ビアス

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ビアス短編の衝撃的な「おち」

最後の一言が大切
「講演やテレビ解説では、最後の一言が大切」と、アドバイスされたことがある。
途中で話したことを、聴衆や視聴者はそれほど注意深く聞いているわけではない。少なくとも、すべてを詳細には覚えていない。しかし、最後の一言はよく覚えている。「だから、その一言で講演や解説全体の印象が決まる」というのである。「終わりよければ、すべてよし」(Ende gut, alles gut)というわけだ。
これは、落語の「おち」と同じ発想である。落語の出だしは、「毎度つまらないお話で」といった、ありきたりなものだ。しかし、最後の一言で「決める」。アメリカ人がスピーチするとき、話し始めのジョークで人をとらえようとするのと対照的だ。どちらが高級かといえば、やはり落語型ではないだろうか。

小説でも、落語の「おち」のような終わり方のものがある。その代表は、なんといっても、アンブロウズ・ビアスの短編小説だろう(西川正身訳『いのちの半ばに』岩波文庫(一九五五年、絶版)
、中村能三訳『生のさなかにも』創元推理文庫(一九八七年)、中西秀男訳『ビアス怪談集』講談社文庫(一九七七年))。
最後の一行で、見事に「決めて」いる。
おちを話してしまうのは、ルール違反のような気もするのだが、探偵小説とは違って、結末を知っても興味が失せてしまうことはないだろう。むしろ、結末を知っているほうが面白い。だから、種明かしをしても許されるだろう。

生死不明の男
たとえば、”One of the Missing” は、こんな具合だ(岩波文庫訳では「生死不明の男」、創元推理文庫訳では「ある失踪兵士」)。
剛毅果断な北軍の斥候ジェローム・シアリングは、退却してゆく南軍を小高い場所から眺めていた。そのどこかにお見舞いしようと、小銃の撃鉄を上げ、引き金の安全装置をはずした。
ちょうどそのとき、南軍のある砲兵隊長が、撤退の順番を待つ気晴らしに、北軍に向けて野砲を発射した。弾丸はシアリングが潜んでいた小屋を木っ端微塵に崩した。彼は、梁や柱の下敷きになって、動けなくなってしまった。
気がつくと、目の前に金属の輪が見える。がらくたの山から、彼自身の小銃がこちらを向き、銃口が額の真ん中をねらっているのだ。動くと発射してしまうかもしれない。
敵の銃口を正面から見た経験が何度もある勇猛なシアリングも、恐怖のあまり発狂しそうになる。長い長い煩悶のすえに、彼は足で板切れをつかみ、銃の引き金にあてて、押し付けた。が、銃は発射しなかった。建物がつぶれた衝撃で、発射してしまっていたのだ。
同じ戦線にいた兄のエイドリアン・シアリングは、歩哨線の前方に、建物が崩れるかすかな音を聞いた。時計を見ると、六時一八分。南軍撤退の報告を受けた彼は、前進を開始する。途中で、崩れた建物の残骸に半分埋もれた死体に目をとめる。見知らぬ顔だ。頬はこけ、食いしばった白い歯が見える。
「死後一週間だな」とつぶやいた彼は、時計を見た。六時四〇分。
この筋書きは、ポオの『メエルストロムの旋渦』(大渦巻きに巻き込まれた船員が、恐怖のあまり一晩で白髪の老人になってしまう話)と似ている。「空とぶ騎手」、「アウルクリーク橋の一事件」なども、非常に面白い話だ。
もっとも、なかには、落語の「楽屋落ち」のようなのもある。例えば、「ふさわしい環境」という作品は、何度読んでも、結末の意味がいまひとつわからない。「これが正解」と自信のある方がおられたら、是非教えていただきたい。

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