「超」整理日誌、2015年

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『週刊ダイヤモンド』連載、「超」整理日誌、2015年

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(2015.01.03)
■際限なき円安期待を煽った日銀追加緩和

円ドルレートは、2013年5月に1ドル=100円になってから1年半程度の期間、ほぼ99円から104円程度の範囲で安定的だった。ところが14年の9月以降、円安が進行した。そして、日本銀行が追加緩和措置を発表した10月末以降、特に顕著な円安が進行した。変化は、12年秋から13年春にかけての円安より急速なピッチだった。
今回の円安はなぜ生じたのだろうか。一般に指摘されるのは、日本とアメリカの金融政策の方向が逆であることだ。実際、アメリカの金利が上昇基調にあるのに対して、日本では金利が低下している。その結果、金利差が拡大した。
為替レートに大きな影響を与えるといわれる2年債の利回りを見ると、日本国債は、14年初めには0・1%程度で、その後下がったが、9月まで0・07~0・08%程度だった。ところが10月に入って急低下し、いまはほとんど0%だ。マイナスになることもある。それに対して、米2年債は、14年初めは0・4%程度だったが、その後上昇して9月末に0・55%程度。10月半ばに一時下がったが、現在は0・5%程度だ。この結果、日米金利差は、14年初めの0・3%程度から、0・5%程度に拡大した。
日米金利差が拡大すれば、より有利な投資対象を求めて、資金が日本からアメリカに流出する。従って、円安ドル高になる。現在起こっているのはこうしたことだというのが、一般的な理解だ。
確かに、そうしたメカニズムが働いているのだろう。ただし、これだけでは最近の急激な円安は説明し切れない。
なぜなら、金利差が拡大したのは事実であるが、差自体はそれほど大きなものではないからだ。特に、05~06年ごろと比べると、そうである。このときは、アメリカで金融引き締めが行われた結果、04年から05年にかけて2年債の金利差が3・5%ポイントほど拡大し、4%を超える金利差が生じた。これが円キャリー取引(円をドルに転換し、ドル資産で運用する取引)を誘発し、それが円安を加速させたのである。
ところが、現在の金利差は、右に見たように0・5%程度でしかない。変化は0・2%ポイントにすぎない。これは、05年当時と比べるとかなり小さい。これだけでは、急激な円安を引き起こすには不十分だろう。
円安が生じたのは、期待が大きく変化したためと思われる。日銀の追加緩和が円安の期待を高め、それが実際に円安を引き起こしたのだ。その意味で、追加緩和は、金融政策でなく、為替政策であった。これについて以下に説明しよう。

◆期待の変化が為替レートを動かす
金利平価式(アメリカ金利-日本金利=円高の進行率)によれば、日米金利差が広がると、いったんは円安になるが、その後徐々に円高になる。その結果、円ドルのどちらで運用しても同じことになる。従って、円キャリー取引は、実際の為替レートが金利平価式が示すようには円高にならないことに賭けた投機取引なのだ。
ところが、政府・日銀が介入すれば、金利平価式のメカニズムは働かなくなる。金利平価式は、金利差が広がった場合には、そこで固定されると想定している。しかし、金利差が拡大し続ければ、資金の流出が続き、円安が続く。つまり、ドルで運用することが有利になるのだ。金利差が今後も拡大し続けるという予測が形成されれば、それによって実際に資金が流出し、円安が続く。
このように、為替レートは期待で動く。日銀の追加緩和は、将来円安が続くという期待を強め、円キャリー取引のリスクを低下させたのだ。それによって実際に円安になった。
ここで注意すべきは、金利抑制がマーケットを歪めることによって実現されていることだ。日本の金利は、不自然に低い。日本の財政の実情を考えると、とりわけそうである。
日本の金利がこれほど低いのは、日銀が国債を買い支えているからである。12月1日、アメリカの格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは、日本の政府債務格付けを引き下げた。理由は、財政赤字の中期的削減目標の達成可能性について、不確実性が高まったことだ。本来なら、これによって金利が上昇するはずだが、実際には大きな変化はなかった。日銀の買い支えによって、マーケットが正常に機能しなくなっているのである。
最近では、国債の利回りがマイナスになる場合が生じている。日銀は償還まで保有すれば確実に損失が発生するような高い価格で国債を購入しているのである。本連載の第734回(11月22日号)で述べたように、これは結局は国民負担になる。つまり、日米金利差の拡大、従って円安は、国民負担によって支えられているのだ。
日銀が円安を求めたのは、原油価格下落のためインフレ目標の達成が難しくなったからだ。円安が進めば、物価目標に近づく。しかし、現実には、物価上昇によって、実質消費が減少し、そして経済成長率が低下している(詳細は、ダイヤモンド・オンラインに連載中の「アベノミクス、最後の博打」第2回、第4回を参照)。その半面で、円安は輸出を増やさない。輸出産業の利益を増やして所得分配を悪化させるだけだ。こうした状態を国民負担で支えるのは、誠に不合理だ。こうした状態からは、一刻も早く抜け出す必要がある。

◆円安期待を反転させるために必要なこと
長期的に見ると、円の価値は着実に低下している。最近時点での実質実効為替レートは、1995年ごろの値に比べると、半分近くでしかない。つまり、日本人の購買力は、半分程度になってしまった。これは、日本の産業の生産性低下を反映したものだ。こうした傾向が今後も続く予測があれば、資金は日本から流出し、実際に円安が進む。
最近では、本当の成長戦略を政府が打ち出せないことが分かった。さらに、消費税率引き上げを延期したことで、政府が財政再建を行う意思も能力もないこともはっきりした。だから、長期的な円の下落傾向が続くという予測は、強化されたことになる。
こうした予測により、資金は日本から流出する(すでに富裕層はそうした資産選択をしているかもしれない。年金積立金管理運用独立行政法人も、運用資産中の国内債券の比率を下げ、外国資産の比率を引き上げた)。すでに企業は生産設備を海外で保有している。いまのところ、雪崩的な資金流出は起きていないが、起これば日本は破滅する。
こうしたことが将来起こるという予測を、日銀の追加緩和が強めた。インフレ目標という無意味な目標に自縄自縛になり、期待をあるべき方向とは逆方向に大きく動かしたのだ。その意味で、極めて危険な道への扉を開いたことになる。
現時点で本当に必要なのは、円安期待を反転させることである。そのために必要なことは、第1に、生産性の高い産業をつくること。第2に、高齢化が進展する中で日本の財政が破綻しない条件を整備することだ。それによってしか、止めどもない円の価値低下を食い止めることはできない。
日本経済に関する本当の争点はここにある。それにもかかわらず、円価値維持の必要性を認識する政治勢力は存在しない。日本の政治システムは、最も重要な経済政策の選択に当たって、全く機能していない。
(2015.01.10)
■いまこそ財政再建に正面から向き合え

総選挙を通じて明らかになったのは、「財政再建は絶望的」ということだ。
安倍晋三政権は消費税増税を先送りしたが、それに対して異を唱える政党はなかった。驚くべきは、政権時代に消費税増税を決めた民主党が延期に反対しなかったことだ。
共産党が伸びたのは、自民党批判票の受け皿になったからだといわれた。確かにそうだろうが、それは増税反対を明言したからだ。増税反対だけなら誰でも言える。「では社会保障は大丈夫なのか?」という疑問に現実的な答えを出さなければ、財政崩壊は進むばかりである。
つまり、「全ての政党が、財政再建という困難な課題からは目を背けた」ということだ。現在の日本にとって最も重要で、本来なら最大の争点となるべき問題について、政治は機能していないのである。
投票率が戦後最低になったのは、多くの人が「どこに投票しても事態が大きく変わることはない」と諦めているからだろう。それに加え、現在の日本が危険な方向に進んでいるという認識を持っていないからだ。
国債の利回りがこのように低くては、危機感を持ちようがない。しかし、それは、日本銀行が国債を買い支えているからである。そして、後で述べるように、このことこそが問題なのだ。
税収も円安による企業利益増で増加している。このため、政府が約束してきた財政再建目標(2015年度に基礎的財政収支の対GDP比を10年度比で半減させる)は、消費税増税延期にもかかわらず達成できる可能性がある。これも危機感を弱めている。
しかし、事態は深刻なのである。なぜなら第1に、政府の見通しでも、20年度までと約束している基礎収支の黒字化は実現できない。
第2に、仮に基礎収支が均衡しても、利払いのために国債発行は続く。仮にEU加盟条件を満たそうとすれば、消費税率を30%近くまで引き上げる必要がある(これらについての詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載の「アベノミクス、最後の博打」を参照)。

◆通貨増発によって国家は衰退する
国が衰亡するのは、経済的理由による。財政が破綻し、他方で産業が活力を失うことで国は衰亡し、破綻するのだ。
世界史の教科書は、ローマ帝国は異邦人の侵略によって滅ぼされたと説明している。しかし、グレン・ハバード、ティム・ケインの『なぜ大国は衰退するか』は、ローマ帝国衰退の本質的原因は、それよりずっと前から生じていた経済力の低下にあるとする。始まりは、2世紀末のセウェルス帝による銀貨の改悪だ。その後の皇帝たちも、軍事費のために通貨改悪に頼った。これによって引き起こされたインフレは、最終的にはディオクレティアヌス帝による価格統制につながる。これによって市場経済が機能不全に陥ったのである。セウェルス帝もディオクレティアヌス帝も、多くの歴史家が「偉大」と評価する皇帝だ。しかし、経済的な観点から見れば、彼らこそがローマ帝国を衰退させたのである。
ニーアル・ファーガソンが『マネーの進化史』で言うように、スペインもそうだ。悪名高いコンキスタドール(征服者)たちは、ペルーの高山に世界最大の銀の鉱脈を発見した。そこで採掘された大量の銀がスペインに流入し、見掛け上の繁栄をもたらした。しかし、新しい産業を興すことにはつながらなかったため、結局はインフレが起こった。ローマ帝国の通貨改悪とは一見して逆のメカニズムだが、通貨の増加で経済が衰退した点は同じである。
もう一つの例は、ルイ15世当時のフランスだ。これについては、本連載で述べた(14年7月5日号、7月12日号)。ジョン・ローは、銀行券を増発することによって国の債務危機を救ったように見せ掛けた。しかし、実際にはフランス経済を破滅させたのだ。
どの場合にも、危機が進行しているとき、人々はそれに気付かなかった。緩やかな変化であり、しかも「一見して繁栄しているが実は衰退している」というメカニズムを理解できなかったからだ。
トマ・ピケティは、『21世紀の資本』で、公的債務累増に対する最も望ましい対策は、資本に対する一時的な課税だという。しかし、これは、およそ現実的なものではない(著者も「空想」であると認めている)。
巨額の公的債務の処理手段は、現実にはインフレでしかあり得ず、その結末は右に述べた通りだ。実際、貨幣劣化によるインフレこそが、国家が衰退し崩壊する基本的なパターンなのである。カーメン・ラインハートとケネス・ロゴフは、『国家は破綻する』の中で、産業革命以前にインフレによって国家が債務不履行になった例を23件示している。

◆日本も18世紀のフランスと同じ道を歩んでいる
日本がいま進んでいるのも、これらの大国がたどったのと同じ道である。
寛容な社会保障制度の下で未曽有の高齢化が進んでいるため、社会保障費が止めどもなく増加する。支出の約半分が税でなく国債によって賄われる状態が、すでに15年程度続いている。その結果、国債残高が累増した。一般会計が発行する国債の残高は、税収16年分という巨額のものだ。
国債残高が増えれば、民間が消化し切れなくなり、金利が高騰するはずだ。しかし、現実にはそうしたことは生じていない。それは、日銀が著しい勢いで国債を買い上げているからだ。その結果、政府が民間セクターに対して保有する負債は、「国債」という形から「日銀当座預金」という形に急速に変わっている。国債を民間セクターが持っていれば、償還期限が来れば政府は財源を調達してそれを償還する必要がある。しかし、日銀当座預金であれば、そうする必要はない。政府は、増税したり歳出削減をしたりする心配から、実は解放されつつあるのだ。
これによって金利が極めて低い水準に抑えられているため、一見したところ、何も問題は起こっていないように思える。しかし、そうではない。この状態は、いつまでも続けることができない不自然なものなのだ。
なぜなら、日銀当座預金は支払い要求があれば支払う必要があるからだ。それに対処するのに、日銀は紙幣を刷るしかない。つまり、国債の貨幣化にはまだ至っていないが、潜在的には貨幣になっているのだ。
いま税収が増えているのは、企業利益が増大しているからだ。しかし、それは、企業が新技術を開発したり、生産性を高めたからではない。円安で、円表示の輸出額が増加しているからだ。ドルベースで見れば、売り上げが一定で支払賃金額が増えるからである。つまり、円の価値の下落によって、賃金労働者が貧しくなるからである。その意味で、銀貨の改悪と似たことだ。
財政危機に対処せずに金融的な手段で隠蔽するという意味で、基本的には、ローマ帝国やスペインや革命前のフランスがたどったのと同じ道を日本はたどっている。この道が行き着く先がインフレであることは、歴史が示す。昔と違うのは、外国への資本逃避によって、これが加速される危険があることだ。
本当に必要なのは、社会保障制度の見直しによって歳出の増加をコントロールすること、他方で生産性の高い産業をつくって経済力を高め、それによって税収を上げることだ。日本が抱えている問題を解決する手段は、この二つしかない。
(2015.01.17)
■コストプッシュか需要プルかが問題

日本銀行は、「消費者物価上昇率を2%程度にする」とのインフレ目標を掲げている。この目標は達成できるだろうか?
シミュレーション分析を行うと、この答えはほぼ明らかだ。まず、期限とされている2015年4月の消費者物価上昇率は、0・4%程度になる。これは、輸入物価のこれまでの推移から、ほぼ確実に予測される。
それ以降の消費者物価の動きは、今後の為替レートと原油価格の推移に依存する。従って不確実性があるが、4月までに1ドル140円となるような円安が進む場合、あるいは原油価格が1バレル90ドルまで回復する場合を想定しても、15年度中の消費者物価上昇率の平均値は1%を超えない(詳細は、ダイヤモンド・オンラインに連載中の「アベノミクス、最後の博打」を参照)。
なお、原油価格下落の影響は、まだ消費者物価指数に完全には表れていないことに注意が必要だ。10月の消費者物価指数の対前月比は0・3%の下落となったが、これは円安が進行せず、為替レートが13年4月ごろから14年8月ごろまでほぼ一定だったからだ。
原油価格下落の影響は、今後表れる。まず、ガソリン価格下落が統計に表れる。そして、原材料価格の下落が時間遅れを伴って消費者物価を下落させる。
こうしたことを背景として、「原油関係を除外して目標値を考えるべきだ」との考えが提示されている。そうした指数を分析するのは、もちろん有意義であり、必要なことだ。しかし、それをもって目標不達成の言い訳にするのはおかしい。目標が達成できないからといって目標値自体を変えてしまうのでは、そもそも目標を立てた意味がない。
仮に原油関係を除外するなら、円安による物価上昇分も除外すべきだ。とりわけ、円安によって発電用燃料の輸入価格が上昇し、そのために引き上げを余儀なくされてきた電気代は除外すべきだ(電気代はこれまで消費者物価上昇に大きな寄与をしてきた。10月では、対前年同月比5・2%の上昇で、寄与度は0・20%)。
ただし、問題は、このようなささいな技術論ではない。本当に検討すべきは、「2%目標を達成できるかどうか」ではない。「そもそも、インフレ目標を達成することに意味があるのか?」ということだ。あるいは、「物価上昇を経済政策の目標にするのが正しいかどうか?」ということである。以下では、この問題について考えよう。

◆良いインフレと悪いインフレ
この問題を考える場合、次の二つを区別する必要がある。
(1)「デマンドプル・インフレ」。これは、経済活動が拡大して総需要が拡大する結果として生じる物価上昇である。経済活動の拡大は望ましいことだから、デマンドプルで穏やかなインフレが生じるのは望ましい。その意味で、これは「良いインフレ」といえる。
(2)「コストプッシュ・インフレ」。これは、外的な要因によって生産コストが上昇するために生じる物価上昇だ。円安や原油価格上昇によって引き起こされる物価上昇は、コストプッシュである。後で述べるように、労働力の供給減によって賃金が上昇する場合もそうだ。デマンドプルが需要サイドの要因であるのに対して、コストプッシュは供給サイドの要因だ。コストプッシュ・インフレが生じると、産出高は減少する。従って、これは「悪いインフレ」だ。
このように、物価を上昇させる要因が問題である。この二つを区別せずに、インフレ率だけを問題にするのは誤りだ。
「インフレ率を高くしたい」というのは、インフレが「良いインフレ」、つまりデマンドプルであることを前提にしたものだ。しかし、実際に生じているインフレの多くは、デマンドプルではなく、コストプッシュだ。1970年代以降の日本において、消費者物価が顕著に上昇したのは、原油価格の上昇か円安が生じたときだ。経済活動が拡大したときではない。
この2年程度の間に起きていることもそうである。円安によって原材料価格が値上がりし、それが製品価格に転嫁されて消費者物価が上昇している。これによって家計の実質所得が減少し、実質消費が減少している。それが経済成長率を押し下げている。これは、望ましくない物価上昇だ。
原油価格の下落は、供給面の変化だが、コストプッシュと逆向きの動きである。それによって生産コストが低下し、企業の利益が増える。また、消費者物価指数の上昇率が低下して、家計の実質所得が増え、実質消費が増える。これは、経済を拡大させるという意味で望ましい変化だ。
それにもかかわらず、日銀はインフレ目標そのものにこだわり、追加緩和を行って円安を加速させ、望ましくないインフレを加速させようとしている。目標に自縄自縛になって、国民を貧しくしようとしているのだ。これは、本末転倒以外の何物でもない。

◆賃金上昇そのものよりその原因が重要
デマンドプル・インフレとコストプッシュ・インフレを判別するには、産出高を見ればよい。デマンドプルの場合は産出高が増えるが、コストプッシュは産出高を減少させる。すでに述べたように、この2年間程度の円安によって経済成長率がマイナスになっている。これは、需要増大によるインフレではなく、コストの上昇であるからだ。
以上で述べた区別は、賃金についても当てはまる。
「賃金が上がればよい」といわれる。経済活動が活発化し、労働に対する需要が増大して賃金が上がる場合には、確かにそうである。これは、デマンドプルによる賃金上昇だ。
しかし、今後に予想されるのは、生産年齢人口の減少によって労働供給が減ることによる賃金上昇だ。これは、コストプッシュであり、望ましくない。
ここ1年程度の間に、労働市場の条件は大きく変わった。それは、有効求人倍率が1倍を超えたことに端的に表れている。多くの人は、これを「雇用条件の改善」と捉えている。しかし、有効求人倍率の上昇は、「求人の増加」という需要面の要因だけでなく、「求職の減少」という供給面の要因によっても、もたらされてきた。最近では後者の要因の方が強い。つまり、労働供給の減少は、すでに顕在化しているのである。
今後は、供給減要因がさらに強くなる。これは、コストプッシュ型の賃金上昇を引き起こす可能性が高い。つまり、賃金が上がるのは常に望ましいことではないのだ。
この場合にも、賃金上昇率それ自体が重要なのではなく、原因が重要である。就業者数が増加するか減少するかが重要なのだ。産出高が増大する結果として労働に対する需要が増え、マイルドな賃金上昇があるのが望ましい。しかし、今後起きるのは、就業者数の減少を伴う賃金上昇だ。
政府は、15年の春闘など賃金決定過程に介入しようとしている。しかし、市場メカニズムで決まるべき賃金決定に政府が介入すれば、市場をゆがめ、結局は産業力を弱めることになる。
産業力の減退による通貨価値の下落が続き、物価が押し上げられる場合もある。いまロシアで起こっているのはそれだ(ルーブルの下落により、10月末の物価上昇率は、前年比8・4%になっている)。物価上昇だけを目的にして産業力衰退を放置すれば、日本もロシアのような事態になる。
(2015.01.24)
■株式の値上がり益に課税しなくてよいか?

株価の上昇によって、株式保有者の金融資産額は、この数年間で大きく増えた。その状況は、日本銀行の資金循環統計によって知ることができる。
それによると、家計の金融資産残高は、2012年9月期から14年9月期までの2年間で約141兆円増加した。増価総額中のシェアは、流動性預金が20・0%、投資信託受益証券が21・1%、株式・出資金が41・6%(うち株式が24・2%)、保険・年金準備金が13・4%だ。
保険・年金準備金の増も、保有株式の価値上昇によると思われる。そこで、投資信託と株式・出資金、保険・年金準備金を合わせると、76・0%になる。つまり、金融資産増の大部分は、株価の上昇によってもたらされたことになる。額で言えば、107・3兆円だ。株式だけを取っても、34兆円だ。株式は、金融資産総額中の比重は5%程度でしかないが、増加額では約4分の1もの比重を占めたのだ。
ところで、ヘイグとサイモンズによれば、純資産の増加は担税力を増加させるので、所得と見なされる。これは、「包括的所得概念」と呼ばれ、所得税の公平負担を考える際の基本的な所得概念として、理論的に広く支持されている。この考えによれば、金融資産の価値の増加(キャピタルゲイン)は、未実現であっても、「所得」と見なされる。資産を担保にして借り入れし、現金を得て支出できることを考えれば、現実的な経済力の上昇であることが納得できよう。
前記の株価による金融資産増は、新規貯蓄によるものもある。しかし、株式関係については、大部分が株価上昇に起因するものと考えられるので、所得と見なされる。
ところで、GDP統計によれば、雇用者報酬は、12年10~12月期から14年7~9月期までの2年間で497・8兆円だ。右に述べたキャピタルゲイン107・3兆円は、このほぼ5分の1だ。この他に、配当所得も増加している。雇用者報酬は、円安によって物価が上昇しているので、実質で見れば減少気味だ。従って、所得分配上の大きな変化が生じていることになる。

◆株価上昇の利益は高額資産保有者に帰属
問題は、株価上昇による利益が、いかなる人々に帰属したかである。株式を保有しているのは高額資産保有者であり、利益は彼らに帰属したと考えられるが、それをデータで確かめられるだろうか?
実は、そのためにはデータが不足している。全国消費実態調査には所得階層別金融資産のデータがあるが、高額資産保有者の詳しい実態は分からない。
野村総合研究所が14年11月に公表した調査は、この問題を考えるに当たって、貴重な資料となる。ここでは、純金融資産保有額別の世帯数と資産規模が、各種統計から推計されている。
結果を見ると、11年から13年までの資産の増加状況が、資産保有額5000万円以上と未満とで画然と分かれていることが分かる。すなわち、世帯数では全体の92・1%を占める5000万円未満の資産増加率は6・5%でしかないのに対して、世帯数では全体の7・9%にすぎない5000万円以上では25・8%にもなっている。5億円超では、増加率65・9%だ。
これは、金融資産中の株式比率が異なるため、株価上昇の影響が異なることによるのだろう。つまり、5000万円未満では株式をあまり保有していないのに対して、5000万円以上では株式の保有が多いだろう。そうだとすれば、株価上昇の恩恵を受けたのは、全体の8%未満の世帯が中心ということになる。
資産額5000万円以上の世帯の2年間の資産増総額は99兆円だ。5億円超の世帯では29兆円だ。29兆~99兆円という数字は、資金循環統計で見た数字(株式だけで34兆円、間接を含め107・3兆円)とほぼ見合っている。
もっとも、これとは整合的でないデータもある。金融広報中央委員会が実施した調査によると、所得階層別に見た資産増加はもっと広範囲に分布しており、また株式の保有も必ずしも高額所得者に偏っているわけではない(ただし、資産階級別にどうなっているかは示されていない)。また、金融資産が増加した理由として、株価の上昇よりは、所得増加による貯蓄増を挙げる回答が多い。これは、野村総合研究所のとは異なるイメージだ。株価上昇の利益を享受したのは一部の高額資産保有者だと考えられるのだが、より広い範囲の人々が利益を受けた可能性も否定できない。

◆求められる日本のヘンリー・ジョージ
前記のキャピタルゲインは、株式が売却されて売却益が実現されれば課税されるが、未実現である限りは、課税所得とは見なされない。しかし、包括的所得税の考えからすれば、雇用者報酬の5分の1にも上る所得が全く課税されないのは、大きな問題だ。
しかも、それは、不労所得である。社会に積極的な貢献をしたために生じた所得ではなく、「棚ぼた」式にもたらされた所得だ。だから、課税しても経済活動が阻害されることはない。そして、高額資産保有者に偏って発生している可能性が高い。しかし、実際には、未実現キャピタルゲインが課税されないだけでなく、金融資産からの所得に対する課税は不十分だ。
前述のキャピタルゲイン107・3兆円に10%の税率で課税を行えば、約10兆円の税収が得られる。年間では約5兆円だ。これは消費税率の2%引き上げとほぼ同じ額だ。法人税の減税だけが議論され、こうした課税が提案されないのは、全くおかしい。法人税を減税しても実体経済は変わらず、内部留保が増えるだけだ。これは株価を上げ、所得配分をさらにゆがめる。
19世紀のアメリカの社会改革者ヘンリー・ジョージは、経済の発展に寄与しない土地保有者が、地価の値上がりで裕福になる様を見て、土地資産に課税すべきだと主張し、当時のアメリカ世論の広い支持を受けた。いまの日本の革新勢力は、「増税反対」と言うだけで、資産格差が拡大している現状に何も積極的な提言をしていない。
もちろん、未実現の値上がり益に課税するのは容易でない。第一に、税支払いのための現金がないという流動性の問題がある。第二に、資産保有状況の把握が不完全だ。金融資産所得は分離課税されているため、課税当局は金融資産の保有状況を完全には把握していないと考えられる。給与所得をはじめとする労働所得の把握はほぼ完全になされているのに対して、資産所得の把握は不十分だ。
第三に、株高は円安によって生じたものであり、為替レートが変われば変わる。高い株価が永続する保証はないから、円高になって株価が下落すれば給付金を与えるのか? といった議論が生じる。
しかし、こうしたことを理由に「課税しなくてよい」ということにはならない。支払い現金の問題は、納税延期や貸し付けなどの方法で回避できる。また、把握は、国民総背番号の導入などによって実現すべき課題だ。これは、高額資産保有者の課税に不可欠の手段であるにもかかわらず、反対が多い。国民の大部分は、敵に塩を送っていることになる。
トリクルダウンは待っていても実現しない。民間企業の決定に介入して賃上げを求めるのでなく、税制を通じて分配の公平化を図るべきだ。
(2015.01.31)
■円安の賃金引き下げ効果 原油価格下落で明らかに

原油価格は、2014年夏には1バレル100ドル程度だったが、15年1月中旬には40ドル台にまで下がった。数カ月で半分以下になったわけだ。
1年程度の期間で見れば、異常なことのように思われる。しかし、長期的趨勢を見れば、「下がっている」というより、ここ数年上がり過ぎていたのが元に戻ったのだということがすぐに分かる。
米金融緩和政策の終了で投機マネーが原油から逃げ出したためだ。投機の時代が終わり、ノーマルな傾向に回帰しているのである。だから、現在の水準は一時的なものではない。
日本の原油輸入額は、現在年間14兆円程度である。仮に為替レートが一定なら、7兆円超の輸入減になる。これだけで貿易赤字は半減する。所得の海外流出がそれだけ減るわけだ。日本は世界第3位の原油輸入国なので、原油値下がりによって世界で最も恩恵を受ける国の一つだ。
年間7兆円というのは、消費税率3%の税収にも匹敵するほどの大きさである。また、発電用燃料であるLNG(液化天然ガス)の輸入額ともほぼ同じである。LNGの輸入額は発電の火力シフトによって年間3兆円程度増加したが、その増加分を優に吹き飛ばす。つまり、原発再稼働は必要なくなったわけだ。本来なら、原油値下がりを契機として、経済全体が活気を取り戻すはずである。これこそが経済の好循環だ。
しかし、いま日本の消費者は、それほど大きな変化が起こっていると実感しにくい。なぜなら、ガソリン価格がさほど低下していないからだ。昨年夏に1リットル159円程度であったガソリン価格は、130円程度と、約8割の水準になった。アメリカのガソリン価格が、昨年夏の3・7ドル程度から最近の2・2ドルまで約6割の水準に下がったのと対照的だ。
日本のガソリン価格があまり低下しない一つの理由は、税の比率が高いことだ(ガソリン税と石油税、消費税で、1リットル70円程度の税がかかる。アメリカではガソリン税の比率は本体の2%未満の州が多い)。それだけでなく、為替レートが円安になり、原油価格下落を打ち消している効果も大きい。そのため、円ベースの貿易収支も右に述べたほどは縮小しない。

◆日本人の賃金はドルベースで下落している
「アメリカではガソリン価格が約6割に下がったが、日本ではそれほど下がっていない」と言った。
しかし、見方によっては、日本でもアメリカと同じようにガソリン価格は下がっているのだ。
日本のガソリンスタンドが、価格をガソリン本体と税に分けて表示し、本体についてはドル価格も表示しているとしよう。昨年8月、為替レートは1ドル100円で、ガソリン価格は1リットル150円だったとする。それが、今年1月には、為替レートは1ドル120円で、ガソリン価格は130円になったとする(数値は現実に近いが、分かりやすいように単純化してある。また、以下の計算も、税について若干の簡略化をしている)。
昨年夏には、1リットルの価格を次のように表示していたはずだ。本体80円(0・8ドル)、税70円。それが今年1月には、次のようになる。本体60円(0・5ドル)、税70円。このように、本体価格は0・8ドルから0・5ドルへと約6割の水準に低下している。これは、アメリカ国内の場合とほぼ同じ低下率である。
日本で生活していても、アメリカの会社からドルベースで給料をもらっている人なら、ガソリン本体価格がアメリカ並みに低下しているのを享受することができる(この他に税を支払う必要があるが、これは住んでいる国の事情で決まるので、やむを得ない)。
「日本人がそうした利益を享受できないのは、給料が下がっているからだ」と解釈することができる。次の数値例を考えると、これが理解できるだろう。
給料は、1時間当たりアメリカで16ドル、日本で1600円であるとしよう。昨年夏には、ガソリン本体10リットルの価格が、日本で800円、アメリカで8ドルだったとすれば、それを買うために、日本でもアメリカでも、30分働く必要があった。今年1月には、アメリカ人は約20分働けばよい。しかし、日本人は約23分働く必要がある。昨年より良くはなったが、アメリカ人ほどではない。
その理由は、日本人の給料がドルベースで見ると、1時間16ドルから約13ドルへと、8割ほどの水準に引き下げられたからだ。つまり、円安とは、日本人の給与を引き下げることなのである。

◆いまこそ円安の意味を理解すべきだ
日本人が給与下落に気付かないのは、日本国内の物価もドルベースで同じように下がっているからだ(ただし、正確に言うと、物価は給料ほどは下がらない。従って、少しは貧しくなる。これが、「実質賃金が下落している」ということだ。しかし、この変化は大きなものではないので、気付きにくい)。
このプロセスで得をしているのは、輸出業者である。なぜなら、第1に、輸出品の販売価格をドルベースで変えていないからだ(原理的には下げることも可能だが、その戦略を取っていない)。第2に、国内で購入する原材料の価格がドルベースで下落している。特に賃金が下落している。だから利益が増えるのである。
以上で述べたことは、実は当たり前のことである。それを分かりにくく説明しているだけと思われるかもしれない。しかし、次の2点は、こうした説明をしないと気付かないだろう。
第1は、「企業が努力したから利益が増えたのではない」ということだ。賃金が自動的に安くなってくれたから、利益が増えたのだ。
だから、労働者としては、ドルベースでの給与が一定になるように賃上げを求めてもよい。つまり、2割の引き上げを求めてもよい。数パーセントの賃上げでごまかされてはならない。なお、これが実現した場合には、他の物価も2割上がるだろう。
第2は、輸出と外国人旅行者の違いである。輸出量は伸びないが、外国人旅行者は顕著に増加している。これは、外国人から見て、日本の輸出品の価格は変わらないが、日本のホテル代や食事代は2割ほど低下したからだ。つまり、日本のホテルやレストランは、安売りして客数を伸ばしているのだ。ドルベースで見た売上高が増えているかどうかは、分からない。利益増加率が高いのは、輸出の方である。
以上のことは、落下するエレベーターの中に閉じ込められた鳥に喩えることができる。外界を基準にすれば鳥も落ちているのだが、エレベーターの外が見えないので、それに気付かない。
日本人も、海外旅行をしないと、自分が貧しくなっていることに気付かない。昔のドイツ人は強いマルクを歓迎した。南欧に行って王侯貴族の旅行を楽しめたからだ。いまユーロという巨大エレベーターの中に閉じ込められて、ドイツ人からこうした感覚は失われているかもしれない。
日本の革新勢力は、「円安とは賃金の自動引き下げ」ということを、まったく理解していない。民主党も円安を求めた。
原油価格急落のように大きな出来事が起こると、「なぜガソリン価格が下がらないのだろう?」と多くの人が考え、エレベーターの外の様子を見ようという気持ちを起こすだろう。いまは、円安の意味について考える絶好の機会である。
(2015.02.07)
■国民負担で支えられる日本の異常な金利低下

日本の金利が低下している。10年国債の利回りは、2014年前半には0・6~0・7%程度であったが、15年1月には0・3%を割り込んでいる。
さらに、マイナス金利が発生するようになった。2年債利回りは、14年12月初めにマイナスになり、中旬以降は継続してマイナスである。3年債利回りも12月下旬から継続してマイナスだ。5年債利回りもゼロに近づいている。これは、流通市場でのものだが、発行市場においてもマイナス金利が発生している。10月に、償還期間3カ月の国庫短期証券の平均落札利回りがマイナスになった。
なぜこうした現象が生じているのだろうか? 原因の一つは、アメリカの金融緩和策終了によって投機資金が危険資産である原油から流出して、安全資産である国債に流入していることだ。実際、金利低下は日本だけの現象でなく、世界的な現象だ。この数カ月、世界の多くの国で金利が異常に低下しているのである。アメリカの10年債利回りは、12月中は2・2%を超えていたのに、12月終わりから低下し、いまは1・8%だ。ドイツ国債の利回りも低下している。
ただし、日本のマイナス金利は、こうした世界共通の条件だけによるのではない。これに加えて日本銀行による国債購入という特殊な要因がある。そして、それは極めて大きな問題をはらむものだ。これについて以下に述べよう。
まず、アメリカの場合には、10年債の利回りは低下しているものの、1年債や2年債では上昇していることに注意が必要だ。1年債は、10月末まで0・1%程度だったが、その後上昇し、1月初めには0・25%程度だ。2年債も14年6月までの0・4%程度から、12月には0・7%程度になっている。これは、アメリカが金融緩和を終了したからだ。イールドカーブがフラットになりつつあるわけで、これは金融緩和終了に伴う正常な現象だ。このように、日本とアメリカの金利動向には大きな差がある。

◆ドイツと日本で全く異なるマイナス金利のメカニズム
マイナス金利は、日本だけで見られる現象ではなく、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国の短期国債でも見られる。ただし、メカニズムに大きな違いがある。これも、注意すべき点だ。
ヨーロッパのマイナス金利の原因は、欧州中央銀行(ECB)が当座預金の付利をマイナスにしたことだ(現在ではマイナス0・2%)。銀行が資金を当座預金に置かず、企業に融資することを促そうとしているのである。なお、スイス中銀も、預金の金利を1月22日からマイナスにした。また、コメルツバンクは、大口預金からの利子の徴収を始めるとした。
こうした状況下では、民間銀行や大口預金者は、預金をして金利を取られるよりも、利回りが多少マイナスでも信用度の高いドイツ国債を保有しようとする。このためにドイツ国債の利回りがマイナスになるのである。国債利回りがマイナスになるのは、投資家が自分でコストを負担する結果だ。ECBは何もコストを負担していない(むしろ、利子収入がある)。コストを負担せずに国債利回りを低下させているのだから、ECBの思惑通りの結果になっているといえる。
日本の場合のマイナス金利は、これとは異なるメカニズムで生じている。マイナス金利とは、発行価格または流通価格が額面を上回る状態だ。つまり、満期まで保有すれば確実に損失が発生する状態である。なぜそのような高い価格で民間銀行が購入するかといえば、それより高い価格で日銀が買い取ってくれると期待できるからだ。
実際、日銀は14年9月、マイナス金利で市場から短期国債を買い入れた。従って、銀行はマイナス金利の国債を買っても負担を負うことはない。最終的には日銀の負担になる。
結局のところ、マイナス金利の負担を、ドイツでは民間銀行や投資家が負っているのに対して、日本では、日銀が負っている。これは、日銀納付金の減少を通じて、最終的には国民の負担になる(日銀の収益は国庫納付金として政府に支払われる。13年度は5793億円)。
なお、「外国人投資家は、為替スワップを通じて円をマイナス金利で調達できるため、マイナス利回りの国債に一定の需要がある」とも指摘される。ただし、これも、日本の金利が低いからこそ可能になることである(「為替スワップ」とは、一定期間、異なる通貨で運用・調達を行う取引。円の金利がゼロ近くまで低下している場合、高金利通貨を原資に円を調達すると、金利収入を得られる場合がある。そうなった場合には、マイナス金利の日本国債で運用しても、プラスの利回りを確保できる)。

◆日銀は、保有国債の減価による損失を公表すべきだ
発行市場での金利がマイナスになったということは、政府は利子収入を得ながら資金を調達できるということだ。こうした状況下で財政再建のインセンティブが働くはずはない。
しかし、こうした異常な状況は、いつまでも継続するものではない。それは、政府自らが認めていることである。
内閣府が作成した「中長期の経済財政に関する試算」(14年7月)の中で、名目長期金利は、18年に3%を超え、21年には4%を超えると想定されている(「経済再生ケース」)。つまり、現在の極めて低い金利水準は長期的な均衡値ではなく、かなり近い将来において正常化し、現在より3%ポイント程度上昇すると考えられているわけだ。
そうであれば、日銀が保有している国債に損失が発生する。前記のようにマイナス金利で購入した場合はもちろんのこと、プラスの金利で購入したものについても、損失が発生する。その額はどの程度のものだろうか?
この答えは、日銀がさまざまな償還期限の国債をどの程度の価格で購入しているかによるので、そのデータがないと計算することができない。ただし、次のようにして見当をつけることはできる。
日銀は「金融システムリポート」(14年10月)の中で、金利上昇による損失額の推計を行っている。金利上昇幅が3%の「パラレルシフト」の場合(金利が全ての年限で一様に3%ポイント上昇した場合)、大手銀行と地方銀行を合わせた国内銀行全体で保有する債券の時価損失は、14・5兆円に上る。内訳は、大手銀行が6・7兆円、地域銀行が7・8兆円だ。
ところで、日銀の資金循環統計によれば、14年3月末時点の国内銀行のバランスシートにおいて、「株式以外の証券」の残高は、193・9兆円となっている(うち国債、財融債が101・2兆円)。他方、日銀のバランスシートにおける「株式以外の証券」の残高は、210・1兆円である(うち国債、財融債が156・9兆円)。
日銀と国内銀行では、保有している債券の構成が異なるので単純な比較はできないが、単純に比例計算をすれば、金利上昇幅が3%ポイントの場合の日銀の損失は15・7兆円になる。これは、総資産額253・3兆円の6・2%に相当する巨額なものだ。
日銀は、金利が高騰した場合の民間金融機関の損失については推計を公表しているが、自らが被る損失については公表していない。しかし、その額の巨大さと、それが国民負担に直結するという重要さを考え、ぜひこれを公表すべきだ。
(2015.02.14)
■原油価格の低下で貿易赤字が減少する

「貿易統計」(速報値)によると、2014年の輸出は73・1兆円で対前年比4・8%増、輸入は85・9兆円で5・7%増、貿易収支赤字は12・8兆円で、過去最大(対前年比11・4%増)となった。
輸入増加の大きな原因は、火力発電用の燃料の液化天然ガス(LNG)の輸入が増えたことだ(7・8兆円。対前年比11・2%増、寄与度1・0%)。なお、後述のように、原油の輸入が減少している。輸出では、自動車の増加が顕著だった(対前年比4・9%増、寄与度0・7%)。
数量指数は、輸出が90・7で対前年比0・6%増、輸入が106・0で0・6%増だった。輸出数量は4年ぶりの増加だが、円安が進んでいることを考えれば、はかばかしい伸びとはいえない。なお、年間数量ベースで見ると、乗用車は▲2・3%、自動車の部品は▲3・2%となっている。また、映像記録・再生機器が▲31・1%と、大きく落ち込んでいる。半面で、ICの輸入数量は14・4%と大きく増加した。
貿易収支を中期的に見ると、02~07年ごろの10兆円程度の黒字から、13、14年の10兆円を超える赤字へと、20兆円以上悪化した。経済全体の総需要が、これだけ減少したわけだ。
ここ数年の期間においては、円安の赤字拡大効果が極めて大きい。そのおおよその大きさは、次のように計算される。
税関長公示レートの14年の平均値は、105・30円/ドル(対前年比:8・7%の円安)である。仮に14年の為替レートが12年(79・55円/ドル)のままであったとすれば、14年の輸出は55・2兆円に、輸入は64・9兆円になっていたはずだ。従って、貿易収支赤字は9・7兆円にとどまっていたはずだ。これは、現実の赤字の75・5%だ。従って、残り24・5%は円安によるものということになる。
また、12年の赤字からの増加額は、2・8兆円にとどまったはずだ。これは、実際の赤字増加額5・9兆円の46・9%に当たる。従って、残り53・1%は円安によるものである。このように、ここ2年間の赤字増加額の半分以上は、円安によってもたらされたものだ。
右に述べたように、数量指数の変化は輸出についても輸入についてもごくわずかだ。従って、貿易収支が赤字である以上、円安の進展によって輸入額の方が輸出額より大きく増加し、そのため赤字額が増加するのである。

◆原油価格下落で貿易赤字は7兆円程度減少する
14年秋以降、原油価格は数カ月間で半分程度の水準にまで下落した。このことは、14年の貿易収支にも大きく影響している(原油・粗油の輸入額は13・9兆円。対前年比は▲2・6%、寄与度は▲0・5%)。
12月の数字を見ると、その傾向がさらに顕著に表れている。原油・粗油の輸入額は1・1兆円で前年同月比22・0%の減少となった。寄与度は▲4・2%だ。
他方で、LNGの輸入額は0・8兆円で、対前年同月比15・6%増、寄与度は1・5%なので、LNGの輸入増加分を原油の輸入減少分が完全に打ち消している。なお、これらを含む「鉱物性燃料」で見てみると、輸入額は2・4兆円、対前年同月比▲10・6%、寄与度が▲3・9%となっている。
最近の状況を見ると、貿易赤字は対前年比で減少している。14年12月の貿易赤字は0・7兆円だったが、これは前年同月の49・5%と、半分以下の水準だ。こうなった最大の要因は、原油輸入額の減少だ。
この傾向は今後も続くと考えられる。貿易統計によると、原油・粗油の輸入価格(CIF)単価は、1バレル当たり、10月が100・7ドル、11月が90・82ドル、12月が79・13ドルとなっている。このように、原油価格低下の影響は、まだ完全には輸入価格に反映されていない。ドル表示の輸入単価は、今後さらに低下するだろう。
仮に為替レートが今後変化せず、輸入数量も不変とすれば、原油・粗油の輸入額は、14年の13・9兆円から7兆円近く減少する可能性がある。これは、貿易収支の赤字を大きく減少させるだろう。
また、日本経済にとってそれだけの需要増大効果を持つことになる。7兆円というのは消費税率のほぼ3%分に相当する額だから、効果は極めて大きい。消費税増税分は国内で支出されることを考えれば、原油輸入額の減少の方が効果は大きい。
ただし、貿易収支が黒字化することはないと考えられる。これについては、後で検討する。
ところで、LNG輸入額は、東日本大震災前の10年には年間約3・5兆円であった。従って、発電の火力シフトによる輸入増加額は4・3兆円程度だ。原油価格の低下による輸入減少額は、これよりずっと大きい。言い換えれば、貿易収支上の理由から原子力発電所の再稼働を急ぐ必要はなくなった、ということになる。

◆貿易収支の黒字化ほどの輸出回復は難しい
「円安の効果がやっと表れ、輸出が伸び始めている」との見方がある。これと原油輸入額の減少を合わせれば、貿易収支が黒字になるともいわれる。果たしてそうなるだろうか?
確かに、貿易統計で12月の輸出数量指数を見ると、対前年比プラスになっている。特に、対米、対EUが伸びている。
ところが、アメリカの貿易統計で財の輸入を見ると、輸入額全体は14年4月ごろから対前年比で2~4%程度の伸びを示しているにもかかわらず、日本からの輸入は伸びていないのである。むしろ、中国、韓国などからの輸入の伸びが顕著だ。14年第3四半期の輸入の対前年同期比は、中国が6・1%増、韓国が9・7%増であるのに対して、日本からの輸入は5・1%の減となっている。
日本の貿易統計で輸出価格指数の対前年伸び率を見ると、14年4月以降、2~4%程度の水準であり、為替レートの減価率を下回っている。これは、日本の輸出業者が現地通貨建て輸出価格を下げているためだと思われる。
実際、企業物価指数で契約通貨ベースの輸出物価を見ると、対前年比で▲1%程度である。つまり、現地通貨建て輸出価格が低下している。このため数量が伸びたのだが、価格弾力性が低いために、ドルベースの売り上げが減少したのだと考えられる。
このことは、日本貿易振興機構(JETRO)が作成するドル建て輸出統計でも確かめられる。すなわち、ドル建て輸出の対前年伸び率は、14年1~11月において、世界で▲3・5%、対米で▲3・7%である。11月単月では、それぞれ▲7・5%と▲5・8%だ。このように、状況は最近になって悪化している。なお、対ドルベースでの数字は、先に述べたアメリカの貿易統計の数字とほぼ整合的である。
結局、次のようなことだと考えられる。日本の輸出業者は、14年の春ごろ以降、現地通貨建ての価格を(円安に比例するほどではないが)下げ始めた。しかし、販売数量が目立って増えなかったので、売上高は減少した。従って、今後円安がさらに進展すれば円ベースでの輸出額は増えるだろうが、目立っては増えないだろう。
原油価格が現在以上に大幅に下落すれば話は別だが、現状程度の価格が続くとし、かつLNGの輸入が増加し続けるとすれば、貿易収支が黒字になる可能性は低いと考えられる。
(2015.02.21)
■日本では成立しないピケティの格差理論

トマ・ピケティは、『21世紀の資本』で、幾つかの簡単なマクロ変数の関係で所得の格差現象が説明できるとした。この議論は大きな反響を呼んでいる。しかし、日本では彼が指摘する関係は成り立っていない。
第1に、「資本収益率rがあまり変わらず、経済成長率gが低下する」という関係が成立しない。
資本収益率を幾つかの指標で見ると、高度成長期から現在に至る間に、顕著な低下傾向が見られるのである。国民経済計算における営業余剰の国富に対する比率で見ると、1960年代の末には10%を超えていたが、70、80年代を通じて継続的に低下し、現在では1・5%程度である。同様の傾向は、法人企業統計における総資本営業利益率でも見られる。60年代において7%程度であったものが、90年代後半以降は3%程度になっている。経済成長率も低下しているが、それと共に資本収益率も低下しているのだ。
第2に、貯蓄率sが著しく低下している。これを国民経済計算における貯蓄と国民可処分所得の比で見ると、60年代の末には30%を超えていた。しかし、2011、12年度には1%を下回るようになった。
ところで、所得中の資本所得のシェアαは、r・s/gで表すことができる。ピケティは、低成長経済への移行によってαが上昇するとしているのだが、その際、rとsは一定と考えている。しかし日本の場合には、その仮定が満たされないのだ。
実際、αの値を直接にデータで見ると、日本の場合には時系列的に上昇するのでなく、逆に低下している。国民経済計算における営業余剰の対GDP比を見ると、50年代から80年ごろまでの期間に、40%から20%へとほぼ半減した。2000年ごろ以降は、営業余剰の対GDP比は20%程度で安定的である(計数についての詳細は、ダイヤモンド・オンライン「アベノミクス、最後の博打」を参照)。
経済学では要素所得の比率は安定的だとされる場合が多かった。ピケティはそれを批判しているのだが、2000年以降の日本は、従来の経済学が考えている世界に近い。
資本所得は労働所得に比べて格差が大きい。しかも相続によって子孫に受け継がれる。従って、αが高ければ格差が拡大する。それはその通りだ。しかし、資本所得のシェア拡大現象は、日本では見られない。つまり、ピケティの理論は当てはまらないのだ。
なお、格差の拡大が顕著と指摘されるのはアメリカであるが、この主たる原因は、「スーパー経営者」の著しく高い給与である(このことは、『21世紀の資本』でも指摘されている。また、クリスティア・フリーランドの『グローバル・スーパーリッチ』も、同じ指摘をしている)。
さらに、成功したベンチャー企業のIPO(新規株式公開)の影響もある。これも、資本所得というより、労働所得の一種だ。つまり、労働所得の枠内において、著しい格差が発生しているのである。

◆資本収益率と貯蓄率はなぜ低下したのか?
日本において資本収益率や貯蓄率が低下したのはなぜだろうか?
資本蓄積が進んだために資本収益率が下がるという「限界生産力逓減則」がまず考えられる。そうした一般的効果の他にも、日本の場合には、新興国の工業化で高度成長期の製造業のビジネスモデルが時代遅れになったことの影響が大きいだろう。
その証拠に、資本収益率低下は、貿易の影響を直接に受ける製造業で著しい。製造業の利益率は、60年代の8~10%程度から10年ごろの3%未満にまで低下した。低下が最も急激だったのは、90年代の前半だ。これは、中国の工業化の影響が顕在化し始めた時期である。他方で、非製造業は、同期間に6%程度から3%程度への低下であり、製造業に比べて低下が緩やかだ。これは、非製造業が世界経済変化の影響を製造業ほどは強く受けなかったためだ。
貯蓄率はどうか。これを低下させた大きな原因は、世界でもまれに見るほど急速かつ急激に生じた人口構造の高齢化である。人々は若年期に労働所得を貯蓄し、退職後にそれを取り崩して生活資金に充てる。従って、人口高齢化が進むと貯蓄率が低下する。
もう一つの原因は、政府の財政赤字が著しく拡大したことだ。これも、社会保障支出の増大が大きな原因であることを考えれば、人口高齢化の結果であると考えることができる。
なお、ピケティは、資本/所得比βが時系列的に上昇することを強調し、その理由を次のように説明している。βは、s/gによって表すことができる。ところが、貯蓄率sが一定である半面で、経済が低成長時代に入ってgが低下する。このためβが上昇する。21世紀におけるβは、18、19世紀に並ぶほどの高水準になるという。
しかし、日本の場合には、前述のように貯蓄率sの低下が著しい。このため、ピケティの言うようにはならない。実際、資本として国民経済計算における「正味財産」(国富)を取り、これとGDPの比率を見ると、80年代後半のバブルで8程度の値になったものの、バブル崩壊で急低下し、2000年代の前半には6を切る水準にまで低下した。その後若干回復したが、いまでも6をやや上回る水準でほぼ一定だ。民間の正味資産だけを取っても同じ傾向が見られる。

◆格差縮小のためには地道な努力が必要
以上で述べたのは、格差問題が重要でないということではない。まったく逆であって、日本においても、格差はますます重要な問題になっている。ジニ係数で見た所得の不平等度は、悪化している。
ここで指摘したのは、日本の格差問題が、ピケティの言うようにマクロ変数によって説明できるものではないということだ。実際、格差の原因としてこれまで指摘されてきたのは、税制をはじめとする経済制度的要因である。日本の場合も、それらは重要だ。
厚生労働省の「所得再分配調査」によれば、11年のジニ係数は、当初所得の0・55から、税と社会保障による再分配政策で0・38へと改善している。つまり、再分配政策は、格差に大きな影響を与えるのだ。従って、格差是正のための政策的な努力が必要である。
日本の税制は、労働所得に対する課税が中心になっている。その半面で、相続税や固定資産税など資産に対する課税は不十分だ。そして、金融資産からの所得は分離課税されている。この状態を変える必要がある。また、社会保障給付(特に介護保険給付)に資産制約を導入すべきだ。
最近では、円安によって製造業の収益が増大し、株価が上昇した。しかし、大企業と小企業で著しい格差がある。円安は所得分布を悪化させているのである。この状況を是正する必要がある。法人税減税は、配当所得を増やし、内部留保を増やすことで株主の資産を増大させることにも注意が必要だ。
ピケティは、一律の資本課税を提唱している。確かにそれは重要だ。しかし、本連載の740回(1月10日号)でも指摘したように、それは現実離れした提案だ(ピケティもそれを認めている)。富の捕捉は困難であるし、資本は海外に逃避する。効果は限定的であっても、右に列挙したような地道な努力を積み重ねていくことが必要だ。
(2015.02.28)
■ピケティが描く経済は法人統計でも見られず

トマ・ピケティが『21世紀の資本』で描き出した姿は、日本にも当てはまるだろうか? 前回は、GDP統計のデータを中心として、それを検証した。結論は、「資本所得の比率αの上昇」と「資本収益率rがあまり変わらない」というピケティの中核的な主張は、日本では確かめられないということである。今回は、法人企業統計のデータを用いて、同じ点に関する検証を行ってみよう。
第1に、資本対所得の比率βは上昇している。特に1990年代以降の上昇が顕著だ。固定資産の付加価値に対する比率を見ると、90年代の初めに1・5程度であったものが、最近では3程度になっている。これは、GDP統計で見た経済全体とは異なる姿だ。法人部門だけに限ってみると、資本の蓄積が進んでいるわけだ。これは、ピケティが指摘する通りの姿である。
GDPのデータでこの結果が得られなかったのは、まず、GDP統計では、法人部門以外に、政府部門や家計部門など、生産活動に対する寄与が小さいセクターも含まれているためであろう。また、「資本」として、正味財産(国富)を取ったことが影響しているかもしれない。ここでは、法人企業統計の固定資産のデータを取った。なお、有形固定資産を取った場合にも、付加価値に対する比率は上昇している。
第2に、資本収益率rは顕著に低下している。これは、前回すでに示した通りである(総資本営業利益率は、60年代には7%程度だったが、90年代以降は3%程度になっている)。「資本蓄積によって資本収益率が低下する」という結果は、後で述べるように、標準的なモデルから導かれる結論である。
第3に、資本所得と労働所得の分配率は、ほぼ一定だ。法人企業統計のデータにおける「従業員給与」を労働所得、「営業利益」を資本所得と考え、かつ景気変動による影響をならして見ると、70年代後半以降、資本所得は労働所得のほぼ3倍である。なお、60年代と比べると、この比率は上昇している。
ピケティが指摘する「資本所得の比率αの上昇」という傾向は、前回述べたようにGDP統計では確かめられなかった。ここで述べたように、法人企業統計においても確かめられないわけだ。なお、資本所得を細分化すると、構成に大きな変化が見られる。これについては、後で述べる(以上のデータの詳細は、ダイヤモンド・オンライン「アベノミクス、最後の博打」を参照)。
資本対所得の比率βが上昇するにもかかわらず、なぜ分配率が変化しないのだろうか? それは、資本収益率rが低下するからである。そのため、r・βで表されるαが上昇することにはならないのである。なお、後に述べるように、資本蓄積が進んでも分配率に変化がないという結論は、標準的な経済モデルから導かれるものである。

◆日本のマクロ経済的状況は標準的モデルで説明できる
ピケティは、資本所得の比率αが上昇しているとした。そうなるのは、βが上昇するにもかかわらず、rが低下しないためだとしている。
しかし、標準的な経済モデルからは、こうした結論は得られない。最も簡単なコブ・ダグラス生産関数の場合には、次のようになる。
第1に、所得分配率は、資本装備率にかかわらず一定である。
第2に、資本装備率の上昇に伴って、資本収益率rは低下する。
右に見た法人企業統計のデータは、まさにそのような姿を示しているのだ。つまり、所得分配率と資本収益率に関する限り、現実の日本のデータは、標準的な経済モデルで説明できるといえる。
ピケティは、彼の集めたデータは、コブ・ダグラス生産関数では説明できないことから、「コブ・ダグラス型生産関数を超える」としている。しかし、その代わりにどのような生産関数を想定しているのかは、具体的な形では示していない。
では、経済成長率gと資本収益率rの関係はどうか? ピケティはr>gであることを強調している。しかし、最適経済成長論では、これとは異なる結論を導いている。すなわち、一定条件の下で、r=gとなること(資本収益率が潜在成長率と等しくなること)が、1人当たり消費を最大化するという意味で合理的な選択であるという結論を導いている。
最適条件を課さなくとも、コブ・ダグラス生産関数のような標準的な生産関数の場合には、資本蓄積の進展に伴って資本収益率rが低下する。つまり、一方において資本蓄積が進むことを認めながら、他方において資本収益率rが一定にとどまるというのは、かなり特殊な状況を想定しないと導かれない結論だ。ピケティは、これについても、具体的な答えを与えていない。
元米財務長官のローレンス・サマーズが自然利子率の概念を用いて問題としたのも、まさにこの点だ。つまり、人口成長率の低下や技術進歩率の低下に伴って、潜在成長率が低下する。それが自然利子率の低下をもたらし、金融政策の無効性などの問題を引き起こすとしたのである。
自然利子率は現実の利子率ではないが、長期的な均衡値としては、実際の利子率と深い関係がある。つまり、サマーズが心配しているのは、経済成長率が低下すると利子率も低下せざるを得ないということである。
ピケティは、経済成長率gは低下するが、資本収益率rは低下しないとしている。これがいかなる経済モデルから導かれるのかは明らかでないが、少なくとも日本のデータで見る限り、gの低下に伴って、rは低下している。

◆税制は格差是正のために重要な役割を果たす
法人企業統計で注目されるのは、資本所得の構成にかなり大きな変化が見られることだ。具体的には、支払利子の減少と社内留保の増大だ。企業が借り入れを減少させ、また金利も低下しているので、こうした変化が起きている。社内留保の増大は、実現キャピタルゲインや未実現キャピタルゲインの形で資本所得を増大させる。
ところで、これらは、税制上の扱いが異なる。利子所得は、分離課税ではあるが、所得税において課税の対象とされている。配当所得については、幾つかの特例措置がある。そして、キャピタルゲインの課税はかなり不完全だ。実現されたキャピタルゲインにもさまざまの軽減措置がある。さらに、本連載でもすでに論じたように、未実現キャピタルゲインに至っては、まったく課税されていない(これは、日本の特殊事情ではなく、どこの国でも同じである)。
従って、資産所得が利子という形からキャピタルゲインという形に移行していくことは、資本所得の課税が不完全になることを意味する。こうした事態を踏まえて、税制の見直しが必要である。
格差の問題は、これまでも重要であった。経済分析の主要なテーマであるし、経済政策論においても重要な地位を占めてきた。ただし、格差は主として税制、社会保障制度、産業政策(特に反独占政策)などの制度的要因によって決まると考えられていた。
それに対してピケティは、格差はマクロ変数で説明できるとして注目を浴びたのである。しかし、日本の場合には、税制をはじめとする制度の役割は、依然として極めて重要だ。
(2015.03.07)
■消費者物価が下落して経済成長率がプラスに

消費者物価指数は、2014年11月から下落に転じた。生鮮食料品を除く総合で見ると、11月、12月共に、対前月比がマイナス0・2%となっている。消費税の影響を除く対前年比は、11月が0・7%、12月が0・5%だ。
このため、家計調査における勤労者世帯の実質実収入の対前年比のマイナス幅が縮小し、実質消費支出が増加に転じた。季節調整済み実質指数は、8月の92・1をボトムとして増加し、12月には96・4となった。
この結果は、14年10~12月期のGDP速報にはっきりと表れている。すなわち、家計最終消費支出の実質季節調整対前期比(年率)が1・1%となり、これが輸出増と相まって、同期のGDP成長率をプラスに転じたのである。このように、消費者物価の動向が、GDPの動向に大きな影響を与えている。
消費者物価が下落したのは、一つには、14年8月までの時点で円安の進行が止まっていたためであり、いま一つには、秋以降に原油価格が下落したためだ。
輸入物価指数(円ベース)の対前年同月比推移を見ると、13年7月から12月までは、18%程度の高い値であった。ところが14年になってから急激に低下し、2月から10月までの期間では、5%程度あるいはそれ未満の値になった。これは、それまで急激に円安に進んだ為替レートが、14年1月下旬から8月中旬までの期間には、1ドル=101~103円程度でほぼ安定的だったためだ。
さらに、原油価格の下落が輸入価格下落に拍車を掛けた。14年9月ごろから再び円安が進行したのだが、原油価格の下落がそれを上回ったため、輸入価格の上昇率は低下した。その結果、14年12月には0・3%となり、15年1月にはマイナス6・6%となった。
輸入物価指数は6カ月程度の遅れをもって消費者物価に影響する。その対前年比の約10分の1が消費者物価の対前年上昇率になると考えてよい。従って、15年6~7月ごろの消費者物価上昇率は、ゼロないしマイナスとなるだろう。
ところで、原油価格の下落は、まだ日本経済に完全な影響を与えていない。輸入物価中の「石油・石炭・天然ガス」の上昇率は15年1月でマイナス23・9%だが、今後さらに下落幅が広がるだろう。つまり、原油価格下落の効果は、これから表れるわけだ。
これによって日本銀行が目標とする「15年4月までに消費者物価上昇率を2%」は、さらに遠のく。しかし、他方において、それが実質消費を増やし、経済成長率を高めるのである。
以上をまとめれば、物価上昇がGDPを押し下げ、物価下落がGDPを押し上げている。これは、「デフレ脱却」という基本目標自体が誤りであることを明白に示している。

◆円高期の方が成長率が高かった
「物価が下落すれば経済成長率が高まる」という状況は、これまでも見られたものである。
09年4~6月期から12年7~9月期の「円高期」と、12年10~12月期から14年10~12月期の「円安期」を比べてみよう。円高期においては、リーマンショック直後と東日本大震災後に落ち込んだことを除くと、実質GDPも実質消費も成長している。この期間の実質GDP成長率(対前期比年率)の平均値は2・2%、実質家計消費の平均成長率は1・9%だ。それに対して、円安期の実質GDP平均成長率は0・8%、実質消費の平均成長率は0・2%だ。明らかに前者の方がパフォーマンスが良い。
12年秋以降、顕著な円安が進んだ。消費者物価の対前年上昇率が13年6月以降にプラスになったのは、そのためだ。それが、13年7~9月期以降の消費支出を減らした。消費はGDPの6割程度を占めるため、その動きがGDPの動向に大きな影響を与える。
実質GDPの推移を見ると、13年7~9月期にピークになった後は、(14年1~3月期に、消費税増税前の駆け込み需要で一時的に増加したことを除けば)減少を続けてきた。
このように、実質GDP成長率は、円高期に高くなり、円安が進むと低下する。
円高期に不調だったのは、株価である。日本の株価(特に日経平均株価に代表される上場大企業の株価)は、為替レートに強く連動している。円高になれば株価が低迷し、円安になれば株価が上昇する。
従って、円高期とは実質GDPと実質消費が伸びる半面で、株価が低迷する時期である。円安期とはそれと逆に、実質GDPと実質消費が伸び悩み、株価が上昇する時期である。
しばしば、次のようにいわれる。「今回の円安が始まるまでの円高期にはデフレから脱却することができず、日本経済は低迷していた。この状態が続いたら日本はどうなっていたか分からない」。しかし、事実はまったく逆だ。円高期の方が成長率が高かったのである。円高期が不況期だという認識は、株価だけに目を奪われた見方なのである。
為替レートの評価は、立場によって異なる。巨額の株式を保有している人にとっては、もちろん株価が上昇する方がよいから、円安が望ましいというだろう。しかし、勤労者世帯にとっては、円高の方が明らかに望ましいのだ。

◆物価だけを見る経済政策は本末転倒
本連載の第741回(1月17日号)で指摘したように、「物価上昇が望ましいか否か」の判断は、物価上昇がデマンドプルかコストプッシュかによって違う。前者の場合には、経済全体の需要が増えるために物価が上がる。だから、「良いインフレ」だ。しかし、後者の場合には経済活動が縮小するので、「悪いインフレ」だ。1970年代の石油ショックは、典型的なコストプッシュ・インフレだった。これによってイギリスやアメリカはスタグフレーション(不況とインフレが共存する状態)に陥り、長期にわたる経済的困難を経験した。
ここで、次の点に注意する必要がある。すなわち、「良いインフレ」の場合であっても、「物価が上昇すれば経済が成長する」のではなく、「経済が成長すれば、その結果として物価が上昇する」ということだ。物価上昇は目的ではなく、結果である。目的は経済成長であり、それが実現しているかどうかを判定する尺度として、物価を見ているだけだ。物価が上がるから経済が成長するのではない。しばしば、「経済がデフレに陥るとモノが売れなくなる」といわれるが、まったく逆であって、「モノが売れないから物価が下落する」のだ。
現実には、デマンドプルかコストプッシュかの区別もされず、かつ、物価上昇率それ自体が目標にされている。このため、原油価格の下落を円安で打ち消そうとする追加緩和措置のような、本末転倒の政策が行われるのだ。
原油価格の下落は、コストプッシュとちょうど逆向きの動きである。外的要因によってコストが下がり、経済活動が拡大する。70年代の石油ショックと逆のことが起こっている。その初期段階の姿が、14年10~12月期のGDP速報に表れているのである。ここに表れた日本経済の姿は、歓迎すべきものだ。
為替レートが現在以上に円安方向に進まず(できることなら円高に進み)、その結果、原油価格下落の効果をフルに享受することができれば、日本の消費者は大きな利益を得ることができる。そうした事態が実現することを望みたい。
(2015.03.14)
■原油低価格時代の経済政策に転換せよ

1980年代に「逆石油ショック」があった。80年代初頭に1バレル=40ドル近くまで高騰し、86年初頭にも30ドル近い水準だった石油価格が、半年間で10ドル程度にまで暴落したのである。その後、石油価格は高騰することなく、99年まで15~20ドル程度で推移した。
低い原油価格が続いたことは、石油輸入国に大きな経済的利益を与えた。インフレが抑制されて経済成長が促進され、国際収支も改善したのである。特に日本では、効果が大きかった。それは、原油価格低下に加え、次の二つの条件があったからだ。
第1は、為替レートが円高になったことだ。85年9月のプラザ合意で、国際協調による介入が行われた。そのため、85年前半まで1ドル=250円程度であった為替レートが急激に円高になり、86年7月には150円台になり、87年には120円台になった。89年までこの程度の水準が続いた。
これによって、物価が下落した。80年に8%台であった消費者物価指数の対前年同月比は、83年には2%台に低下し、86年には1%未満あるいはマイナスになった。
第2は、金融緩和が行われていたことである。80年8月の公定歩合引き下げ開始以来、6年近くにわたり金融緩和が続いていた。公定歩合は、80年8月までは9%だったが、6回にわたって引き下げられ、86年3月には4%になった。
こうして、原油安、円高、金利低下という三つの条件がそろったわけである。これは当時、「トリプルメリット」と呼ばれた。
もっとも、実質GDP成長率は、すぐに高まったわけではない。85年の6・3%から86年の2・8%へとむしろ低下した。これは円高で輸出が減少したためだ。しかし、消費支出の伸びが堅調だったため、87、88年と成長率は高まっていく。
しかし、良いことばかりではなかった。土地投機が発生したのである。これは、低い原油価格の中で、金融緩和がさらに推し進められたことによる。公定歩合は、87年2月から89年5月までは、2・5%という非常に低い水準にまで押し下げられた。これが、世界の経済史でもまれに見るほどの土地バブルを引き起した。これによって多くの日本人の運命が狂わされたのである。
今回の原油価格低下も、日本経済に大きなメリットを与えることは間違いない。しかし、金融緩和が重なれば、80年代後半のような事態が生じることを恐れる。

◆円高で原油価格低下のメリットが拡大する
いまは、80年代とは幾つかの点で違う。最も大きな違いは、当時は円高が進行していたのに対して、いまは円安が進行していることである。日本銀行が追加緩和を行って円安を進め、原油価格低下の効果を減殺したのだ。後で述べるように、円ベースでの原油価格低下は、ドルベースのそれよりかなり小さくなっている。最近の状況を「トリプルメリットの再来」という向きがあるが、円高か円安かという点で、大きく違う。
為替レートが原油価格低下メリットに与える影響について、やや詳しく見よう。80年代には、原油の輸入単価は大きく下落した。円ベースの原油輸入価格は、82年には5・5万円/キロリットル、85年に4・5万円/キロリットル程度であったが、86年に1万円/キロリットル程度に下がった。その後も99年までほぼ1・5万円/キロリットル程度だった。
今回はどうか? 貿易統計における原油粗油の輸入価格は、2014年夏ごろには7万円/キロリットル程度だった。それが14年12月には6万円/キロリットル程度まで低下した。しかし、この期間に為替レートは、1ドル=100円程度から120円程度へと円安になっている。仮に100円のままだったら、5万円/キロリットル程度まで低下したはずである。
それでも、原油価格の低下は、まだ輸入価格に完全に反映されていない。原油価格の低下率だけ日本の輸入のドル建て価格が下がるとすれば、1ドル=100円の場合には、3・5万円/キロリットル程度になるはずである。
以上を基とし、原油輸入量が14年と変わらないとして、15年の原油輸入額が14年からどの程度減少するかを計算すると、次の通りだ。1ドル=100円なら約6・7兆円、120円なら約5・2兆円、140円なら約3・8兆円。このように、為替レートが円高になるほど、原油価格低下メリットが大きくなる(以上の詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。
80年代といまのもう一つの違いは、当時は不動産が投機の対象となったことだ。いまは、空き家率が高いことだけを取っても、不動産価格が80年代後半のように上昇するとは考えられない。しかし、金融資産は投機対象になり得る。実際、すでに円安で株バブルが起きている。日本の株価(とりわけ、日経平均株価に含まれる大企業の株価)は、ほぼ為替レート(だけ)に連動して動く。実際、13年後半から14年前半までの日経平均株価は、1万4000円程度でほぼ一定だった。これは、この間の為替レートが1ドル=100円程度でほぼ一定だったからである。ところが、9月にアメリカの金融緩和終了が確実になると、円安が進行し、これにつられて株高が進行した。これは、生産性向上などの実態を伴わないものだ。
国債もバブルを起している。逆数なので実感が湧かないが、異常な低金利とは、国債価格が異常に高いことを意味する。これが崩壊すれば、金利が高騰して日本経済は混乱に陥る。
どちらも実体経済の支えのないバブルだ。これが原油価格低下で拡大される恐れがある。

◆企業利益の健全な形での増加を目指せ
以上のような事態に対して、どのような経済政策が必要だろうか?
二つの選択肢が考えられる。第1は、金融緩和を維持、または追加緩和を行うことだ。この場合円安が進み、国内物価上昇率は日銀目標に近づくだろう。しかし、原油価格低下の利益は減殺される。また、円安で輸出企業の利益が増えるため、株価は上がるだろう。
第2は、金融緩和を停止し、円安の進行を抑制することだ。これによって、原油価格低下の効果を最大限に享受することができる。上で見たように、1ドル=100円と140円とでは、原油輸入額減少に3兆円程度の差がある。
円安の抑制は、株高バブルを抑制することにもなる。ただし、企業は、原油価格低下で利益を得るから、株価が暴落することにはならない。つまり、円安という、中身がなくいつ反転するか分からない不安定な基盤で株価が上昇するのでなく、コスト安という健全な基盤で利益が増える姿になる。それは、輸出・大企業だけでなく、中小企業にも恩恵を与える。いまは、円安依存体質から脱却する千載一遇のチャンスだ。
なお、右記のことから明らかなように、いまやインフレ目標に意味はない。むしろ、それに固執することが逆効果を生む。原油を除いた物価指数を考えるというような技術論でなく、そもそもインフレターゲットなどという無意味な目標を撤回すべきだ。
われわれはいま、80年代後半の経験から教訓をくみ取るべきだ。このとき、物価下落の効果を利用して、欧米経済は復活の手掛かりをつかんだ。アメリカ経済は、90年代に目覚ましく復活した。しかし、日本はバブルに迷い込んだ。その結果、長期的な経済停滞に陥ったのだ。いまは重要な政策転換期である。
(2015.03.21)
■円安による株高から取り残される小企業

2014年夏まではほぼ一定であった株価が、秋ごろから上昇に転じ、日経平均株価は07年のピーク値を超えた。その背後には、好調な企業業績があるといわれる。
しかし、企業業績の動向を見る際には、幾つかの注意が必要だ。第1に、製造業と非製造業では利益の動向がかなり異なるので、これらを区別する必要がある。第2に、比較する期間に注意する必要がある。現在の企業利益の水準を比較する際、リーマンショック前のピークと比較するか、あるいは10~13年ごろの円高期と比較するかで、かなり様子が異なるからだ。
まず、全産業、全規模で見ると、14年10~12月期の営業利益は14・6兆円となってほぼリーマンショック前の水準に匹敵するようになった。14年1~3月期のピークから減少していた利益が10~12月期で増えたのは、原油価格低下の影響と考えられる。
ただし、その水準は、07年1~3月期の16・3兆円には及ばない。また、14年全体で見ると54・7兆円であり、07年の56・1兆円より2・5%少ない。
製造業の営業利益は、円高期と比較すると増えているが、リーマンショック前と比較すると、まだかなり低い。すなわち、14年における営業利益17・4兆円は、円高期であった10年の14・7兆円と比べれば、18・0%増加している。しかし、07年の23・5兆円に比べると、26・2%も少ない。
製造業の利益がリーマンショック前の水準を取り戻せないのは、リーマンショックで大きく落ち込んだからだ。そして、その後円高が続き、輸出の採算が改善しなかったためである。
しかし、12年の秋以降円安が進行し、円ベースでの輸出売り上げが増大した。このために営業利益が回復したのである。つまり、製造業の利益増加は、為替レートの変化によって生じたものであって、生産性の向上や新技術の開発などの実体的な変化によってもたらされたものではない。その意味で、基礎が脆弱だと言わざるを得ない。アメリカの株価が実体経済の成長を背景としているのとはかなり異なる。
これに対して、非製造業の営業利益は、リーマンショック前をかなり上回っている。すなわち、14年の営業利益37・3兆円は、07年の営業利益32・6兆円より14・7%多くなっている。
こうなった理由は、第1には、リーマンショックによってあまり落ち込まなかったことだ(10年の営業利益は30・6兆円であり、07年に比べて製造業ほどは落ち込まなかった)。第2には、その後の円高期に順調に増加したことだ。
つまり、非製造業の現在の利益がリーマンショック前を超えているのは、為替レートの変動だけによるのではない。その成長には実体的な裏付けがある。そして、これはアベノミクスの成果ではないことに注意が必要だ。

◆日経平均株価で見るとバイアスがかかる
以上で見たのは製造業と非製造業の差であるが、製造業の中でも、業種によってかなりの差がある。
右に見たように製造業全体での営業利益はリーマンショック前の水準を取り戻していないが、自動車・同附属品製造業の大企業(資本金1億円以上)は、過去最高の利益を記録している。14年の営業利益は、07年の3・0兆円より12%多い3・4兆円だ。
これは、10年の営業利益が0・8兆円しかなかったことと比べると、実に4・3倍もの増加だ。円安がいかに大きな効果を発揮したかが分かる。これは、原材料中の輸入品の比率が低いという特殊な構造による。
また、企業規模で見ても、利益の動向には差がある。資本金1000万円以上1億円未満の製造業の営業利益を見ると、07年は4・7兆円だったのが、10年には3・6兆円に減少し、さらに14年には3・1兆円に減少している。利益だけでなく、売上高も減少している。すなわち、07年に129・5兆円だった売上高が、10年には119・2兆円に減少し、さらに14年には92・7兆円に減少している。円安は小企業には何のメリットももたらしていない。
大企業の利益増が著しい自動車・同附属品製造業であっても、円安はメリットになっていない。すなわち、この業種の資本金1000万円以上1億円未満の企業の営業利益を見ると、07年が1857億円、10年が2704億円、14年が1570億円となっており、むしろ円高期の方が利益が多い。そして、現在の利益は、リーマンショック前には及ばない(以上で述べた計数の詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載「野口悠紀雄 新しい経済秩序を求めて」第2回を参照)。
このように、円安による利益増が著しいのは、大企業なのだ。ところで、上場企業は大企業である(東証1部上場企業の資本金は、200億円以上が多い)。このため、日経平均株価は大企業の利益動向を表している。つまり、円安によって利益が増大している部門が拡大して表れている。
日本の平均株価は、為替レートと強く連動しており、円安になれば株価が上昇し、円高になれば下落する。12年の秋以降株価が急上昇したのは、円安が進行したからである。また、14年夏まではほぼ株価が一定だったのは、為替レートが1ドル=100円程度でほぼ安定的だったからだ。そして、14年の秋以降再び株価が上昇したのは、その頃から円安が進展したからだ。
しかし、こうした傾向だけを見ていると、日本経済全体が円安によって活性化しているかのような錯覚に陥る。日経平均株価でカバーされていない企業は、じり貧に陥っていることに注意が必要だ。

◆非製造業の利益増大を目指すべきだ
以上で見た企業利益の構造は、今後の経済政策に関していかなる意味を持つだろうか? 製造業であっても、小企業には円安の利益が及ばないこと、また、非製造業の利益は円高によって落ち込まないこと(実際、すでに見たように、リーマンショック後の円高期にも順調に回復した)を考えれば、これ以上の円安の進展は、日本の産業全体の立場から見れば望ましくないと考えるべきだ。
また、非製造業の利益は、輸出産業のように直接に為替レートの影響を受けなくとも、間接的な影響は受ける。円安が進んで物価が上昇すれば、家計の実質所得が減り、実質消費は減少するからだ。これは、非製造業の利益を減少させる。
非製造業の成長は、長期的に見た日本経済にとって重要な課題だ。なぜなら、新興国の工業化による製造業の縮小は、世界の先進国で共通の現象であるからだ。日本もこれを避けることはできない。
実際、製造業の就業人口は、継続的に減少している。02年1月の1210万人から15年1月の1035万人まで、200万人近く減少した。全就業者中の比率は、19・3%から16・4%に低下した。営業利益において製造業が占める比率も、07年の42・0%から14年は31・7%に低下している。
もちろん、過去の傾向をそのまま継続するのがよいとは限らない。最大の問題は、非製造業の多くが製造業より生産性が低いため、製造業の比率が低下すると、日本の平均的な賃金が下落してしまうことだ。
この問題に対処するには、生産性の高い非製造業を創造することが不可欠だ。そして、非製造業の利益増加のために、経済政策の主眼を、消費を順調に伸ばすことに置くべきだ。
(2015.03.28)
■実質賃金引き上げのためインフレ目標の撤廃を

物価上昇率が低下している。消費者物価(生鮮食品を除く総合)の対前年増加率は、消費税の影響を除くと、2014年10月以降1%を割り込んでおり、12月には0・5%、15年1月には0・2%となった。
これは、円安の進行が止まったために、輸入物価指数の伸び率が低下したからだ。円建ての輸入物価指数の対前年増加率は、13年5月から14年1月までは2桁だったが、14年2月からは1桁になった。その後、原油価格の低下のため輸入物価指数の対前年増加率はさらに低下し、14年12月には0・3%になり、15年1月にはマイナス6・7%になった。
13年6月から14年1月までは2桁の伸びだった石油・石炭・天然ガスの輸入物価指数の伸び率は、14年3月以降2~6%程度の伸びとなり、14年12月にはマイナス10・4%、15年1月には実にマイナス24・2%となった。
原油価格の低下は、輸入価格にはまだ完全には反映されていない。従って、輸入価格全体も今後さらに低下するだろう。
本連載の第748回ですでに指摘したように、消費者物価指数の対前年同月比は、6カ月前の輸入物価指数の対前年同月比の10分の1によってほぼ近似される。この関係が今後も成り立つとすれば、消費者物価指数の対前年同月比は、2月から4月ごろまでの期間では0・5%程度となり、5月にはさらに低下し、6月にはマイナスになる可能性がある。
こうした状況を考えると、今年の4月までに消費者物価上昇率の対前年比を2%にするという日本銀行のインフレ目標の達成は、ほぼ絶望的だ。
では、インフレ目標が達成できないことで、日本経済は停滞に陥るのか?
そんなことはない。全く逆であって、物価が下落することによって経済の好循環が始まるのである。

◆物価が下落して実質賃金は上昇に
家計調査によれば、勤労者世帯の実収入の対前年同月実質増減率は、13年10月からマイナスに転じた。これは、消費者物価が上昇したからだ。このため、実質消費も減少するようになった。消費支出(住居等を除く)の対前年同月実質増減率は、13年10月からマイナスだ(計数の詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載「野口悠紀雄 新しい経済秩序を求めて」を参照)。
政府・日銀は、「デフレからの脱出が経済を活性化する」として、インフレ目標を掲げている。しかし、実際には、インフレ率が高まることによって実質収入が減少し、その結果実質消費が減少したのである。アベノミクスの基本的な考えは誤りだったのだ。
現在の日本においては、実質賃金の伸び率をプラスにすることが重要な目的と考えられている。この目的は、消費者物価の上昇率が低下したため、自動的に達成されようとしている。実際、家計調査における勤労者世帯の実収入の対前年比は、14年10月以降、顕著にマイナス幅が減少している。14年12月における値は、マイナス0・8%だった。消費税の影響を除けば、プラスに転じたと考えることができる。
消費者物価の上昇率がさらに低下し、あるいは伸び率がマイナスになれば、実質賃金上昇率は確実にプラスになるだろう。
円高期であった10年ごろにはこうした状況だった。それがこれから再現されることになる。
10年ごろには、株価は低調だった。それは、当時の物価下落が円高によるものだったからである。しかし、昨年末からの物価下落は、原油価格の下落によって生じている。従って、企業収益には好影響を与える。
実際、前回述べたように、法人企業統計によれば、10~12月期の企業業績は回復している。これは、原油価格の下落によるところが大きい。
ところで、政府は、実質賃金の伸びをプラスにするため、企業に賃上げを要請している。「利益が増えたから賃金を上げるべきだ」という論理だ。しかし、賃金は労働市場での労働需給によって決まるものだ。仮に企業がそれと異なる値に賃金を決めれば、経済合理性に反する行動となる。市場での賃金決定の過程に政府が介入するのは、自由主義経済の基本原則にもとる行為だ。
また、政府が介入しても効果は限定的だ。なぜなら、政府の指示を受ける企業は、全体から見れば限定的だからだ。市場で決まる賃金は、非正規労働者の比率の増加や、製造業が縮小して医療・介護が増加することなどによって大きく影響される。
市場経済の原則に反して効果が限定的なことをするのでなく、市場においていま生じつつある好機を利用できるよう政策を転換すべきだ。
具体的には、円安を制御して原油価格低下のメリットを最大限に活用し、それによって実質賃金が上昇することを目指すべきだ。

◆消費者物価はこれまでも原油価格で動いてきた
4月のインフレ目標が実現できないことに対して、「原油価格の影響は除外すべきだ」との意見がある。
では、原油価格の変動で消費者物価が影響を受けるのは、「例外的」「一時的」「特殊」なことだろうか?
決してそうではない。むしろ逆であって、これまで消費者物価指数が大きく変動したのは、原油価格が大きく変動したときだけである。1998年4月~13年11月の期間で、消費者物価(生鮮食品を除く総合)の対前年同月比が1%を超えたのは、08年の2月から11月にかけて原油価格が高騰した期間だけである。
需要が増大したために消費者物価が上昇したときは一度もない。ましてや、消費者物価が上昇したために需要が増大したことなどは一度もない。
従って、いま問題とすべきは、物価指数に何を入れて何を除外するかというような技術論ではない。そもそも、インフレ率が高くなるのが経済にとって望ましいか否かの検討だ。
インフレ期待が高まれば経済が活性化するという考えは、何の合理的な根拠もないものだ。実際、消費者物価指数の対前年同月比は、13年11月から14年9月まで、1%を超えていた(14年4月以降は消費税の影響を除く)。しかし、それによって設備投資が増えるなどの経済活性化効果は生ぜず、消費支出は逆に減少した。インフレ目標は誤りであることが証明されたのだ。
それにもかかわらず、日銀は、デフレマインドの一掃が必要だからとして、追加金融緩和を行った。しかし、仮に昨年秋からの円安がなければ、原油価格の下落の影響をさらに大きく享受することができたろう。原油価格の値下がりを円安で相殺しようなどという本末転倒なことが行われるに及んで、この目標が誤りであることは、誰の目にも明白になったはずである。
われわれはいま、金融政策は物価を引き上げるために行うのでなく、経済成長率を高めるために行うのだという(あらためて言うまでもなく、当たり前の)基本に立ち戻らなければならない。いま必要なことは、インフレ目標という間違った目標を、できるだけ早く撤廃することである。これこそが、いま最も必要とされる政策転換である。
通貨価値の維持を図るのは、中央銀行の重要な責務だ。この数年、日本円の価値は大幅に下落した。自国の通貨価値の下落が望まれるような倒錯した金融政策からは、一刻も早く脱出する必要がある。
(2015.04.04)
■プラザ合意から30年 その間に生じた日米差

30年前の1985年9月、「プラザ合意」という国際的な取り決めが行われた。これは、ドル高によってアメリカ自動車産業が苦境に陥ったのを助けるため、国際的な協調介入によって為替レートをドル安に導こうとするものであった。このとき重要な役割を期待されたのは、日本と西ドイツだった。円高とマルク高を実現し、かつ両国が需要喚起策を取って世界経済の「機関車」の役割を果たすことが求められたのである。
ところで、現時点の円レートは、実質実効レートで見ると71程度だが、これはプラザ合意前より円安である。85年9月に85程度であった円の実質実効レートはその後上昇し、95年4月には150を超えた(実質実効レートは、指数が大きいほど円高)。しかし、そのころがピークであり、その後下落して、2012年ごろには100程度になった。そして、12年秋からの円安で、14年11月には70を下回るまで低下したのである。30年前のレートより円安になってしまったというのは、驚くべきことだ。
為替レートは普通は名目のレートで表す。名目の円ドルレートは、85年9月には1ドル236円程度だった。この数字を見ると、現在の為替レートが異常なほどの円安になっていることを実感しにくい。しかし、経済的に意味があるのは、名目レートではなく、実質レートである。
実質レートは、各国の物価上昇率の差を調整したレートだ。85年9月と15年1月の消費者物価指数を比べると、日本ではあまり上昇していないがアメリカでは上昇した。だから、円がドルに対して強くならないと、均衡しないのである。
直感的に理解しにくいところがあるが、賃金上昇率と物価上昇率が同じであると近似して考えれば分かるだろう。日本人の賃金は上昇しなかったが、アメリカでは物価が上昇した。だから、円がドルに対して強くならないと、同じものを買えない。このことは、海外を旅行すれば実感できる。90年代の中ごろに比べて、日本人の豊かさは半分になってしまったのだ。

◆ドル高が問題でなくなったアメリカ経済
右に述べたことをもう一度繰り返すと、現在の為替レートは、物価変動の差を調整すると、プラザ合意前よりも円安である。
ここで重要な点は、85年時点では、円安ドル高がアメリカの産業を圧迫しているとして大問題になったが、いまではほとんど問題にされていないことだ。なぜこのような違いが生じたのだろうか? それは、アメリカの産業構造がそのときとは一変したからだ。
第1に、製造業の比率が減少した。アメリカにおける全就業者中の製造業就業者比率は、85年においては20・5%であった。しかし、09年では11・7%でしかない。製造業は、もはやアメリカ経済の中心的な産業ではなくなってしまったのである。通貨安が望まれるのは、輸出を伸ばし、国内産業が輸入品で代替されないためだ。そして、このことは、主として製造業で問題になることである。だから、製造業の比重が高い国は、通貨安を望む政治的な圧力が生じる。プラザ合意時のアメリカはそうした国だった。しかし、いまはそうではない。
第2の理由は、製造業なのに工場を持たないファブレス企業が誕生したことだ。その典型がアップルである。同社の製品は、アジアを中心とする世界各国で生産される。アメリカはそれらを輸入するので、ドル高の方が望ましいのだ。
第3の理由は、サービスにおいても国際間の取引がなされるようになったことだ。例えば、アメリカ企業のコールセンターは、インドにある場合が多い。アメリカはそうしたサービスを輸入する立場にある。従って、ここでもドルが強い方が望ましい。
アメリカ経済はこのように構造変化したため、その後著しい経済成長をした。その実質GDPは、85年から13年までの間に2・1倍になったのである。株価の推移にも、為替レートはあまり影響していない。少なくとも、「ドル高になると株価が落ち込む」といった事態ではない。
アメリカ経済がこのように変わったのに対して、日本は、いまだにプラザ合意前のアメリカと同じ状況にある。日本の実質GDPは、85年から13年までの間に57・9%しか増加しなかった。それは、円高が国難とされ、円安が歓迎されるからだ。そして、円安が日本経済の構造改革を遅らせるからだ。05年ごろには製造業の国内回帰があり、それが電機産業のその後の赤字の原因になった。株価はほぼ為替レートと連動している。リーマンショック後、10~12年の円高期には株価が低迷し、12年秋以降の円安によって株価が急上昇した。

◆量的緩和はいつまでも続けるわけにはいかない
14年秋以降の円安は、アメリカが金融緩和を終了したことで生じた。これにより、アメリカの金利は上昇している。為替レートに大きな影響があるとされる2年国債の利回りは、11年秋から13年5月ごろまでの期間では0・25%程度だったが、15年3月中旬では0・69%だ。
では、円安はアメリカが金融緩和を終了した世界における新しい均衡になるのだろうか? 一見するとその可能性が高いように思われる。しかし、必ずしもそうはいえない。その理由は、現在ドル高が進行しているのは、日欧の金融政策も関係しており、そこには幾つかの無理が含まれているからだ。
第1に、円安が進行したのは、日本が追加緩和をしたからでもある。
日本の2年国債の利回りは、14年の初めから夏ごろまでは、0・08%程度だった。ところが、10月以降急低下し、一時はマイナスになった。仮に追加緩和がなければ、日本の金利が上昇して、円安にならなかった可能性もある。
しかし、量的緩和政策はいつまでも続けられるものではない。なぜなら、市中の国債が枯渇してしまうからである。実際、異次元金融緩和によって新規国債発行額を超える国債を日本銀行が購入してきたため、そうした状態になっている。そして、追加緩和によって国債購入額をさらに増やすために、日銀は高値で国債を買わざるを得ない状況に陥っている。1、2年債の利回りは、一時マイナスになったほどだ。つまり、かなりのゆがみを国債市場に与えないと、国債を購入できないのである。
第2に、欧州中央銀行(ECB)も量的緩和に踏み切り、これがユーロ安をもたらしている。しかし、ユーロの情勢は決して安定的ではない。ギリシャ問題は完全に決着したわけではない。ギリシャ支援も、量的緩和も、そのほとんどはドイツの負担になる。ドイツの負担はそれだけではない。ドイツ国民は伝統的に強い通貨を望むが、ユーロは歴史的な通貨安だ。つまり、現在の状況は、全てのコストをドイツが負うような形になっている。ドイツ国民がこれにどこまで耐え得るか、大いに疑問だ。
ユーロ危機が再び顕在化すれば、ユーロ圏からの資金流出で円高になる可能性がある(事実、円高ユーロ安がすでに進んでいる)。
こうして、円安は長期均衡になり得ない。金融緩和策もいつかは終了させざるを得ない。それを考えれば、できるだけ早く、金融緩和の出口を探るべきだ。そうした準備が行われずに何かのショックで急激な金利上昇が生じれば、日本経済は混乱に陥る。
(2015.04.11)
■春闘によって賃金はどれだけ上がるか?

今年の春闘における賃上げ率は、2・5%程度と、昨年を上回る率になるとみられている。これが経済の好循環をもたらすことが期待されている。
結論はその通りだ。ただし、幾つかの注意が必要だ。まず、春闘賃上げ率は、経済全体の賃金上昇率とはかなり違う。
以下では、毎月勤労統計調査における賃金指数(5人以上の事業所の現金給与総額)を経済全体の賃金の指標と考えよう。2014年におけるこの値を円高期であった10年の値と比較すると、意外な姿が見える。
全労働者の賃金指数(10年が100)は、産業全体では、13年が99・1、14年が99・9だ。つまり、13年は10年より1%ほど低くなっているのである。10年以降の春闘賃上げ率が毎年プラスだったことと比較すると、これは意外な数字に思われるだろう。
春闘賃上げ率は、10年から順に、1・82%、1・83%、1・78%、1・8%、2・19%である(厚生労働省「民間主要企業春季賃上げ集計」による)。この通りなら、10年を100とすれば、13年は107・4、14年は109・8になる。これは、賃金指数の数字とかなり違う。
なぜこうした違いが発生するのか? 大きな理由は、業種によって賃金指数の動向が大きく異なることだ。実際、製造業の賃金指数は、13年が102・3、14年が104・9である。つまり、賃金は上昇している。それに対して、医療・福祉では、13年が98・5、14年が98・8だ。つまり、10年に比べて賃金が1%以上低下している。そして、春闘は製造業のように賃上げ率が比較的高い業種の事情をより強く反映している。
賃金指数の伸び率が春闘賃上げ率より低くなるもう一つの理由は、賃金水準が比較的高い産業である製造業の比重が低下し、賃金水準が低い医療・福祉の比重が上昇することである。全産業に占める雇用者の比率を見ると、製造業は02年の21・1%から15年1月の17・7%まで低下したのに対して、医療・福祉の比率は8・2%から12・9%に上昇しているのである。製造業は、かつては日本の産業全体を代表するものだったが、いまは雇用者数で医療・福祉と大差がない。製造業の賃上げ状況を強く反映する春闘賃上げ率は、経済全体の賃上げ率からますます乖離しているのだ。
以上で述べた事実は、今年の賃上げを考える場合にも重要だ。春闘賃上げ率と賃金指数の対前年比との差は、14年には1・39ポイントあった。仮に15年においてもこれだけの差があるとすれば、春闘賃上げ率が2・5%である場合の15年の経済全体の賃上げ率は、1・1%程度にとどまるだろう。

◆賃上げ率は業種で大きな差
業種によって賃金動向に大きな差があることは、法人企業統計によって、詳細に確かめられる。以下では、従業員給与と従業員賞与の合計を従業員数で割った値を賃金率と考えて、この状況を見ていこう。
まず、全産業(全規模)で13年度と10年度を比べると、賃金率の水準はほとんど変わらない(0・03%の増)。これは、右で見た全産業の賃金指数とほぼ同じ動向だ。
ところが、製造業では、13年度は10年度比3・1%増であり、全産業とはかなり違う姿になる。そしてこれは、賃金指数の製造業の値にほぼ等しい。さらに、自動車・同附属品製造業だけを見ると、13年度の賃金率は10年度比11・7%増であり、春闘の示す数字よりも高い値だ(12年度比では2・0%増であり、春闘賃上げ率とほぼ同じ値だ)。結局、春闘は、自動車産業のような一部の業種の賃金動向を表すものであり、経済全体の賃金動向を示すものではないことが分かる。
従業員数を見ると、13年度において、全産業が4003万人であるのに対して、製造業は939万人だ。つまり、全体の23・5%でしかない。そして、自動車・同附属品製造業は99万人と製造業の10・5%であり、全体の2%程度でしかない。春闘の数字は、このようなごく一部の労働者に関するものなのである。
なお、規模別に13年度の賃金率の10年度比を見ると、全産業で、10億円以上が0・16%増、1億円未満が0・65%減となっている。大企業では賃金は上昇しているが、中小企業では下落しており、両者に1%ポイントほどの差があるのだ。
なお、従業員数は全産業で見て、10億円以上が736万人、1億円未満が2717万人だ。つまり、賃金下落を経験してきた労働者の方が多い。この連載で指摘したように、円安による企業利益の増加は、業種や規模によって大きく異なる。賃金にも、利益ほどではないが、それと同じような違いがあることが分かる。

◆原油価格の下落は春闘賃上げに匹敵する効果
15年における経済全体の賃金上昇率が1・1%程度であれば、15年の賃金指数は、101・0程度にしかならない。これは、10年の水準をわずかに上回るだけだ。そして、リーマンショック前の水準(06年には105・0)には及ばない。
ただし、15年には大きなボーナスがある。それは、原油価格が下落するために、実質賃金上昇率が高まることだ。これに加え、対前年比の計数で消費税の影響がなくなる。この二つの要因のため、実質賃金上昇率が大きく高まる。
どの程度になるかは、消費者物価の見通しによる。
この連載で述べたように、日本の消費者物価指数は、輸入物価指数と高い相関を持っている。輸入価格指数は、原油価格の下落によって、14年12月以降大きく低下している。いま、原油価格の輸入価格指数は、15年2月のレベルで以後一定になると仮定しよう。そして、為替レートも現状程度で変わらないとする。この仮定の下で対前年伸び率を計算し、消費者物価指数と輸入物価指数との相関関係が今後も成立すると仮定すれば、15年を通しての消費者物価の平均上昇率は、マイナス0・2%程度になると予測される(詳細はダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」第5回を参照)。すると、15年における実質賃金は、14年に比べて1・3%程度上昇することになる。
消費者物価の下落率を分解すると、原油価格下落の効果が約1%になる。その理由は次の通りだ。石油・石炭・天然ガスの輸入価格指数は、14年9月の163・1から15年2月の108・8まで、33・3%下落した。他方で、この項目のウエイトは、1000分の305・4だ。従って、輸入物価指数を10・2%引き下げる。これは、6カ月後の消費者物価指数を約1%引き下げることになるだろう。
これは、春闘による名目賃金指数引き上げ率1・1%とほぼ同じである。原油価格の下落は、それほど大きな効果を持つのだ。原油価格下落がなかったとしたら、春闘賃上げ率が2・5%になったとしても、経済全体の実質賃金は横ばいにとどまったことだろう。
しかも、春闘による賃金引き上げは一部の労働者にしか恩恵を与えないのに対して、消費者物価下落による効果は、全ての労働者に等しく利益を与える。従って、公平の面からも望ましいものだ。
ところが、実際には、追加金融緩和が行われたため円安が進行し、原油価格下落の効果は一部打ち消されてしまった。こうした政策を停止し、原油価格下落のメリットを最大限に活用できるような経済政策に転換する必要がある。
(2015.04.18)
■期待で資産価格のみ変化させた異次元緩和

2年前の2013年4月に日本銀行が導入した異次元金融緩和措置は、人々の期待を変化させることによって実体経済を好転させることを狙いとした。そして、それを2年程度の期間において実現させるとした。では、2年たって、その目的は達成されただろうか?
結論を言えば、為替レートと株価に関する期待を変化させて、円安と株高を実現した。しかし、消費者物価に関する期待を変化させることはできなかった。実体経済においては、(原油価格の値下がりが生じるまでの期間では)消費者物価の上昇によって実質所得が減少し、実質消費が減少することになったのである。
「期待」の問題を考えるに当たっては、資産価格とフロー価格の区別をすることが重要だ。為替レートや株価は、資産(ストック)の価格である。変化したのは、これらに関する期待であり、これらの価格である。
なお、金利(国債利回り)も、国債という資産の価格である。これも異次元緩和によって低下(国債価格が上昇)した。消費者物価は、これらとは異なり、消費というフロー量の価格である。
従って、右に述べたことを言い直せば、「ストック価格についての期待は変化したが、フロー価格についての期待は変化しなかった」ということだ。
ストック価格とフロー価格の区別が重要である理由は、次の通りだ。
資産価格は、将来の収益の割引現在値として与えられる。例えば、株価は、将来時点で得られる配当と株式売却益を現在の価値に(「割引」という操作を経て)直したものだ。
ここでは、将来の配当と将来の株価がどうなるかについての「期待」(予測)が、極めて重要な役割を果たしている。将来の売却益は将来の株価で決まるから、「将来の株価が現在の株価を決める」という自己増殖的なメカニズムも働くことになるのだ。
国債の場合にも同様のことが言える。現在国債の利回りは非常に低い水準になっているが、これは国債の価格が異常に高くなっているということだ。なぜ金融機関が高値で購入するのかといえば、日銀がもっと高い価格で買ってくれるという期待があるからだ。
このように、資産価格については、「期待」が本質的に重要な役割を果たす。そして、何らかの要因で期待が変化すれば、実体面での変化がなくとも、価格は変動するのである。

◆人々の期待だけを動かそうとした
異次元緩和は、以上のような資産価格の特殊性に鑑み、資産価格に関する期待を変化させようとした。そのための手段として、マネタリーベースの大幅な増加を行ったのである。
具体的には、まず国債を市場から高値で購入することにより、利回りを低下させた。これにより内外金利差が拡大するので、円安が進んだ。ただし、円安は、日銀の金融緩和だけで生じたことではない。13年にはすでにユーロとの関係で生じていた円安を助長した。14年にはアメリカの緩和によって生じていた円安を助長したのだ。
ここで、異次元緩和は、マネーストックに関する数字を目標として掲げていないことに注意が必要だ(マネーストックとは市中に流通するおカネの残高であり、預金と日銀券の和。マネタリーベースとは「おカネのもと」であり、日銀当座預金と日銀券の和)。
これは、正統的な金融政策の観点からすると奇妙なことだ。なぜなら、マネーストックが増加しないと、実体経済に影響を与えることはできないはずだからである。
マネーストックが目標値に入っていないのは、異次元緩和がそれを増加させようとする意図を持っていなかったからだと推察される。つまり、実体経済を動かすことは最初から念頭になく、期待だけを動かそうとしたのだ。
実際、マネーストックは、ほとんど増えなかった。「おカネがじゃぶじゃぶに供給されている」とよく言われるのだが、これは大きな誤解である。
現実にはそうしたことは生じていない。実物経済に波及するルートは働いていないのだ。
マネーストックが増えていないのは、異次元緩和が実体経済と無関係であることを示している。期待だけが実態と乖離して変化したのだ。
では、今後はどうなるだろうか? 円安がもっと進めば、企業利益がさらに増加し、株価は上がり続けるだろうか?
確かに、さらに円安になれば、株価は上がるだろう。ただし、マーケットはすでにアメリカの金利上昇を織り込んでしまっているかもしれない。だから、予想を超える変化がなければ、さらに円安になることはない。しかし、どこまでもそうしたことが続くとは、考えにくい。
なぜなら、現在の為替レートは、実質レートで見れば、異常な円安になってしまっているからである。現在のレートは、1995年ごろに比べると半分以下だ。
日本人の生活が95年より半分くらいの水準に落ち込んでいるだろうか? 落ち込んでいるのは事実としても、そこまでは落ち込んでいない。
実際、14年の実質GDPは、95年よりも15・8%だけ増えている。10年を100とする鉱工業生産指数は、95年にはほぼ100であった。最近時点では98程度でそれを下回ってはいるが、半分にも低下したわけではない。こうしたことを考慮すると、円は過小に評価されていると考えざるを得ないのである。
資産価格には自己増殖的なメカニズムがあるが、無制限にそれが働くわけではない。実物経済との乖離がある程度以上拡大すると、破綻するのである。

◆異次元緩和の狙いとは正反対のことが起こる
円安が進行することによって輸入物価が上がり、消費者物価が上がった。
しかし、これは、インフレ率の継続的な上昇ではない。なぜなら、消費者物価が上がり続けるには、円安が進行し続ける必要があるからだ。
実際には、原油価格が下落する以前の時点で、すでに消費者物価指数の伸び率が低下した。これは、14年になって為替レートが1ドル100円程度の水準でほぼ一定になったからである。
また、物価上昇率が高まっても、それが経済成長を促進することはなかった。「物価が上昇すると人々は買い急ぐので、需要が増えて経済が活性化する」というようなメカニズムは働かなかったのである。
実際には、物価が上がって実質所得が減り、それが実質消費を減らし、それが経済成長を押し下げた。
また、設備投資は増えていない。実物経済の先行きに対する期待が改善すれば、設備投資は増えるはずだ。しかし、実際にはほとんど増えておらず、むしろ減少気味なのだ。
今後起こるのは、異次元緩和が意図したのとは、まったく逆の事態である。すなわち、原油価格の下落によって消費者物価が下がり、それが実質所得を増やし、経済成長率を高めるのだ。
繰り返そう。物価上昇率期待が上昇して経済が活性化するのではない。原油価格下落で物価が下落し、それによって経済成長率が高まる。それは金融緩和によるのでなく、原油価格下落という実体面での変化によるものだ。
異次元緩和が狙ったこととは正反対のことが、これから起ころうとしている。
(2015.04.25)
■マイナス成長傾向から抜け出せない日本経済

このところ、さまざまな経済指標が悪化している。
まず、輸出が落ち込んだ。2015年2月の輸出は5・9兆円となり、1月に比べて3・3%の減少だ。14年10月に比べると、11・2%も減少している。輸出数量で見ると、2月の指数は85・7であり、1月の86・3に比べると、0・7%の減少だ。
これは、対中輸出が春節(旧正月)の影響で1月の1・0兆円から2月の0・9兆円へと14・7%も落ち込んだことの影響が大きい。その意味では特殊要因によるものだ。
ただし、必ずしも一時的なものとは言えない。なぜなら、15年2月の輸出数量指数は、14年2月の87・5に比べて2・1%の減少になっているからだ。
低迷している経済指標は輸出だけでない。最大の問題は、個人消費が減少し続けていることだ。家計調査によると、2月の実質消費支出は、前年同月比2・9%の減少となった。消費支出(住居等を除く)で見ると、前年同月比実質3・3%の減少だ。そして、前月比(季節調整値)で1・4%の減少となっている。
これは、勤労者世帯の実質実収入が、前年同月比でマイナス0・7%になっているからである。原油価格が下がり、消費税増税の影響も薄れつつあることを考えると、消費がこのように低迷しているのは、やや意外だ。
新設住宅着工戸数の前年同月比は、消費税増税前の駆け込み重要の反動減で、14年3月以降マイナスであり、7月以降は2桁の数字が続いていた。15年2月にマイナス3・1%と1桁になったものの、依然としてマイナスは続いている。しかも、2月の着工戸数は1月よりも減少している。
こうしたことを背景として、2月の鉱工業生産指数は98・9となり、1月の102・4より3・4%低下した。同指数の中期的な動きを見ると、12年11月を底として回復し、14年1月に103・9のピークになった。しかし、その後はほぼ傾向的に低下を続けていた。そして、14年8月に底となって、回復していたのである。しかし、15年1月に102・4になった後、2月になって再び落ち込んだわけだ。

◆実質GDPの値は中期的に減少傾向
3月の経済指標を見ないと最終的な判断はできないが、現在のような状況が続けば、1~3月期の実質GDPは、対前期比でマイナスになる可能性がある。これは、次の二つのことを意味する。
第1に、14年度の対前年度比は、ほぼ確実にマイナスとなる。
政府見通しでは、14年度の実質経済成長率は、当初1・4%とされた(その後、7月に1・2%に修正し、15年1月にはマイナス0・5%程度に修正された)。
それに対して私は、この連載の第694回(14年2月1日号)で、14年度の実質経済成長率は、マイナスになる可能性が高いと述べた。これは、『期待バブル崩壊』(ダイヤモンド社、14年2月)に再録してある(なお、当時の民間調査機関の見通しは、平均で0・8%だった)。
そこで述べたのは、次のようなことだ。
(1)13年度における経済成長は公共事業の増加や住宅投資の駆け込み需要によるものだったが、14年度にはこれらがなくなるので成長率が下がる。
(2)円安が物価高をもたらし、実質消費の伸びを抑制する。従って、消費税増税がなくても、実質消費は減少する。
この予想が現実のものとなる可能性が高い。
第2に、より重要な点は、中期的にマイナス成長が続くことだ。日本のGDP(実質季節調整系列)は、14年1~3月期に駆け込み需要で急増したことを除くと、13年7~9月期にリーマンショック後のピークを記録したが、その後、14年7~9月期まで減少を続けてきた。
10~12月期に若干増加したのだが、15年1~3月期で再び減少すると、異次元緩和前の状態に戻ってしまうことになる。つまり、中期的なマイナス成長過程から抜け出せないわけだ。これはあまり注目されることがないが、重要な点だ。
この状況は、4月1日に公表された日本銀行の「全国企業短期経済観測調査」(短観)にも反映されている。すなわち、最近の景況感を表す業況判断指数(DI)を見ると、全規模/全産業では、14年3月の12がピークで、それ以降は低下気味である。
15年3月の7は、14年12月の5に比べれば、若干上昇した。しかし、製造業はほぼ横ばいだ。中小企業では、14年3月には7まで上昇したが、その後ほぼゼロに近い水準だ。15年3月に若干上昇したが、大企業に比べて水準が非常に低い。
重要なのは、将来の見通しが現在よりも悪化することである。すなわち、全規模/全産業では、6月時点の指数は5と予測されており、3月調査の実績値7に比べて2ポイントの減少となっている。大企業についても中小企業についても、また、製造業、非製造業のいずれについても、6月は3月より悪化すると予測されている(短観についての分析は、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。

◆原油価格下落だけが唯一の救いの神
前回述べたように、異次元緩和措置は、資産価格に関する人々の期待を変え、その結果、円安と株高が実現した。
しかし、これらは資産価格である。資産価格は期待によって大きく変動するため、実体経済から乖離した動きが生じるのである。
その半面で、異次元緩和措置は、実体経済に関する人々の期待を変えることはできなかった。それは、設備投資が増えないことに端的に表れている。
短観によると、設備投資計画は、全規模/全産業では、15年度の計画は14年度に比べてマイナス5・0%になっている。非製造業は、マイナス8・0%だ。中でも、建設(マイナス30・1%)、不動産・物品賃貸(マイナス13・9%)などが大きく落ち込んでいる。消費税増税前の駆け込み需要の影響で、設備投資が一時的に増えたことの反動であろう。
設備投資は、将来に対する企業の期待を最も顕著に反映するものだ。それがこのような状態であることは、実体経済に関する企業の期待がまったく改善されておらず、むしろ全体的に見れば悪化していることを示している。
株価が上昇しているので、現実の経済の状態が見えにくくなっている。しかし、実際には、このように、かなり危機的な状況になっているのである。現在の日本経済の問題は、資産価格だけが実体経済と遊離して上昇しつつあることだ。
このような状況において唯一のプラス要因は、原油価格の下落である。それが勤労者世帯の実質所得を増加させ、実質消費を増加させることが期待される。これが唯一の救いの神だ。
これが実際にどの程度消費を喚起できるかは、今後の為替レートの推移に懸かっている。仮に円安が進展すれば、原油価格下落の効果は打ち消されてしまう。インフレ目標達成にこだわって追加緩和が行われると、それが現実化してしまう。
だから、いま必要なのは、物価を上げることではない。逆であって、物価を下げることによって実質消費の増大を期待することである。日本銀行は、インフレ目標に関する基本的な考えを変更する必要がある。

(2015.05.09)
■売上高が減少するため設備投資が減少する

異次元金融緩和が始まってから2年たつ。その評価は、物価や株価がどうなったかではなく、設備投資がどうなったかでなされるべきだ。
設備投資についての実際のデータを見ると、次の通りだ。
(1)リーマンショックで大きく落ち込んだものが2010年には回復したが、その後はあまり増加していない。法人企業統計で見ると、全産業(金融・保険業を除く)・全規模の設備投資は、消費増税前の駆け込みで増えた14年1~3月を除けば、12年1~3月にピークになって以降、あまり変わらない(10年が38・3兆円、11年が37・7兆円、12年が38・0兆円、13年が38・0兆円、14年が39・9兆円)。
(2)この結果、最近時点での設備投資額は、リーマンショック前よりかなり低くなっている。07年には56・2兆円だったが、14年の値は、この70・9%だ。
このように、異次元緩和措置は、設備投資を増加させたとはいえない(設備投資動向についての詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。
この状況は、株価がリーマンショック前のピークを超えたのと対照的だ。株価は、実体経済に関する企業の見通しを正しく反映していないと言わざるを得ない。
なお、設備投資の動向は、国民経済計算(GDP統計)で見るか、法人企業統計で見るかで、若干の差がある(対象が異なるため)。すなわち、GDPデータでは実質でも名目でも、現在の値は10年ごろより高い。それに対して法人企業のデータでは、右で見たように、ほとんど差はない。ただし、(1)、(2)の定性的な側面は、どちらの統計でも同じだ。

◆設備投資に影響するのは金利や法人税でなく売上高
金利が低下したにもかかわらず、なぜ設備投資が増えないのだろうか? その理由は、売上高が増えないからである。具体的には、次の通りだ。
法人企業統計で全産業・全規模の営業利益を見ると、14年には54・7兆円であって、07年の56・0兆円の97・6%にまで回復した。しかし、14年の設備投資は、右に見たように、07年の70・9%でしかない。
設備投資が回復しないのは、売上高が、リーマンショック以降、ほぼ継続して減少しているからである。
14年の売上高は1329・4兆円であって、07年の1524・8兆円の87・1%でしかない。
つまり、設備投資は利益よりは売上高の動向に影響されているのだ。
マクロ経済理論では、設備投資は金利によって変動するとしている。しかし、それは、売上高が大きく変動しない場合のことだ。売上高が減少を続ける場合、設備投資が起こらないのは当然のことだ。売上高が増えない状況で、金利が低下したからといって設備投資を行えば、過剰生産に陥ってしまうだろう。
設備投資に対しては、金利低下や法人税減税よりも、売上高の変化の方がはるかに大きな影響を持つのである。このことは、後で述べるように、政策的に重要な意味を持つ。
さて、異次元緩和措置導入後も、売上高はあまり増加していない。14年10~12月には若干増えたが、円高期であった10年10~12月よりも2・3%低く、11年10~12月より1・0%低い。つまり、異次元緩和措置は、売上高に影響を与えていないのである。
従って、企業としては、今後も売上高が減少すると予測せざるを得ない。そのため、設備投資は減少するし、今後も減少するだろう。これが前回述べた4月の日銀短観に反映されている企業の将来見通しである。
ただし、製造業と非製造業では、動向に差があることに注意が必要だ。
まず、製造業の売上高は、リーマンショック前に比べてかなり落ち込んでいる。すなわち、07年には472・6兆円であったものが、14年には394・7兆円と、83・5%の水準にまで減少した。
それに対して非製造業の売上高は、07年の1052・2兆円から14年の934・7兆円へと88・8%の水準になっただけだ。
これを反映して設備投資の動向にも差がある。すなわち、製造業の設備投資は07年の20・6兆円から14年の13・7兆円へと、66・5%の水準にまで減少した。それに対して、非製造業では、07年の35・6兆円から14年の26・2兆円へと、73・5%の水準になっただけだ。非製造業においても設備投資は減少しているのだが、製造業におけるほどの著しい減少ではない。

◆非製造業の設備投資が全体の動向を左右する
製造業と非製造業で右のような違いがあることは、次のことを意味する。
第1に、「設備投資動向は金利や法人税負担に影響されるのでなく、売上高に影響される」という前記の想定が正しいことを意味する。金利や法人税に関する条件は、製造業でも非製造業でも同じだからだ。両者で大きく違うのは、売上高の動向である。
第2に、売上高の減少は、人口減少によるのではないことが分かる。しばしば、「総人口が減少するから経済規模が縮小する」といわれる。しかし、総人口の影響は、製造業にも非製造業にも同じように影響するはずである(年齢の違いによる需要構造の差がないわけではないが)。
右に見た製造業と非製造業の売上高動向の差は、製造業が国際競争にさらされているためにもたらされているものだ。このため、輸出の減少、輸入代替、生産拠点の海外移転が起こり、そのため製造業の売上高が減少するのである。そして、そのために製造業の設備投資が減るのである。
このことは、製造業の業種別設備投資の動向を見ると分かる。自動車・同附属品製造業を除けば、製造業の多くの業種で、設備投資は10、11年ごろから傾向的に減少してきた。13年以降やや持ち直しているものの、10、11年ごろの水準には戻らない。
この結果、いまや設備投資の規模で見て、非製造業は製造業の倍近くなった。業種別に見ても、自動車・同附属品製造業の設備投資額と建設業のそれがほぼ同規模である。このため、非製造業の設備投資の動向が、設備投資全体に大きな意味を持つようになった。
12年10~12月期と14年同期を比べると、製造業全体では設備投資は減少しているのだが、自動車・同附属品製造業だけが例外的で、設備投資が557億円増えた。ところが、同時点における建設業での設備投資は909億円も増えているのである(なお、建設業の設備投資が増えたのは、駆け込み需要のためだ)。
以上で述べたことは、政策的に重要だ。金融緩和や法人税減税を行っても、売上高の減少が続く限り、設備投資は増えないからだ。
設備投資を増やしたいのであれば、製造業でなく、非製造業の設備投資を増やす方策を考えるべきだ。非製造業の売上高は、円安や金利でなく、個人消費の見込みに影響される面が強い。だから、実質消費を増やすことを考えるべきだ。
実質所得が増えれば実質消費は増える。しかし、実際には金融緩和で円安になり、それが物価を高めて実質所得を減らしてしまっている。理論的には資産効果があり得るが、消費全体の動向を決めるものは、実質所得の動向である。いまの日本で必要とされるのは、実質所得を増加させる政策だ。そうした観点から、金融緩和政策の是非が、基本から問い直されなくてはならない。
(2015.05.16)
■日本経済の動向をドル表示で見れば

日本の経済変数をドルで表示すると、普段見ているのとは違う姿が見える。
例えば、GDPの変化だ。日本の名目GDPは、リーマンショックで落ち込んだ後、2012年からは増加した。14年の値は、11年より3・5%増えている。
ところが、ドル表示では、まったく違う姿になる。すなわち、12年がピークであり、それ以後はかなり顕著に減少しているのだ。14年の値は、11年より21・8%も減少している。国際通貨基金(IMF)による15年の推計値は、28・7%の減少だ。
この結果、世界経済での日本の地位は大きく下がった。アメリカのGDPは11年には日本の2・6倍だったが、14年には3・8倍になった。中国のGDPは、11年には日本の1・2倍だったが、14年には2・2倍になった。
1人当たりGDPでも、日本の順位は大きく下がった。アメリカの1人当たりGDPは、11年には日本より7・7%高いだけだったが、14年には日本の1・5倍になった。イギリスの1人当たりGDPは、11年には日本より11・2%低かったが、14年には日本より25・7%高くなった。
このように、ドルで見るか円で見るかで、経済の姿はだいぶ違って見える。
同一時点の比較は、どんな単位で見ても同じだ。例えば、現時点で日本のGDPが世界第何位かは、ドルで見ても円で見ても同じである。しかし、時間的な変化は、単位の取り方で違って見える。例えば、「日本のGDPは、12年から14年にかけて、増えたのか減ったのか?」という問いに対する答えは、正反対になる。
では、どちらで見るのが適当だろうか?
GDPがこの数年で2割も3割も減少しているとは、日常生活では感じられない。国内の経済変数が、ドル表示ではほぼ一様に低下しているからだ。つまり、日本国内では、大まかに言えばドル表示の賃金もドル表示の価格もほぼ同じ率だけ低下しているので、格別貧しくなったという意識は持てないのである。
だから、「日本の1人当たりGDPの順位がドル表示で下がったといっても、実際に貧しくなっているわけではない。見掛け上のものにすぎない。それが実際に問題になるのは、日本人が外国旅行をしたときなど、特殊な場合だけだ」という意見があるかもしれない。
しかし、この意見は誤りだ。第1に、外国人(ドルを持っている人、あるいはドルで生活している人)の立場からすれば、日本経済を見るには、ドルで捉える必要がある。そうした人の立場からすると、右に述べたことは重要な意味を持つ(具体的な内容は、後で述べる)。

◆ドル表示で見ると日本経済は縮小している
第2に、国内にいても、なんらかの意味で「世界が顔を出す」と、日本が貧しくなっているのが分かる。例えば、国際機関への出資だ。国内での負担は、数年前に比べて大きくなっている。中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)などの動きが出てくるのは、世界経済における中国の比重が増大しているからである。
右に、「国内ではさまざまな価格がドル表示ではほぼ同じように変化する」と述べた。しかし、詳しく言うと、変化率には差がある。円安になって輸入物価が上がると、国内物価が上がる。しかし、賃金はこうした変化に遅れがちだ。このため、実質所得が低下する。この変化は緩慢であるために、気付きにくいだけである。
日本は鎖国して世界経済と無関係に経済活動を営んでいるわけではない。国際的な分業体制の中で仕事をしている。そうである以上、日本の位置を知るには、ドル表示の数字を無視すべきではない。
そこで、さまざまな変数をドルで見ると、意外な姿が浮かび上がる。
まず、輸出が減少している。日本の対世界輸出額をドル建てで見ると、リーマンショック後では11年にピークとなったが、その後は継続して減少している。14年の値は、11年より15・4%も少ない。
企業の売上高(全産業、全規模)をドル表示で見ると、11~12年ごろがピークで、それ以降はかなり顕著に減少している。営業利益は、10年ごろ以降、変動はあるが、傾向的に見れば緩やかな減少だ。
異次元緩和措置で円安が進んだため、ドルで見ると、日本経済はかなり縮小し、世界経済の中でのプレゼンスが低下したのである。利益が微減で済んだのは、ドル表示の人件費が大きく低下したためだ。
そうした中で、株価だけはドル表示で見ても上昇している。
リーマンショックによって落ち込んだ株価は、その後回復し、09年から12年ごろまでは110~120ドル程度の水準であった。それが13年から顕著な上昇を示し、13年4月からは、140ドル台となった。13年11月には150ドル台になって、リーマンショック前のピークを超えた(なお、ここでも、円で見るかドルで見るかで結論が違う。円表示の株価がリーマンショック前の高値を超えたのは、15年2月19日のことである。しかし、ドル表示で見れば、そのかなり前にリーマンショック前を超えていたのだ)。その後若干低下したが、14年の秋から再び150ドル台になり、15年3月には160ドルに近づいている。
右に述べた実体経済の状況を考え合わせれば、株価上昇がバブルによるものであることがはっきりと分かる(以上の計数の詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載中の「新しい経済秩序を求めて」を参照)。

◆日本は投資や就労には適当な国でなくなった
右に述べたことは、外国人の日本に関連する行動に大きな影響を与える。
第1に、ドルを保有している投資家の立場から見ると、日本は株式投機には適した国だ。ドル表示の日経平均株価は、13年1月から15年3月の間に、27・7%上昇したからである。同期間中のダウ平均株価の値上がり率は22%程度だから、米株に投資するより日本株に投資した方が値上がり益は大きかったことになる。
しかし、日本は投資の対象としては適当でない。日本国内で工場などを購入して資産を円建てに替えてしまうと、収益率が低い上、将来円安が進めば、減価してしまうからだ。このように、「投資には向かないが、株式投機の対象にはなる」という奇妙な事態が生じている(これは、株価が実体経済から遊離している証拠である)。
第2に、労働者の選択に影響を与える。今後も円安が続くなら、日本国内で働くことの価値は低下していく。だから、稼ぎを本国に送金しなければならない労働者は来ない。
日本は、今後労働力不足経済に突入する。移民を考えなければ乗り切れないだろう。多くの人は、日本が受け入れを決めさえすれば外国人労働者は日本に来てくれると思っている。しかし、彼らが日本に来てくれない可能性が高いのだ。
最も深刻なのは、高度な専門家だ。日本には来ないでアメリカに行く。それは、日本で生産性の高い産業を発展させていく上で本質的な障害になる。
以上見たことを要約すれば、外国人の立場から見て、日本は投資をしたり労働したりするには適当な場所ではなくなったということだ。短期的な株式投機の対象としてだけ適当な国なのだ。日本がこのような状態にあることが、ドル表示で見ればはっきり分かる。
(2015.05.23)
■新産業誕生に必要な金融・労働市場とは

アメリカの経済成長率は、先進国の中ではずばぬけて高い。この結果、前回見たように、1人当たりGDPで見て、アメリカは日本より5割程度豊かな社会になっている。
アメリカ経済の成長をけん引しているのは、新しい産業であり、新しい企業である。古くからの伝統的企業が成長しているわけではない。2005~13年の間に、製造業の就業者は15・8%減少した。自動車産業では25・2%もの減少だ。
それに代わって、高度なサービス産業が成長している。いまアメリカの統計を見ると、産業分野の定義が昔とはずいぶん変わったことに驚く。例えば、「専門的・科学技術的サービス」とか「コンピュータ・システムデザイン・サービス」などという、日本の産業分類にはない項目がある。前記期間における就業者の増加率は、前者が14・9%、後者は42・1%という高さだ。こうした分野は、付加価値、企業利益、賃金支払額などさまざまな指標で高成長している。
これらの分野の生産性が高く、その分野の就業者が増加するために、アメリカ経済全体が成長しているのだ(以上の計数の詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。
この状況は、日本と対照的だ。日本では、製造業の生産性が相対的に高く、サービス産業の生産性は低い。中でも医療・介護分野は低い。そして、製造業の就業者が減少し、医療・介護の就業者が増加する。このために、経済全体の所得が伸びないのである。
新興国が工業化した時代において、先進国の製造業が縮小するのは、不可避だ。従って、先進国が成長するためには、製造業より生産性の高い産業が成長しなければならない。そのためには、新しい事業分野の開拓が不可欠だ。
新しい事業分野を切り開いた典型は、アップルとグーグルだ。アップルの時価総額は、伝統的企業の代表であるエクソン・モービルの2倍を超えている。グーグルの時価総額もエクソン・モービルを抜きマイクロソフトと順位を競っている。
新しい企業は、これらだけではない。特にIT関連で新しい企業が成長している。これらは、新しく誕生したベンチャー企業ないし、もともとは小企業だったものだ。単に新製品を作っただけでなく、新しいビジネスモデルを創造した。

◆リスクに挑戦できるファンディングの仕組み
新しい事業はリスクが高い。右に挙げたアメリカの新企業は、リスクに挑戦し、それに成功したのだ。
問題は、資金面と人材面でリスク挑戦の仕組みがあるかどうかだ。まず資金面を考えよう。
そもそも株式会社は、リスクに挑戦するための仕組みとして、大航海時代につくられた。しかし産業革命後、経済活動が大規模化するにつれて株式会社も大規模化し、リスクに挑戦するための仕組みという本来の機能は薄れてしまった。特にIT革命後は、株式会社とは別の経済制度によってリスク挑戦がなされている。
それは、ベンチャービジネスとベンチャーキャピタルの組み合わせだ。その典型がグーグルのスタートアップに見られる。優れた検索エンジンを2人の大学院生が開発した。その事業を企業として行うため、ベンチャーキャピタルであるKPCBとセコイアキャピタルが出資した。その時点では、事業から収益を上げる方法はなかった。「広告」というビジネスモデルを導入したのは、その後だ。収益化に成功した後、IPO(株式公開)を行った。
このようなファンディングは、間接金融では無理だ。収益化の見込みがない事業に民間銀行が融資するはずはない。従って、間接金融が支配的な国では、新しい事業の誕生は極めて難しい。
なお最近では、スタートアップ直後の企業をグーグルが買収するというケースが目立っている(ユーチューブが典型。アンドロイドや衛星地図関連企業もそうだ)。また、クラウドファンディングという手法が使われることもある。
ところで、以上のようなファンディングの重要性は、昔から認識されていたわけではない。アメリカ再生を提言したMIT特別委員会の報告書『Made in America』(草思社。アメリカでの刊行は1980年代末)は、「ベンチャーキャピタルがあるために新会社が乱立され、大組織から人材が流出してしまう」とした。現実の世界は、この報告とは全く逆の方向に進んだのだ。

◆自営業で仕事ができるならリスクに挑戦できる
いまひとつ重要なのは、人々がリスクに挑戦できるような労働市場があるかどうかだ。
リスクが高ければ、失敗もある。むしろ、失敗が普通である。アップルやグーグルなどは例外的に成功した企業であって、その裏には失敗した試みが山ほどあることを忘れてはならない。
失敗した場合、資金面ではベンチャーキャピタルが損失を被ることで処理される。しかし、人材はそうはいかない。失敗した場合に新しい職に就けるような仕組みが必要だ。
日本政府の成長戦略でも、労働移動支援型への雇用流動化が強調されている。ただし、それは、どちらかといえば、解雇を容易にするためのものである。
これは、既存企業のスリム化を進めるには役立つだろう。しかし、仕事を求める人にとっては、新しい仕事を容易に得られる仕組みの方が重要だ。そうした保証があって、初めてリスク挑戦が可能になる。
これに関して注目したいのは、アメリカで自営業が増えていることだ。13年で、就業者総数1億2600万人に対して、自営業者が940万人いる。重要な点は、「専門サービス」での自営業者が205万人もいることだ。
自営業の伝統的な分野といえば農業、建設、小売りであるが、ここでの自営業者は、それぞれ、71万人、152万人、68万人にすぎない。これらより、専門サービスにおける自営業者の方が多いのである。コンサルティングやコンピュータ関連のサービス提供も、企業が行うだけでなく個人が行う場合が多いのであろう。
ダニエル・ピンクが『フリーエージェント社会の到来』(ダイヤモンド社、02年)で描いた社会が、現実化しているわけだ。こうした社会では、一つの事業で失敗しても、再挑戦が容易にできる。
成長戦略が必要といわれる。最も重要なのは、以上のようなことだ。形だけまねても駄目である。
ベンチャーキャピタルも、政府が主導すればすぐにできるというものではない。日本にもベンチャーキャピタルはあるが、金融機関の子会社のものが多い。これではリスク挑戦はできない。
こうして見ると、成長戦略とは、決して容易な課題ではないことが分かる。その実現には、経済社会構造の大改革が必要だ。ただし、税制、公的金融、社会保険適用などにおいて、小規模な自営業をサポートすることは、いますぐにでも可能である。この際、事業内容について特定の方向付けをせず、スタートアップ資金の提供だけに絞って行うことが必要だ。これまでもあった中小零細企業支援策を、企業存続のために行うのでなく、起業促進のために行うのである。
人々がリスクに挑戦しなければ成長はあり得ない。従って、リスク挑戦の仕組みがあるかどうかが、成長戦略にとって最も重要なポイントだ。
(2015.05.30)
■日本で全く不十分なリスク挑戦の金融支援

前回述べたように、アメリカのIT革命においてベンチャーキャピタルが重要な役割を果たした。アメリカの新しい産業は、ベンチャーキャピタルによって切り開かれたといえる。
IT革命の初期の段階で重要な役割を果たしたベンチャーキャピタルとして、次のものが有名だ。
まず、クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ(Kleiner Perkins Caufield & Byers:KPCB)がある。1972年にフェアチャイルドセミコンダクターの創業者であるユージン・クライナーと、ヒューレット・パッカードのコンピュータ部門長だったトム・パーキンスらによって設立された。
アマゾン、AOL、コンパック、グーグル、ネットスケープ、サン・マイクロシステムズなど、IT革命を担った企業に投資をした。シリコンバレーの企業だけでなく、アリババやバイドゥなど、中国のベンチャー企業にも出資をした(前者はいまや世界最大のeコマースサイト。後者は中国一の検索エンジン)。パートナーにアル・ゴア元副大統領を迎えている。
セコイアキャピタル(Sequoia Capital)の役割も大きかった。フェアチャイルドセミコンダクター出身のドン・ヴァレンタインを中心に、72年に設立された。アップル、オラクル、ヤフー、グーグル、ペイパルなどなど、「セコイアの子供たち」と呼ばれるインターネット企業のスタートアップを支援した。
最近では、これらのベンチャーキャピタルの支援を受け、ベンチャー企業として成功した人がベンチャーキャピタルになるケースが目立つ。つまり、ベンチャーキャピタリストは第2世代の時代になっているのだ。
現在アメリカで投資額第1位のベンチャーキャピタル、アンドリーセン・ホロウィッツの創始者の1人マーク・アンドリーセンは、インターネットのブラウザ「モザイク」を発明し、ネットスケープの共同経営者になった人だ。
コースラ・ベンチャーズの創始者ビノッド・コースラも、似たような経歴の持ち主である。彼は、スタンフォード大学の同級生などと共に82年にサン・マイクロシステムズを設立し、84年まで最高経営責任者を務めた。
グーグルもグーグル・ベンチャーズを設立している。
ベンチャーキャピタルは、将来の成長産業を探している。彼らがどこに投資しているのかを見れば、産業構造の将来像が見える。事業分野ではITやソフトウエアが多いが、バイオや医薬品関連もある。投資先の地域で見ると、アメリカが圧倒的に多いが、インドや中国もある。ただし、日本はない。

◆日本のベンチャーキャピタル投資額はアメリカの2%
PwC/NVCA MoneyTree Reportによると、ベンチャーキャピタルの2013年における合計投資額は、301億ドル(前年比9%増)、合計投資案件が4251社(前年比7%増)となっている。
しかし、日本のベンチャーキャピタルの活動は低調だ。一般財団法人ベンチャーエンタープライズセンター(VEC)の「VECベンチャーニュース調査」(15年3月)によると、投資額は、12年度が1017億円、13年度が1761億円、14年度(4~12月)が838億円となっている。しかも、半分程度は海外向けだ。
14年度の値は、アメリカの13年の値の2・4%程度でしかない。アンドリーセン・ホロウィッツ1社の投資額の7割程度でしかない(同社の14年における投資額は、10・2億ドル)。
日本のベンチャーキャピタルの投資額は、06年度の2790億円をピークに減少傾向にあった。09年度の875億円を底に、10年度以降は緩やかな増加傾向にあったが、再びリーマンショック直後の水準まで減少しているわけだ。
日本においてベンチャーキャピタルの活動が不活発なのには、さまざまな理由がある。
第1に、日本におけるベンチャーキャピタルは、その多くが銀行、証券会社などの関連会社である。しかし、金融機関が設立した投資機関が、リスクマネーを供給できるのかどうか、大いに疑問だ。
アメリカIT関連のスタートアップ企業の多くは、収益モデルを確立する前に、ベンチャーキャピタルからの出資を得た。グーグルに至っては、最初の出資を受けたとき、銀行預金口座すらなかったというエピソードがある。
こうした相手に対して、日本のベンチャーキャピタルが投資できるだろうか? 日本でベンチャーキャピタルらしい投資をした人といえば、ソフトバンクの孫正義社長くらいなものだ(同氏は、アリババに出資したことで有名)。
日本でベンチャーキャピタルが伸びないいまひとつの理由は、そもそもスタートアップ企業がないことだ。これに関して、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)の調査が参考になる。調査項目の中に、「起業活動率」(TEA)があるが、これは「起業の準備を始めている人と、創業後3・5年未満の企業を経営している人」が18~64歳の人口100人当たりで何人いるかを示したものである。
先進国についての値を見ると、アメリカは12・2%だが、日本は3・7%でしかない。先進国中では、イタリアに次いで低い水準だ(詳しいデータは、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。
投資先がないのでは話にならない。ベンチャーキャピタルの投資がないことと、スタートアップ企業がないことと、どちらが原因でどちらが結果なのだろうか? 多分、どちらでもあるのだろう。お互いに他を強め合っているのだ。

◆日本の株式市場は投機の場になっている
ところで、ベンチャー企業が成長して一定の段階に達したら、ベンチャーキャピタルから卒業する必要がある。これは、「エグジット」と呼ばれる。
その形態としては、M&AかIPOがある。前者は、他の企業に買収されてその一部になること。後者は、株式市場に上場することだ。
IPOについて見ると、最近では、フェイスブックやツイッター等の大型上場があった。14年には、アリババのIPOがあった。
日本でもIPOはあるが、大型IPOと呼ばれたのは、新生銀行、第一生命保険、日本航空、リクルートホールディングスなどであり、ベンチャー企業のエグジットではない。
前回、「巨大化した株式会社は、リスク挑戦という本来の機能を果たしにくくなった」と述べた。成熟した株式会社がそうなったとしても、株式市場はリスク挑戦の場として機能し得るはずである。ここでいう「リスク挑戦」とは、「投機」という意味ではない。将来性はあるが成功するかどうか分からない企てへの資金供給という意味だ。IPOはその典型である。
ところが、日本の株式市場は、そうした役割を果たしていないのだ。そして、企業の実態から乖離した投機の場となってしまっている。日経平均株価が2万円を超えるかどうかで一喜一憂し、追加緩和や公的年金積立金の支えを求める。
ベンチャーキャピタルにしても株式市場にしても、金融面でベンチャービジネスを育てる条件が全くといっていいほどない。これでは、リスク挑戦できるはずがない。そして、日本の産業構造が変わるはずもない。
(2015.06.06)
■新ビジネスの実現には参入規制の緩和が必要

Uber(ウーバー)というタクシー配車サービスが注目を集めている。スマートフォンに入れたアプリに行き先を入力すれば、タクシーを呼べる。到着時間や料金の目安もあらかじめ分かる。支払いはクレジットカードで行われる。
私が注目したいのは、運転手の評価ができることだ。
タクシー運転手のあまりに非礼な態度に、「何とかならないものか」と考えていた人は、私以外にも大勢いるだろう。
行き先を告げても何の答えもなく、ブスッと押し黙ったまま。大きな音でラジオをつけているので、「疲れているから音を小さくしてほしい」と頼んだら、「これが楽しみでタクシーをやっているのだ」と言われたことがある。
客席の窓を開けると、何の断りもなく閉められてしまう。あるときには、閉められはしなかったが、運転手が窓の外に向かって唾を吐いた。私は、このような運転手に出くわすのが嫌で、なるべくタクシーに乗らないようにしている。
こうした運転手のことは、会社に報告すればよいのだろう。しかし、いちいち通報するのは面倒だ。「客が接客サービスを評価できる」というごく当然のことが可能になったのを歓迎したい。
インターネット上の評価サービスは、他にも登場している。その一つにYelp(イェルプ)がある。レストラン、店舗、ホテル、ガソリンスタンド、医療機関、教育機関、美術館、公園などについて、評価を投稿できる。他の人のレビューを閲覧すれば、サービスの評価が事前に入手できる。
この種の評価としては、紙の出版物として、昔からさまざまなものがあった。古典的なものでは、ヨーロッパを中心としてホテルやレストランを評価する『ミシュラン』があった。ただし、これはミシュランのスタッフによる評価だ。雑誌が行う「ランキング」などもそうである。
これに対してYelpは、極めて多数の人々の評価である。日本には「食べログ」「ぐるなび」といった口コミサービスがあるが、Yelpがカバーする範囲はもっと広い(以上を含む新しいインターネットサービスの詳細については、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。

◆情報の非対称性をITの進歩が克服する
市場がうまく機能する条件は、提供されるサービスや商品についての十分な情報を、買い手が持っていることだ。しかし、実際には、そうした情報は不完全であることが多い。
タクシー乗り場で乗ろうとするタクシーの運転手が優良運転手かどうかは、客には分からない。初めて行く土地で泊まるホテルが快適かどうかは、予約時点では分からないことが多い。
ノーベル経済学賞の受賞者ジョージ・アカロフは、この種の情報の非対称性がある市場では、提供されるサービスや商品の質がどんどん低下していく傾向があるとし、そうした市場を「レモンの市場」と呼んだ。
この問題は、昔からあるものだ。ただし、伝統的な社会では生活圏が狭かったので、「評判」としてかなりの情報を得られた。しかし、都市化が進展して売り手と買い手の関係が希薄な大衆消費社会になり、交通手段の発達によって生活圏が拡大すると、こうした情報の入手は難しくなってきた。
そこで、情報の非対称性を克服する手段が、幾つも考えられてきたのである。例えば、チェーン店やフランチャイズ店がある。ここに加盟しているレストランや商店は、一定の水準を維持している。従って、初めての店であっても、商品の質やサービスについて、ある程度の予想がつく。
私は、1960年代にアメリカに留学したとき、どの町にもハワード ジョンソンやケンタッキー・フライド・チキンがあるのを見て印象的に思った。
アメリカでは車で旅行して、見知らぬ町でレストランに入らなければならない場合が多い。つまり、情報が不足している。そうした場合に安全な方法は、チェーン店に入ることなのだ。どんな料理が出てくるか、およそは見当がつく。
また、供給者が「ブランド」価値を確立し、それを守るというのも、買い手に対する情報提供だ。
こうしたことの他に、公的機関による「規制」も行われてきた。この場合、一定の水準を満たしていると監督当局が認めた業者だけが営業できる。日常生活に密接した業種では、レストラン、宿泊施設、タクシー、理髪店などで規制が行われている。
実際、現在の日本には、事業を行うために監督官庁の認可や許可が必要なものが数多くある。
最も規制が強いのは金融業だ。銀行は免許制だし、証券業もかつては免許制だった(いまは登録制)。この他、運輸、不動産仲介、大規模店舗などで、規制が加えられている。

◆参入規制が変革を阻害する
これらの規制が必要とされる理由は、一定の水準を保証することだ。つまり、消費者保護だ。
例えば、タクシーの場合、何も規制しなければ「白タク」が増えて、安全が確保できないかもしれないし、法外な料金で暴利をむさぼられるかもしれない。そうしたことを防ごうというわけだ。
確かに、サービス水準を確保するのは必要だ。しかし、情報処理手段が進歩すれば、市場がそれをできないわけではない。インターネットの普及に伴って情報の非対称性が徐々に克服されていくのだ。右に見たUberは、その典型である。
規制は、実際には供給者数を制限し、競争を制限する結果になっていることが多い。そして、すでに認められている業者だけで市場を分け合う。つまり、既得権の保護である。カリフォルニア州では参入規制が撤廃されて、白タクは合法になっているので、Uberは白タクも使っている。
宿泊施設の分野でも、インターネット上の新サービスが始まっている。中でもAirbnb(エアビーアンドビー)が有名だ。目的地の都市名を入力すると、ゲストを迎え入れたいホストの物件写真と顔写真が示される。物件は一軒家やアパートの空き部屋が多いが、城や個人所有の島まである。
この場合も、現存規制との衝突が起こる。日本では旅館業法によって、認可を受けていない供給者が部屋などを貸すのは違法になる。
しかし、本当に規制がなければサービスの質を確保できないのだろうか? 宿泊施設もタクシーと同じことで、それまでの利用者の評価によって、質を確保するのは十分可能だろう。
しかも、日本では空き家が増えている。倒壊の恐れなどがある空き家を市町村が強制的に撤去できる特別措置法が先般、全面的に施行された。空き家の有効活用は重要な課題だ。また、東京オリンピックだけのためにホテルを造れば過剰供給になってしまうことは、目に見えている。こうした面からも、現在の規制を考え直す必要があるだろう。
本連載の第758回(5月23日号)で、リスク挑戦のためには、金融と労働市場の改革が必要だと述べた。もう一つ重要なのは、規制緩和だ。特に、参入規制の緩和である。新しいビジネスが技術的に可能になっているにもかかわらず、規制がその実現を阻害している。参入規制の緩和は、既得権集団との直接の利害衝突を引き起こすので、難しい課題である。しかし、それを打破することが成長戦略の第一歩だ。
(2015.06.13)
■物価上昇で消費減少 原油価格下落で増加

2014年度の実質GDP成長率はマイナス1・0%となった。マイナス成長は、リーマンショック直後の09年度以来のことである。しかも、政府が目標としていたマイナス0・5%よりも落ち込みが激しかった。
マイナスの経済成長をもたらした原因として、通常次のことが指摘される。
第1は、住宅投資が対前年度比マイナス11・6%となったことだ(寄与度はマイナス0・4%ポイント)。これは、消費税増税前の駆け込み需要が消滅したためだ。
第2は、円安によって企業収益が好調であったにもかかわらず、設備投資が対前年度比マイナス0・5%となったことだ(寄与度はマイナス0・1%ポイント)。
これらの要因が重要だったことは事実である。しかし、寄与度から見れば、最大の原因は、実質家計最終消費支出が対前年度比マイナス3・3%(寄与度はマイナス2・0%ポイント)と大幅に落ち込んだことだ。前回の消費税増税時の1997年4~6月期には、実質家計最終消費支出が対前期比3・5%減少した(今回は5・3%減少)ものの、その後比較的早期に回復した。このため、97年度の実質家計最終消費支出の対前年度比は、マイナス1%にとどまったのである。
実質消費の落ち込みは、他の統計によっても確かめられる。毎月勤労統計調査によると、14年度において、1人当たりの現金給与総額(名目賃金、従業員5人以上の事業所)は対前年度比0・5%増となったものの、実質賃金は対前年度比マイナス3・0%という大幅な減少となった。これは、4年連続のマイナスだ。
厚生労働省は、この結果を「消費税率引き上げが物価上昇に拍車を掛け、実質賃金の下げ幅が拡大した」と説明している。しかし、物価上昇率は消費税増税率より高いことに注意しなければならない。14年度を通じた消費税増税による消費者物価押し上げ効果は2%ポイント弱と考えられるので、仮に消費税増税がなかったとしても、実質賃金の対前年度比はマイナス1・0%になったはずである。
また、家計調査によると、14年度の1世帯当たりの実質消費支出は、対前年度比で5・0%減だった。これは3年ぶりのマイナスで、下げ幅は01年度以降で最大となった。リーマンショックの影響があった08年度でさえ2・6%減だったのだから、14年度の消費の減少がいかに激しかったかが分かる。
なお、15年3月の1世帯当たり消費支出は対前年同月比実質10・6%の減少となり、月単位では過去最悪の減少幅になった。これは、14年3月に、消費税引き上げ直前の駆け込み需要のために消費が一時的に伸びたことの影響だ。

◆実質消費の落ち込みは円安のためでもある
一般に、実質消費が減少したのは、消費税増税の影響と考えられている。その影響があることは否定できない。しかし、それだけでは説明できない。まず、すでに述べたように、過去の消費税増税時に比べて消費の落ち込みが激しい。消費税以外の要因によって実質賃金が低下し、実質消費が減少した面があることを忘れてはならない。
実際、実質家計最終消費支出は、13年10~12月期に対前期比伸び率がマイナスに転じている。これは消費税増税前の期間であることに注意が必要だ。
14年4~6月期以前の期間においては、消費税の増税によって消費が減少したのではなく、消費者物価の上昇によって消費が減少したのである。
名目所得が所与の場合、物価が上昇すれば、実質所得は減少する。そして、実質消費は実質所得によって決まるので、実質消費も減少する。14年度の経済データが明らかにしているのは、「実質消費の動向は実質所得の動向で決まる」というごく当然のことである。
別の言葉で言えば、「消費者物価が上昇すれば人々のデフレマインドが払拭され、経済活動が活発化する」などということはない。つまり、「インフレターゲット」という考えは間違いであるということだ。
消費者物価が上昇したのは、円安によって輸入物価が上昇したからである。消費者の立場から見れば、原因が円安であっても消費税の税率引き上げであっても、物価が上昇すれば同じように実質消費を減らす。だから、一方で「消費税増税で景気が落ち込んだ」と言い、他方で「デフレ脱却が必要」と言うのは、矛盾している。
なお、株価が上昇したとき、資産効果によって消費が増えるとしばしば指摘された。確かに一部にはそうした影響もあったかもしれない。しかし、全体としての消費支出に影響を与えるほどの規模のものではなかった。つまり、「株価が上昇すれば経済が潤う」という「トリクルダウン効果」はなかったのである。

◆原油価格が下落して実質消費が増加した
ところで、以上の状況は、15年になってから逆転した。すなわち、実質消費が増加して、実質GDPの伸び率が高まったのである。
内閣府が5月20日に発表した15年1~3月期のGDP速報値によると、実質GDPの成長率は、前期比で0・6%増、年率換算で2・4%増となった。実質家計最終消費支出は、前期比で0・4%増、年率換算では1・5%増(寄与度は0・9%ポイント)となった(前述した家計調査の3月のデータは対前年同月比なので、駆け込み需要の影響が表れている。ここで述べたのは対前期比なので、その影響はない)。
これは、原油価格が大幅に下落したために、円安が進行したにもかかわらず、輸入物価指数の伸び率がマイナスになり、それが時間遅れを伴って消費者物価の伸びを押し下げたためだ(15年1~3月期GDP統計の詳しい分析は、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。つまり、14年に生じたのとはちょうど逆の事態が生じたのである。
このことも、「物価上昇率が高まれば経済活動が活性化する」というアベノミクスの基本的考えが間違いであることを示している。
重要な点なので繰り返し述べよう。14年度全体としては、円安による消費者物価上昇率の上昇が実質消費を減少させた。そして、15年1~3月期においては、原油価格下落によって消費者物価上昇率が下落し、それが実質消費を増大させて、実質GDP成長率を押し上げたのである。
輸入物価の動向は、ほぼ6カ月のタイムラグを伴って消費者物価上昇率に影響を与える。15年4月の輸入物価指数(円ベース、総平均)の対前年同月比はマイナス9・5%なので、消費者物価上昇率は今後も低下を続けて6月ごろにはマイナス1%程度になるだろう。それは、実質消費を増やし、実質GDPを成長させるだろう。15年1~3月期には在庫投資の減少幅が縮小し、GDP成長率を高めている(寄与度は2・0%ポイント)。これは、消費支出が今後も増加すると企業が予測して、生産を増やしているためであろう。
ところで、14年秋に円安が進展し、原油価格下落効果をかなりの程度打ち消した。仮に円安がなかったとしたら、実質消費引き上げ効果はもっと大きかったはずである。つまり、円安が進行したために、日本経済は原油価格下落の利益をフルに享受することができなかったのだ。従って、実質GDP成長率を引き上げるために、為替レートがこれ以上円安になることを防ぐべきである。
(2015.06.20)
■設備投資国内回帰に含まれる二つの問題

財務省が発表した2015年1~3月期の法人企業統計の特徴は、売り上げや経常利益が目立って増加しない半面で、設備投資がかなり増加したことだ。
金融業と保険業を除く全産業の設備投資額の前年同期比は、7・3%増となった。増加は8四半期連続だ。製造業は6・4%増で3四半期連続のプラス。非製造業は7・8%増となった。大企業だけでなく、中小零細企業の設備投資も伸びているのが特徴だ。
ソフトウエアを除く全産業の設備投資額の季節調整値は、前期比5・8%増だった。従って、1~3月期のGDP成長率は上方改定される可能性がある。
注目すべきは、売り上げが伸びていないことだ。全産業の1~3月期売上高は、全産業前年同期比で0・5%減となった。14年1~3月期に消費税増税前の駆け込み需要があったことによる反動減だが、それだけではない。事実、前期比でも0・9%減となっている。製造業は、前年同期比3・9%減とかなり大きな落ち込みだ(非製造業は同0・9%増)。
利益も顕著に伸びているわけではない。全産業の経常利益は、前年同期比0・4%増だった。製造業は1・3%減、非製造業は1・2%増だった。前期比では、全産業で6・4%の減となった。これは、円安進行が一服し、輸出企業の収益を押し上げる効果が小さくなったためである。

◆円安バブルが崩壊したらどうなる?
経済産業省「海外現地法人の設備投資の動向」(15年3月)によると、10年以降13年末ごろまで、国内の設備投資が伸び悩む半面で、海外投資が増えた。ところが、14年以降は、海外投資が頭打ちとなり、国内投資が増え始めた。
円安を背景として国内回帰が起こっていると解釈できる。原油安によるエネルギー価格の低下も影響しているだろう。製造業だけでなく、円安で観光客が増えるとホテルの設備投資も増える。
経済学の教科書によれば、設備投資は金利によって決まる。しかし、現在の日本では、設備投資は為替レートによって影響される側面が強いようだ。
実際、為替レートは、この数年で大きく変化した。実質実効為替レート指数を見ると、15年4月の指数は、11年12月に比べて30・9%も円安になっている。これほど大きな変化が、経済活動に影響しないはずはない。しかし、次の諸点に注意が必要である。
第1に、円安は輸入原材料価格を引き上げるから、国内生産に不利な影響も及ぼす。
第2に、為替レートの変化が反転すれば、条件は逆転する。実際、04~07年ごろにも、円安を背景として製造業の国内回帰があったが、そのときに造られた巨大工場が、その後、シャープやパナソニックにとって大きな重荷になった。
円安がいつまで、またどこまで継続するのかを予測するのは困難だ。しかし、現在の円安に投機的な要素がかなり含まれていることは否定できない。
投機的要素を排した「適切な」為替レートは、どの程度だろうか? これに関してしばしば参照される「購買力平価」は、基準時点の為替レートが「適切なもの」との前提の下で、それ以降の物価変動を考慮して計算するものだ。従って、基準時点をどこに取るかで結果が左右される。
この問題を回避するために、世界のさまざまな国でほぼ同質の商品が販売されているものを取り上げて、その価格を見る方法がある。最もよく用いられるのは、『エコノミスト』誌による「ビッグマック指数」だ。
15年1月に発表されたランキングによると、ビッグマックの価格は、アメリカで4・79ドル、日本で370円だ。これらの価格が同じでなければならないとすると、4・79ドル=370円、つまり、1ドル=77・2円となる。6月初旬の実際のレート125円と比較すると、38・2%も円安ということになる。一つの商品だけを取り上げて「適切な」為替レートといえないことはもちろんだ。しかし、現在の為替レートがかなりのバブルを含んだものであることは、確認できる。
円安が終われば、国内設備は大きな重荷になる。原油価格も下げ止まったとみられる。長期的な観点から日本国内が製造業にとって適切な立地点か否かは、疑問だ。

◆労働供給の減少は国内生産コストを上げる
さらに大きな問題として、労働供給の減少がある。
日本では、生産年齢人口が今後、急激に減少する。他方で日本は本格的な移民受け入れに踏み切らないので、労働力が激減する。これは賃金を引き上げ、国内生産のコストを上昇させるだろう。
具体的には、次の通りだ。13年における労働力人口は6577万人であるが、30年には5683万人になると予測される(内閣府「人口減少と日本の未来の選択」、12年3月。現状維持ケース)。つまり、1000万人近く減るわけだ。これは現在の製造業の就業者数にほぼ匹敵する大きさである。
労働力人口減少は、すでに労働市場に影響を与えている。それは、有効求人倍率の上昇メカニズムを分析すると分かる。
有効求人倍率(季節調整値)は、リーマンショックで落ち込み、09年8月には0・42倍まで低下したが、その後回復し、13年11月に1倍を超えた。15年4月には1・17倍となっている。
この期間を通じて、有効求人数が増加したことは事実だが、それだけでなく、有効求職者数が顕著に減少したのである。14年中ごろ以降は、有効求人数は頭打ちとなっているが、有効求職者数はほぼ一貫して減少している。
有効求人数の増加が支配的である場合には就職件数が増加し、有効求職者数の減少が支配的である場合には就職件数が減少するはずである。就職件数の実際のデータを見ると、11~12年ごろには月間で18万人だったのだが、最近では16万人台に減少している。
従って、最近では労働供給の減少が大きな影響を与えるようになってきていると考えることができる。有効求人倍率の上昇は、労働市場の改善を示す望ましい傾向だと受け取られることが多いのだが、実際には、右に見たように、人手不足の深刻化を表すものと考えるべきなのだ(以上についての計数の詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。
他方で、高齢者の増加によって、医療・介護サービスへの需要が増大し、その分野での必要労働力が増える。従って、労働市場の需給はさらに逼迫する。
原因が需要増でも供給減でも、需給逼迫は名目賃金を引き上げるはずである。ところが、実際の名目賃金の上昇率はさほど高くはない。それは、就業者数が増加している医療・介護分野の賃金水準が、経済全体より低いためである。また、介護以外の分野でも非正規労働者が増加していることにもよる。しかし、製造業の賃金水準は他の産業より高いので、仮に製造業が国内回帰すれば、賃金上昇圧力はかなり強くなるだろう。
以上を考えると、円安による一時的な価格競争力の回復だけを理由に製造業が国内回帰するのは、危険な方向だと評価できる。国内回帰するにしても、従来型の製造業でなく、世界的な水平分業の一員として機能できるような製造業になることが必要だ。
(2015.06.27)
■土地利用を成長型からシニア型に転換せよ

現在の日本には、空き家が総住宅数の1割を超える規模で存在する。高齢化の進展などにより、空き家率は将来さらに高まる可能性がある。空き家を放置すれば危険なので、撤去の必要性が指摘されてきた。2014年11月に成立・公布され、15年5月26日に全面施行された「空家等対策の推進に関する特別措置法」は、一定条件を満たす空き家を自治体が「特定空家」に指定し、所有者に解体や修繕などを勧告・命令できる権限を与えた。命令に応じない場合は、自治体が取り壊し、費用を所有者に請求する。
他方で、大都市圏で介護施設が将来不足すると指摘されている。日本創成会議は、6月4日に公表した報告の中で、首都圏では今後高齢化が急激に進み、医療や介護に対応できなくなると指摘した。そして、この問題に対処するため、ロボットや空き家の活用などとともに、高齢者の地方への移住を提案した。
この二つは、いまの日本が抱える問題を端的に表している。空間(または土地)に対する需給が、空き家問題という側面では供給過剰になっているにもかかわらず、別の面(大都市の介護施設)では需要超過になっているのである。つまり、需給のミスマッチが生じているのだ。
経済全体としての需給のアンバランスではなくミスマッチであれば、原理的にはどちらの問題もかなりの程度改善できるはずである。
本来であれば、ミスマッチは、マーケットメカニズムが調整するはずだ。しかし、現実には、さまざまな理由によって調整作用が働かず、ミスマッチが起きてしまう。従って、その原因を究明する必要がある。
冒頭で述べたミスマッチが起こる基本的な原因は、日本の経済社会制度の中に、人口構造の変化に対応できていないものが残存していることだ。若年者が多い時代の制度のままなのである。
フローについては、このような需要構造の変化に供給が対応している。これが、いわゆるシニア市場の拡大である。消費財市場やサービス市場では、そうした対応がすでに顕著に進んでいる。また、住宅についても、新設住宅に関しては、バリアフリーなどの対応がなされるようになってきている。
しかし、すでに存在する住宅については、その転換ができていない。それが冒頭で述べたミスマッチの基本的原因である。問題は、不動産の利用をいかにして成長型からシニア型に転換するかなのだ。
◆日本が抱える課題はストックの用途転換
不動産に関する日本の基本的な仕組みは、高度成長期に形成されたものだ。その目的は、農地や山林を宅地や工場用地などの都市的利用に転換して造成し、住宅、工場、商業施設などを建設することであった。
しかし、いまやそこで形成されたストックを整理縮小し、用途を転換する必要があるのだ。増加している需要は、高度成長期の需要とは違う。若い世帯の住宅需要や、工場に対する需要は減少する一方で、高齢者世帯の住宅や介護施設、病院などの需要が増える。
条件の変化に対応する転換は、社会資本については、横断歩道橋の撤去などに見られるように、一部始まっている。また、工場の場合は、操業を続ければ赤字になるから、用途を転換する必要性に迫られる。
しかし、個人所有の住宅については、このようなメカニズムが働きにくいのである。このため、シニア型に転換できない。
高度成長期につくられた住宅関係の制度は、農村人口の都市流入や若年人口の増加に対応して、住宅を新しく造るための制度だ。「住む人がいなくなったときにどうするか」という仕組みがない。それがいま求められているものである。
売り手から見れば、ストックをフローに変え、それを消費に転換する仕組みだ。
金融は、それに対応して、ストックをフローに転換するサービスを提供する必要がある。これは、住宅ローンを逆転させたもので、リバースモーゲッジと呼ばれる。民間金融機関はすでに取り組んでいるが、公的な金融機関の取り組みも検討されるべきだろう。税制面からこれをバックアップすることも考えられる。
また、こうした動きに不動産ビジネスが対応することも必要だ。これまで大企業の不動産業は「デベロッパー」と呼ばれたことからも分かるように、農地・山林などを開発して大規模住宅団地を造成するのが主たる業務だった。しかし、今後は、現存するストックの利用転換が必要になる。工場跡地を住宅団地にする業務はすでに始まっているが、将来は小規模な空き家の再利用も必要になるだろう。

◆空き家の活用には詳細な情報が必要
需給のマッチングには情報が必要だ。しかし、空き家の多くは、不動産市場には売りに出されていないものだろう。従って、情報収集が必要になる。
これまで行われてきた空き家実態調査は、国土交通省や都道府県などの公的機関によるものだった。しかもそれらは、撤去という観点からのものだ。空き家を有効活用しようとの観点は、あまりなかった。
活用しようとすれば、これまでよりは格段と詳細な個別情報が必要になる。面積、位置などの情報の他に、権利関係、所有者の処分意図の有無、希望売却価格などの情報が必要である。そして、それらの情報が、再利用希望者に与えられなければならない。
こうした情報が集積されれば、空き家の有効活用は進むだろう。言うまでもないことだが、再利用は介護施設に限られたものではない。小規模な店舗や事務所への転用も可能だろうし、遠隔通勤を強いられていた人が都心部に移住することも考えられる。地方部の空き家は、リゾート利用が可能かもしれない。
では、このようなシステムは、いかにすれば実現できるだろうか?
まず、公的機関に全面的に依存することは難しいだろう。利用実態を把握するには、登記等の書類情報では不十分であり、付近の人たちからの聞き取り情報も必要だ。しかし、それに必要な人員を公的機関で確保するのは難しい。
他方でこの情報は経済的価値を持っているのだから、データベースの作成を民間企業がビジネスとして行うことは可能である。郵便の配達状況、宅配便の配達状況などの情報を総合すると、土地利用の実態についてかなり正確に推測できる。また、現在は空き家になっていなくとも、将来空き家になる可能性のある住宅を予測することもできる。こうした手法は、ビッグデータの処理として、最近目覚ましく発展している分野だ。民間企業であれば、そうした手法を積極的に活用できるだろう。
ただし、権利関係などの把握には登記情報が必要だから、公的機関の関与は不可欠だ。公的な機関と民間の事業者がいかに協力し、業務を分担できるかが探られなければならない。
なお、本来であれば、このシステムは、マイナンバー制度との統合が必要である。ただし、個人情報の管理という難しい問題がある。先般の日本年金機構における大量の個人情報流出を考えると、現在の日本の公的情報管理体制でこうした仕組みを構築できるかどうかは、心もとない。
しかし、だからといって情報システムの構築を諦めてはならない。ストックの利用転換は、世界の先進国が将来直面する問題だ。日本は世界に先駆けてこの問題に直面しているのである。
(2015.07.04)
■日本が中国並みになる 回避には何が必要か?

経済学に「要素価格均等化定理」という仮説がある。これは、「異なる国の生産技術が同じであれば、その技術を用いて生産された製品が自由貿易されることによって、貿易できない土地や労働などの生産要素の価格も国際的に均等化する」という定理である。
移民などによって労働力の国際間移動が生じる場合に賃金平準化が起こるだろうことは、容易に想像できる。しかし、生産要素が実際に国境を越えて移動しなくとも、生産物が移動することによって、それと同じ結果がもたらされるのだ。
かつては、「興味ある仮説だが、およそ非現実的」とされていた。実際、中国の工業化が軌道に乗った1990年代中ごろでも、日中の1人当たりGDPには約80倍もの格差があった。こんなに大きな差があっては、「要素価格均等化は現実の世界とは無関係」とされても、無理はなかった。
しかし、その後の現実のデータを見ると、日中の1人当たりGDPの格差は、急速に縮まりつつあるのだ。
2010年には、中国の1人当たりGDPは、日本のそれのほぼ10分の1になった。そして、15年においては、ほぼ4分の1にまで追い付いてきている。IMF(国際通貨基金)の予測によれば、20年には3分の1弱になる。
この背後には、次のようなメカニズムがある。中国と日本が同じ技術を用いて生産活動を行い、生産物が国際市場で価格付けされているなら、労働者1人当たりの売り上げは中国と日本で同一になるだろう。そして、中国の賃金が日本のそれより低ければ、中国企業の利益率の方が高くなる。従って、中国の生産が拡大し、日本の生産が縮小する。このため、中国で労働力に対する需要が増加し、賃金水準が上昇する。日本では労働力に対する需要が減少し、賃金水準が下落する。これが要素価格均等化定理の予測だが、現実にまさしくその通りのことが起きているのである。

◆賃金均等化のため円安になる側面も
要素価格均等化定理は一種の購買力平価説だから、賃金均等化は、二つの方法により実現される。第1は、各国の名目賃金の変化である。日本と中国の場合について言えば、中国の名目賃金が上昇する一方で、日本の名目賃金が下落することで、賃金が平準化する。
現実にもこれが生じている。日本貿易振興機構(JETRO)の資料によると、北京市での12年の一般職工の賃金は、10年前の3倍以上だ。14年における北京市での企業賃上げガイドラインは、年率12%である(労働政策研究・研修機構による)。これに対して日本の名目賃金は、低下を続けてきた。「毎月勤労統計調査」で「現金給与総額」を見ると、90年代の中ごろ以降、ほぼ年率1%程度で名目賃金が下落してきた。
ドルベースの賃金が均等化するには、もう一つの方法がある。それは、為替レートが変化することだ。ドルに対して円が安くなれば、円表示の名目賃金が変わらなくとも、ドル表示の賃金は低くなる。一方、元はドルに対してあまり大きく変動しないので、元建ての賃金が変わらなければ、ドル建ての賃金もあまり変わらない。こうして、円安が進むことによって、要素価格均等化が実現される。これは、「日本売り」と呼ばれる現象と同じものである。
ここで、次の4点に注意が必要だ。第1に、右に述べたように、賃金均等化は、名目賃金が変化することによっても実現するので、円安だけで実現されるわけではない。だから、日本の賃金が高ければ必ず円安になるわけではない。為替レートはさまざまな要因によって動かされる(短期的には、内外金利差に影響される面が強い)。だから、実際には名目賃金の動きで調整される部分の方が大きいだろう。実際、これまでは、中国国内の名目賃金上昇が最大の要因であった。ただし、中国の名目賃金上昇率が低下すれば、(日本の名目賃金切り下げに対する圧力が強まるとともに)円安に対する圧力が強まる。
第2に、20年になってもまだ日中間の1人当たりGDPに3倍強の差が残っている。これを見ても、均等化がすぐに実現するわけではないことは明らかだ。これは、数十年というタイムスパンにおいて実現する現象である。
第3に、私は円安の進行が望ましいと言っているのではない。以上で述べたのは、「日本の産業は基本的には中国と同じだから、最終的には実質賃金が中国にさや寄せされる」ということだ。そして、「さや寄せの一つの方法として、円安がある」ということだ。私はドル表示の日中賃金が均等化するのが望ましいとは決して思っていない。
利益率が回復すれば、設備投資の国内回帰が生じるかもしれない。しかし、それは、日本の産業がさらに中国式の構造に近づくことを意味する。これも望ましいことではない。では、どうしたらよいのか? これについて次節で考える。
第4に、「円安になると交易条件が悪化し、実質賃金が下落する」といわれる。それはその通りだが、因果関係には、「実質賃金を低下させるために円安になる」という側面もあるのだ。

◆実質賃金引き上げには産業構造改革が必要
以上で述べたことには、重要な政策的含意がある。
安倍晋三内閣は、民間企業の賃金決定過程に介入して名目賃金を上げようとしている。しかし、そのような政策は無意味だ。要素価格均等化定理を無視するものだからである。
産業構造を変えずに実質賃金を上げようとしてもできないのである。産業構造が変わらないかぎり、マーケットは、要素価格均等化定理を成立させるように調整を行う。
まず、介護部門の就業者や非正規雇用が増えて、名目賃金を下落させる。次に、円安になって物価が上昇し、実質賃金を下げる。
今年の夏ごろまでの期間においては、原油価格の下落が実質賃金を上昇させるだろう。しかし、原油価格はほぼ下げ止まったとみられるので、これは一時的なものだ。また、原油価格下落が名目賃金を下落させる可能性もある。
長期的に見れば、(1)名目賃金が下落する。(2)円安で物価が上昇し実質賃金が下落する、のどちらかが生じる。(1)は通常、デフレと呼ばれる。そして、(2)はインフレだ。しかし、実質賃金が下落するという意味では同じである。
日本銀行は、インフレ目標を掲げて消費者物価の上昇率を高めようとした。これは、(1)から(2)への移行が必要だという考えだ。しかし、そうなったとしても実質賃金が下がることに変わりはなく、問題の本質は何も解決されていない。
この過程を食い止めるには、日本の国内で利益率が高まらなければならない。つまり、労働の生産性が上昇しなければならないのだ。
それは可能だろうか? 簡単に実現できるわけではないが、原理的には可能だ。
要素価格均等化は、異なる国の技術が同じであることを前提にしている。逆に言えば、技術が違えば生じない。実際、1人当たりGDPの均等化は、日本とアメリカとの間では生じていない。むしろ格差が拡大しつつある。これは日本とアメリカの技術が違うことを意味する。
日本の技術がアメリカ型の技術になれば、1人当たりGDPは、中国ではなく、アメリカにさや寄せされる。中国が工業化した世界で、先進国が生き残る道はそれしかない。
(2015.07.11)
■ビットコインを認めたゴールドマン・サックス

アメリカの大手金融機関は、これまでビットコインに懐疑的だった。例えば、投資銀行のゴールドマン・サックスは、2014年3月の報告書で、「ビットコインは通貨ではない。その信奉者は頭を冷やして出直すべきだ」と、否定的な見解を表明した。ところが、15年3月の報告書では、評価を一転し、ビットコインの非中央集権的な仕組みは革命的であると認めたのである。
すなわち、「ビットコインと仮想通貨の技術は『メガトレンド』の一部であり、取引の根本メカニズムを変える」「ネットワークと暗号の技術におけるイノベーションは、マネー移動のスピードとメカニズムを変え得る」とした。
報告書は、次のように述べている。この変化から大きな利益を受けるのは、送金コストの低下で利益が増大する商店だ。現時点で10万以上の商店がビットコインを受け入れており、今後2年間に全商店の23%がビットコインを導入するだろう。現在300億ドルのC2C(消費者から消費者)のマーケットのうち、20%を仮想通貨が10年以内に獲得することができる。そして、送金手数料を現在の平均である6%から2・5%にまで押し下げる。仮想通貨は、特に国際送金において大きな役割を果たす。B2C(企業から消費者)の分野では、840億ドルが仮想通貨によって行われるだろう。他方で、損失を被るのは、ウエスタンユニオンなどの伝統的送金会社だ。
仮想通貨を支える分散型ネットワークは、オープンソースであるために安全で信頼性があり、問題点は一つもないと指摘している。
ビットコイン以外の仮想通貨では、「リップル」に注目している。これが小規模な銀行で用いられることにより、国際送金のコストを引き下げられるとし、ドイツのFidor銀行、アメリカのCBW銀行、CrossRiver銀行の例を挙げている。
ゴールドマン・サックスの報告に先立ち、14年9月にイングランド銀行が仮想通貨に関するレポートを発表している。レポートは仮想通貨の潜在力は評価しつつも、現状では金融システムに影響するほどの利用度にはなっていないとしている。具体的には次の通りだ。
革新のキーは、「分散型元帳」にあり、仮想通貨は、原理的にはインターネットを使える人々にとってマネーとして機能し得る。しかし、現状では、比較的少数の人々にとって限定的な意味でマネーとして機能しているにすぎない。問題は、それらの人々が、デジタル通貨を価値の保存手段として用いていることだ。交換の媒体として使用されるのではない。実際、ビットコイン取引の約6割は中国人民元からのものだった。人々がデジタル通貨を用いるインセンティブがこのようなものであることは、その広範囲な利用に対して障害となる。
イギリスでのビットコイン保有者は2万人程度で、1日の取引回数は300件程度にすぎない。現在イギリスでのビットコインの流通総額は6000万ポンド以下だが、これは紙幣とコインの0・1%以下である。そして、広義のマネーバランスであるM4の0・003%にすぎない。
イングランド銀行はこの問題を今後も引き続きモニターするとした。同行はYouTubeの動画も流したので、それを受けてニュースでもビットコインが取り上げられ、注目が集まった。

◆東南アジアで広がるビットコインの利用
現実の動きとして注目されるのは、銀行システムが整備されていない開発途上国でのビットコイン利用の成長だ。イングランド銀行のレポートは、仮想通貨が決済手段として広く使われることはないだろうとしているのだが、それは、銀行システムが整備されている先進国を想定しているからだ。世界の多くの地域において、事態は大きく異なる。開発途上国の人々の大部分は、銀行支店が存在しない地域に住んでおり、従って決済のために銀行を使えないのである。
こうした地域では、仮想通貨は、先進国におけるのとは異質の価値を持つことになる。それまで効率的な送金手段がなかった所で、効率的な送金手段が登場したことになるからだ。開発途上国では、先進国よりも早くビットコインが現実の送金手段として用いられる可能性がある。
事実、東南アジアにおいて、ビットコインを使った新たな金融サービスが広がっている。これは、出稼ぎ労働者が故郷にいる家族に向けて送金するのを支援するサービスだ。
香港の「ビットスパーク」(14年設立)は、香港からフィリピン国内に送金するサービスであるし、フィリピンの「コインズ」は、都市から地方部に送金するサービスだ(ビットスパークは、前述のゴールドマン・サックスのレポートでも取り上げられている)。
いずれも、送金者は主として出稼ぎ労働者だ。まず、香港ドルやペソを、ビットスパークやコインズに送り、ビットコインに換える。これらの機関が、ビットコインを地元に送金する。地元では、送金会社がビットコインをペソに換え、現地の口座や住所まで届ける。こうして、利用者は、ビットコインが使われていることを意識せず、現金を送って現金を受け取ることになる。
ビットコインの送金は無料なので、コストを大幅に下げられる。香港からフィリピンに送金する際、従来は送金額の3%程度の手数料が必要だった。ビットスパークは、これを1%程度に引き下げた。

◆銀行がない地域では中心的な送金手段となる
フィリピンでは、人口の約1割に当たる約1000万人が海外で働いている。インドネシアやタイなども、多くの労働者を国外に送り出している。また、国内で農村から都市への出稼ぎも多い。安く簡単に故郷へ送金できる仕組みへの期待は非常に高い。
フィリピン国内では、これまでウエスタンユニオンやマネーグラムなどの送金サービスを使うと、5~25%の手数料が掛かった。これは、10~100ドルに相当する。フィリピンの労働者の賃金で評価すると、2~3日分の労働賃金に相当する。従って、新しい送金手段のメリットは、著しく大きい。
フィリピンでは、銀行口座の保有率が3割未満、クレジットカードの普及率が3%程度と非常に低いので、ビットコインがあらゆる決済で用いられるようになる可能性がある。実際、利用は毎月2桁のペースで伸びているという。
現状では、右に述べたように、最終段階では地元の送金会社を利用しているが、この部分を携帯電話を用いた電子マネーで行えば、さらに便利になるだろう。ケニアで爆発的に利用が広がった電子マネー「エムペサ」とビットコインを併用する試みも行われている。
日本からフィリピンに業務の一部をアウトソースし、賃金は日本からビットコインで送るといった利用法も考えられる。それは、日本とフィリピンの双方にとって、大きな発展の源となるだろう。
問題は、送金業務を奪われる危険がある銀行が、こうした動きに抵抗するのではないかということだ。
すでにこの欄で述べたように、タクシー業や旅館業への参入規制があるために、スマートフォンを用いる新しいサービスUberやAirbnbの拡大が妨げられている。銀行は、タクシー業や旅館業とは比較にならないほど強力だ。それが未来への障害にならないことを願うばかりである。
(2015.07.18)
■フリーランスの増加で大変化する米労働市場

アメリカでフリーランサーが増えている。これは、組織に属さず、個人ベースで仕事をする人だ。
フリーランサーの数は、正確には分からないが、アメリカでは4人に1人といわれる(日本では40人に1人)。5000万人を超すとの報道もある。
フリーランサーは、日本の非正規労働者やパートタイマーとは違う。
第1に、単純労働でなく、IT関係やコンサルティングなどの専門的な業務だ。また、フリーランサーの多くは別に仕事を持っており、副次的収入を得るためにフリーランスを行っている。
第2に、非正規は望んでなっているのでない場合が多いが、フリーランスは自ら選択した就業形態だ。自分が主人でいられるし、仕事をフレキシブルに進められるからだ。
フリーになれば、雇用主から提供される健康保険や退職年金のような従来型の便益は得られない。しかし、「ミレニアルズ」(アメリカで2000年前後以降に成人を迎えた世代)は、従来の世代とは異なる期待を持っているといわれる。彼らにとっては、仕事のやりがいの方が重要なのだ。こうして、多くの人が仕事のやり方を変えており、いままでにはなかった労働形態が増えている。
また、アメリカの企業の7割がフリーランサーを使う。だから、個人にとって新しい仕事の機会は増え続ける。そしてオンラインプラットフォームと市場が急速に成長し、需要と供給を結び付ける。
アメリカのベンチャーキャピタルKPCBの「2015年版インターネットトレンド」は、このように述べている(詳細は、ダイヤモンド・オンライン連載「新しい経済秩序を求めて」を参照)。
1950年代に、社会学者W・H・ホワイトは、アメリカのホワイトカラーは「オーガニゼーションマン」(組織人)になったと指摘した。60年代に、J・K・ガルブレイスは、「テクノストラクチュア」が大組織をコントロールしていると述べた。アメリカの経済構造は、その当時とは異質の構造になったわけだ。
これは、ダニエル・ピンクが『フリーエージェント社会の到来─「雇われない生き方」は何を変えるか』(ダイヤモンド社、02年)で指摘したことだ。しかし、その当時はフリーランスのための労働市場が発達しておらず、需要と供給をマッチさせるのが難しいという問題があった。

◆レイティングによる透明性の向上で消費者保護
ところが、オンラインプラットフォームが整備されてきたため、フリーランスがやりやすくなったのだ。第1は、労働の需給を結び付けるサービスだ。フリーランスの仕事をしたい専門家と彼らを使いたい企業を結び付けるサービスが、Upwork(アップワーク)、Thumbtack(サムタック)などにより、スマートフォン上で提供されている。
Uber(ウーバー)は、スマートフォンを利用したタクシー配車アプリだ。カリフォルニア州では白タクが合法なので、自家用車に客を乗せたいドライバーがハイヤー運転手になる。自家用車を持つドライバーと乗客の相乗りの仲介をスマートフォンを通じて行うLift(リフト)もある。
第2は、自宅などを貸したいホストと、旅行者などを結び付けるAirbnb(エアビーアンドビー)のようなサービスだ。シェア・エコノミーの進展に伴って、こうしたサービスへの需要は高まっている。
市場の基本的機能は、需要と供給のマッチングだ。これまでの市場では情報が不完全だったが、ITの進展に伴って、急速に改善されてきたのである。
単に需給のマッチングが容易になっただけではない。労働者と消費者は、モバイルデバイスとソーシャルメディアを手にした。これによって、レイティングやフィードバックができるようになった。それを供給者にフィードバックできる。
例えば、Uberでは、運転手の運転態度や時間通りに到着したかなどを、5段階で評価する。利用者が意見を書き込むこともできる。これによって、顧客サービスは向上する。Airbnbでも同様のレイティングが行われる。
Upworkのような人材紹介アプリでは、個々の専門家についての履歴、業績などの他、これまでの利用者によるレイティングが明示されている。
これまでは、サービスの水準を確保するため、許可などが行われてきた。しかし、それでサービスの水準が確保できるとは限らない。タクシーについての私の不満は、この連載の第760回で書いた。旅館について言えば、名のある老舗旅館で、料理にハエが入っていたこともある。しかし、結局はうやむやになる。旅館業やタクシー業の参入規制は、既存業者の既得権保護になってしまっている側面が強い。
レイティングとフィードバックは極めて重要だ。これによって力を与えられた消費者は、消費者保護を自ら実現できるからだ。
こうして、マーケットの機能が向上する。これまで規制で補おうとしていた市場の欠陥が是正されつつある。その結果、政策と法の方向を見直す必要が生じた。労働者とビジネスと政府は、協力して、ビジネスと就業方式の新しい姿の創出に努める必要がある。それによってこそ、新しい技術と市場は、消費者と労働者の福祉を増大させる。

◆法律は突然時代遅れになった
日本でUberやAirbnbのような新しいサービスを導入すると、現行法規制との衝突が起こると、連載第760回で述べた。同様の事態がアメリカにもある。
StubHub(スタブハブ)というのは、2000年に設立されたチケットの再販売サイトだ(ファンとファンがオンラインでチケットの売買を行う)。しかし、20年代に作られた「ダフ屋禁止法」との関係で問題となり、幾つかの州でチケットの再販売はできなかった。
この法律の目的は、チケットブローカーの高値販売を禁止し、大衆が収奪されるのを防ぐことにある。しかし、市場の流動性があれば、暴利的な高値は付けられない。レイティングとフィードバックがあれば、悪徳業者は淘汰されるのだ。そうした認識が広まって、15年、StubHubは多くの州で合法になった。
Uberのリフトドライバー(タクシー運転手でなく、自分の車に客を乗せるドライバー)に関連して、カリフォルニア州で、雇用なのか業務契約なのかが問題となった。しかし、雇用と業務契約という従来の二分法は20世紀のものであり、21世紀には時代遅れだ。Uberのリフトドライバーは、二分法では捉えられない第3のカテゴリーと見なされるべきだ、という指摘がなされている。100年も前に作られた法律は、「人々のための法律」と「ビジネスのための法律」を区別している。しかし、「人々がビジネスになってしまったら、どうするのか?」というのが、ここで問われている問題の本質だ。法律は突然時代遅れになった。規制の目的を、原点に戻って考え直す必要が生じている。
規制以外に、税制と社会保障制度も重要だ。日本では、所得税の給与所得控除が極めて手厚いことが、フリーランスに不利に働いていると思われる。また、雇用されているか否かで社会保険制度が異なる制度になる。フリーランサーは公的年金や健康保険で被用者とは異なる扱いを受ける。これらに関する検討が必要だ。
(2015.07.25)
■日本を「ソ連化」する安倍内閣の成長戦略

政府が6月30日に閣議決定した成長戦略(「日本再興戦略」改訂2015)を興味深く読んだ。興味深いと思った第1の理由は、「デフレ脱却による需要追加(第1ステージ)から、供給制約を乗り越える生産性革命(第2ステージ)に入った」としていることだ。
現実の消費者物価指数の動きを見ると、対前年比は0%に近づきつつあり、5月には0・1%になった。輸入物価指数の動向等から推測すると、今年いっぱい程度は消費者物価上昇率が大きく上昇することはないだろう。日本銀行が目標とした2%からは、ますます遠ざかりつつある。だから、「デフレ脱却を達成した」とはとてもいえない状態だ。
原油価格下落という事態に直面して、インフレ目標が間違った目標であることが明らかになった。だから、取り下げたのだ。
こうした状況下でインフレ目標にこだわるのは得策でない。そこで国民の目をインフレ目標からそらすため、「生産性上昇の方が重要」との方針に転換したのだと考えられる。
もちろん私は、この方針転換に賛成である。2000年以降で消費者物価指数の上昇率が1%を超えたのは、(消費税の影響を除けば)円安が進行したときか原油価格が高騰したときだけである。だから、2%という目標は、もともと無意味な目標であった。仮に達成されるとしても、それは、物価上昇によって日本国民が貧しくなることの反映でしかない。
成長戦略は、「経済全体の生産性が向上しなければ、いずれ成長の限界にぶつかってしまう」と指摘している。その通りである。「いずれ」というよりは、最近の有効求人倍率や名目賃金上昇のかなりの部分は労働供給の減少によって引き起こされたものであり、日本経済は、すでに供給制約に直面しつつある。
成長戦略は、さらに、「第4次産業革命」とも呼ぶべき大変革が着実に進みつつあり、IoT・ビッグデータ・人工知能時代が到来しているという。そして、これら最新のIT技術を活用して、医療や交通、製造など、さまざまな分野で新しいサービスや市場を創出することが必要だとした。この認識にも賛成である。

◆計画経済化を進めれば生産性は低下する
ただし、状況認識の部分を興味深く読んだことと、政策方向に賛成するのとは別問題だ。政策に関して最も重要な論点は、成長の実現のために政府が何をすべきかだ。
再興戦略は、政府が指導するとの立場を取っている。つまり、市場の機能を信頼せず、政府の介入によってしか正しい方向は実現できないとの考えだ。私は、この考えに反対である。
具体的な政策に即して言えば、同戦略はまずグローバル競争力のあるベンチャー創出促進に向けて「ベンチャー・チャレンジ2020」を策定するとした。
しかし、「ベンチャーを促進する」というのは、ほとんど自己矛盾だ。シリコンバレーのIT革命は、アメリカ政府が指導したから実現したものではない。ベンチャー企業が政府の方針とは無関係に、かつ政府から何の援助も得ずに実現した。
再興戦略はまた、「世界一、技術革新に適した国を目指す」ため、国立大学を三つに分類し、各大学への交付金の配分にめりはりをつけるほか、高度な実務能力を持つ人材育成を強化するため、高校卒業者などを対象にしたIT技術の実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関を制度化し、既存の大学や専門学校などからの転換を促すとした。
高等教育の充実は確かに重要な課題だ。しかし、それによって生産性が直ちに改善するはずはない。基礎研究は重要だが、それは企業活動には直結しない。大学の教育や研究を生産性上昇のためのものと位置付けて政府がコントロールすれば、大学は衰退する。
再興戦略はさらに、設備投資の推進に「官民会議」を新設するとした。政府、経済界、労働界の代表が参加する「政労使会議」を開き、賃上げを経営者に求めたことの延長線で、今度は設備投資について企業を指導する。つまり、民間の経済活動に対する国家介入の度合いをさらに強めようというわけだ。
しかし、日本は旧ソ連のような計画経済ではない。投資は民間企業が決定するものだ。利益の見通しがあれば、企業は投資する。逆に、政府に強制されて設備投資をすれば、企業は倒産してしまう。政府が余計なことをすれば、経済の生産性は低下する。民間企業の投資決定にまで政府が介入するのは、日本企業と日本経済にとって深刻な事態である。

◆市場の機能向上に対応して社会を再構築する
生産性を高めるために政府が行うべきは、規制緩和に尽きるといっても過言ではない。それによって、後で述べるような社会の仕組みの改革を行うのだ。この方向は、戦略が目指している国家介入の拡大とは正反対のものである。
第4次産業革命と呼ぶかどうかは別として、情報技術のブレイクスルーはすでに生じている。この連載でも、それについて述べてきた。まずは、その変化を取り入れることが必要だ。
ただし、この面で日本はどうしようもなく遅れている。新技術開発などというずっと以前の状態だ。すでに開発されている情報技術の利用体制において遅れがあるのだ。
まず、年金情報の流出問題に見るように、データを扱う体制の問題がある。こんな体制でマイナンバー制度を導入したらどうなるかと考えると、背筋が寒くなる。政府統計の総合窓口e-statの検索機能のお粗末さは、目を覆わんばかりだ。ここの検索エンジンは、グーグルが登場する以前のもの、つまり1990年代のものとしか思えない。
開発されている技術を利用できるように体制を整えることがまず必要だ。ただし、より重要なのは、基本的な考え方の転換である。
情報技術は、これまで市場の欠陥と考えられてきたさまざまな問題を解決しつつある。だから、市場の機能は、潜在的に上昇しているのである。それにもかかわらず古い技術を前提にした社会的制度や法体系が残存しているため、そうした潜在力の実現が阻まれている。だから、必要とされるのは、時代遅れになっている規制を見直して、市場の機能を最大限に発揮させることだ。政府の成長戦略にまったく欠けているのが、この視点である。
この連載で述べてきたように、スマートフォンのアプリとして、UberやAirbnbなどの新しいサービスが登場している。いまや、ITの活用によって、消費者がサービスや商品の質を評価し、フィードバックできるようになったのだ。その結果、これまで「消費者保護」のために必要だとされていた多くの規制が、その存在理由を失った。
新しいサービスは、市場の機能を補完し、消費者の福祉を向上させるが、既存業者の既得権とは衝突する。だから、新しいサービスは、既存業者との闘いだ。例えば、Uberはタクシーの参入を規制する道路運送法と衝突するし、Airbnbは旅館業法と衝突する。これらは、「岩盤規制」といわれるものに相当する。
前回にも述べたように、単なる規制緩和でなく、従来の法体制の基本が問われているのである。社会の仕組みの再構築だ。成長戦略がその方向に転換するには、市場の機能と、その変化に関する認識を百八十度転換させる必要がある。
(2015.08.01)
■ギリシャがユーロ離脱を望まぬのはなぜか?

ギリシャ国民は、ユーロ離脱を望んでいない。世論調査では、約8割の国民はユーロ離脱を望んでいないという。ユーロを離脱すれば、増税や年金カットなどを実行しなくて済む。それなのに、そのオプションを取ろうとしない。なぜか?
ユーロ情勢を考える際に最も重要な論点はここにあると思うのだが、報道はその点を十分解説していない。そこで、これについて考えることとしよう。
これまでは、ユーロにとどまることに明白なメリットがあった。ダイヤモンド・オンラインの連載「新しい経済秩序を求めて」で説明したように、貿易収支の赤字を自動的にファイナンスできたからだ。簡単に言うと、「ターゲット2」というユーロ加盟国間の決済の仕組みを通じてドイツなどから借り、それで貿易赤字をファイナンスした。だから、所得を上回る消費を実現できたのである。いわば、「身の丈に余る豪華な生活」を実現できたのだ。
しかし、ギリシャ中央銀行が欧州中央銀行(ECB)に持つ当座預金の残高がゼロになってしまえば、ECBから借りない限り、これは継続できない。新聞報道によれば、現在、ギリシャの銀行は預金引き出しを制限している。従って、この状態になっていると考えられる。
ただし、そうはいっても、ユーロに残っていれば、支援を受けられる可能性がある。ギリシャは、ドイツなど債権国の弱みを知っているから、交渉の余地は十分あると考えているのだろう。
しかし、今後もこれまでと同じように借り続けられると思うほど、ギリシャ国民も楽観的ではあるまい。事実、厳しい財政再建を求められている。だから、ユーロに残って支援を受け続けるには、増税や年金カットを受け入れなければならないと、正しく理解しているはずだ。

◆ギリシャ国民はインフレを恐れている
ユーロから離脱した場合の問題点は何か? まず大きな混乱が発生する。ユーロの支援がなくなり、債務不履行に陥る。国際的信用を失い、海外から資金が入らなくなる。
しかし、これは一時的だ。通貨がドラクマになれば通貨安になる。日本人式の考えで言うと、これはギリシャにとって望ましいことではないだろうか? 産業の国際競争力が高まるからである。とりわけ、ギリシャの最重要産業である観光業は、通貨安によって多くの外国人旅行者を呼び寄せられ、盛況を呈するのではないか?
そうはならないことをギリシャ国民は知っているのである。なぜなら、通貨安になるといっても、かなり大幅な減価だから、輸入品が高くなる。ガソリン代も食費も上がる。それに引かれて他の物価も上がり、賃金も上がる。こうしてインフレになる。だから、ホテル代やレストランでの食事代、交通費なども高くなる。結局のところ、ギリシャの観光は外国人旅行者にとって魅力的にならない。むしろ高過ぎるとして敬遠される可能性が高い。
一方、ギリシャ政府は、公務員給与や年金のために貨幣を増発するだろう。ユーロにとどまるかぎり、ギリシャ中央銀行は通貨増発を自由にはできない。そのためにはECBの承認が必要であり、そしてECBはいまやそれを許さないからである。しかし、ユーロを離脱すれば、ギリシャ政府とギリシャ中央銀行の裁量で、いくらでも貨幣を増やすことができる。
そうなれば、インフレが加速し、公債残高の実質価値が減る。ギリシャ政府にとっては望ましい状態だ。
しかし、国民がそれを望まないのだ。いくら年金が増えても、インフレで実質価値が減ることを知っているからだ。
ギリシャ国民がユーロ離脱を望まない理由は、以上のことである。そして、この判断は正しいものだ。

◆日本人は円安を良いことだと思っている
日本では、円安で外国人観光客が増えたのは良いことだと考えられている。しかしギリシャについて述べたことを参照すれば、これは間違った考えであることが分かる。円安は日本にとって望ましいことではない。
日本人がギリシャ人のように考えられないのは、円安といっても、ユーロからドラクマに切り替わった場合ほどの大幅で急激な通貨価値低下ではないからだ。だから、物価に対する影響を無視し、円とドルのレートが変わることだけを捉え、観光業や輸出産業に利益になると考えているのだ。
日本でも円安で物価は上がった。しかし、転嫁が十分に進んでいないので、円ドルレートの変化率の方が大きかった。だから、外国人観光客は増えたし、輸出産業の利益も増えた。
では、ギリシャがユーロを離脱した場合に予想される変化は、日本では起きないのか?
そんなことはない。同じ事態はすでに進行している。変化が緩やかだから気付かないだけのことだ。いずれ円安による輸入物価の上昇は転嫁される。物価が上がり、ホテル代なども上がる。外国人から見て日本旅行が魅力的なのは、一時的な現象にすぎない。
同じことが、輸出産業の利益についても言える。原材料価格が上昇し、賃金が上昇すれば、利益の増加もなくなる。
通貨増発についてはどうか? 日本の場合、日本銀行は大量の国債を購入したが、それは日銀当座預金を増やすにとどまっており、まだ貨幣にはなっていない。しかし、潜在的にはそうなっている。国債の貨幣化は、「半分進んでいる」。
これに関して、右に述べたことをもう一度思い出そう。ギリシャは現在ユーロにとどまっているので、ギリシャ政府やギリシャ中央銀行が望んでも、ユーロ側が認めない限り、貨幣供給を増やすことはできない。ギリシャ独自の金融緩和政策を取ることを、外部から禁止されているのである。だから、野放図なインフレに陥らない。
日本の場合に、こうした外部的な歯止めはない。ただし、内部的な歯止めはある。それは財政法第5条である。これは、政府が日銀による引き受けで国債を発行してはならないと規定している。これが忠実に守られれば、国債の貨幣化は生じない。
これまでも日銀が民間金融機関から国債を購入することはあったが、購入対象を残存期間の短い国債に限定してきた。このため、長期債については、金融機関は購入後相当の年数を保有してから後に初めて売却できたのである。
しかし、異次元緩和措置によって残存期間が長い国債も対象とされることになった。このため、金融機関は政府から購入した国債を即座に日銀に売却できるようになった。これは、事実上の日銀引き受け国債発行であり、財政法第5条の脱法行為と考えざるを得ない。
このように、ユーロから離脱したギリシャがたどるであろう道を、日本はすでにたどりつつある。
自国通貨の減価を歓迎する日本と、歓迎しないギリシャと、どちらが正しいか? 正しいのはギリシャだ。独自の金融緩和政策を禁止されているギリシャと、脱法行為で国債の貨幣化を進めつつある日本と、どちらが安全か? 安全なのはギリシャだ。
日本人は、自国通貨の価値が減少することの意味、金融緩和政策によって財政をファイナンスしてしまうことの意味について、この機会によく考えるべきだ。そして、正しい判断を持つ必要がある。

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