白鳥の湖

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「白鳥の湖」はどのDVDがよいか?
ベストは、ピエトラガラ
私は、バレエ「白鳥の湖」のDVDを20枚くらい持っているのだが、そのうちベストはどれかと言えば、マリ=クロード・ピエトラガラのパリオペラ座版だ(以下、最初に示す名前は、オデット/オディール役)。
ジークフリート王子は、パトリック・デュポン。ピエトラガラもデュポンもほぼ完ぺき。唯一の難点は、画像の解像度がかなり甘いこと。ディジタル・リマスター版ができないものだろうか?

第2幕のアダージョは大変有名だが、これを見ていて自然に涙がでてくるのは、ピエトラガラの他には、後で紹介するベスメルトノワだけだ。
オデットのヴァリエーションも素晴らしい。
(なお、「白鳥の湖」は、「3幕もの」と言われることが多いのだが、ここでは、第1幕 王子の誕生日、第2幕 白鳥の湖、第3幕 宮殿、第4幕 湖。と区別することにする。)

第3幕は、ブルメイステル版だ。ここで登場するブラックスワン(悪魔の娘オディール)は、オデットとはまったく人格が違う(人間でなく鳥だから、「鳥格」と言うべきかもしれないが)。昔はオデットとオディールを別のバレリーナが演じていたらしいが、いまでは、1人のバレリーナが両方の役を演じる。いかに演じ分けられるかがバレリーナの力量を測るテストになっている、どんなバレリーナにとっても、これは至難の業だ。どうしても、どちらかが勝ってしまうのである。例えば、ベスメルトノワはオデットだし、ユリヤ・マハリナはオディールだ。
しかし、ピエトラガラは、この2つの役を見事に演じ切っている。彼女は男のような顔をしているし、ダンスもダイナミックなのだが、なよなよしたオデットを、よくも演じられるものだ。
ところで、私は、オディールは実はオデットの心に潜んでいた悪魔なのだと思っている。王子をテストするために、現実の世界に現われたのだ(ジークフリートは、このテストに合格できなかったのである)。だから、1人のバレリーナが両方の役を演じるのは、必然だと思う。

さて、このパリオペラ座公演は、脇役もいい。
第2幕の小さい4羽の白鳥には、クレールマリ・オスタ(後にエトワール)やミテキ・クドーがいる。オスタは、第2幕の最後で群舞が終わった後で主役の2人に駆け寄って前に立つ役だから、当時から実力を認められていたわけだ。
大きい3羽の白鳥は、真ん中がアニエス・ルテステュ(後にエトワール)。一瞬、足の動きが遅れるところがある。彼女にしては珍しいミス。撮影されてDVDに残ってしまったのは痛恨だろう。
第3幕、花嫁候補では、一番左に、アニエス・ルテステュがいる。デルフィーヌ・ムッサンもいる(彼女はエトワールになれなかった。彼女ほどの踊り手がなれないのだから、誠に厳しい世界だ)。ナポリの踊りは、カロル・アルボ(後にエトワール。なお、アルボは、モスクワ赤の広場で行われた野外ガラに出演してジゼルを踊っているのだが、実に素晴らしい)。
この公演は、パリオペラ座バスティーユのこけら落とし公演である。そうしたこともあって、同座が総力を結集しているのだ。

ポリーナ・セミオノワの魅力
第2位は、ポリーナ・セミオノワで、2つある。
一つは、ミラノ・スカラ座でのチャイコフスキイ・ガラ。第3幕(ブルメイステル版)だけを上演している。

セミオノワの魅力が最大限に発揮されるのは、ジークフリートにオデットとの約束を破棄させる場面。いぶかる王妃を振り返ってニタリと(としか表現できないのだが)笑う場面がある。古今東西いかなるバレリーナも、この場面をこれほど魅力的に演じたことはなかった。奇跡の瞬間がビデオに収録されたという感じだ。その少し前、有名な「黒鳥のフェッテ」に入る直前の自信に満ち溢れた悪女(悪鳥?)の表情もいい。ただし、技術的にはピエトラガラに一歩ゆずると思う。

相手役は、ロベルト・ボッレ。この人は「踊るギリシャ彫刻」と言われるのだが、その表現通りの肉体美で、きびきびした素晴らしい踊りを見せてくれる。ワグナーの「指輪」でもそうなのだが、「ジークフリート」という名の英雄は、力ばかり強くて頭はカラッポ。「白鳥の湖」でも、白い鳥と黒い鳥の見分けがつかないほどなのだから、カラッポぶりは相当なものと思われるのだが、ボッレは、この人のよいバカな王子様を忠実に演じてくれる。

セミオノワが魅力を発散するもうひとつは、チューリッヒ・バレエの全幕もの。 セミオノワは、オデットで素晴らしい演技を見せてくれる。これは少し意外に感じられるだろう。彼女は、典型的なオディール型バレリーナと思われるからだ。しかし、悲劇のヒロインを見事に演じる。オディールも悪くないのだが、舞台メイクがいただけない。
相手役が全然ダメで、舞台装置も妙。人民服のような服装の人たちが出てきたりして、最悪だ。これらはすべて目をつぶって、セミオノワだけを見ることにしよう。ブルーレイなので、画像は大変鮮明。

第3位:ベスメルトノワ、マハリナ、エフチェーエワ
第3位として、つぎの3つを挙げたい。
一つは、ナタリア・ベスメルトノワのボリショイ版。
彼女は、言わずと知れた、ボリショイバレエの女王だ。共産党中央に近い位置にいたと思われるが、そのためにプリマになれたわけではない。バレエの世界では、いかに政治的に強くても、それだけではプリマにはなれない。舞台では実力の差が歴然と表れるからである。私がバレエに魅せられる大きな理由は、ごまかしがないことだ。実力のない人間が大威張りで闊歩してい昨今のる日本社会で生活していると、ますますバレエの世界に引き込まれてしまう。
ベスメルトノワに戻れば、第2幕のアダージョは、「神の業」としか言いようがない。
第3幕は、夫君ユーリー・グリゴローヴィチによる特別の振り付け。ブルメイステル版に似ているが、少し違う。

もう一つは、ユリヤ・マハリナのキーロフ版。
彼女は、ロパートキナの前の世代のプリマだ。
第3幕のオディールが素晴らしい。もともと背が高い人なのだが、座った姿勢で長い脚を延ばす場面では、ぞっとするほどの魅力。
ジークフリート役は、イーゴリ・ゼレンスキー。第3幕で素晴らしい跳躍をみせてくれる。飛び上がって、空中で一瞬停止、そしてひょいと上に釣り上げられる・・・ように見えるのだが、これは私の目の錯覚か?バレエダンサーではときどき重力の法則を無視する人がいるのだが、これはその典型例。
第1幕のパ・ド・トロワに、ラリッサ・レジュニナが出てくる。
マハリナの白鳥としては、ロンドンのコベントガーデンでの公演のDVDもある。第2幕のアダージョだけなのだが、こちらのほうが素晴らしい。

もう一つは、エレーナ・エフチェーエワによるキーロフバレエ。これは、ソ連が国家総力をあげて作ったバレエ映画である(1968年)。
エフチェーエワは、キーロフ時代のプリマ。清楚という感じが強いのだが、この映画の時は、女性としての魅力に溢れている。
オデットのバリエーションで最初にポーズをとるところ。第2幕の最後でジークフリートに腕を伸ばしてくるところ。どちらも、ぞっとするほど魅力的。
彼女も背が高いのだが、この映画の時は、まだデビュー直後。彼女は1947年生まれなので、21歳だった。かなり小さく見える。

ところで、以上であげた3点は、劇場公開版ではなく、したがって拍手や「ブラボー」の声が聞こえない。カーテンコールもない。その点は物寂しく感じる。これらは、舞台演芸には不可欠のものであろう。

「白鳥の湖」は、もっともっと沢山ある。
カナダのバレリーナ、イヴリン・ハートのロンドン・フェスティバル・バレエ版のオディールは神秘的だ。これはナタリア・マカロワが演出なのだが、第2幕でアダージョとバリエーションの順序を勝手に入れ替えたりしていて、いただけない。それに、マカロワの下手な英語での解説は、うるさい。バレリーナは、ひたすら沈黙を守るべし。
ABT(アメリカンバレエシアター)では、ジリアン・マーフィーがオデット/オディール。彼女は、いまでもABTのプリマ。昨年の秋、ニューヨークでライモンダを見た。きびきびした踊りで好感が持てた。

ところで、「ブラックスワン」というアメリカ映画があり、ナタリー・ポートマンがオディールの真似事をしている。映画「レオン」で驚くべき演技をみせたハーバードの秀才ポートマンが、なぜこんな役を引き受けたのだろう?大体、素人がバレリーナの真似をしたら、失笑を買うだけである。相手は、子どもの頃から、毎日稽古ばかりに明け暮れてきた連中なのだ。この映画でポートマンは、「いくら練習しても、とてもバレリーナのようには見せかけられない」ということを証明した。
映画では、公演の配役を壁に貼りだす場面がある。それを見て笑ってしまった。学芸会ではあるまいし。公演直前に配役を決めるなど、プロのバレエ団でありえないことだ。
ポートマンのオディールは、とても怖い顔をして観客を威嚇する。しかし、オディールはジークフリートを誘惑に来たのである。だから、怖い顔などするはずがない(するにしても、ジークフリートに見えないようにする)。もしこんな顔を見せたら、マザコンのジークフリートは、おびえて、一目散に逃げ出してしまうだろう。
ポートマンがこの役でオスカーを取ったと聞いたとき、「世の中どうなっているんだ」とつぶやかざるをえなかった。

 

神様ロパートキナ
比較的最近のDVDでは、ウリヤーナ・ロパートキナ主演のマリンスキイ版がある。
実を言うと、私はこの公演のロパートキナは、あまり印象的でないと思っている。彼女より、脇役が素晴らしい。
第1幕パ・ド・トロワのイリーナ・ゴールプが実に魅力的。先にあげたラリッサ・レジュニナは名バレリーナだが、ゴールプの方がよい。色気がある。そもそも色気があるバレリーナというのは、あまりいない。ロパートキナなどは、色気ゼロだ。・エフチェーエワは、若い時にはあったが、その後失った。ゴールプは、「くるみ割り人形」でも色気のある演技を見せてくれる。
白鳥の湖に戻ると、第2幕、4羽の小さな白鳥は、エフゲーニャ・オブラスツォーワ、イリーナ・ゴールプ、オレシア・ノーヴィコワ、スヴェトラーナ・イワーノワという豪華キャスト。第2幕の最後でオデットの元に駆け寄る役は、オブラスツォーワとノーヴィコワ。
4羽の大きな白鳥も豪華キャストで、アリーナ・ソーモワ、ヴィクトリア・テリョーシキナ、エカテリーナ・オスモールキナ、タチヤナ・トカチェンコ。とくにソーモワが魅力的。私の印象では技で勝るテリョーシキナを圧倒しているし、ひょっとすると主役のロパートキナをも圧倒している。
美人は得だと、誰しも思うだろう(そのため、ソーモワはいじめにあっている)。ところが、不思議なことにソーモワがオデットを演じると、あまり魅力的でないのである。荒っぽさが目立ってしまう。

ロパートキナは、いまでもマリンスキイのトップのプリマだ。しばしば神格化される。ロシアのバレエ評論家ワジム・ガエフスキイは、、「カネのために踊る」というDVDの中でつぎのように言っている。
「ロシアは呪われた国だと、一般に考えられている。終わることのない悪政と災害と貧困を見れば、これも無理はない。しかし、本当は天の恩恵を受けた国なのだ。ウリヤーナ・ロパートキナの存在がその証拠である」。
しかし、「ロパートキナが神の贈り物」という意見は、どうも私にはピントこない(06年のマリインスキイ東京公演で、彼女の舞台をみたのだが、神様には見えなかった・・・)。
それに、ガエフスキイのコメントは、よくよく考えると変である。確かに、ロパートキナは、どの解説書を見ても、「ロシアのバレリーナ」とされている。しかし、彼女は、ウクライナの出身なのだ(もう一人のロシアのスター、スベトラーナ・ザハーロワもウクライナ出身だ)。ロシア・ウクライナ紛争などを見ていると、彼女を「ロシアへの贈り物」といってよいのかどうか、大いに疑問を感じる。

悲劇かハッピーエンディングか?
バレエはもともとはイタリアで生まれたものだが、フランス絶対王政下で栄えた。しかし、フランス革命とともに廃れ、帝政ロシアに移った。そして、ソ連時代に生き延びた。生き延びたどころか、ソ連共産党はバレエを保護したのである。
多くのバレエは王子様とお姫様の物語であり、身分社会を肯定している。したがって、共産主義のイデオロギーとは、正面から衝突する。それにもかかわらず、なぜ保護したかのだろうか?
私は長年不思議に思っていたが、前記DVDにあるガエフスキイの説明で納得した。「共産主義政権にとって、バレエは統治のために不可欠の道具だった」のである。
現実の生活は厳しい(とくにソ連では)。しかし、バレエを観ている間は、それを忘れることができる。だから、民衆の目を現実からそらすために、共産党はバレエを奨励し、劇場のチケットを労働者や農民に配ったのだ。「何年か待てば、また切符が回ってくる。皇帝と貴族が独占していた夢の世界が、人民のものになった。革命万歳! 」。
革命成果の誇示として、これほど直接的で効果的なものは考えられない。それゆえ、バレエはひたすら華麗でなければならなかった。それに加え、バレエには言葉がない。権力は、芸術が語ることを恐れるものだ。言葉のないバレエは、この点でも都合がよかった。

ところで、共産党はバレエの内容に干渉しなかったかと言えば、そんなことはない。したのである。ただし、王子様を「労働者英雄」にするような変更ではなかった。「白鳥の湖」の結末を変えたのである。

チャイコフスキイ=プティパのオリジナルは、王子が悪魔の誘惑に負けて、愛を誓った相手を裏切り、その結果、王子もオデットも滅びるという悲劇である。しかし、悲劇では民衆を鼓舞することにならない。そこで、ソ連文化相が横槍を入れ、「王子が悪魔を倒して、めでたし、めでたし」という話にしてしまった。
第4幕の最後で王子が悪魔と大乱闘を演じて「悪を倒す」のである。これを見ると、「なんじゃ、これは」と白けてしまう(こんなに簡単に組み伏せられる相手なら、何でいままでさんざん苦労してきたのか?)。

いうまでもないことだが、「白鳥の湖」は勧善懲悪劇ではない。また、私の考えでは、純愛物語でもない。誘惑と裏切りと破滅の物語だ。
「湖のほとりでたまたま見つけたトリに惚れ込んでしまう」という荒唐無稽な筋立てが、少しも不自然に感じられないほど巧みに作られており、人間の心に直接に入り込んでくる。そのもっとも重要なポイントを改変したのだから、信じられないほどの冒涜だ。しかし、かの文化相は、「チャイコフスキイも間違うことがある」と言ったそうである!

57年にソ連が作った国策映画『白鳥の湖』では、「黒い力に対する高貴な闘争と勝利」と白々しい解説が入る。そして、厚かましくも、「チャイコフスキイの理想はこうして実現したのです」という説明が入っている。この映画の主演はマイヤ・プリセツカヤだが、父親をスターリン粛正で銃殺され、母親を強制収容所に送られた彼女は、完成した映画を見てさぞや不快に思ったことだろう。
なお、この映画のDVDもあるが、画面の質はかなり悪い。それに、プリセツカヤのぐにゃぐにゃした手の動きは、どうしてもなじめない(私は、「闘う白鳥」プリセツカヤを尊敬しているのだが)。この映画の唯一の見どころは、小さな白鳥の踊りと大きな白鳥の踊りを一緒にしたダンス。珍しい振り付けだが、とてもよい。

エンディングの話に戻ると、60年代にソ連から亡命したルドルフ・ヌレエフがイギリス・ロイヤル・バレエで上演した「白鳥の湖」(オデット/オディールは、マーゴットフォンティン)は、当然のことながら、悲劇になっている。
マリインスキイも、07年のシーズンから「白鳥の湖」を悲劇バージョンに変えた。ロシア人もやっと正気に戻ったわけだ。

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