ボリショイ

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失われたボリショイバレエのスターたちベスメルトノワ、マクシーモワ
新聞報道によれば、ボリショイ・バレエのソリストだったマイヤ・プリセツカヤが2015年5月2日に89歳で死去した。
ボリショイバレエは、スターを何人も失っている。
1961年から95年までボリショイ・バレエのソリストだったナタリア・ベスメルトノワは、2008年2月19日に死去した。
86年にボリショイがロンドンで行なった公演で、ベスメルトノワは、「レ・シルフィード」を演じている(これは、彼女のデビュー演目でもある。この役でベスメルトノワを超えるバレリーナは、いまだに現れていない)。
彼女の死の前の数週間、たまたま毎日のようにこのDVDを見ていたので、訃報に強い衝撃を受けた。
「シルフィード」というのは、「空気の精」のことである。したがって、重さがない。重力の束縛から解き放たれた踊り手が、ショパンのメランコリックな音楽に乗って、夢の世界の出来事のように舞台を浮遊する。これは、間違いなく麻薬的陶酔作用を持つ演目である(同じDVDを毎日見ること自体が、強い中毒症状のなによりの証拠だ)。
ベスメルトノワは、41年生まれ。同時期に生まれたバレリーナには、アーラ・シゾーワ(39年)、エカテリーナ・マクシーモア(39年)、ナタリア・マカロワ(40年)がいる。ソ連を代表するバレリーナがこの時期に集中して誕生しているのは単なる偶然であろうが、40年生まれの私は、同時代を共有したという強い連帯感を彼らに対して覚える。
これは、ビートルズやビーチボーイズに対して抱く感覚と同じものだ。映画で言えば、「アメリカン・グラフィティ」や「遠い空の向こうに」(原題:October Sky)の主人公たちに対して感じる気持ちである。

鉄のカーテンの向こう側にいた人びとに連帯感を持つというのは、まことに奇妙なことなのだが、同じ世界的な事件を同年齢のときに経験したという認識が、そうした感覚を呼び起こす。

冷戦、共産主義政権、ソ連のバレリーナたち
等しく経験した世界的事件とは、第二次世界大戦、45年間続いた冷戦、スプートニクに代表されるソ連の大躍進、そして社会主義国家の崩壊だ。ソ連のバレリーナたちが、これらによって人生経路を左右されたことは疑いない。とりわけ冷戦は、日本人には想像もできないほど大きなものだったろう。
実際、マカロワは、共産主義の束縛に耐えられず、自由を求めて亡命した。ヌレエフの亡命は有名だが、彼はそれによって、バレエにおける最高のパートナーであったシゾーワを犠牲にしたはずだ。「将来ソ連を訪れることがあるとすれば、シゾーワと踊るためだ」とヌレエフは述べている。しかし、この時代にソ連を捨てれば、二度と戻ることはできない。冷戦は、彼らの人生の根本を規定する厳然たる条件であったのだ。
ベスメルトノワは、共産主義国家にあって、体制側だったと想像される。彼女を解説する文章には、「ボリショイ・バレエに30年間君臨した」という表現が出てくる。
われわれは彼女に対して、「高貴」「優美」というだけでなく、「とりつく島もない」という印象を抱く。「白鳥の湖」のオディールは、普通は笑顔をつくるものだが、冥界から出現したかのごときベスメルトノワの黒鳥は、一度たりともそうした表情を見せない。「カーチャ」と呼ばれて誰からも愛されたマクシーモワとは、対極的な存在だ。
この時代のソ連バレエ団の内情は、日本人にはうかがい知ることができない。「ボリショイ・バレエの内紛」というような言葉を見て、権力闘争があったのだろうと推測するだけのことである。
以下は私の想像だが、ベスメルトノワが獲得した権力は、共産党中央と無関係ではありえなかったろう。モスクワのボリショイは、レニングラードのキーロフより強い政治的支配下にあったはずである(実際、私の知る限り、亡命者はすべてキーロフからであり、ボリショイからではない)。
それゆえ彼女は、ソ連帝国の崩壊によって大きな影響を受けただろう。事実、彼女の夫君ユーリ・グリゴローヴィッチ(多くの古典バレエの再振り付けと新作バレエの創作を行なった)は、現代のロシアでは批判の対象とされているのだ。

言葉がないバレエに欺瞞はない
しかし、こうしたすべてのことは、「白鳥の湖」でオデットのアダージョを演じるベスメルトノワの「この世のものならぬ」(としか言いようがない)映像を見ているうちに、「じつに些細なことではないか」と思えてくる。このような考えに至るのは、次の2つの理由による。

第1に、歴史の長期的な観点からすれば、バレエは政治権力の変遷を超越している。「レ・シルフィード」の作者ミハイル・フォーキンは革命を逃れてアメリカに渡ったが、彼の創作物はソ連に残り、その文化水準の高さを示す指標となった。
そればかりではない。帝政ロシアの象徴である古典バレエが、革命後のソ連に残った。王子や王女が共産主義イデオロギーと整合するはずはないのだが、革命政府はそれらをそのままの形で残さざるをえなかった(オーロラ姫を百年の眠りからさます役は、「労働者英雄」とはならず、王子様のままだった)。
そして、ソ連の崩壊後も、ロシア・バレエは健在だ。つまり、共産主義政権の成立も崩壊も、ロシアのバレエには本質的な影響を与えていないのである。
これは、考えてみればじつに不思議なことだ。仮に古典バレエがロシアの民族的伝統に立脚しているのなら、それは理解できる。しかし、これらのあいだには、なんの関係もない。優雅そのもののバレエは、ロシアの民衆にとっては、「文化先進国フランスから皇帝が輸入した異国の高尚な芸術」以外の何物でもないのだ。
ロシアの伝統的な踊りとは、ソ連映画「石の花」や「イワン雷帝」に登場する粗野なコサック・ダンス(トレパーク)である。

この踊りは「くるみ割り人形」にも現れるが、なんと、アラビアの踊りや中国の踊りと同列の「民族舞踏の1つ」として扱われているだけなのである!
バレエが政治を超越している理由は、ただ1つ。それが人間にとって、政治より重要な意味を持つからである。
ベスメルトノワの評価に政治が無関係と考える第二の理由は、バレエの世界には「偽り」がないことだ。
政治権力によって滅ぼされた超一流のバレリーナはいたかもしれない。しかし、権力におもねるだけで地位を築けたバレリーナはいない。なぜなら、踊り手が観客を欺くことはできないからだ。私のような素人の鑑賞者でさえ、超一流と二流以下のバレリーナの見分けはつく。
これは、バレエが「言葉」と無関係であることと、深いかかわりがある。私は、世界と宇宙の真実は「言葉」の中にあると信じて疑わないが、同時に、言葉こそが人を欺く手段であると認めざるをえない(動物が人間を欺けないのは、言葉を持たないからだ)。
政治家の言葉になんの真実も宿っていないのはやむをえないこととして、学者や専門家と称する人たちが言葉によって世を欺くことに、私は耐えられない。偽りの自然科学者は実験によって暴かれるが、社会科学では、そうした検証ができない場合が多いのだ。
インチキ専門家が横行する分野で仕事をせざるをえない私は、欺瞞のない世界がこの世に存在すると考えるだけで、大きな救いを感じる。

世界を魅了したマクシーモワ
ロシア、ボリショイ・バレエのトップバレリーナだったエカテリーナ・マクシーモワは、2009年4月28日に亡くなった。ボリショイ劇場のウェブサイトにある説明によると、数日前まで元気だったそうで、誰にとっても意外な急死だった。ボリショイは、ソ連時代のスター2人を失ったことになる。ニューヨークタイムズとデイリーテレグラフのウェブ版は、長い追悼文を掲げた。
彼女は、「バレエにおけるオードリー・ヘップバーン」と呼ばれることがある。「登場するだけで観客を魅了してしまう」という意味だろう。ヘップバーンとの違いは、登場した後の演技で、観客の魂を奪い取ってしまうことだ。「観客に媚を売りすぎる」と批判されることもあったが、暗く憂鬱な生活を強いられていた冷戦時代のソ連国民にとって、彼女が放つ光は(マイヤ・プリセツカヤの光と並んで)、絶対に必要なものだったに違いない。
ベスメルトノワは、高貴で近寄りがたい。その表情は、常に能面のようだ。それと対照的に、マクシーモワの表情はじつに豊かだ(実際、最初は俳優志望だったのだそうだ)。
「くるみ割り人形」の最後は、マーシャ(西欧ではクララ)が夢から覚めて、「お菓子の国は現実でなかった」と悟る場面だが、ここはどんなバレリーナが演じても、つまらなくなってしまう(バリエ的な動きがないからである)。しかし、マクシーモワは、このシークエンスを全編のクライマックスにしている。わずか数秒間の微妙な表情の変化で、このお伽噺のエッセンスを余すところなく表現しているのだ。
これを見ていると、「バレエに言葉がない」という理解は間違いであることが、よくわかる。音声を発していないのは事実だが、彼女のようなバレリーナは、じつに雄弁に語っているのだ。表情がバレエにおいて正式な表現手段として認められているのかどうか、私は知らないが、たぶん「否」だろう。顔の表情は、客席からはほとんど見えないからだ。マクシーモワの演技は、DVD時代になって初めて意味を持ったものだ。

奇跡のペア カーチャとボロージャ
マクシーモワは、夫君ウラジミール・ワシーリエフとともに、ソ連のバレエを代表するスターであった。彼らは、「奇跡のペア」と呼ばれた。まさにそのとおりで、2人は生涯を通じて互いを高め合ってきた。
「カーチャとボロージャ」というフランス映画がある(1989年:「カーチャ」はエカテリーナの、「ボロージャ」はウラジミールの、それぞれ愛称)。マクシーモワは、「マダム・ノー」と言われたほどのインタビュー嫌いで、自らについて語ろうとしなかったので、舞台の外での彼女の姿が見られるこの映画は貴重だ。
これを見ると、2人が互いに尊敬し合っていることがよくわかる。彼らは、39年と40年の生まれ(マクシーモワが年上)。モスクワ・バレエ学校で、10歳と9歳のときからの同級生だった。「ボリショイの栄光」という映画(95年)には、2人が53年に「くるみ割り人形」の「あしぶえの踊り」を踊る映像が収録されている。

ワシーリエフは、少年の頃にはマクシーモワに劣等感を抱いていたようだ。「私はカーチャに夢中になったが、彼女は私のことなど眼中になかった」。そして、マクシーモワの方が早く世間に認められてしまった(17歳のとき、第1回全国バレエ・コンクールで「くるみ割り人形」の「シュガープラム・フェアリー」を踊って優勝し、一躍スターになった)。それだけではない。彼は次のようにも言っている。「カーチャは裕福なブルジョア階級の生まれだった。私は労働者の子だ。バレエがなければ、われわれは一緒になることはなかったろう」。
しかし、これはじつに不思議なコメントである。まず第一に、39年のソ連にブルジョア階級が残っていたのか? 第二に、仮に残っていたとしても、ソ連では労働者こそが最高の階級ではないのか? 豊かなブルジョア階級に生まれたのが恥ずべきことで、労働者の子に生まれたのは誇るべきことではないのか? だから、「革命がなければわれわれは一緒になることはなかったろう。革命万歳!」と言うべきではないのか? ワシーリエフの言葉は、ソ連社会における価値観が実際にはどのようなものであったのかを、図らずも明らかにしてしまっている。

ボリショイの内紛とソ連の崩壊
80年代のボリショイ・バレエにおいて、内紛があった。それは、芸術監督グリゴロービッチのグループと、ワシーリエフのグループの衝突だ。ワシーリエフ=マクシーモワとプリセツカヤの非難は、グリゴロービッチが古典作品と彼自身の作品に終始し、新しい演目をなにも導入しないということだ。
「スパルタカス」や「石の花」などの名作バレエを生んだ天才グリゴロービッチは、硬直化し、保守化した。スターリンのごとき彼の圧政の下で、ボリショイは窒息した。
この種の権力闘争はどんな組織にもあるものだろうが、ソ連の場合には、それが国家中枢の権力と密接に関連しているので、厄介だ。ムハメドフをはじめとする多くの有能なダンサーがボリショイを去った。そして、ワシーリエフとマクシーモワも、88年にボリショイを去った。
しかしその後、80年代の末に、国家体制の大変動が起きた。91年12月にソ連が崩壊し、ロシア共和国が復活した。そしてなによりも、グリゴロービッチの圧政にあえぐボリショイの実力は、明らかに低下した。95年に、今度はワシーリエフがグリゴロービッチをボリショイから追い出すことになる。そのときに、グリゴロービッチ夫人であるベスメルトノワもボリショイを去った。
この闘争には、多くの人びとが巻き込まれた。マクシーモワに影響がなかったはずはない。「この対立があったために、マクシーモワは白鳥の湖を踊ることがなかった」とも言われる。「ボリショイの200年」という記録映画があるのだが、稽古場でマクシーモワは孤立しているように見える。

ベスメルトノワもマクシーモワも、バレリーナとしての活動は、政治体制やイデオロギーを明らかに超越している。彼女たちは、共産主義国家でも自由主義国家でも、間違いなく高く評価される存在だ。しかし、「マクシーモワをとりまく世界が違っていたら、もっと大きな可能性が開けたのではないか」という想像を、消し去ることができない。
人間の価値を数量で測れないことは言うまでもないが、「その人の死を悼む人の数」は、重要な指標だ。これは、ジョン・スタインベックが『エデンの東』第4部のプロローグで述べていることである。「やっと彼(彼女)も死んでくれたか」と言われる人も多いが、その場合には、評価はマイナスだ。「この人は、なぜかくも早く、われわれの世界から去ってしまったのか。これは人類にとっての大きな損失だ」と言える人は、めったにいない。マクシーモワは、そうした人の1人だった。

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