銀行を巡る変遷とその中にいて思うところ

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銀行を巡る変遷とその中にいて思うとこ
和田 浩
今年は戦後70年ということで私が就職した1988年以降の二十数年間もそのうちの一部を構成している。
私の場合、タイミング的に中途半端な気分ではあるのだが、振り返ってみて、思いつくところをいくつかまとめてみた。

【1】銀行の変遷
この30年で銀行の統合は進み、入社当時二十数行あった大手銀行は、現在いくつかの銀行グループに統廃合されている。私が日本長期信用銀行(長銀)に入社した当時、日本の大規模な金融機関はおおよそ以下の様であった。
・長信銀3行:
日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行
・都市銀行13行:
三菱銀行、富士銀行、住友銀行、第一勧業銀行、三井銀行、東海銀行、三和銀行、
太陽神戸銀行、大和銀行、協和銀行、埼玉銀行、北海道拓殖銀行、東京銀行
・信託銀行7行:
三菱信託銀行、三井信託銀行、住友信託銀行、中央信託銀行、安田信託銀行、東洋信託銀行、
日本信託銀行
その後の変遷を経て、これらの銀行は現在、
・三菱UFJフィナンシャルグループ(FG)、三井住友FG,みずほFG、りそなホールディングス(HD)、三井住友トラストHDの5大銀行グループ及び新生銀行、あおぞら銀行
等々へとつながっている。

この間にも変遷はあって、例えば、さくら銀行の元になった銀行は何銀行で、その後どの銀行と合併して、現在なんという銀行になっているか、といった設問には、直接の関係者や同じ業界にいた人でなければ、なかなか即答はできないのではないかと思う。

この十数年に起こった金融業界の統廃合の変遷のなかで、長銀は新生銀行と社名を変更して今に続いている。かつて長銀時代に持ち上がった住友信託銀行との合併話は合意に至らず、新生銀行となってからのあおぞら銀行との合併合意はその後撤回となった。上述のような都市銀行を初めとするおよそあらゆる大手銀行を巻き込んだ統廃合を見るに、公的管理を経験したとはいえ、新生銀行が単独で経営を展開し続けている現在というのは、様々な選択肢の中で、どういった組み合わせの末、どれくらいの確率をくぐり抜けてたどり着いてきたものなのかと思うと感じ入るものがある。
ちなみに、「長期信用銀行」という業態の銀行は、現在ではなくなったが、当時、支店数が少なかったこともあり、必ずしも一般に馴染みのある銀行ではなかったと思う。普通のサラリーマンや主婦にとって、「信用」とくれば「金庫」だろうし、多少事情を知った人からも、政府系金融機関だと説明されたこともある。「日本には長期信用銀行が3行あって、それは都市銀行とは違ったもので、そのうちの日本長期信用銀行に勤めています。」ということをわかりやすく正確に説明するのは結構大変だったし、英語で説明する必要に迫られたら私の英語力では絶望的だったと思う。

・・・最近職場での雑談の中で「昔は電車に冷房なんてついてなかったじゃない。」と言ったら、同僚の女性から、「え、ありましたよ、子供の頃から。」と返されました。自分では年を取った自覚があまりないもので、彼女ともそこまで世代が違わないと思っていたのだけれど。きっと駅の改札で切符を切られたことなど、いまの学生は当然のように経験ないのでしょう。いわんや、銀行名とか直接生活に関係ないでしょうから、「昔はどういう銀行名だった」という話も、ある程度以上の年齢層の間でだけ通用する話題なのかも知れません。

【2】金利制度
入社した当時は、日本版金融ビックバン(1996-2001)などよりも以前で、金融制度も現在とはいろいろな点で違っていた。当時の金融制度に関する資料によると、例えば、「長期プライムレートは、金融・経済情勢の変化に応じて長信銀各行が独自に決定しています。具体的には、資本市場金利の一環として、国債・事業債等の利回りを参考に、長信銀各行が毎月発行する利付金融債の利率を決定し、これに基本利鞘(現状0.9%)を加えた利率を長期プライムレートとしています。」といった説明になっている。その頃、融資の現場にいたわけではないので実際の運用には携わっていなかったが、企業が借りる資金の利率が、民間銀行が発行する金融債の調達金利をベースにして税率のように決まっているかのような説明が当時今一腑に落ちなかった。これが制度融資かなにかの利率で、政策に基づいて決められていて、借りたい企業もその条件で良ければ申し込んでください、といったことなら分かるのだけれど。
他方、調達面ではまさに税率で優遇されていた時期があった。すなわち、古い新聞の紙面を見ると「長期信用銀行が売り出している割引債(期間一年)の償還差益(利子に相当)には、現在税率16%という低い分離課税が適用され、これ以上の税金は払わなくてよい。通常の預金や利子債権の利子が総合課税か税率35%の選択分離課税であるのと比べ優遇されています。」といった記載がある。「節税のすすめ」といったコラムで紹介されていたりもして、その分銀行の支店数が少ないといったことはあったのだが、割引債は、競合する都市銀行などの期間一年の定期性預金と比べて、有利な税率で「預金集め」をすることができる商品だった。(1988年の税制改正で上記の税率は改正された。)

・・・金融商品ということでは、デリバティブ関連の金融技術を使った商品は個人向けの金融商品としても今では当たり前になっているが、オプション取引が解禁になったのは1980年代の後半((上場)先物オプション1987年、現物オプション1988年)だった。そういった流れもあって理系の学生の金融機関への就職が活発になってきた頃である。私は法学部卒だが、金融工学をきちんと理解するのに必要な数学は、まとまった時間がないと勉強するのが難しい。文系であっても大学の教養課程で数学(と英語)を詰め込んでおくべきだった、というのが今に至る後悔となってしまった。もっと言えば、大学で何を勉強すれば良いかは一度社会にでて仕事をしてみないとわからないところがあるので、高校卒業後そのまま大学で連続4年間を過ごすのではなく、一旦仕事をして、何が必要なのか見極めてから大学に戻る、といった仕組みがあってくれた方がよほど有意義な勉強ができたのではないかと思っている。

【3】労働市場の流動化
かつて日本の企業では終身雇用が一般的だとされてきたが、バブル期の頃は雇用の流動化が進展している、と言われていた。バブル崩壊期を通じて、前向きにせよ後ろ向きにせよ、雇用の流動化が進むことはもはや不可逆的な流れという見通しのもと、雇用保険などのセーフティネットの充実といった労働市場全体を通じた環境整備が求められていた。関連の数値をきちんと検証したわけではないので、新聞やTV、雑誌の記事を読んでの感想になってしまうが、現状は、雇用の流動化が一段と進んで、それは日本の経済にとっても雇用される側にとってもプラスの面が大きい、といった方向へは思っていたほど向かっていないのではないかという印象がある。転職経験がないので実感できていないだけということかもしれないが。

・・・先日、会社の研修に参加してきました。60歳定年になる前に、自分の人生を振り返り、これからの心構えや身に着けておくべきスキルなどを自ら考えさせるべく、外部のコンサルタント会社からプログラムの提供を受けたものです(基本的に同年代の社員全員が受講する)。年金の受給など昔は全然先のことだと思っていたのが、大分身近な年齢になってきたなと感じる一方、少しでも労働市場で通用するスキルを身につけるということは、これからも続いていく課題だということを、担当の外部講師より改めて強調された研修でした。

【終わりに】
かなり記憶と経験に頼った文章であるので、思い違いや実際の制度との齟齬があるかもしれません。そうはいっても、あまりいい加減でもどうかと思ったので神保町の三省堂にいって「日本の金融制度(第3版):東洋経済新報社」を買ってきました。この本を開いて眺めているだけでも、改めて、日本の金融業界には様々なイベントがあったものだと感心してしまいました。

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