタグフレーションへ

有効求人倍率が上昇しているが、これは労働に対する需要の増加よりは、労働供給の減少によるところが大きい。本連載の第725回(9月20日号)で、このように述べた。重要な問題なので、さらに詳しく論じることとしたい。
「一般職業紹介状況」(職業安定業務統計)の数字を見ると、次のことが確認される。2013年7月と14年7月を比べると、「有効求人数」は、212・9万人から228・8万人へ、15・9万人(率では7・5%)増加した(季節調整値、新規学卒者を除きパートタイムを含む)。他方で、「有効求職者数」は227・5万人から207・5万人へと20・0万人(8・8%)減少した。つまり、有効求職者数の減少は、有効求人数増加の1・25倍だ。変化率で見ても、有効求職者減少の方が大きい。
「求職者が減ることによって(つまり供給の減少によって)有効求人倍率が上昇する」というのは、「雇用情勢の好転」ではなく、「人手不足」である。歓迎すべきことではなく、憂慮すべきこと、そして対策が必要なことである。
期間を広げて見ると、有効求職者数は、09年8月の290・7万人がピークであり、それ以降は傾向的に減少している。14年7月の値は、ピークに比べると83・1万人(28・6%)もの減少だ。他方、有効求人数は、リーマンショック後増加してきたが、14年に入ってからは頭打ちとなり、前月比で減少する月も見られるようになった。消費税増税前の駆け込み需要などによってこれまで求人数が増えてきたが、その傾向が終わりつつあるためだろう。
「人手不足」は、今年の初めごろから急にいわれるようになった。あまりに唐突に生じたため、その背後に長期的な条件変化があることに気付きにくい。しかし、右に述べたように、求職者数の減少は、長期的に継続していたのである。
これまでは、求職者数が求人数より多かった(つまり、有効求人倍率が1倍未満だった)ために、表面化していなかったのだ。13年11月に求職者数が求人者数を下回るに至って、初めて顕在化した。
この傾向は、将来に向かって継続するだろう。すなわち、有効求人数は経済情勢のいかんで増えたり減ったりするが、傾向的に増加する保証はない。他方で、有効求職者数は、労働力人口の減少を反映して減少を続けることが、ほぼ確実である。その結果、有効求人倍率は上昇を続けるだろう。繰り返すが、これは雇用情勢の改善ではなく、人手不足の深刻化である。

・非正規以外では就職件数が減少している
需要増と供給減の違いは、教科書的な需要曲線、供給曲線を用いることによって明瞭に理解することができる。横軸に雇用量、縦軸に賃金を取った図で、需要は右下がりの曲線、供給は右上がりの曲線で表される。
「需要の増加」とは、一定の賃金に対して労働需要が増えることだ。従って、需要曲線が右にシフトすることで表される。供給曲線が不変の場合、これによって賃金の上昇と雇用の増加が生じる。それに対し、「供給の減少」は供給曲線の左へのシフトで表され、賃金の上昇と雇用の減少が生じる。
両者が同時に起こる場合には、賃金は上昇する。しかし、雇用がどうなるかは、需要増と供給減のどちらが大きいかで決まる。実際に起こっているのは、まさにこのケースだ。
現実のデータでは、雇用は増えていない。「一般職業紹介状況」で「就職件数」を見ると、13年7月の17・8万人から14年7月の16・9万人まで、1・0万人(5・4%)減少している。期間を広げて見ると、就職件数のピークは、11年12月の18・9万人だった。それに比べると14年7月の数字は2・0万人(10・7%)の減少になっている。
以上で見たのは、ハローワークを通じる求職・求人・就職だ。経済全体としても雇用が増えていないことは、別の統計で確認できる。労働力調査(2014年、8月)を見ると、次のことが観察される。
(1)8月の就業者数は6363万人で、前年同月に比べ53万人の増加。しかし、増えているのは非正規の職員・従業員であって(8月に1948万人で、前年比42万人の増)、正規の職員・従業員は減っている(8月に3305万人で、前年比4万人の減)。
非正規の雇用が増えるのは、求人数の増加(需要曲線の右方シフト)が顕著だからだ。「一般職業紹介状況」で13年7月と14年7月を比べると、「有効求人数」は、81・2万人から87・8万人へと6・6万人(率では8・1%)増加した。他方で、「有効求職者数」は64・4万人から62・5万人へと1・9万人(率では3・0%)減少した。つまり、有効求人数増加が有効求職者数の減少より大きい。
(2)産業別に見ると、就業者数の増加が顕著なのは建設業(8月に506万人で、前年比22万人増)と医療・福祉(8月に753万人で、前年比17万人増)だけだ。この二つだけで、全体の就業者増の約4分の3になる。これらの産業では、需要曲線の右方シフトが顕著であるためだ(建設労働者の需要増は一時的なものだが、医療・福祉の需要増は、人口高齢化に伴う構造的なものである)。他の産業の就業者数は、(正規も含めて)あまり増えないか、あるいは減っている(製造業は、前年比増減ゼロ)。7、8月では、卸売業・小売業の減少が顕著だ。供給曲線の左方シフトは経済全体として生じる現象で産業別にあまり差がないが、需要曲線のシフトは産業によって大きく異なるため、以上で見たような差異が生じるのである。

・コストプッシュ・インフレを引き起こす危険
「賃金上昇が望ましい」とされるのは、需要曲線の右方シフトが想定されているからだ。すでに見たように、その場合には雇用が増えるので、賃金総額が増加し、その結果消費総額が増える。そして企業の生産量は拡大し、労働に対する需要曲線はさらに右にシフトする。これが「経済の好循環」といわれるものだ。
しかし、賃金上昇が供給曲線の左方シフトによって引き起こされる場合には、雇用が減少するので、仮に賃金が上がったとしても、賃金総額が増加するとは限らない。雇用減少が大きければ、消費総額は減って、総需要が減少する。従って、企業の生産量は減少する。つまり、経済活動は縮小するわけだ。
しかも、賃金上昇は、企業にとってコストの増加となり、利益を圧迫する要因となる。また、製品価格を上昇させ、物価上昇を加速する。それは家計の実質所得を減少させ、実質消費を減少させる(あるいは伸び率を鈍化させる)。
円安による物価上昇を通じて家計の実質所得が減少し、その結果実質消費の伸びが減速している。今後は賃金上昇が引き起こすコストプッシュ・インフレによって、実質所得減少が起こる可能性が高い。これは、スタグフレーションである。
求職数の減少は、生産年齢人口の急激な減少によって労働力人口が減少していることによるものだ。そして、このことは将来さらに加速する。従って、賃金上昇と雇用の減少がより明確な形で現れるだろう。こうした条件の変化に対応して経済政策の基本的な基準を転換することが必要だと第725回で述べた。つまり、「雇用の確保」から「労働力の確保」への転換だ。このことの重要性は、今後ますます増大するだろう。

◆2014.11.01
◆アメリカの問題は分配 日本の問題は産業構造

アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)が金融緩和からの脱却を図りつつあるのは、経済が好調だからだ。実質GDPは、2010年ごろから継続して前年比2%程度で成長している。その結果、13年の実質GDPは、リーマンショック前のピーク(07年)に比べて5・6%ほど大きくなった。国際通貨基金(IMF)の予測では、今後実質GDP成長率は加速して、3%前後になる。
一方、リーマンショック後の日本の実質GDPの成長率は、10年に高くなったことを除くと、1%か、あるいはマイナスだった。その結果、13年の実質GDPは、リーマンショック前のピーク(07年)をわずか0・3%上回っているだけだ。IMFの予測では、今後実質GDPの成長率は18年まで1%未満にとどまる。
こうして、日本はアメリカに対して相対的に貧しくなっている。ドル表示の1人当たり名目GDPを見ると、1987年以降90年代の末まで、日本がアメリカより高かった(95年には、日本はアメリカより約5割高かった)。しかし、リーマンショック以降、日本はアメリカの8~9割程度になった。13年には円安が進んだこともあり、日本はアメリカの約4分の3だ。IMFの予測では、日本の比率は今後さらに低下する。
リーマンショック後のアメリカ経済で最大の問題と考えられていたのは、失業率の高さである(09、10年には9%超、11年にもほぼ9%であった)。その後、目覚ましい改善というわけではないが、13年には7%台にまで低下した。IMFの予測では、今後さらに低下して5%台になる。
アメリカの金融緩和策QE3は、「失業率が6・5%に低下するまで継続する」とされていた。以上の状況を考えると、アメリカが金融緩和を続ける理由は見いだし難い。むしろ、金融緩和が投機資金の調達を容易にし、世界的な金融バブルをもたらしているという負の側面の方が目立つ。アメリカの金融緩和終了は、自然な動きである。

・高度サービス産業の成長がアメリカの成長をけん引
先に見たように、日本とアメリカの経済パフォーマンスには、大きな違いがある。なぜこのような違いが生じたのだろうか? その理由は、産業構造の違いに見いだされる。GDP統計によって確かめてみよう。
アメリカの名目国民所得は、08年から13年までに17・8%増加した。各産業の寄与率(各産業の成長率に13年のシェアを乗じたもの)を計算すると、金融、保険、不動産が最大で、6・1%だ。これに、専門的サービスの2・2%と教育、医療の2・0%を加えると10・3%となり、全体の増加率17・8%の6割近くを説明する。
他方で、製造業の寄与率は1・5%にすぎない。つまり、アメリカの経済成長は、製造業によってではなく、生産性の高いサービス産業によってもたらされたのである。
ところで、右に「生産性の高いサービス産業」といった産業は、必ずしも雇用吸収力が高いわけではない。
08年から13年までの雇用増加率を見ると、次の通りだ。まず、経済全体では0・4%の減だ。つまり、雇用総数はほとんど不変である。ところが、国民所得での寄与率が最も高い産業である金融・保険は、雇用で見ると2・1%の減だ。不動産は6・2%の減である。つまり、これらの産業は、GDPの成長には寄与するが、雇用増には寄与しないわけだ(ただし、GDPの成長にも雇用増にも寄与する産業もある。専門的サービスの雇用は3・3%増、経営は9・8%増、管理は3・2%増だ)。
アメリカの問題は、生産性が高くGDPの成長をけん引する部門の雇用吸収力が必ずしも高くないために、雇用がはかばかしく改善しないということだ。だいぶ前から、「ジョブレス・リカバリー」といわれてきたが、以上で述べたことがそれを表している。
つまり、産業力が弱いわけでなく、所得分配が問題なのである。これは確かに重要な問題だが、それに対処する手段は、税制や社会保障政策である。金融政策でないことは明らかだ。この点からいっても、金融緩和の終了は当然である。

・日本では高度サービス産業が発達していない
産業構造の面で日米を比較すると、どうなっているだろうか?
製造業の就業者が08年から13年にかけて約1割減った点では、両国とも同じである(アメリカは10・4%減、日本は9・7%減)。製造業の縮小傾向は、先進国に共通する現象なのである。違いは、次の3点だ。
まず、就業者全体に対する製造業就業者の比率が、アメリカでは低い(13年で8・5%)が、日本ではまだ高い(16・5%)。
その半面で、生産性の高いサービス産業の就業者が、アメリカでは成長しているが、日本では成長していない。アメリカの高度サービス産業の成長は、長期的に続いている。98年と13年を比べると、製造業の就業者は31・7%減少したのに対して、高度サービス産業(専門的・科学的・技術的サービス、経営、管理)の就業者は5・9%増加した。
その結果、就業者におけるシェアは高くなっている。専門的サービスが5・8%、経営が1・5%。管理が5・9%だ。これらに金融・保険の4・2%を加えると、合計は17・3%で、製造業8・5%の2倍を超える。つまり、脱工業化が進んでいるのだ。
他方、日本でGDP統計の「経済活動別国内総生産(名目)」によって12年を08年と比べると、次の諸点が指摘される。
第1に、アメリカでは高い成長を示す金融・保険業の寄与率が、日本ではマイナス14・0%だ。これは、アメリカのそれが直接金融を中心とした先端的なものであるのに対して、日本のそれは従来型の間接金融であるためだろう。
第2に、これらの産業の就業者のシェアが日本では小さい。労働力調査の産業別就業者で見ると、13年において、金融・保険業が2・6%、学術研究・専門・技術サービス業が3・3%だ。これらの和は、製造業16・5%の3分の1程度でしかない。もちろん、産業分類は日米で同一ではないので、厳密な比較はできない。しかし、アメリカで高度なサービスが成長し、日本で育っていないことは間違いない。
第3の最も重要な違いは、アメリカと違って、高度サービスが統計で別掲されていないことだ。これは、こうしたサービス供給が産業として存在していないことの反映だ。
アメリカの統計で「経営」や「管理」といった項目が別掲されているのは、こうしたサービスが、個別企業の枠内に閉じ込められたものではなく、市場を通じて供給されるものになっていることの反映だ。そして、それらのサービスがアメリカ経済の成長をけん引している。
つまり、製造業とかサービス産業とかいう従来の産業分類が、急速に時代遅れのものになりつつあるのだ。従来の概念では把握できない経済活動の重要性が増しているのである。
日本の労働力調査では、こうした職業は個別産業から分離されていない。これらは企業の枠内に限定されたサービスであり、市場によって供給されるサービスではないからだ。
日本が抱えているのは、産業構造の問題だ。それは、「従来の産業分類で把握できない経済活動が成長していない」という問題である。

◆2014.11.08
◆産業構造の違いが米と日欧の基本的な差

世界経済の停滞を指摘する声が多い。昨年末のローレンス・サマーズの長期停滞論に続き、国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事も、世界経済の成長が弱まっていることを指摘した。先般のG20(20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議)でも、先進国の経済下振れが表明された。原油価格も、世界経済減速の懸念から、下落している。ドイツの輸出も急減した。
IMFが10月に公表した世界経済見通しでは、今年の世界成長率予想を、7月時点の予想から0・1%幅引き下げ、3・3%とした。2015年の成長率も、7月時点の予測(4%)から引き下げて3・8%とした。
ただし、ここで重要なのは、どの国も一様に落ち込んでいるのではないことだ。アメリカと日欧の間には、顕著な差がある。アメリカの成長率が高いのに対して、日欧が伸びないのである。
IMFは、今年の日本の成長率見通しを0・7%幅引き下げて、0・9%とした。来年の予想も0・2%幅引き下げて、0・8%とした(なお、7月に日本政府も、14年度の実質GDP成長率の見通しを昨年末時点の予想から0・2%幅下方修正し、1・2%とした)。ユーロ圏の今年の見通しも、0・3%幅引き下げて0・8%とした。
ところが、アメリカの今年の見通しは2・2%と、0・5%幅上方修正している。さまざまな指標で見ても、アメリカ経済は堅調だ。4~6月期の成長率は年率4・6%で、失業率は6%台まで低下している。
以上は、いま初めて生じたことでなく、リーマンショック以降続いている中期的な現象である。前回指摘したように、アメリカの13年実質GDPがリーマンショック前のピーク(07年)に比べて5・6%ほど上回るのに対して、日本はリーマンショック前のピーク(07年)を0・3%上回っているだけだ。
日本の落ち込みは、消費税増税の影響とされ、回復は時間的な問題だとされることが多い。しかし、この連載で述べてきたように、構造的な問題がある。13年度は、公共事業の増加と消費税増税前の駆け込み需要によって、成長率が一時的に上がっただけだ。
ヨーロッパの停滞も、最近生じたことではない。ユーロ圏18カ国合計の13年の実質GDPは、リーマンショック前のピーク(08年)に比べて6・5%低い。アメリカと比べればもちろん、日本と比べても回復が遅い。
為替レートで見てもそうである。円の実質価値が下落しているとこの連載で指摘したが、ユーロ圏の通貨(ユーロ導入後はユーロ。それ以前は加盟国の平均レート)も、長期的に見ればドルに対して価値が下落している。国際決済銀行(BIS)が計算している実質為替レートを用いて14年8月における円、ユーロとドルの関係を見ると、08年8月ごろに比べて、円は6・1%、ユーロは9・4%安くなっている。経済回復の遅れが、中期的な通貨安をもたらしているのだ。

・金融危機後の不良債権処理の遅れ
ヨーロッパの伸び悩みは、金融危機後の不良債権のためだといわれることが多い。アメリカが不良債権を早期に処理したのに対し、ヨーロッパでは遅れた。銀行が巨額の不良債権を抱えている状態では、貸し出しを増やすことはできない。だから、金融緩和をしても、効果がない。従って、1990年代の日本と同じように、経済が停滞するというわけだ(なお、中国も不良債権の処理を済ませていない)。
不良債権については、IMFの試算がある(Global Financial Stability Report, April 2014, Figure 1.33)。それによると、13年における銀行総貸し出し中の不良債権の比率は、アメリカ2・64%、イギリス3・66%と低いのに対して、南欧諸国では10%を超える。ユーロ問題は表面上は沈静化しているが、完全に収束してはいないわけである。そして、不良債権比率が高い国で経済成長率が落ち込んでいる。
こうした側面があることは否定できない。しかし、このことだけでは、冒頭で見たアメリカとの差を説明できない。
第1に、ドイツの不良債権比率は1・72%と、極めて低く、他方で、08年から13年への実質GDP増加率は3・4%とユーロ圏の中では高い。アメリカと大差ない。
例えば、アイルランドは、不良債権比率は24・64%と非常に高いにもかかわらず、回復は早い。同国GDPの13年の値は、08年より4・2%低いものの、ここ数年で大きく改善した。IMFの予測による14年の実質成長率は3・6%だ。今後も2%台後半の成長が続く。
第2に、日本の銀行にはアメリカ金融危機で不良債権は発生していない(不良債権比率は2・34%)。それにもかかわらず、回復が遅い。
これらの事実は、アメリカに対するヨーロッパと日本の遅れの原因は、不良債権だけではないことを強く示唆している。

・ヨーロッパの産業構造は古い
日米の回復の違いは、産業構造の差に起因すると、前回指摘した。ヨーロッパについても、同じことがいえる。
それを確かめるため、全就業者に対する製造業就業者の比率を見よう。ややデータが古いが、08年において、ドイツ22・0%、イタリア20・5%、フランス14・1%だ。これは、アメリカ10・9%に対して著しく高い。そして、ユーロ圏の中でも、製造業の比率が高い国ほど概して回復が遅い(なお、08年では、日本は18・4%であり、ヨーロッパ諸国とほぼ同じだ)。
リーマンショックで大きな打撃を受けたのは製造業であるため、製造業の比率が高い国は、08年ごろの水準に回復するのが難しいのである。また、製造業は輸出動向で左右され、輸出は他国の状況に左右される。従って、他国の状況が悪いと、自国も悪くなる。日本は、リーマンショック後、中国への輸出で回復した。しかし、中国とヨーロッパが落ち込んだので日本も落ち込んだ。製造業の比率が高いヨーロッパ諸国にも同じことがいえる。
ヨーロッパがデフレに落ち込んでいるといわれる。新興国工業化のため、製造業は先進諸国では縮小せざるを得ないので、製造業の比率が高ければ、そうなる。ヨーロッパでは、リーマンショック直後にアメリカから流出した資金で住宅バブルが起きた。それによって一時的に良くなったように見えたものが、元に戻っただけだ。
このように、ヨーロッパの産業構造が古いことが、停滞の基本的原因である。以上の意味で、ヨーロッパ経済の不調は、日本と同じ性格を持っている。
なお、アメリカの場合、製造業そのものの性格が変化していることに注意が必要だ。アップルに見られるように工場を持たずに世界的な水平分業を行う企業や、IBMのようにサービス業務に比重を移しつつある企業などが成長している。そのため、アメリカ製造業の資本収益率は高い値を維持している。
また、アイルランドも統計上は製造業の比率が高いが、製造業といっても、自動車や鉄鋼のような伝統的製造業ではなく、IT関連が中心だ。この点でアメリカの製造業と似ている。
長期停滞は、日本とヨーロッパの問題だ。そしてそれは、経済構造の問題だ。金融政策などのマクロ政策では解決ができないことを認識する必要がある。

◆2014.11.15
◆蘇ったニューヨーク 成長は今後も続くか?

久しぶりにニューヨーク市を訪れて、その変貌ぶりに驚いた。空港のビルを出てまず、タクシーが全て新車になっているのに驚く。まさに文字通りの新車で、ピカピカに光っている。マンハッタン島に入るミッドタウントンネルは、壁のタイルがすっかり新しくなった。
ごみだらけだった街から、ごみが消えうせ、代わりに、フラワーポットが目立つ。ホームレスは皆無ではないが、ほとんど見掛けない。
地下鉄が古くて混んでいることに変わりはないが、落書きは消えた。それだけで荒んだ空気は緩和される。車内で駅の案内放送が流されるなど、ずっと乗りやすくなった。30年間工事が中断され、2007年に再開されながらもなかなか進まなかった2番街地下鉄の建設が、本格的に再開された。
グランドセントラル駅は、かつてホームレスがいっぱいで、待合室のベンチは彼らのベッドだった。しかし、いまや通勤客と観光客でごった返す活気に満ちた駅だ。コンコースは、昔の映画に出てくる通りの雰囲気を感じさせるようになった。
セントラルパークと聞いて私が思い出すのは、長髪のヒッピー、反体制、ホームレス、犯罪者、変質者といったことでしかなく、施設も芝生も荒れ放題だった。北半分では殺人事件が頻発し、普通の人が立ち入ることは考えられなかった。それが、いまや大都市の中の森になった。雨の日に公園を横断したのだが、何の危険も感じず、むしろ人けがないことによる幽玄な気分を味わった。
麻薬取引の場として有名だったワシントン・スクエアも、市民や観光客でにぎわう明るい場所になった。いかがわしい場所の代名詞だった「42丁目通り」は、観光客がごった返す活気ある通りになった。ミュージカルが跳ねた後のタイムズスクエアは、満員電車並みの雑踏だ。聞いたところでは、ハーレムはスラムではなくなったそうだ。昔は高級住宅街だったというが、その栄光を取り戻したのだろうか?
スラムだった地区を再開発して造られた劇場複合施設、リンカーンセンターは、きらびやかだ。
ニューヨークは古い街だから、日本の街のように奇麗にはなれない。地下鉄の駅も汚い。街路も狭く、渋滞が激しい。しかし、古くなるとみすぼらしくなる街と、味わいが出てくる街がある。日本の地方都市の多くが前者だが、ニューヨークは後者だ。こうした変化は、街を毎日見ている人や頻繁に訪れる人には、気が付きにくいものだろう。私のように久しぶりに見たからこそ、変化に驚く。

・基本的原因は米経済が強くなったこと
ニューヨークの治安が回復し清潔な街になったことに関して、マイケル・ブルームバーグ前市長の功績を指摘する人が多い。彼が行った警察改革で、犯罪率は大きく低下した(いまや、警官は自信を持って強硬姿勢で一般市民にも当たっているという)。市民からの苦情・不満があれば、直ちに対処した。
これは事実だろう。しかし、基本は経済だ。かつてニューヨークが荒れたのは、市の財政が逼迫したからだ。犯罪の取り締まりに十分な予算を充てられないので、犯罪が日常化する。清掃に手が回らないので、街にごみが溢れ、公共施設は荒れ放題になる。それらの予算が増えたので、ニューヨークは清潔で安全な街になったのだ。そうなった基本的な理由は、アメリカ経済が強くなったことだ。
もちろん、いいことだけではない。更新投資ができない例もある。典型例がジョン・F・ケネディ国際空港だ。1960年代、この空港を見て、時代の先端と感じた。しかし、いまやそれが老朽化した。そして、みすぼらしく、みじめになった。
また、所得分配と格差が重要な問題なのは事実だ。ハーレムがスラムでなくなったとすれば、そこに住んでいた貧しい人々は、どこかに追い出されたはずだ。もともとニューヨーク市は、格差が激しい場所である。一方では、金融業など、極めて収益性の高いビジネスの根拠地であるため、そこで働く高所得のビジネスエリートがいる。しかし他方では、アメリカの都市では珍しく車なしで生活できる場所であるため、車を持つ経済力のない移民や貧困者が住む。アメリカ経済が強くなれば、前者の人々の所得はますます上がり、他方で、より多くの後者の人々が集まる。
レストランや銀行の窓口の女性の無礼な接客態度に腹が立つのは、昔も今も変わらない。報われない仕事で労働を強いられる人に親切な態度を求めるのは、無理なことだろう。街路が渋滞して車が動けず、クラクションがやまない。ドライバーはいらいらしているのだ(もっとも、時々は笑顔の対応に会うこともある。昔はなかったことだ)。

・新しい技術への挑戦が成長を持続させる
アメリカ経済が抱えるのは、分配問題だけではない。経済全体の問題も、もちろんある。
第1は、総労働力の減少だ。これは、80年代から90年代にかけて発生した「第2次ベビーブーム」が終了したためである。総人口増加率は、90年代前半に1・3%程度というかなり高い値だったが、その後低下し、02年以降は1%を切るようになった。13年には0・7%だった。
また、経済成長率も長期的には低下している。83年からの実質GDP成長率は、90、91年にITバブルの崩壊で下がったことを除けば、4%を超える年が多かった。84年には7・3%にもなった。しかし、リーマンショック後は2%程度に低下している。だから、ニューヨークの復活は、80年代から90年代にかけての経済成長の結果であるのかもしれず、今後も続くかどうかは分からない。
最大の問題は、今後の経済成長がどうなるかだ。中間選挙を控え、現政権に対する批判は多い。政府が示す楽観的な経済予測に対する批判もある。政治的なリーダーシップが発揮されていないとの声もある。
しかし、日本に比べれば、アメリカのマクロ的な条件はずっと良い。人口増加率が低下するのは事実だが、プラスだ。IMF(国際通貨基金)によれば、19年までの総人口増加率は、0・6%台だ。実質GDP成長率は、今より上昇し、15年から3%程度の成長になる。
しかも、シリコンバレーを中心にして、新しい技術への挑戦が続いている。自動車の自動運転やバイオテクノロジー、ビットコイン等での新しい技術を期待して、ベンチャー企業に資金が流れ込んでいる。その反映で、不動産価格も値上がりしている。ケース=シラー指数で住宅価格の状況を見ると、次の通りだ。
ニューヨーク市では、06年6月に215・8のピークに達したが、住宅価格バブル崩壊で下落し、09年4月には170・7になった。その後も緩やかな低下が続き、12年2月に158・9のボトムになった。その後回復したが、あまり劇的なものではなく、現在は170程度で安定的だ。ところが、サンフランシスコの最近の状況はかなり違う。06年5月に218・4となった後、09年4月の118・5まで低下したのは、ニューヨークと同じだ。しかし、その後上昇し、14年5月には194・7になった。以上は指数だが、サンフランシスコの住宅価格は、いまやニューヨークより高い。
住宅価格におけるこうした動向は、アメリカが西海岸を中心として今後も成長することを示唆している。

◆2014.11.22
◆追加金融緩和が広げる金融市場と経済の歪み

日本銀行は、10月末の金融政策決定会合で、追加金融緩和を行うことを決定した。これまで、マネタリーベースを年間60兆~70兆円増やすとしてきたが、これを80兆円に拡大する。長期国債の買い入れ規模を、現在の年間約50兆円から80兆円に増額する。満期までの期間の平均も、最大3年程度延長して7~10年にする。
これにより、急速に円安が進んだ。日経平均株価も大きく上昇した。
以下に見るように、この政策は、円安投機を煽ることが狙いだ。円安が進めば、輸出企業の利益が増える。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による株の運用比率引き上げと相まって、株価は上昇するだろう。円安による原材料価格上昇は中小企業の利益にはマイナスに影響するが、日経平均株価にはこうした面は表れず、大企業の利益が大きく影響する。こうして、経済が好転したかのような印象を与える。
しかし、実体経済は改善しない。むしろ、物価上昇による弊害が拡大するだろう。これまでの緩和は、マネタリーベースを増加させただけで、マネーストックに影響を与えることはできなかった。今回もそうなる。
それどころではない。実は、マネタリーベースに関するこれまでの目標値でさえ、達成がままならない状態になっているのである。マネタリーベースを年間約60兆~70兆円増加するには、平均して毎月5兆円以上増やす必要がある。しかし、マネタリーベースの平均残高は、7月に243兆円となって以来、ほとんど増えていない。8月の平均残高は、7月より減少した。9月は246兆円で、7月から2・7兆円増えただけである。
従って、目標値をさらに引き上げるとすれば、その実現のために金融市場に大きな歪みを与えることが不可避になる。

・国民負担によってマイナス金利を維持
金融市場の歪みは、従来のマネタリーベース拡大目標の下でも、すでに顕在化している。それを示すのが国債のマイナス金利だ。
10月23日に財務省が実施した償還期間3カ月の短期国債の入札では、平均落札利回りがマイナス0・0037%となり、日本国債の入札で初のマイナス金利になった。最高落札利回りは0・0000%だった。30日の入札では、平均落札利回りはマイナス0・0041%となり、23日よりマイナス幅が拡大した。また、最高落札利回りがマイナス0・0018%と、初のマイナスとなった。
これまでも、流通市場ではマイナス金利があった。9月5日に3カ月物、9日には6カ月物がそれぞれマイナス金利で取引された。10月21日には、3カ月物がマイナス0・10%になった。日銀は9月9日、初めてマイナス金利で市場から短期国債を買い入れた。
日銀が大量に国債を購入していることから、国債市場はすでに極端な国債不足に陥っている。担保などに必要な短期国債を確保できない金融機関から買い注文が殺到するため、このような高値(利回りは低下)の取引になるといわれる。実際、10月30日の入札では、5兆7400億円の発行予定額に対して47兆6750億円もの応札があった。
「マイナス金利」とは、分かりにくい表現だ。「損失覚悟の高値買い」という方が分かりやすいだろう。こうした取引は不合理なものであり、普通はあり得ない。どこかに必ずトリックが隠されている。
それをごく簡単な数値例で説明しよう。いま額面100円の割引国債を考えよう。これが98円で売り出され、1年後に償還されるとすれば、2円の利益が得られる。このことを、「発行利回り(落札利回り)が2%」という。この国債が発行直後に流通市場でも98円で取引されるなら、流通利回りは2%だ。もし、何らかの事情で国債に対する需要が増加し、99円で取引されるとすれば、流通利回りは1%に低下する。
ところが、最近起きているのは、この国債が101円で落札されたことに相当する。購入した金融機関は、満期まで持てば100円の償還を受けるだけなので、1円の損失が発生する。一見すれば非合理な行動のように思える。しかし、日銀がこれを102円で買ってくれれば、金融機関は国債を売って売却益を得ることができる。
この場合、日銀は償還時に2円の損失を被る。これは、日銀の利益を減少させ、日銀の国庫納付金を減少させる。それは国民の負担になる。結局のところ、日銀納付金減少という形の国民負担が、トリックだ。それによって、「マイナス金利による国債の発行や日銀の買い上げ」という異常な状態を支えているのである。
追加緩和で国債購入目標が増額されたので、今後、このような国民負担は増えるだろう。

・物価上昇で実体経済にはマイナスの効果
FRB(米連邦準備制度理事会)は、10月末のFOMC(米連邦公開市場委員会)後の声明で、資産買い入れ額をこれまでの150億ドルからゼロとした。これによって、2012年9月に開始した量的緩和第3弾(QE3)は終了した。今後は、金利の上昇が予想される。これだけで、日米金利差は拡大する。それによる円安のモメンタムは、すでに8月末から生じている。
今回の追加緩和によって、すでに述べたメカニズムを通じて、日本の金利はさらに押し下げられる。従って、円安に拍車が掛かる。
これが今回の追加緩和の目的だ。直接の為替介入ではないが、民間資金の流れに影響を与えようとする意味で、一種の為替操作である。そのために、サプライズを狙ったのだ。通常の金融政策であれば、サプライズを狙う必要はない。サプライズを狙うのは、投機心理に与える影響を重視するからで、為替操作の特徴だ。
では、円安は日本経済のためになるだろうか? 円安になれば消費者物価指数が上昇するので、日銀が掲げる物価上昇目標には近づくだろう。しかし、そうなったところで、実質所得が低下し、実質消費が増えるだけだ。
実際、家計調査によると、9月の実質消費支出(一人暮らしを除く世帯)の前年同月比はマイナス5・6%となり、6カ月連続のマイナスとなった。これは、勤労者世帯の実収入が前年同月比マイナス6・0%となっているためだ。
また、円安は輸入原材料費を増加させ、中小企業にマイナスとなる。このように、物価上昇は実体経済を改善しない。むしろ、逆に成長を阻害している。
追加緩和の目的は、円安投機を煽ることだ。しかし、これは非常に不健全だ。そもそも、自国通貨の価値を減らそうとするのは、通貨価値の安定という中央銀行の本来の使命と全く逆のものだ。実質実効レートで見れば、未曽有の円安だ。11~12年ごろに比べて3割程度も価値が下がってしまった。1990年代の中ごろに比べれば、円の実質価値は半分程度だ。日本人にとって、資産を円で持つことがリスクになってしまった。長期的には、日本売りが生じるだろう。
また、発行金利がマイナスになれば、金利面から財政へのチェックは働かない。社会保障はすでに持続不可能な制度になっているが、それに対して何もなされていない。日本経済が抱えている問題は深刻だ。それに手を付けず、株価引き上げに時間を空費している余裕はないはずだ。日本経済は、極めて危険な状態に突入しつつある。

◆2014.11.29
◆増税是非判断に必要な景気悪化の原因究明

消費税の税率は2015年10月に10%に引き上げることが法律で定められているが、安倍晋三首相は、この引き上げを延期ないし見送るために、衆議院を解散し、総選挙を行うこととした。増税延期の論拠は、現在の景気情勢が良くないということだ。
景気状況が悪いのは事実だ。ただ、それを増税是非の判断材料とするには、どこがどう悪いのか、なぜ悪いのかを明らかにする必要がある。そうした検討なしに増税の可否だけを問えば、増税反対が多数となることは明らかだ。それでは、政治的にあまりに無責任である(なお、増税の是非を問う総選挙はすでに12年12月に行われている。今回再び同じ問題を問うことの意味も説明されねばならない)。
増税延期論の基礎にあるのは、「これまでアベノミクスはうまく機能してきたが、消費税増税で景気が落ち込んだ」との認識だろう。この認識は正しいだろうか? 仮に選挙を行うのであれば、この点が明らかにされなければならない。
13年の経済成長率が高かったのは事実だ。しかし、それは金融緩和で経済が好循環を始めたためだろうか? そうではないと考えられる根拠を2点挙げる。
第1に、GDPにおける需要各項目の伸びを見ると、公共事業費の増加と消費税増税前の駆け込み需要による住宅投資の増加が成長の主因であったことが分かる。これらは一時的な成長要因であり、それが消費税増税後に元に戻ったと考えるべきだ。つまり、14年4~6月期にGDPが大きく落ち込んだのは、消費税率引き上げの直接の効果というよりは、この2年程度の成長を支えた特殊要因が消滅したことの結果と考えられるのである。
今後、住宅需要が早期に回復するとは考えられない。また、公共事業の伸び率も低下している。従って、仮に2%引き上げが取りやめになったとしても、(株価は上昇するだろうが)経済成長率が13年のような高い値になるとは考えられない。
経済情勢の判断に関して留意すべき第2点は、13年を通じて実質経済成長率が徐々に低下したことだ。これは、円安のために消費者物価が上昇し、それが実質消費の伸びを下げたからである。消費税率を引き上げれば需要が減少することは否定できない。しかし、実質消費は円安によっても抑制されている。消費税にばかり注目が集まっているが、円安による購買力の喪失も大きな問題だ。
しかも、消費税の税収は国内で使われて国民に還流するのに対して、円安がもたらす支出増は海外に流出することにも注意しなければならない。円安を抑制しても、輸出産業の利益増が抑制されるだけである。他方、消費税増税を行わなければ、財政赤字が拡大する。それは、日本経済の長期的パフォーマンスに悪影響を与える。それを回避するには、歳出の削減や別の形での増税が必要だ。従って、仮に消費税増税を取りやめるなら、円安の抑制も行われなければならない。

・過去2年間の成長は一時的なものだった
以上で述べた見方が正しいかどうかは、7~9月期のGDP統計を見ればさらにはっきりする。しかし、本稿執筆時点においてはその計数が得られないので、鉱工業生産指数を見ることとする。この中期的な推移を見ても、過去2年程度の成長率の高まりは一時的であったことが分かる。
指数は、リーマンショックで大きく落ち込んだ後、対中輸出の伸びにけん引されて回復し、10年4月に100を超えた。その後、東日本大震災の影響で一時的に落ち込んだことなどを除けば、12年4月まで100を超えていた。しかし、実質輸出が伸び悩んだため、12年11月に93・4のボトムまで低下した。
ところが、12月から回復し、14年3月の102・2までほぼ連続して上昇した。14年上半期の平均は100であり、13年後半の値とほぼ同じだ。この傾向はGDPと同じである。
鉱工業生産指数はその後低下し、14年8月に95・2となり、14年上半期平均より低くなっている。実質GDPと鉱工業生産指数の相関が高いことを考えると、7~9月期の実質GDPも、1~6月の平均水準から低下する可能性が高い。
12年末以降の指数の上昇は、GDP伸び率の上昇と同じ要因によるものだったと考えられる。右で見たのは、その上昇サイクルが終わったことを意味している。現在の指数は12年12月ごろの水準と大きく変わらない。
以上から結論されるのは、消費税率の2%引き上げを見送ったところで、経済活動が回復することはないということである。

・財政再建目標を放棄することになる
仮に消費税増税を見送るのであれば、別の財源を代替案として示す必要がある。単なる延期では、人気取りにしかならない。
また、金融緩和に過度の期待をかけた経済政策の抜本的見直しも必要だ。消費税増税に対応する5・5兆円の経済対策が行われたのだが、それが効果がなかったことも認めなければならない。
経済情勢に対する判断が甘過ぎたことの反省も必要だ。政府経済見通しで14年度の実質GDP成長率として(当初の1・4%からは引き下げたものの)1・2%という楽観的な数字を掲げていること、月例経済報告で10月まで「穏やかな回復基調が続いている」との判断を示してきたこととの整合性も問われる。
また、財政再建目標との関連も問題となる。これは国際的な公約になっているので、実現できなければ日本財政に対する国際的な信頼は失墜する。
安倍内閣は、13年8月に「中期財政計画」を取りまとめ、「国・地方を合わせた基礎的財政収支について、15年度までに10年度に比べ赤字の対GDP比を半減、20年度までに黒字化、その後の債務残高対GDP比の安定的な引き下げを目指す」とした。国の一般会計の基礎的財政収支赤字については、「少なくとも、平成26年度及び平成27年度の各年度4兆円程度改善し、平成26年度予算においては▲19兆円程度、平成27年度予算においては▲15兆円程度」とするとした。
14年7月に公表された「中長期の経済財政に関する試算」は、「15年度の国・地方の基礎的財政収支の対GDP比は、10年度の水準からの対GDP比赤字半減目標(対GDP比▲3・3%)に対し、▲3・2%程度となり、当該目標が達成されると見込まれる」としている。この試算は、消費税率を15年10月に10%に引き上げることを前提としている。そこで、仮に消費税増税を延期し、また14年の経済成長率を見直した場合には、基礎的財政収支がどう変わるかを示すことが必要だ。
いま問題になっている消費税率の引き上げは、重要ではあるが、財政赤字を大きく減少させられるほどの規模のものではない。財政赤字を本当に解決したいと考えるなら、社会保障制度の根本的な見直しが不可欠だ。しかし、消費税率の2%引き上げすらできないのであれば、社会保障制度の抜本的な見直しなどできるはずはない。日本の政治システムが問題解決能力を持っていないことを、内外に示すことになる。
日本の政治は、「景気失速を恐れるあまり、重要事項を決められない政治」「近視眼的な人気取り政策しかできない政治」との評価を受けることになるだろう。この意味で、今回の決定は象徴的な意味を持っている。

◆2014.12.06
◆GDP統計が暴露した日本経済の厳しい現実

実質GDPが2期連続のマイナス成長になった。これを受けて株価が暴落した。
GDP統計は、「アベノミクス」と呼ばれるものの中身が何であるかを暴露した。
第1に、その中核であるとされた金融緩和は、円安と株高の投機を煽っただけだった。円安は輸出企業の利益を増大させたが、物価を上昇させ、実質消費を減少させた。
第2に、2013年の比較的高い成長率は、消費税増税前の駆け込み需要とバラマキ公共事業という二つの要因に支えられた一時的なものにすぎなかった。「経済の好循環」が起こったわけではなかったのである。
このことは、実質GDPの推移が明らかにしている。13年における実質GDPの水準は中長期的平均水準より高かったが、一時的なものにすぎず、14年7~9月期には、ほぼ12年1~3月期と同じ水準に戻った。
消費税率引き上げで直接に影響を受ける住宅投資と消費支出も、GDPと類似の推移を示している。すなわち、住宅投資の場合には12年4~6月期ごろから、消費支出の場合には13年ごろから、それぞれ一時的に増えたが、ほぼ12年1~3月期の水準に戻った。
だから、いま生じているのは、実に単純なことだ。消費税増税前の駆け込み需要が消滅し、先食いされた需要が調整されているだけである。そして公共事業の大盤振る舞いが終わったのだ。このため、GDPが元の水準に戻った。つまり、「うたげが終わった」だけのことである(以上については、ダイヤモンド・オンライン〈DOL〉の新連載「アベノミクス、最後の博打」、第1回を参照)。
株価や為替レートが乱高下しているのは、これらが実体経済の動きから乖離しているためだ。これまでGDP統計が株価に影響することはほとんどなかったのだが、投機家はようやく実体経済の厳しさに気付いてきたようだ。
雇用条件が改善しているともいわれる。有効求人倍率が上昇し、1を超えるようになっているのは事実だ。しかし、これは、労働供給減少という長期的変化が顕在化したために生じている人手不足だ。経済が活性化して労働需要が増えているのではない。

・消費税増税を延期しても落ち込みは防げない
景気が悪いから消費税増税を延期するのだという。このように主張される論拠は、次のようなものだ。
(1)「アベノミクス」はこれまで金融緩和を中心として順調に機能し、経済の好循環が始まろうとしていた。
(2)しかし、消費税率が3%引き上げられたために、支出が減少し、経済が落ち込んだ。
(3)消費税率をさらに2%引き上げると、支出がさらに削減され、経済がさらに落ち込む。
これらの論点のうち(1)と(2)が誤りであることは、右に述べた。この点は、本連載でこれまで繰り返し述べてきたことでもあるのだが、(2)は重要なので、繰り返し述べよう。
仮に消費税率引き上げが住宅投資や消費支出の水準を下げるのであれば、これらの現在の水準は、中長期的平均水準より低くなっているはずである。しかし、実際には、住宅も消費も、現在の値は中長期的平均水準より若干高い。
「中長期的平均水準」として10~11年の平均値を取ると、14年7~9月期の水準は、民間最終消費支出はそれより1・94%高く、民間住宅は2・97%高い。つまり、消費税率引き上げで消費や住宅投資が中長期的平均水準より減少したということはない。これは、現在の支出の落ち込みの大部分が、前倒し支出の調整であることを示している。
以上の認識が正しければ、(3)の論点も誤りだ。具体的には、次の二つがいえる。
第1に、消費税率2%引き上げを中止しても、経済の落ち込みは回避できない。右に述べたように、落ち込んでいるのは、先食い需要の調整のためだからだ。これは過去に起こったことの調整であり、それ自体は防げない。
多くの人が見誤ったのは、駆け込み需要の大きさである。住宅についての先食い需要を調整するには、4年程度かかる可能性がある(根拠は、前記DOLの記事を参照)。
第2に、消費税率を予定通り2%引き上げたところで景気がさらに悪化することはない。なぜなら、第1に、税率引き上げがこれらの支出水準を長期的に押し下げる効果は小さい。第2に、これまでの駆け込み需要の中には2%分への対応も含まれていたはずだから、予定通り引き上げるとしたところで、新たに駆け込み需要が発生するわけではないし、その反動減もない。

・消費支出を増やすにはどうしたらよいか
政府は、消費を増やすための政策を実行するという。住宅投資の落ち込みは避けられないが、消費については、政策的に増加させることは不可能ではない。なぜなら、消費においても住宅と同じような需要先食いの調整はあるが、それは自動車などの耐久消費財に限られるからだ。それら以外の実質消費が減少しているのは、物価が上昇して実質所得が減っているためである。従って、物価上昇を食い止めれば、実質消費減少も食い止められる。
このためにまず必要なのは、円安を食い止めることだ。なぜなら、消費者物価上昇の大部分は円安による輸入物価の上昇によって引き起こされているからだ。
もっとも、為替レートは政策当局が自由に動かせるものではないため、円安の阻止も容易ではない。しかし、最近の為替レート変動は投機による部分が大きいので、アナウンスメント効果を利用することができるだろう。
まず、「デフレから脱却すれば経済が活性化する」との考えは間違いだと認める。そして、物価上昇率2%の目標は取り下げるべきだ。為替レートや原油価格の動向で決まる物価指数を目標にしたところで、何の意味もない。
もう一つの可能な政策は、電気料金の引き下げである。円安の進行そのものを食い止めるのは難しいが、それによって引き起こされる電気料金の引き上げに対処することは不可能ではない。これに必要な財源は、法人税の増税によって調達する。円安は輸出企業を中心として、企業の利益を棚ぼた的に増大させた。それに課税して電気料金を引き下げるのは、所得移転の補正という重要な意味を持つ。
中長期的な観点から必要とされる経済政策の本丸は、社会保障の改革だ。消費税増税延期後に残されるのは、拡大した財政赤字である。財政再建目標はさらに遠のき、日本の財政に対する信頼が失墜する恐れがある。仮にそうしたことが起きると、金利上昇、国債費の増加、財政赤字の拡大、金利の一層の上昇という悪循環に陥る危険がある。
これを防止するために必要なのは、社会保障の改革だ。「社会保障と税の一体改革」がうたわれたものの、消費税増税が頓挫し、他方で社会保障改革は手付かずのままだ。「成長」というばら色の幻想を振りまくのでなく、社会保障の見直しという地道な努力に注力すべきである。
年金については給付の削減、医療については患者自己負担の引き上げが必要だ。これらは誠に不人気な政策であるが、制度の正常化のためには不可欠である。
社会保障改革として何を打ち出すかは、各政党の政治姿勢を示すこととなる。従って、これに関して、総選挙で各党がいかなる政策を打ち出すかを注視したい。

(2014.12.13)
■早急に手当てが必要な円安による分配の歪み

先般公表された7~9月期のGDP速報で実質GDPが2期連続のマイナス成長になった主な要因は、前回述べたように、一時的な需要が剥落したためだ。ただし、それだけではない。
実質消費の減少も大きな要因だ。その原因としては、駆け込み需要の反動や消費税増税の影響の他、円安による消費者物価上昇もある。
そう考えられる理由は、家計調査で見ると、2013年10月以降、実質収入の対前年同月比がマイナスとなり、実質消費が減少していることだ。これは、消費税増税前から生じている変化である。従って、反動や消費税増税の影響ではなく、円安で物価が上昇しているために生じている現象だ。
中期的に見ても、円安による消費圧迫効果が観察される。家計調査で見ると、10年ごろの方が、家計の実質消費は多かった。具体的には次の通りだ。「二人以上の世帯」について1世帯当たりの消費支出の年平均実質増加率は、11年が▲2・2%、12年が1・1%、13年が1・0%であった。従って、13年の実質消費支出は、10年より0・1%低下しているわけだ。他方、14年9月の実質消費は対前年同月比マイナス5・6%だ。ここから消費税率上昇分3%を差し引いても、マイナス2・6%だ。従って、現在の実質消費水準は、消費税増税よりかなり前である10年平均より3%ほど低下していることになる。
では、物価上昇によって家計の負担はどの程度増えているのだろうか。
家計調査によれば、1世帯当たりの消費支出の13年の名目増加率は1・5%である。実質増加率との差0・5%を、負担増と考えることができる。これをGDP統計の持ち家の帰属家賃を除く家計最終消費支出に乗ずれば、約1・2兆円だ。
なお、名目伸び率と実質伸び率の差は、GDP統計では、若干異なる値だ。持ち家の帰属家賃を除く家計最終消費支出について、13年度と12年度を比較してみると、名目では3・15%の増だが、実質では2・76%の増となっている。差は0・39ポイント、額では0・9兆円である。
最近時点になると、家計の負担は増えている。13年10~12月期から14年7~9月期を前年同期と比較し、消費税増税分を差し引くと、物価上昇による家計の負担増は1・2兆円程度と推計される。
他方で、円安は企業の利益を増やした。法人企業統計によると、13年度の法人企業の営業利益は、12年度より8・6兆円増加して48・6兆円となった。資本金1億円以上の製造業は、円安から大きな利益を受け、4・8兆円増加した(なお、利益増の3分の1強が法人税等として徴収されるので、この全額が配当や内部留保になるわけではない)。
ただし、企業の利益増は、業種や規模によって著しい格差がある。利益が増加しているのは輸出企業が中心であり、小企業では利益があまり増えていない。減少している企業も多い。
このように、円安は、所得分配に大きな影響を与えた。なお、以上についての詳しい分析は、ダイヤモンド・オンライン連載、第2回を参照されたい。

◆2%インフレ目標は取り下げるべきだ
このような状況に対して、何が必要だろうか?
野党はアベノミクスが失敗したと言う。しかし、「ではどうしたらよいのか?」という対案として、はっきりしたものを示しているわけではない。失敗を批判することは必要だが、それだけでは事態は改善しない。
実際、いまは手をこまねいているときではない。先の認識が正しいとすれば、次の二つは、喫緊の課題だ。第1は、2%インフレ目標を取り下げること。第2は、円安をコントロールすることである。そうしなければ、実質消費の減少を食い止められない。
インフレ目標が掲げられているのは、「デフレから脱却すれば経済が活性化する」と考えられているからだ。しかし、実際には、右に見たように、物価上昇に伴って実質消費は減っているのである。
しかも、消費者物価は為替レートや原油価格などに大きく影響される。過去の日本で消費者物価指数が大きく上昇したのは、原油価格が急上昇したときだ。いま物価が顕著には上がらないのは、原油価格が安定しているからである。円安が続いて原油価格が上昇すれば、政府・日本銀行が目標としている2%の達成には近づくだろう(しかし、それによってわれわれは貧しくなるだけなので、目標が達成できたとしても無意味である)。これらは、日本政府が自由に動かせる変数ではない。外的な条件変化で大きく変化してしまう変数を経済政策の目標とするのは、無意味である。
また、現在の為替レートは、実質実効レートで見ると異常な円安であることを認識すべきだ。10年ごろに比べて25%程度も減価している。1995年ごろに比べると、実に2分の1程度に減価している。日本人の購買力は、それだけ減少しているのである。このままでは、日本売りにつながる危険がある。なお、民主党も、政権にあった時代に円安が望ましいとして為替介入を行っていたのだから、その当時の判断の誤りを認めなければならない。
円安を抑制するには、本来は、金融緩和政策を停止すべきだ。ただし、それは難しい課題である。金利暴騰の危険があるからだ。

◆法人税増税で電気料金引き下げを
円安のコントロールが難しければ、それによって引き起こされている所得分配の歪みに対処すべきだ。前回提案した電気料金抑制はそのための重要な手段なので繰り返し述べたい。
電気は、あらゆる産業活動と生活に不可欠のものだ。そして、円安による輸入発電燃料費の増加は、自動的に電気料金を引き上げるので、円安は大きな負担となっている。
13年度における電力10社の売上高は、電灯6・9兆円、電力9・9兆円、計約16・8兆円だ。12年度に比べると、約1・5兆円増加している。家計と企業の電気料金の負担がこれだけ増えているわけだ。
そこで、電力会社に補助を与えて電気料金を引き下げることが考えられる。本来は、特定の対象に補助してその価格を操作することは、市場を歪めるので望ましくない。しかし、電気は需要弾力性が低いので、正当化されるだろう。つまり、これによって電力の過剰使用という問題は起こらないだろう。
引き下げに必要な財源は、法人税の臨時増税で調達する。法人税の減税が必要と言われているときに法人税増税が必要と言えば、常識に反すると思われるかもしれない。しかし、右で述べた分配の変化を頭に入れて冷静に考えれば、いま必要なのは所得分配の是正であり、法人税の増税であることは明らかだ。一定率以上の利益増に課税することとしてもよい。
財源はいくら必要か? 前述の数字からして、1・7兆円の財源が投入されれば、電気料金を平均して10%引き下げることが可能だ。先に推計した所得移転規模と比較すれば、かなりの意味がある。
これを法人税増税で調達するのは現実的だろうか? 13年度の法人企業の税引き前当期純利益は、12年度より16・8兆円増加して56・5兆円となった。しかも、その多くは棚ぼた式の増加だ。従って、1・7兆円の追加負担を求めるのは、政治的には極めて難しいとしても、公平の観点からはぜひ必要なことである。

(2014.12.20)
■トリクルダウンはなぜ生じないか?

トリクルダウンとは、「豊かな者がより豊かになれば、その恩恵は社会全体に及ぶ」という考えだ。自民党は、アベノミクスを正当化する論理としてこれを用いている。これまでは株価が上がって一部の富裕層が利益を得ただけだが、その恩恵はやがて貧しい者にも及ぶというのだ。
トリクルダウンは、原理的かつ一般的にいえば、あり得ることだ。例えば、先進企業が新商品の開発に成功し、事業を拡大するとしよう。すると、オフィスワークからビルの清掃に至るまで、さまざまな付帯サービスが必要になる。こうして波及効果が経済全体に及ぶ。アメリカで1990年代以降に起こったのは、基本的にこのようなことである。85年ごろに〓小平(とう・しょうへい)が唱えた先富論(豊かになれる者から先に豊かになれ)も、トリクルダウンを実現しようとするものだ。
しかし、トリクルダウンは、どんな場合にも生じるわけではない。生じるかどうかは、富者が豊かになるメカニズムによる。それが経済活動の量的拡大を伴っている場合には、トリクルダウンが生じ得る。しかし、単なる分配上の変化であれば、(財政による強制的な再分配を行わない限り)生じない。以下で述べるように、現在の日本の状況は後者に該当する。従って、トリクルダウンは生じていない。今後いくら待っても生じないのである。
円安で株価が上昇し始めたころ、資産効果で高額商品の売れ行きが増加したと報道されたことがある。これも、トリクルダウンを期待した考えだった。そうした効果は、一部にはあったかもしれない。しかし、額的には大きくなかった。あったとしても、消費税増税前の駆け込みで耐久消費財購入が前倒しされただけだった可能性がある。株高の利益の大半は、売買で約6割のシェアを占める外国人投資家に帰属した可能性が強い。株を保有している退職後の富裕層は、株価が上がったからといって、売却して消費してしまうようなことはないだろう。

◆円安による利益増は大企業にとどまる
大企業の利益は増大したが、恩恵は小企業には及んでいない。また、一般の就業者にも及んでいない。これは、データによって確かめることができる。
法人企業統計によって製造業について見ると、資本金1億円以上の企業(以下、大企業)の営業利益は、2014年7~9月期は12年7~9月期に比べて1・39兆円の増加となった。66・1%という極めて高い増加率だ。
その半面、資本金1000万円以上1億円未満の企業(以下、小企業)を見ると、14年7~9月期の営業利益は、円安の始まる12年後半と同程度の水準だ。食料品製造業の小企業は、14年1~3月期と7~9月期で赤字になっている。また、パルプ・紙・紙加工品製造業の小企業の14年7~9月期の営業利益は、12年7~9月期の約半分に減少している。つまり、小企業では、円安によって利益が減少している業種もあるのだ。
雇用の状況はどうか? 労働力調査によると、13年1月から14年10月までの間に、雇用者は127万人増加した。しかし、増えたのは、非正規の職員・従業員である(右の期間で157万人の増加)。その半面で、正規の職員・従業員は、38万人も減少している。非正規労働者は、雇用が不安定であるばかりでなく、正規労働者に比べて著しく低賃金だ。
産業別に見ると、雇用が顕著に増えたのは、建設業、不動産業、医療・福祉、そして飲食サービスだ。建設業、不動産業が増えたのは、住宅駆け込み需要や公共事業の増加のためだ。これらは、一時的な増加である。医療・福祉の増加は高齢者の増加によるもので、アベノミクスとは関係ない。また、医療・福祉や飲食サービスの賃金水準は低い。その半面で、製造業の雇用者は減少している。また、金融業、保険業はほとんど変化していない。要するに、経済の好循環が雇用面に及んでいるとは到底いえない状況だ。
そして、家計調査によると、消費者物価の上昇によって、13年10月以降、実質実収入の対前年比がマイナスになっている。14年4月以降は、名目実収入の伸びもマイナスだ。この結果、駆け込み需要のあった14年3月を除くと、実質消費支出の伸びはマイナスになっており、特に14年4月以降は大きくマイナスになっている。
結局のところ、大企業の利益増大と株価の上昇によって一部の富裕者が利益を受けたのだが、その恩恵は小企業や雇用者には及んでいないのだ(以上についての詳しいデータは、ダイヤモンド・オンラインに連載中の「アベノミクス、最後の博打」を参照)。

◆日本の労働者が貧しくなるから利益が増大する
こうなる理由は、円安が経済の量的拡大をもたらしていないことである。
仮に企業の売り上げが増加し、それに比例して生産と売上原価が増加するのであれば、雇用は増えるし、賃金も上昇する。そして消費が増え、それが企業の生産活動をさらに拡大する。これが「経済の好循環」としてイメージされている姿だ。それが起これば、トリクルダウンが生じる。
この場合には、利益の増加率は売り上げのそれと同じなので、売上高営業利益率は不変だ。しかし、いま生じているのは、円安による円表示の売上高だけの増加だ。この場合には、営業利益率が急上昇する。法人企業統計で製造業大企業を見ると、12年7~9月期に2・87%であった営業利益率は、14年7~9月期には4・61%に急上昇している。大きな技術進歩があったわけでもないのに、短期間のうちにこれほど上昇するのは、利益増が実態面の変化を伴っていないことを示している。実際、製造業小企業での同期間の営業利益率は、2・05%から2・26%になっただけだ。
大企業と小企業の違いは、輸送用機械器具製造業の場合に典型的な形で見られる。大企業では、14年7~9月期の営業利益は、12年7~9月期の1・82倍になった(額では3744億円の増)。それに対して、小企業では、同期間中に営業利益が13・2%も減少したのである。
円安が企業利益を増やすメカニズムは、全てをドル建てで考えてみるとよく分かる。日本製品の輸出価格はほぼ不変なので、輸出数量も不変。従って、ドル建ての輸出売上高はほぼ不変だ。つまり、いつになってもJカーブ効果が発生しない(Jカーブ効果が生じるのは、輸出のドル建て価格が低下するからである)。他方で、日本人の賃金は、ドル建てでは低下する。売上高が不変で賃金コストが下がるから、自然に利益が増える。これは、日本の労働者が貧しくなっていることを意味する。それによって利益が増大するのだから、トリクルダウンとは逆のプロセスが進行していることになる。輸出数量が増えないので、生産が増えず、従って雇用も増大しない。大企業の利益増をもたらしたメカニズムがこうしたものである以上、今後時間がたってもトリクルダウンが生じることはない。
こうした事態が政治的に放置されるのは、考えれば不思議なことだ。なぜなら、有権者数では、円安で貧しくなる人の方が多いからだ。政治制度が正常に働いていれば、円高を求める声が圧倒的になるはずだ。しかし、日本には、円安のメカニズムを正確に理解する政治勢力が存在しない。これは日本の悲劇だ。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク