眠りの森の美女

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「眠りの森の美女」のベストDVDは?

ベストはアーラ・シゾーワ
バレエ「眠りの森の美女」のベストDVDは何だろうか?
私は、絶対にアーラ・シゾーワのキーロフバレエ版だと思っている(以下、最初に挙げる名前は、オーロラ役)。
これは、ソ連が国力をあげて作った国策映画だ。
とくに素晴らしいのは、第2幕。リラの精の導きで現われる幻のオーロラの魅力的なこと。夢の国に引きずり込まれるような気持ちになる。いまだに、これを超えるオーロラは出ていない。

第1幕の溌剌としたオーロラもいい。
私は、美人の必要条件と言うのは、いつも同じ顔を見せているのでなく、場面によってかなり違う顔になることではないかと考えている(いつも同じ顔なのは、整形美人である)。この条件から言うと、シゾーワは完全な美人だ。第1幕だけをとっても、随分違う表情を見せてくれる。
第3幕の最初に置かれているオーロラと王子のバドドウは、いま見るとやや古い振り付けだが、ほぼ完ぺき。

第3幕には、青い鳥のフロリナ王女役でナタリア・マカロワが出てくる。マカロワのソ連時代の映像は希少だ。ソ連は亡命者の記録はすべて抹殺したので、ソ連にはこのフィルムは残らなかったはずだ。さすが伝説的名バレリーナで、完璧な演技。
残念なのは、第3幕の後半をはしょっていることだ。青い鳥のバドドウも、最初の3分の1くらいしかない。オーロラと王子のグラン・パドドウのコーダもない。時間の制約があるなら、第2幕の最初森の中の場面などは省略して、第3幕を完全にカバーすべきなのに、完全に時間配分の誤りだ。

ついでにいうと、シゾーワは、別のDVDでフロリナ役を演じている。これも、ほぼ完ぺき。

アリーナ・コジョカルの超絶技巧
第2位は、アリーナ・コジョカルのロイヤルバレエ版。

「眠りの森の美女」には、「ローズアダージオ」という有名なシーンがある。オーロラが求婚者の王子たちと踊る場面だが、きわめて不安定な姿勢のオーロラを支えていた手を、王子が放すのである。オーロラは、放された手をゆっくりと上げ、つぎの王子が差し出す手の上に重ねる。
このシーンでは、どんなベテランのバレリーナも明らかに緊張した顔になる。それはそうだ。物理学の法則からすれば、オーロラはひっくり返ってしまうからだ。手をゆっくり動かせるバレリーナは少ない。普通は、せかせかという感じになる。
ところが、コジョカルは、誠に悠々と手を動かす。その間、身体はびくとも動かない。驚くべき超絶技巧である。そして、つぎの王子の手に重なった後、観客を見てニッコリする。このシーンを見れば、誰でも魂を抜かれてしまうだろう。
いま「超絶技法」と言ったのだが、言い方を変えれば、「曲芸」である。「芸術に曲芸はいらない。ローズアダージオで手を放す時間の長さを競うのは低俗」との意見があるかも知れない。しかし、そうだろうか?
どんなに華やかなバレリーナでも、ローズアダージョが上手くできないと、がっかりする。ローズアダージオに合格するのは、十分条件ではないが、必要条件なのである。
それに、劇の進行から言っても、この場面には必然性がある。第1幕はオーロラの誕生日で、天真爛漫な彼女はうきうきしているのである。そして、皆のためにダンスを披露して、「どう?こんなに上手く踊れるのよ」と自慢しているのである。だから、難しいローズアダージオに挑戦し、うまくいって微笑んでいるのだ。この雰囲気を出せるバレリーナは、コジョカルしかいない。
第3幕オーロラと王子のグラン・パドドウも、コーダがダイナミックで非常によい。

レジュニナ、コルパコワ、デュポン
第3位としてつぎの3つを挙げよう。
一つは、ラリッサ・レジュニナのキーロフバレエ版。
レジュニナも悪くはないのだが、むしろリラの精のマハリナがよい。とくに、プロローグでの妖精の踊り。
もう一つは、イリーナ・コルパコワのキーロフバレエ版。
普通は、これが「眠りの森の美女」のベストだと言われるのだが、そして、コルパコワの力を入れない自然な動きはさすがに大バレリーナだが、いくらなんでも17歳であるオーロラを演じるのは、無理ではなかろうか?見どころは、コルパコワでなく、ダイヤモンドの精を踊っているコムレバだ。観客の拍手を聞いていると、コムレバの絶大な人気が分かる。
もう一つは、オーレリ・デュポンのパリオペラ座版。
ただし、デュポンも17歳のオーロラを踊るには塔がたちすぎている。このDVDの見どころは、フロリナ王女を踊るデルフィーヌ・ムッサンだ。

ところで、「眠りの森の美女」は絢爛豪華たるバレエである。これを見ている間は、お伽の国に引き込まれて、現実を忘れる。ガエフスキイが言うように、ソ連にはなくてはならないものだった(「白鳥の湖」の項参照)。
第3幕の最初にお伽話の主人公たちが続々と現われるのは、したがって重要な意味があるのだ。この場面を「全体のストーリーに何の関係もなく、支離滅裂だ」という人がいるのだが、違うと思う。青髭も青い鳥も赤ずきんも、ストーリーの展開には何の関係もないが、観客がお伽の国に没入するには、必要不可欠の道具立てなのだ。
絢爛豪華だから、脇役も大勢いる。普通のバレエは、主役の2人さえよければ何とかなるが、「眠りの森の美女」は、そうはいかない。最低限、青い鳥の2人、リラの精、ダイヤモンドの精は、一流のダンサーでなければならない。だから、弱小バレエ団では上演できない。

ペローの『眠れる森の美女』
バレエ「眠れる森の美女」はハッピーエンドだが、原作であるペローの童話『眠れる森の美女』は、そうではない。
「王女が目を覚まして、めでたしめでたし」という場面はあるが、これで終わりではないのだ。ここまでは前半で、「実は、王子の母親である女王は人食い女であり、王女と子供たち(つまり女王の孫)があやうく食べられそうになった」という後半が続くのである!
チャイコフスキイ/プティパは、さすがにこの部分はバレエに取り入れなかった(取り入れたら、観客が逃げ出してしまうような、とんでもないバレエになった)。しかし、「こんな恐ろしい話を子供たちに聞かせていいものか?」と率直な疑問を抱かざるをえない。

ところで、ペローの筋書きに沿ってよくよく考えてみると、この人食い女は王子の実の母親であるから、王子には人食い族の血が流れているといういうことになる。童話を読む限り、彼にはその気はない(実に幸いなことだ)。しかし、隔世遺伝ということがあるから、「子供たちに顕在化する」という可能性は否定できない。
すると、『続・眠れる森の美女』を書くとなれば、「子供たちが母親(つまり眠れる美女)を食べてしまった」という耳を塞ぎたくなるような内容になってしまわないだろうか?ヨーロッパの童話は、どうしてこうも残酷なのだろう?
(ついでに言うと、ペローの童話では「オーロラ」は美女の娘の名である。美女自身は名無し)

 

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